見えづらい優しさ
「フィオドラ、アレクになにか言った?」
頭を冷やしてから観客席に戻ると、シャロンが面白そうな顔をして聞いてきた。
言ったは言ったが、それがどうかしたのだろうか。
そう思って闘技場に目をやると、ちょうどアレクシスとフリードリヒが試合っていた。
剣の打ち合う鈍い音と高い音が絶え間なく響いている。
「……叩きのめしてとは言ったけど」
「叩き潰す勢いだよね」
「大人げねえー。ちょー大人げねえ!」
叫んだバルドが腹を抱えて笑い転げている。
果敢に向かっていくフリードリヒを、アレクシスが軽くいなしている。
鋭く振られた剣を、いっそ優雅と言える動作でアレクシスが受け流す。力を流されてたたらを踏んだ王子の体勢が整うのを待ってから、重い一撃を振り下ろす。
フリードリヒが受け止めきれないギリギリの重さに調節してだ。
いままでの試合でフリードリヒが実力のある剣士であるというのは見てきたのに、アレクシスに遊ばれている姿はとても滑稽だ。
「あんなに面倒くさがってたのに、やる気満々だね。徹底的に心を折るつもりだ」
シャロンの見解に、フィオドラも頷いた。
アレクシスは彼女の言葉に込められた八つ当たりを正確に読み取ったらしい。
(でもちょっと、やり過ぎかも)
良いように弄ばれる王子が、いささか哀れだ。観客もぽかんと口を開けてしまっている。
「折っちまえ、折っちまえ。どうせ、大した価値もねえプライドだろ」
好き勝手言うバルドは、笑いすぎて眦に浮かんだ涙を拭って、隣に座ったフィオドラをにやりと見た。
「で、いったいアレクにどんな魔法を使ったんだ?」
「使ってないわよ、なにも」
「可愛らしく上目遣いでお願いしたか。それとも頬にキスの一つでもしてやったか」
「するわけないじゃない。そんなこと」
いや、思わず抱きつきはしたが。しかも八つ当たりの後にだ。
それがアレクシスのやる気に直結したとは到底思えない。
「ああ、もう終わるね」
シャロンが言うのと同時に、アレクシスの剣がフリードリヒの剣を跳ね上げた。
疲労困憊した王子の手から剣がはじき飛ばされ、地面を転がる剣の乾いた音が闘技場に広がった。
唖然となりゆきを見守っていた審判は、アレクシスに一瞥されて慌てて勝敗を叫んだ。
困惑で静まりかえっていた闘技場が、一瞬の間を開けてわっと歓声に盛り上がる。
勇者を褒め称える声と黄色い声援で、その場は恐ろしいほどの熱気が膨れあがった。
「さ、巻き込まれないうちに退散しよう」
そそくさと席を立ったシャロンが、目立たないように騒ぐ観客の間を抜ける。
その後をフィオドラも追いかけた。
「ご愁傷様だな」
後ろから付いてくるバルドのアレクシスに対する言葉に、フィオドラも内心で彼に手を合わせた。今日中には、勇者は部屋へ帰してもらえないかもしれない。
アレクシスが熱狂した人々から解放される様子は、夜が更けても訪れない。
さすがに叩きのめしてきてとお願いした身としては先に休んでいるわけにもいかず、フィオドラはバルドの晩酌に付き合っていた。
シャロンはやることがあると、随分前に部屋を出て行ったきりだ。
「アレクの奴、今頃すんげえ不機嫌になってんだろうな」
下町から買い占めてきたという酒のつまみを頬張りながら、バルドがふと呟いた。
フィオドラは持っていたブランデー入りの紅茶を置いて、苦笑する。
「会うのが少し怖いわ」
彼を犠牲にして逃げ帰ってきた自覚はあるのだ。
可笑しそうに笑ったバルドは、グラスの酒を一気に飲み干した。手酌でなみなみと注ぎ直して、彼はまた笑う。
「知ってると思うけどよ。あいつさ、外面はすっごく良いんだけど、本当はものすっごく人見知りなんだよな。人付き合いが嫌いっていうか、人が嫌いっていうか、なんでわざわざ相手の機嫌を取んなきゃいけないの? みたいなよ」
「そうね」
人が好きではない。けれどアレクシスは薄情なわけではないのだ。懐に入れた相手に対しては驚くほど情に厚い。
「いつもなら依頼を受けて報酬を貰ったらさっさと退散すんのに、それが今回はあちこちで呼ばれるパーティーやら茶会やらに行って回ってんの。その理由分かるか?」
「……少しでも長く滞在するため?」
フィオドラもずっと考えていた。
人が嫌いな彼が、人の集まる場所へ率先して向かっている、その理由。
出て行けと城側に言われたときの言い訳をいくつも考えていたけれど、フィオドラはまだそれを一つも使ってはいない。なぜかというと、アレクシスが人々の関心を集め続けているからだ。
「みんなにちやほやされてる勇者を、王宮も逃がしたくはねえよな。今じゃあ魔王の話も尽きて、討伐したことになってるドラゴンの話が旬らしいぜ」
「ドラゴンって、こっちに来るときに会ったドラゴン?」
「そうそう。かなり脚色をして民衆好みにしてるらしいぜ。凶悪なドラゴンに怯え暮らす村人を哀れに思った勇者が、村人の懇願を受け、永い死闘の末ドラゴンを討ち取った、みたいな? ま、内容を考えたのはシャロンだけどな」
その話は外から見た限りだとその通りだろう。だが、内実は違う。
魔王城からログゴート城へ来る途中、ある村からすぐ横の山にドラゴンが住み着いて恐ろしい、どうにかしてくれとの依頼があったのは事実だ。
けれどそのドラゴンが村人に危害を加えたことはなく、家畜などにも被害はなかった。
人に仇なす魔物ばかりが人の口に上るので誤解されがちだが、魔物にも色々な種族がいて、それぞれの特性がある。
人に無意味に害なすもの。人を食糧と認識しているもの。人に感心をもたぬもの。まれに人に友好を示すもの。
ドラゴンというのも恐ろしさばかりが人間の間に広がっているが、実はそうではない。
とても情に厚く、理知的で、温厚だ。恐ろしいほどの凶暴さを顕わにするのは逆鱗に触れたときくらいである。
実際その村にいたドラゴンも、人間に捕獲されそうになっていた妖精を匿っていただけだった。
その妖精が怪我をしていたため、その場を動けなかったのである。ドラゴンの爪は、か弱い妖精を掬い上げるには鋭すぎるのだ。
威嚇してくるドラゴンを宥め契約し、妖精の怪我を治療した。もうなんの心配もなくなると、ドラゴンは用のなくなったその村から飛び立った。
勇者が行って、ドラゴンが消えた。村人は大いに喜び、あれほど凶暴なドラゴンを倒すなどやはり勇者は凄いと褒め称えた。
フィオドラたちも、ドラゴンの事情を説明しようとも理解されないと思い、あえてその誤解を解くことはしなかった。
そのことが、ここで役に立っているらしい。
しかしアレクシスは、勇者としての仮面は被るが、作り話はつじつま合わせが面倒だと話のねつ造は好まない。
その彼が、シャロンが作ったものだとはいえ、話すことが尽きそうだからと嫌いな夜会や茶会で嫌いな話をしている。
勇者としての栄誉に興味のないアレクシスが、そんなことをする理由は限られている。
「私のために?」
フィオドラが目的を達成する時間を稼ぐために。
喉の奥が熱い気がした。紅茶に入れた酒のせいではない。
叫びだしたいような、泣き出したいような感覚。これはきっと、嬉しいのに喜んでいいのか分からない戸惑いだ。
アレクシスにかけている迷惑は、あまりにも大きい。素直に甘えるには、フィオドラが魔王城で彼にした仕打ちは残酷なものだ。
「本質的に苦手なことをしてるもんだから、かなり鬱憤も溜まって機嫌が悪いけど、それはあいつが決めて、あいつの意思でやってることだから、あんたが気にしなくてもいいんだよ。ただ、憂さ晴らしに今度ちょっと外にでも連れ出してやってくれよ」
そう言ったバルドを、眉を寄せて見返す。
自分が一緒に出かけて、彼の憂さ晴らしになるのだろうか。
口を開きかけたフィオドラは、扉の外の気配に気づいて振り返った。
圧倒的な力の気配に身構えたのと同時に、蹴破る勢いで扉が開かれる。そこには不機嫌丸出しでアレクシスが立っていた。
フィオドラは跳ねる勢いで立ち上がった。普段は彼の殺気に怯んだりしないが、こちらに非があるときは例外だ。
フィオドラは、帰ってきたアレクシスの眼光の冷たさに冷や汗を掻いた。
「てめぇら」
「ごめんなさい」
先手必勝。戦略的早期降伏。
ドスのきいた声に責められるより前に素直に頭を下げる。
こうしてしまえば彼は何か言いたそうにしながらも、怒りの矛先を他に向けると知っているのだ。
部屋に入ってきたアレクシスは、ふたりの様子をにやにやしながら見ているバルドの頭を八つ当たり混じりに殴った。
「いってーな。んで殴んだよ、この馬鹿」
「煩い、死ね」
「意味わかんねーし!」
「あ、やっと放してもらえたんだ。お帰り、アレク」
ぎゃいぎゃいと騒ぐ声が廊下まで聞こえているのだろう。ちょうど外から帰ってきたシャロンがふたりに割って入る。
「はいはい、ご近所迷惑。ふたりとも時間考えなよ」
「城に近所なんてねーだろ」
「バルド煩い。それでアレク、優勝賞金ふんだくってきた?」
「……どうやってだよ」
「えー、やりようはいくらでもあるじゃん。使えないなあ。金を取れないパンダじゃあ、ただの客寄せパンダだよ」
「……」
膨れあがったアレクシスの殺気に、シャロンはひょいと肩を竦める。今日は雨が降っていないので、対応を面倒がっていないようだ。代わりに物騒ではあるのだが。
「まあ、いいや。じゃあ、報酬はフィオドラに貰いなよ」
「は?」
「え?」
我関せずと傍観していたフィオドラは、急に自分に話が向けられて目を瞬かせた。
「だって、王子を叩き潰すようにお願いしたんでしょ?」
「叩きのめすようによ」
「アレクは言われたように、ぺっちゃんこにしてきたんだからご褒美あげなきゃ」
「ぺっちゃんこ……」
確かにフリードリヒのプライドは紙ペラのように薄くなってしまっただろう。
シャロンの言に、彼女と同じように訝しげな顔をするアレクシスと顔を見合わせる。
やり過ぎはともかく、お礼をしたい。武道大会だけでなく、それ以外のことにも。
「えっと、何をすればいい?」
「知らねえよ」
しかしフィオドラの言葉は、さっくりと切り捨てられた。
困惑して首を傾げた彼女に、口を挟んだのはバルドだ。
フィオドラに意味ありげ目をやって、にやりと笑う。
「じゃあデートしてこい。街ぶらデート。どうよ?」
「あ、それいいね。そうしておいでよ」
「おい」
賛同したシャロンと、さらに声の低くなったアレクシス。
フィオドラはアレクシスを見上げた。
なぜかこちらを見下ろして息をのんだ勇者に首を傾げる。
「私と一緒に出かけるのは嫌?」
「嫌じゃ、ねえよ」
珍しく口の中でもごもごと答えたアレクシスだが、フィオドラはちゃんと聞き逃さなかった。
嫌がられては居ないという言葉に、自分でも驚くほど心が浮き立つ。
少しでも彼の気晴らしになればいいと明日の日程に思いを馳せていたフィオドラは、自分が屈託なく笑っていたことも、表情を緩めた彼女にアレクシスが顔を赤くしていたことも、それを見てバルドとシャロンがにやにやと笑っていたことにも気づかなかった。




