鮮血の剣
炭と化した地には、動くものはほとんどいなかった。
「いったい、なに考えてんだ!」
アレクシスの怒声に、フィオドラは我に返った。
誰にでも聞こえる大声は、もう勇者の仮面などかなぐり捨てている。
フィオドラがどうにか立ち上がると、護衛を引き連れたフリードリヒがこちらへ歩いてきている。
アレクシスは彼に向かって叫んだようだ。
「もう少しで、僕たちまで死ぬところでしたよ」
シャロンが近くまで来たフリードリヒに苦々しく言うと、彼はふっと笑った。
その笑みはあまり性質の良いものではない。見ていると胸の辺りがちりちりする。
「そうはならなかっただろう。さすがは魔王を倒した英雄たちだ」
「全員助けられたわけではありませんよ。結界に入れなかった貴方の部下が、何人かそこで魔物と仲良く焼死体になっています」
辛うじて口調は丁寧だが、シャロンも相当腹に据えかねているようだ。言っている言葉が毒だらけである。
戦っている間は気づかなかったが、辺りにかすかな雷鳴が聞こえ始めていた。
雲が暗く、冷たい風が吹いている。これは大きく天気が崩れるかもしれない。
「大きな力のためには、小さな代償はしかたがない。そうだろう? 彼らの犠牲のおかげで、魔物を一掃できた」
「彼らが犠牲にならなくても、時間があれば僕たちが勝ちました。そうでしょう?」
「あんたがやったことは、無意味な人殺しだ」
アレクシスが吐き捨てると、フリードリヒは目を丸くして、次いで高らかな笑い声を上げた。明らかな嘲笑が辺りに響き渡る。
胸の辺りに広がる違和感が急速に膨れ上げってきて、フィオドラは詰まった息を無理矢理吐きだした。
フリードリヒはその表情を優しげな笑みに変えて、アレクシスたちからフィオドラの方へと視線を向けた。
野心のたぎるぎらぎらした瞳。
「いいや、無意味などではない。事実──」
空から振り落ちた水滴が、頬を掠める。
とうとう降り出したのかとフィオドラの意識が一瞬逸れた瞬間、彼女は腹部に強烈な熱を感じた。
喉の奥から鉄の味がせり上がってくる。
「……え?」
「フィオドラ!」
アレクシスの己を呼ぶ声をどこか遠くに聞く。歪む視界にフリードリヒの勝ち誇った顔が見えた。
「我らは新たな力を手に入れるのだ」
体に力を入れていられなくて、膝を折りそうになったフィオドラは、後ろから腕を引かれて中途半端に体勢を崩した。
視線を落とせば、自分の腹から大量の血が流れ出しているのが見える。腹部にまで心臓が出来たかのように、熱が脈打っていた。
掴まれた腕を振り返り、その先にある男の姿にフィオドラはくしゃりと顔を歪めた。
「ど、うして……」
「悪ぃな、フィオドラ」
全然悪いと思っていない顔で、バルドがにやりと笑う。
彼の持つ大剣はフィオドラの血で赤く濡れていた。
「血の巡りは魔力の巡り。魔道士ってのは大けがするだけ無力化しちまうんだから難儀だよなぁ」
「バルド! お前、いったい何のつもりだっ!」
「わっかんねえかなぁ、アレク。取引だよ。こっちのほうが割がいいんだ。ほれ、王子様」
フィオドラはフリードリヒの方へ突き飛ばされ、抵抗する力もなく倒れ込んだ。
その途端、彼女たちを中心に魔方陣が展開される。
少人数を運ぶための簡易転移陣。フリードリヒの護衛の中に優秀な魔道士がいるのか、ずいぶんと手際が良い。
歪み続ける視界、脈打つ痛み、体を引っ張られる感覚。
なかなか焦点の合わない目を凝らして魔方陣の向こうを見る。
(ああ、良かった)
驚愕と怒りに彩られた勇者の表情に、これは彼の知らぬことだと知って、フィオドラはひどく安堵した。




