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裏切りの舞踊

 泣き始めた空が、異様な静寂を埋めるように細い雨を落としつづける。

 前髪を濡らす雨に体温を奪われながら、アレクシスは腹の内か膨れあがる憤怒に体中が焼けるような錯覚を覚えた。

 先ほどまで共に魔物と戦っていた兵士たちは状況についてこられないようで、遠巻きにこちらを窺っていて、そのことさえもアレクシスの苛立ちに拍車を掛ける。

「バルド、貴様……」

 怒りのあまりその先の言葉を告げられず、アレクシスは飄々と立つ旧友の姿を睨みつけた。

 バルドはアレクシスの眼光を肩を竦めただけで受け流す。

「なに怒ってんだよ。割の良い取引だって言ったろう。あの下種な王様や王子様がたんまり金貨をくれるってよ」

「バルドは下種だって分かってて、あっちの側についたわけ?」

「当然だろう。金が貰えんだ。お前らだっていつも金のために動いてたじゃんか」

 シャロンの訝しげな質問にも、バルドはあっけらかんと答えた。むしろ、どうしてアレクシスたちが賛同しないのかと不思議そうだ。

「あの王子様、武道大会の時にはもうフィオドラを疑ってたぜ。昨日、アレクがデートに行ってる間に俺が代わりに昼飯食いに行っただろ? そんときにカマかけてきやがったんだ」

「それで、フィオドラのことを話したのか。あいつが魔人だと」

「魔王の娘だってな。そしたら魔人の秘宝の話されてさ。そんときは本当かぁって思ったけど、帰ってきたらフィオドラまで同じ話するからまじ吃驚したわ」

 バルドの声を聞きながら、アレクシスは何かの間違いであってくれと願った。そう思ってから、それがただの逃避でしかないと気づいて、彼は自分の甘さに舌打ちした。

 間違いもなにも、いまさっき彼の目の前でバルドはフィオドラを切りつけたのだ。

 薄い腹から真っ赤な血が流れ、いつもは薔薇色に染めている頬を真っ青にして、彼女は苦しげに顔を歪めて喘いでいた。

 思い出すだけで、胸を掻きむしりたくなるほどの怒りと後悔が渦巻く。

 強力な魔法を行使した直後のフィオドラは、まともに動くことも出来なかったのに。側にバルドが居ることに安心して、彼女の安全を自分で確保していなかった。

 すぐ傍にいたのなら、怪我など決してさせなかったのに。そしてまんまと連れ去られた。

 爪が手のひらに食い込むほど強く拳を握る。

 手袋越しでさえ伝わるかすかな痛みで、どうにか怒りで我を忘れそうな自分を正気づけた。

 怒りのままに暴れるわけにはいかない。

「フィオドラに協力するって言ってたのは嘘だったの?」

 感情を必死に押さえるアレクシスをちらりと見て、シャロンがバルドに聞く。

「いや、嘘をついた訳じゃねえよ? あんときはそう思ってたし。ただ、砦に着いてから王子の側近だって言う奴が来て、そんときに追加で示された条件がフィオドラから見込める報酬より良かったんだよ」

 アレクシスたちがフリードリヒと話していたときだろう。確かにあのとき、バルドは兵士のひとりと話をしていた。

「……本当に、金だけか?」

 アレクシスは眉を寄せて訊ねた。

 現金主義は彼らのモットーだ。けれど、その中でもバルドはそれほど金にこだわっている方ではなかった。

 もっと求めていること、不満に思っていたことは――。

 バルドは悪戯にやっと気づいてもらえた子供のように、にやりと笑った。

 その表情はいままでともに過ごしてきて見慣れたものと、まったく変わりない笑みだ。

「正解だよ。これからログゴートは魔王の娘を盾にして、魔界に戦争を仕掛けに行くんだとよ。戦争だ。満足いくまで暴れ回ることが出来るし、なるべく殺さずなんてまどろっこしいことをする必要もねえ。そうだろ、シャロン。戦争になればたくさんの金が動く。こんないい稼ぎ場所はねえよな。アレクだって惚れた腫れたなんてもんに振り回されるより、よっぽど現実的だって思わねえか」

 大金儲け出来るぞと笑って両腕を広げるバルドを、アレクシスは冷ややかに見た。

 バルドはただたんに戦いたいのだ。剣を振り、敵を薙ぎ払い、暴れ回る。

 本当はずっと感じていた。彼がアレクシスたちとの旅で、制約のある戦い方をするのに満足していないことを。

「馬鹿だね、バルド」

 溜め息交じりに嘆くシャロンを見ると、彼もアレクシスを見返してちょいと肩を竦めた。

 ほんと呆れたと呟くのに、アレクシスも頷く。

 呆れるほどに馬鹿だ。バルドは、もともと彼らが金に固執した理由をすっかり忘れてしまったらしい。

「このクソバルド、よく聞け。俺たちが金を欲したのはどうしてだ?金さえあれば、いつだってそう思ってただろが」

「おうよ。世の中は金が全てだ。金持ちが得をして、貧しい人間は結局貧乏くじを引かされる。餓鬼の頃に嫌ってほど味あわされた。だから、何をしてでも稼ぐんだろうよ」

 当然のように言うバルドに首を振ってみせる。

 これが仮にも旧友でなければ、アレクシスはさっさと切り捨てて終わりにしてしまっただろう。

「そうやって手に入れた金で、お前はいったいなにを買うっていうんだよ。女や安い酒を買って満足か」

「ねえ、バルド。僕たちが貧しかったのはどうしてだった? ……助けてくれる者のいない孤児、残飯をあさり盗みを働かなきゃ生きていけない、そうなったのは何でさ。親が居なかったからでしょう。君は、そういった僕たちのような子供を増やしていく気?」

 庇護者のいない子供時代。彼らは自分と同じような子供たちと助け合って生きてきた。アレクシスとシャロンとバルドと、他にも幾人か。

 数人が増えては、生きていく中で何人も失った。

 シャロンがその才能を見出され、神殿に保護されたことで彼らは救われたが、そのときにはもう、ほとんどの小さな手が朽ちていった後だった。

 すでに名前さえうろ覚えな仲間たち。だが彼らが居てくれたことでアレクシスたちは絶望的な子供時代を乗り越えられたのだろう。

 それでも、と夢想する。

 自分たちが少しでもお金を持っていたならば、あの子たちが孤児ではなかったならば、いったい何人が死なずに済んだだろうか。

 アレクシスやシャロンの言葉に、バルドは怪訝そうに眉を寄せた。

「別にどうでもいいだろう。何で俺たちが他の奴らのことまで気にしなきゃなんねえの」

 その言葉を聞いて、アレクシスは目を伏せた。

 どんな言葉を尽くしても、バルドには届かないだろう。すでにお互いの根本的な価値観が違ってきてしまっている。

 それはいつからだったのか。思い返してみても分からない。もしかしたら、初めからだったのかもしれない。

 アレクシスはバルドに背を向けた。

「アレク?」

「行くぞ、シャロン。時間の無駄だ」

「待てよ。そういう訳にはいかねえんだ」

 二人の前に回り込んできたバルドが剣を抜く。

 硬質な音になりゆきを見守っていた周囲の兵士たちが息をのんだ。

「もしお前らがこっち側に付かなかったら、足止めしろって言われてんだよ」

「奴らの犬に成り下がるつもりか」

「まさか。でもアレクとは一回本気で殺ってみたかったんだよねえ、俺」

 心底楽しそうににやにやする旧友に、アレクシスははっと笑った。

「殺れるもんならやってみろよ」


 しゃんっと引き抜かれた剣が、落ちてきた雨粒をはじき飛ばした。



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