導きの声
世界が暗転するとともに、フィオドラは痺れにも似た痛みを感じなくなっていた。
これが死かと思うと同時に、これが死のわけがないと否定する。
死とはもっと穏やかなものではないのか。少なくともいまフィオドラが感じている、激流に呑み込まれたような激しさとは違う気がする。
――どこかで女の泣き叫ぶ声が聞こえる。
(泣かないで、ごめんなさい。泣かないで)
フィオドラは必死に懇願した。
もちろん声は出ない。けれど、彼女が泣いている理由が自分にあると知っているフィオドラは、そう願うことしか出来ない。
(私は大丈夫だから。死んだりしない、大丈夫、大丈夫。お願い、泣かないで)
嵐に投げ込まれたような感覚。意識がめちゃくちゃになり、拡散していく。
フィオドラは手放しそうになる自我をどうにか掻き集め、周りを見回した。
見えるのは真っ暗な闇だ。どんなに目を懲らしても出口がない。
それでも出なければ。
ここから出て、秘宝を取り戻し、魔界へと帰るのだ。
父を死なせ、大切な人まで騙してたどり着いた場所。どうしてもまだ死んでしまうわけにはいかない。
けれどフィオドラを取り巻く力は、彼女を押し流そうと迫ってくる。溺れまいと喘げば喘ぐほど、掻き集めた意識が散らばっていく。
これ以上はもう戻れなくなる。
「 」
最後の意識を手放しそうになったとき、音が聞こえた。何度も何度も同じ音。
それが声だと気づき、耳を凝らす。
その音は彼女の名を呼んでいた。低く、いつも怒っているような不機嫌な声。
その声で呼ばれるのは、ときに苦しくて、悲しくて、とても嬉しかった。
(だ、れ……?)
散らばった意識がひとつひとつ誰かの像を拾っていく。
風になびく金褐色の髪、意外に素直な感情を表す紫紺の瞳、勇者の仮面を脱げばいつも不機嫌そうな彼だけれど、その表情が緩む瞬間が好きだ。
初めてフィオドラが特別だと思った男性。
恋を自覚したときには失恋していたようなものだが、まだ傍に居ることを許してもらっている。
(アレクシス)
壊れかけていた自我が、彼の姿を借りて姿を取り戻す。
最後に見た彼の表情。驚愕と怒り、そしてほんの少しだけ泣き出しそうな顔をしていた。
そのことに彼女はほっとしていたけれど、それは自分勝手な感情だ。だって彼は、仲間に裏切られ仲間を傷つけられ、泣きそうになっていたのだから。
戻らなければと強く思う。
大切なものをたくさん傷つけたままだ。失ったものは多く、傷つけたものは数え切れない。
けれどまだ、この手の中にあって自分で守れるものがあることを思い出した。
声のする方を探すと小さな光が見えた。何度も何度も自分の名を呼んでくれている。
その顔を見たくて、フィオドラはゆっくりと目を開けた。
ちょっと短め。
残り三話です。




