デート企画
シャロンとバルドに企画されたデートは、早速翌日に決行された。
勇者であるアレクシスはあまりにも有名になってしまっているということで、髪を地味な色に染めることにした。よって、先に準備が終わってしまったのは女であるフィオドラの方である。
「手伝うのがバルドで本当に大丈夫なの?」
居間でアレクシスを待っている間、向かいでお茶を啜るシャロンに訊ねると、彼はフィオドラの質問に邪気のない顔でにこりと笑った。
「大丈夫じゃないだろうね。そろそろアレクがぶち切れる頃だよ」
そう言われてアレクシスの部屋を振り返った瞬間、扉の向こうから勇者の罵声とバルドの爆笑が聞こえてきた。
聞かなかった振りをしてフィオドラは顔を戻す。
「シャロンが手伝ってあげればいいのに」
「嫌だよ、手が汚れるじゃない。それに、僕は違う方面でお手伝いしてあげようと思って」
意味ありげにこちらに目を向けるシャロンに首を傾げる。
「フィオドラに一つ指令を出すよ」
「なに?」
買い出しか何かだろうか。そうだとすれば目的地が出来るので有り難いのだが。
「デート中に必ず一回、アレクにあることをすること」
シャロンは身を乗り出してフィオドラの耳元で囁いた。その内容に目を瞬かせる。
「それはどういう意味があるの?」
「アレクが喜ぶよ」
「そうかしら」
むしろ怒らせる気がするのだが。
だがアレクシスとの付き合いは圧倒的にシャロンの方が長い。その彼が言うのだからそうなのだろう。
「アレクへのご褒美なんだから、やってあげてね」
「頑張ってみるわ」
そのタイミングがあるとは思えないので、難しい顔で答えておく。
シャロンが可笑しそうに笑っていると、とうとうアレクシスの部屋から聞こえてくる物音が大きくなってきた。何か大きな物が倒れたのだろうか。ドスンバタンと派手な物音と怒声が聞こえてくる。
「ちょっと、物を壊すのは止めてよね。弁償するのにいくら掛かると思ってるの」
結局はシャロンも参戦するはめになったアレクシスの変装が終わったのは、お昼の鐘が鳴る頃だった。
うんざりしたような顔のアレクシスの髪は、艶のある金褐色ではなく暗い焦げ茶色だ。それだけでずいぶんと印象が変わる。
金髪の下で冴え冴えとしていた紫紺の瞳はより深みを増し、秀麗な顔の輪郭は暗い髪色に隠れ、――つまりは全体的に。
「なんか、陰気くさくなった?」
「ぶはっ」
思わずフィオドラが呟くと、バルドとシャロンが腹を抱えて笑い出す。
「貴様ら……覚悟は出来てるんだろうな」
地を這うアレクシスの声にフィオドラは慌てて弁解をする。
「ほら、もともと明るい色だったのが暗くなったわけだし。いままでは華やかな外見が隠してただけで、アレクシスが不機嫌なのは常装備のようなものだし、つまりいつも通りというか。……あれ?」
どんどん墓穴を掘っている気がする。
アレクシスの不機嫌なオーラの増加とともに、シャロンとバルドの爆笑具合も上昇していく。
助けてくれそうにないふたりの援護は諦めて、フィオドラは目を泳がせた。困り切って冷や汗を掻いていると、廊下と繋がる扉が外から叩かれた。
人目があるところでは好青年を装っているアレクシスが攻撃的な気配をいったん引っ込めてくれたので、フィオドラは内心で扉を叩いてくれた人に感謝した。
しかし、入ってきた女官が告げた内容に、かすかに眉を寄せる。
女官は髪を染めている勇者に驚いた顔を見せたものの、王と王女がアレクシスとの昼餐を望んでいると告げた。
思わず彼の上着の裾を握ってしまったのは、完全に無意識だ。アレクシスの肩がぴくりと反応する。
一礼して女官が出て行くと、その場には奇妙な沈黙が落ちた。
最初に口を開いたのはアレクシスだ。
「手」
「え?」
「上着、離せ」
「あ、ごめんなさい」
無意識に掴んでいた彼の上着を慌てて離す。
なんで自分がそんなことをしたのか、フィオドラは首を傾げた。
王との昼餐を断るのは無礼だ。アレクシスも城に来てから一度も誘われて断ったことはない。そして面倒くさがりな彼が断らない理由が、王族への配慮などではなくフィオドラのためだということが分かったのは昨日のことだ。
誘われてしまったいま、やはり今日の外出は中止になるだろうか。城から追い出されて困るのはフィオドラだけだ。それなのに。
(行って欲しくないと思っているのは、どうして)
自分に問いかけるが、心の中から答えは返ってこない。けれど胸の奥はむずむずして、やはり行って欲しくないと訴えていた。
「行くぞ」
突然ぶっきらぼうな声が聞こえて、自分の思考に浸っていたフィオドラは一瞬反応するのが遅れた。
顔を上げると、アレクシスがこちらを見下ろしている。どうやらいまのは自分に掛けられた言葉らしい。
「でも、王様のほうはどうするの?」
「放っとけば良いだろ、面倒くせえ」
「だけど」
「一回すっぽかした程度で追い出したりはしねえだろ。いい加減、あの豚と飯食うのも嫌なんだよ」
「……ぶた」
「アレク、それは豚に失礼だよ」
「そうだぜ、豚の方がよっぽど美味くて役に立つだろうが」
国王を豚呼ばわりする勇者に絶句していると、他のふたりからさらなる暴言が飛び出した。
確かにログゴートの王は少々恰幅がよすぎるが、それでも顔は不器量というわけでもないし、権力者の贅沢と見栄を考えたらぎりぎり許容範囲だろう。
そう思ったフィオドラだが、彼女だってもちろんログゴート王に敬意の欠片も持っていないので聞かなかったことにした。
「そっちには、代わりに俺が行っててやるよ。面倒くさい豚でも、出してくれる飯と酒は極上だからな」
唇を舐めながらバルドが言う。食欲を刺激された獣の目だ。
優雅な昼餐が彼によって荒らされる様が想像できて、フィオドラは思わず躊躇した。食事には王女も来ると言っていた。可憐な彼女が卒倒したりしないだろうか。
フィオドラの考えていることを察したのか、シャロンが柔らかく笑った。
「こっちは気にせず行っておいでよ。フィオドラが彼らを心配する義理なんてないんだからさ。あ、言っとくけど僕は部屋で留守番してるからね。どれだけ極上のご飯だって嫌いな顔を見ながら食べたら美味しくない。こればっかりはお金貰っても嫌」
「そうか? どこで誰と食っても食い物は食い物だろう」
「僕は君みたいに図太く出来てないんでね。アレクだってそうでしょう?」
「当たり前だろ。豚と飯食っても丸焼きにしてやりたくなるだけだ」
ふんと鼻を鳴らしたアレクシスは、それ以上の問答を打ち切るように背を向けた。
「さっさと行くぞ」
「ちょっと待って、アレクシス」
結局、バルドとシャロンに見送られながら髪を染めたアレクシスと歩き出す。
髪色を変えただけでずいぶん印象が変わるからか、城下に降りるまでほとんど見咎められることはなかった。




