武道大会
数日降り続けていた雨は、昨日から小康状態に入り、いまは明るい曇り空だ。きっと明日には綺麗な晴れ間を覗かせるだろう。
武道大会の開催場所は城の中にある闘技場の一つであるが、一般公開もされておおいな盛り上がりをみせた。
武道大会は順調に結果を出し、優勝は最有力候補であった第一王子フリードリヒだ。
優勝者と勇者の特別試合の前に昼を挟んだ休憩が入り、いまは魔道士たちの対戦が続いている。
「なんか、ああいう奴ってイラッとくるよなー」
「嫌われるか、英雄扱いかのどっちかだよね」
バルドとシャロンが話しているのは、いままさに魔道大会の決勝を戦っている男の一人についてだ。
明るい金髪が爆風に翻る。試合を優勢に運んでいるのは、武道大会でも優勝したフリードリヒである。
「剣も魔法も使える王子様ねえ。嫌みか」
「その割には、嫌そうじゃないのね」
フィオドラは首を傾げた。バルドの顔はどうでもよさそうだ。
「俺は一般常識を言ってるだけ。黄色い声援には興味ねーし」
「てめえが興味あるのは、戦闘と金と酒だけだろうが」
「正解。って、アレクだって同じようなもんだろう」
「それで、あの王子はふたりの戦闘意欲を刺激するの?」
「全然」
見事にアレクシスとバルドの声が被った。
その息の合いかたにシャロンが吹き出し、フィオドラも忍び笑いを零す。
わっと周りの歓声が大きくなって、フィオドラは闘技場へと目を戻した。
フリードリヒが作り出した火炎が、対戦相手へ迫る。相手はそれを間一髪で結界を張って防ぎ、次の瞬間には空気中の水分を氷柱に形成して反撃していた。
確かに魔道大会は白熱している。技術水準も高く、なによりも魔道士たちの魔力量が皆、一般的な魔道士よりも多い気がする。
けれど違和感を覚えるのだ。アレクシスたちが言うように、彼らが強いとはどうにも感じられない。
少しの応酬の末、勝者に名前を挙げられたのはフリードリヒだ。
彼は闘技場の真ん中で誇らしげに胸を張り、持っていた杖を高く掲げた。
民たちの王子を讃える声が会場中に響き渡る。
これであとはアレクシスとフリードリヒとの試合だけだと思っていたフィオドラは、舞台から降りない王子を見て眉を寄せた。
フリードリヒは、掲げていた杖を僅かに降ろしてこちらを差していた。
勇者一行に与えられた特別席は大きく場所を取られていて、周りの観客から少々距離が空いている。
それは、これが勇者だと分かりやすくするためだろう。まさに客寄せの看板にされた気分だ。試合中もちらちらと向けられる視線は嫌でも感じていた。
この会場中の誰もが、もうそこに座っているのが誰なのか把握しているはずだ。だから観客たちも、王子が何を指し示しているのか気づいただろう。
振り返った観客たちの視線が突き刺さる。
これは勇者の仲間である魔道士フィオドラに対しての挑発だ。
突きつけられた杖の先端を見返して、フィオドラは遠目にはばれない程度に溜め息をついた。
一国の内でどれだけ魔道を極めていようと、しょせん相手は人間である。生まれたときから魔王の娘として教育を受けてきたフィオドラには、それほど脅威には思えない。
「あれって、のしてきちゃ拙いわよね」
仮にも王子、次期国王だ。
しかしそばに居る三人には王子に対する敬愛の念は全くないらしく、返事はかなりぞんざいだった。
「いっそ、叩きのめして来いよ」
「いやいや、一応は華を持たせてあげたほうが良いんじゃない?」
「どっちでも良いからよ、さっさと終わらせて飯食いに行こうぜ」
三者三様の返答を背に、とりあえずフィオドラは立ち上がった。さすがにあのままフリードリヒを放置するのは忍びない。
わざわざ参加者の出入り口に回るのは面倒なので観客席を突っ切ると、その端から闘技場に飛び降りる。
近くに居た観客から驚きの声が上がったが、これくらいなら普通の魔道士の範囲内だろう。
フィオドラはフリードリヒと向き合って、さてどうしようかと考えた。
彼の自信漂う瞳。観客席から注がれる期待に満ちた空気。
彼らは皆、自国の王子が勝つことを望んでいる。かといって勇者に同行した魔道士がそう簡単に負けてしまっては興醒めだろう。
「こうやって、貴女と踊れることを、とても楽しみにしていたのですよ」
正面に立った王子が、意味ありげに笑う。
そういえば、城へ来た日の舞踏会でそんなことを言っていた気がする。
正直に忘れていたと言うわけにもいかず、フィオドラは曖昧に微笑んだ。
こういう男の相手は面倒だ。負けても勝っても因縁をつけられそうで、正直頭が痛い。
(よし。適当にやって、テキトーに負けよう)
無難な答えに落ち着いたフィオドラは、杖を正眼に構えた。
杖を向かい合わせた状態から始まるのが、魔道士の決闘の作法だ。
目には見えない魔力が場を支配していく。観衆が固唾をのんでこちらを注視している気配がする。
魔法を使わない一般人でも、この凝縮された魔力に圧されているのだろう。緊張を感じているのは人だけではないのか、鳥の声すら聞こえては来ない。
とても静かなこの状態が、すでに戦いが始まっているのだと、いったい何人が気づいているだろう。
フィオドラはふっと感嘆のため息を吐いた。
この時間だけで分かる。この王子は、その自信に見合うだけの実力を持っている。
先に動き出したのはフリードリヒの方だ。静かにせめぎ合っていた魔力が弾けて火花が散った。彼の薄い唇が呪文を紡いで、杖の先から空気の刃が放たれる。
その刃によって作り出される風圧を繰って、フィオドラは上空高くへと跳んだ。
階段状の客席のさらに上空、建物の三階ほどの高さ。頬に受ける強めの風が心地よい。
フィオドラの動きを追えたのは群衆の半分ほどだろう。こちらを見上げて指さす人々の中にアレクシスたちの姿を見つけて、フィオドラは口元を緩めた。
驚きも心配も宿さない瞳。それを向けられることが、ほんの少し誇らしい。
下方から濃厚な魔力を感じて、フィオドラは意識をフリードリヒへと戻した。
先ほどと同じ空気の刃が、風に乗って緩やかに下降するフィオドラに迫る。彼女はそれを、体の力を抜いて受け入れた。
舞い散る木の葉をそう易々と切れぬように、刃にまとわりつく風に任せるようにひらひらと避ける。
いっこうに当たる気配の無い攻撃に、相手はすぐさま空気を風の刃に作り替えた。
細く鋭利な刃を、すり抜ける隙間も無いほどに打ち込んでくる。これは木の葉でもすっぱりふたつに分断されるだろう。
フィオドラは、杖を突き出して空気の層を作り防壁を張った。
こちらを見つめるフリードリヒの目が、訝しげに細められる。
その視線に、フィオドラは冷や汗を掻いた。
(まさか、気づかれた?)
フィオドラの杖は、実はただのはったりだ。
人間は大きな魔法を行使するとき、必ず杖を媒体とする。それは人間の体が魔法の反動を生身で受け止められるほど丈夫で無いからだ。
しかし魔人の体はそれが出来る。長い年月をかけて、そう出来るように進化したのだ。
もちろんそれでも耐えられないほどの魔法を使うときは何か媒体を使うが、一対一の対戦では、杖はまったく必要のないものなのである。
だがそれを知られてはいけない。魔法の構成に杖を介さないとばれれば、彼女が人間ではないと気づかれるかもしれない。
(こういうときは、先手必勝!)
考える暇を与えないに限る。
かつて空を望んだ愚者がいた、蝋で固めた翼もち、塔より出でる
知らねばならぬは、空の覇者、地の支配者
溶けた翼は意味を成さぬ、摂理に従い地へ墜つる
フィオドラの唱えた呪文に、フリードリヒははっとした顔をした。
この音だけでどんな魔法が繰り出されるのか察知したようだ。魔道士にとって、とっさの閃きと理解力、そしてそれを導き出すための知識の深さはなによりも重要な力だ。
王子の才能に内心舌を巻き、フィオドラは敬意を持って魔法を行使した。
彼の魔法を解き、重力を上乗せした力として地に立つ相手に返すという、まるで嫌がらせのような魔法だ。だがこの程度の反撃なら、いままでの実力を見るに彼なら十分防ぐことが出来るだろう。
そう思っていたフィオドラは、しかし次の瞬間大きく目を見張った。
フリードリヒが結界を張れなかったわけでは無い。大げさに上がった群衆の悲鳴に驚いたわけでもない。
いま使った魔法の威力が、自分が思っていたよりもずっと大きかったからだ。
地面に激突して少々の砂塵を起こす程度の力だったはずが、闘技場をつぎつぎと陥没させていく。周りが見えなくなるほどの煙を立たせる。
思い描いたよりもずっと強い威力に、フィオドラはなかば呆然として砂塵の中に降り立った。
使った魔法の威力に、多少の齟齬ならあり得るだろう。けれど、それは些末と呼べるほどの範囲内で、その範囲内であってもフィオドラは日々修正をかけている。
これほどの違いは起こらない。起こってはならない。それは魔人にとって命取りだ。
人間界よりも魔物が多く、ずっと物騒な魔界。
自分の力を把握できなければ、自分の身も守れず仲間を危険にさらすことも起こりうる。どこまでを自分で対処するべきか判断できなくなる。
だから魔人はいつだって自分の力と向き合い、高めているのだ。
それなのにいま、巻き起こった魔法はフィオドラの予測を遙かに超えていた。
魔法を使った瞬間、自分の魔力がなにか大きな力に影響されて、強制的に高められたのを感じた。
引っ張られる感覚はわずかで、その感覚に気づける者はほとんど居ないだろう。
術者は知らぬ間に己の実力以上の力を発揮する。この城にいる魔道士がこぞって優秀な理由はもしかしたらここにあるかもしれない。
視界を覆う砂塵の向こうに、赤い煌めきがはしった。




