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翼無竜

 翼無竜(ワーム)


 魔界でもなかなかお目にかかれない魔物である。

 だがそれでも、それほど危機感無く近づいてくる翼無竜を見ていられるのは、やはりそばに彼らがいるからだろう。

「うわっ、ちょっとあの角、綺麗に取れたら色んな物に加工できそうじゃない? 高く売れるよ。アレク、バルド、変に傷つけないでよね」

「面倒くせえ。金勘定は倒してからやれ」

「さっすが金の亡者だよな」

 緊張感のない会話に、フィオドラは苦笑をこぼした。

「でも、確かに魔道具として面白い物が作れそうね。でも結構固そう。上手く切り落とせるかしら」

 目測八メートルといったところか。表面に呪文を掘れば広範囲の魔法の媒体として使えそうだ。

 しかしあの巨体、軽くぶつかられただけで全身の骨が粉々に砕けるだろう。

 アレクシスが剣を腰元に落として、臨戦態勢をとった。

「俺が行く。フィオドラとバルドは他をやれ。シャロン」

「はいはい」

 シャロンが口の中で何事かを呟く。するとアレクシスの体にきらきらと光が纏わり付いた。

 アレクシスが彼女たちと距離を取って魔物を迎え撃つ。

 シャロンが使ったのは魔道士の繰る魔法とは一線を画す力だ。

 例えば、魔道士の治癒が人が元々持っている自然治癒力を促進させるなど、術者や対象者の魔力を使って行使するものであるのに対し、神官の力は何らかの大いなる力を借りて外から癒やすものだ。

 人々はこれを神の祝福という。

 魔力があればたいていの者が使える魔法とは違い、これは生まれながらにして特別な選ばれた者しか扱えない力でもある。

 アレクシスがシャロンにかけてもらっていたのは、物理攻撃を和らげる効果があるもので、戦闘前にかけたものをさらに強化したものだ。

 これであの翼無竜の下敷きになっても、簡単には死なないだろう。

 フィオドラが飛びかかってきたコウモリのような魔物を杖で打ち据えながら様子を窺うと、どうやらアレクシスでもかなり苦戦しているようだった。

 アレクシスの剣でも角を断ち切れないようで、角自体がかなりの強度を持っているらしい。それに加え、さきほどのフィオドラの魔法の範囲外にいたらしく、巨体に似合わない俊敏な動きを見せていた。

 剣と角が何度もぶつかり合い、耳障りな音を立てる。

 アレクシスは魔物の背中に飛び乗って、背骨を断ち切らんばかりに剣を振り下ろした。

 魔物が咆哮のような悲鳴を上げた。それは大地をも振るわせるほどの絶叫だ。

 近くに居たせいで、運悪く暴れ回る魔物の餌食になった兵士がいる。

 周りの魔物の数がだいぶ減ってきていたので、フィオドラはその兵士に駆け寄って、体を引きずりながら離れた。もちろん彼女の腕力では無理なので魔法を使ってだ。

 兵士をシャロンに引き渡して顔を上げたとき、突如目の前に何かが降ってきた。

 両腕をいっぱいに広げても囲えないほど大きな角。鋭い先端を地面に突き刺し、壁のように目の前にそびえ立っている。

 頬を嫌な汗が流れた。

「……もう少しずれてたら串刺しね」

「ちょっとアレクっ! 飛ばす方向少しは考えてよ。殺す気っ!?」

 アレクシスはシャロンの文句などどこ吹く風だ。魔物の背から下りて、今度は腹を傷つけ始める。

 翼無竜が上体を起こしていられなくなったころ、フィオドラは他の戦況はどうだろかと顔を上げた。

 彼女たちが居る場所が一番戦闘が過熱しているようで、他はもう終息し始めていた。

 一番魔物を惹きつけているだろう王子の所は、たくさんの魔道士たちに結界を張らせた上で、結界外の魔物を焼き払っている。

 火に炙られた魔物たちを見ていたフリードリヒが顔を上げた。

 細かな表情など見えないほどの距離にいるはずなのに、フィオドラは確かに彼と目が合った気がした。

 先ほどの粘っこい視線と同じもの。フリードリヒが王杖を掲げる。

 緋命石が煌めいて、フィオドラの背筋に戦慄がはしった。

「う、そ。……ッ冗談でしょう。アレクシス! 周りに居る人もみんな集まって!」

 振り返ってアレクシスや近くの兵士たちに叫ぶ。

 怪訝そうにこちらを見た彼らは、次の瞬間フィオドラが焦っている理由を知った。

 フリードリヒが作り出した、辺り一帯を包むほどの火炎がこちらへ迫っている。あれが落ちたのなら周りは全て火の海になるだろう。

 慌てて人々が集まってくる。動けなくなっている数人を、バルドがこちらへ投げ飛ばした。

 フィオドラは杖を放り捨て、早口に呪文を唱えながら目の前にあった角の表面に両手を押し当てた。

 彼女の指先から、つるりとした白い角質に赤い呪文が螺旋状に書き連ねられていく。

 それが一番太い根元の方まで到達するのと同時に、火炎が頭上へ到達した。

 間一髪で間に合った結界が、炎の波を退ける。けれど、角の上から傘常に広がった結界は炎の圧に押されて軋む音を立てた。

 腕が焼けるように痛い。実際、角に触れている両手は激しすぎる魔力の奔流に焼けているのだろう。

「さ、すが。……父様たちの、魔力っ」

 歴代魔王の魔力が、フィオドラの全身にのしかかる。

 喉が引き攣った悲鳴を上げた。

 媒体となった角にヒビが入り始める。

 視界全てが火の海だ。

 保たないかもしれない。そう思いかけたとき、背中に大きな手が触れた。

 振り返ると、真っ赤に燃える頭上を睨みつけたアレクシスがいた。

「三数えたら、結界を解け」

「でも」

「口答えすんな、やれ」

 いつの間にか、結界内の人間はみな身を寄せ合って固唾をのんでいる。

 フィオドラはアレクシスの、炎を映して赤紫に燃える瞳を見上げた。

 揺るぎない強さ、意志、その光。彼女が無条件で信じられると思うものだ。

 フィオドラが痛みに耐えて頷くと、アレクシスは褒めるようにかすかに微笑した。

「一、二、三!」

 アレクシスのかけ声に、結界を作り上げていた魔力を解く。

 熱風が頬を打ち、反射的に目を閉じそうになるのを堪えた。

 勇者の剣が、炎を掻き分けて振り上げられる。火は彼の剣に引き寄せられるように集まり、返す刀で前方へと吹き飛ばされた。

 アレクシスの剣は魔力食いの剣。無効化するだけではなく、ときに吸い取り吐き出すのだ。

 誰もが自失する数瞬、フィオドラは腰を抜かして地面に座り込んだ。

 なんの準備もなく大きな魔力を使ったせいで、上手く体に力が入らない。

 けれど不幸中の幸いか、フィオドラの結界外にいた魔物たちは残らず火に呑み込まれたため、すで危険を伴う魔物は一体としてその場に残ってはいなかった。


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