星夜の微睡み
夜の帳の降りた部屋に、ぽつりぽつりと灯った明かりは幻想的な瞬きを作る。
安寧の静寂を壊すことのない低い声で紡がれる物語は、幼いフィオドラにいつでも好奇心と安らぎを与えた。
「──そうして勇者は、聖なる剣をもって悪を倒し、世界には平和が戻りました」
そう結ばれた物語に、フィオドラはほうっと感嘆のため息をついた。
ふかふかの布団に転がったまま、端に腰掛けている父親を見上げる。
「ねえ、とうさま。ゆうしゃって、ゆうきある人なんでしょ。みんなを幸せにしてくれる人よね」
「そうだよ」
「ドラゴンにさらわれたお姫さまをたすけるの」
「そうだね。勇者の剣は、何者にも屈さない。だからドラゴンさえ倒してしまうんだ」
「かっこいい!」
フィオドラは寝台の上でぱたぱたと暴れた。
勇者のお話はフィオドラのお気に入りだ。何夜も何夜も同じ話をせがむのを、父親は嫌な顔ひとつせずに繰り返してくれる。
勇者の姿を夢見ていたフィオドラは、次に零された父の声を聞き逃した。
「これから現れる勇者は、物語のように誤った道を正してくれるだろうか」
――それとも物語のように、ただ悪を滅ぼすのだろうか。
零された内容は分からずとも、静かな声はフィオドラに届いた。
「とうさま?」
首を傾げる娘に、父は優しく微笑んだ。
「もう眠りなさい」
話の終わりにフィオドラの髪を撫でていく硬い手は、どんな夜にだって彼女を穏やかな眠りの中へ連れて行く。物心つく前に母親を亡くしたフィオドラにとって、いつだって自分を導くのはこの父親の手だ。
「おやすみなさい、とうさま」
フィオドラがそういうと、父は娘の掛布を肩まで引き上げてくれる。灯されていた明かりが消えて、カーテンの隙間から入ってくる星明かりだけが部屋を包んだ。
いつだってそばにあったのは父の温もりと、優しさだ。そのことに不満を持ったことはない。ときどき父の口から語られる母の面影も愛していた。
けれどフィオドラには、まどろみの中でもうひとつの、特別な体温があった。
寝台に沈む少女の髪を撫でる、細く繊細な指。額に落ちる口づけ。囁き声のような微かな子守歌。
「ああ、ディアかい」
父が誰かを呼ぶ。
──ディア。夢の中でだけ、聞こえてくる名前。
ずっと前から知っているけれど、フィオドラはまだ一度も会ったことがない。
「アーロウディアス。これからも、この子をよろしく頼むよ」
優しい父の声。それを最後に、フィオドラの意識は柔らかい夜の中に沈んでいった。
初めまして、鳳です。
初投稿ですが、楽しんでいただければ嬉しいです。
数話は連続投稿できればと思います!