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気づかない振り

 季節柄か、最近の天気はとても気まぐれだ。昨日はあんなに綺麗な夕陽を見せていたのに、今日は朝からどんよりと曇っている。

 転移陣の完成は昼頃との通達があった。

 共に行くことになっている兵士たちは緊張からかピリピリとした空気を発しているが、魔物と戦うことに慣れているフィオドラたちは出発までをのんびりと過ごしていた。

 暇をもてあましたシャロンとバルドは部屋でカードを始めてしまっているし、アレクシスはなにやら朝から考え事で声を掛けても生返事だ。

 ひとり部屋を抜け出したフィオドラは、落ち着かない様子の城の者たちを横目に歴代ログゴート王の肖像画が並ぶロングギャラリーに向かった。

 ここに来た目的は絵画鑑賞ではない。目的の絵はたった一枚、今代国王の絵だ。

 戴冠してすぐの絵なのだろう。謁見の間や武道大会で見かけた姿よりもずっと若く、たかが絵なのに瞳には野心がぎらついていて、フリードリヒによく似ていた。

 額に戴く王冠は他の絵の王たちと同じ物だが、その手に杖を持って描かれているのは今代王だけだ。

 杖の上部は王家の象徴、黄金の鷲が両翼を広げて辺りを睥睨し、その鋭い嘴には赤子の拳ほどの大きさの赤い石を咥えている。

 その石こそが、魔人の秘宝、緋命石だ。

(もっと早く、ここへ来ていれば良かった)

 そうすればきっと気づいていたはずだ。求める物がどこにあるのかを。

 フィオドラは肖像画を一睨みして踵を返した。

 今回の戦いの指揮を執るのは、王子であるフリードリヒだ。おそらく彼は、国王からくだんの杖を借り受けて出兵するだろう。

 秘宝を取り返すのは、魔物の討伐を終えて皆が気を抜いた瞬間だ。それまでは勇者の仲間として魔物から人間を守ろう。

「ねえ、あなた」

 離宮に戻る回廊に足を踏み入れたところで、フィオドラは可愛らしい声に呼び止められた。

 振り返ると、そこには侍女を連れたクリスティアナ姫がいた。

 いったい何の用なのか、ちょっと唇を尖らした王女はフィオドラの前まで来ると、小さな顎を上げて睨んできた。

「昨日、アレックスと街へ下りたのですって? しかも、彼に変装までさせて。いったいどういうつもり?」

 思わず零れそうだった溜め息は、どうにか腹の中に仕舞う。

 昨日のアレクシスの変装姿は、彼を昼餐に呼びに来た女官を始め、城の者たちに見られている。だからその話が王女の耳に入っていることも、彼女の嫉妬をかうことも理解はできる。

 けれどいま、そんな話を持ち出している場合ではないと思わないのだろうか。

 クリスティアナはいま自分の国が晒されている危機的状況を分かっていないのか、それとも王女の耳には入れないようにされているのか。

「ちょっと聞いていますの。そもそもどうしてあなたみたいな女が、勇者一向に加わっているのよ。早く彼から離れてちょうだい。彼の隣はあたくしのものなのだから」

 そう言って彼女は胸を張った。

 生意気で、上から目線で、そして可愛らしい仕草は一国の王女にふさわしいものだろう。しかしその態度を受け入れるのは、王家へへりくだる必要性を感じている者だけだ。

 クリスティアナの態度があまりにも子供っぽくて、フィオドラは対抗心を抱くこともできなかった。いままではかすかに感じていた嫉妬もしゅるしゅると萎んでいく。

「私は魔道士として勇者と共に戦う道を選びました。彼が私を必要ではないと言うまでは、共に戦うつもりでおります」

 小さな子供に言い聞かせるような口調になってしまったが、王女はそのことに屈辱を覚えるよりも前に、頭に血が上っているようだ。

「まあっ。魔王はもう死んだのよ。あなたなどとっくに用済みだわ」

 ――いや、これからなかなか激しい戦いが待っているのだが。

 フィオドラはなんと言い聞かせようか、困ってしまった。

 これでは城下で会った孤児の少女の方がよっぽどしっかりしている。

 黙ってしまったフィオドラを、クリスティアナはじっとりと眺めてきた。

「あなた、もしかしてアレックスが好きなの?」

「え」

「そうなのね! それで、彼に色目を使って言い寄ったのね。最低っ!」

「えー」

 クリスティアナの言いように、思わず素で呆れた声が出てしまった。

 そうしてから、王女の後ろで控えている侍女が申し訳なさそうにこちらを見ているのに気づいて、これが彼女の性格なのだと理解した。

 可憐な姫君と言うには幼く苛烈で、愚かだ。フィオドラのアレクシスへの気持ちに気づいた女の勘だけはあるようだが。

 これならいくらでも言いくるめられると判断したフィオドラは口を開いた。

「あのですね……」

「フィオドラ」

 フィオドラの言葉を遮ったのは低く、ほんのり甘い声だ。

 クリスティアナの頬がぽっと色づく。声だけで誰だか分かったフィオドラも、ゆっくりと振り返った。

「アレクシス」

「もうすぐ出立だ、準備しろ。……ああ、王女殿下。このような所でどうしました?」

 回廊を歩いて近づいてきたアレクシスは、フィオドラの横に並んで初めて、王女の存在に気づいたように言った。

 最初からしっかり勇者としての顔をしていたので、間違いなく演技なのだろうが。

「ア、アレックス。もうお出になる時間ですの? あたくし、無事のお戻りをお待ちしておりますので」

 どうやらクリスティアナは魔物の脅威が迫ってることも、本日の作戦も知っているらしい。

 細い指を組み、瞳を潤ませて見上げる様は見事に可憐なお姫様だ。

 フィオドラはその変わりように内心拍手を送った。女って怖い。

「ありがとうございます。必ずや、魔物は退けてみせますので、どうぞ殿下は心安らかにお待ちください」

 アレクシスは柔らかく目を細めて告げた。

 彼の普段との落差も十分怖いかもしれない。なにかの拍子に彼の本性を知ったら、ほとんどのお嬢さんはその場で卒倒しそうだ。

 完璧な紳士の皮を被ったアレクシスに、王女は頬を染めて身を乗り出した。

「あ、あの。無事にお戻りになられたら、その、あたくしを城下へ連れて行ってくださいませ。……お買い物とか」

 ちらちらとフィオドラを見ながら言うクリスティアナは、アレクシスが一瞬「は? こいつ馬鹿か?」という目を向けていたことに気づかない。

 アレクシスは甘い笑顔で、──フィオドラには面倒くさくなったのだと分かる笑顔だ。一礼をした。

「光栄です。それでは、そのときにまた」

 それだけ言うと、フィオドラを促して歩き出した。

 背を向けても突き刺さり続ける王女の視線には気づかない振りをして、フィオドラはアレクシスにこそっと耳打ちした。

「ありがとう、助かったわ」

「ふん。なに面倒くさいのに捕まってんだよ」

「……女の子っていうのはね、面倒くさい生き物なのよ」

 一応フォローを入れておくが、自分も面倒くさいと思ってしまっていた手前、声音に説得力がないのは自覚した。

 そうしてからそっと、アレクシスをうかがい見る。

「王女様と街歩きするの? ……デート」

「するわけないだろう。これが終わってお前が例の物を取り戻したらそのままトンズラだ。もうこの城には戻ってこねえよ」

 それもそうだ。もちろんフィオドラひとりだけを悪者にして残ることも出来るだろうけれど、アレクシスはこの城に未練はないように思える。

「それよりも……」

 歯切れ悪く言いよどんで、アレクシスは立ち止まった。

 つられて立ち止まったフィオドラは、いつのまにか自分たちの部屋の前に来ていたことに気づいた。当然ながらもう王女の視線は感じない。

「さっきの話だが……」

「さっき?」

 どの話だろうか。

 先ほどクリスティアナと話していたことがアレクシスにも聞こえていたとは思っていないフィオドラは、ギャラリーに行く前のことも思い起こしてみるが、当てはまるものが思いつかない。

 首を傾げるフィオドラに、アレクシスはなぜだか舌打ちした。そのまま数瞬固まっていた彼は、意を決したようにこちらを見下ろして睨みつけてきた。

 視線の強さのわりに紫紺の瞳の奥が揺れている。あまり見慣れない瞳に、フィオドラは見入った。

「王女と話していたことだ」

「王女様と? えーと、……え?」

 彼女との会話で彼が気にかける部分などあっただろうか。

 そう思って彼を見上げていたフィオドラは、揺らぐ彼の瞳を見てあり得ない想像をしてしまった。

(もしかして私がアレクシスを好きだって言ってたこと? や、いや、アレクシスがそんなこと気にするとは思えないし、あの感じだと王女様が勝手に言ってるだけに聞こえただろうし。むしろ大正解だけれどっ)

 思わず目線がさまよってしまった。意味もなく美しい装飾をされた廊下の柱などを見てしまう。

 そんな風に混乱しているフィオドラに。

「お前、俺のことが好きなのか?」

 ずばりアレクシスは聞いてきた。

 喉が引き攣るような感覚を覚える。それを呑み込んで、フィオドラは微笑んだ。

「好きよ。尊敬しているわ。大事な仲間だもの」

 それ以上の意味はない、そう装って。

 自分を騙したフィオドラにそれでも味方してくれるアレクシスが、まだ仲間だと思ってくれていると信じている。それに甘えている。それで十分。

「さあ、最後の準備をしましょう」

 そう言って扉を開けたフィオドラは、かすかに赤くなった自分の耳と、アレクシスの視線には気づかない振りをした。


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