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空に浮かぶローラシア大陸の中央に位置するラスティエ教国。
その国の首都セラフの北西に位置する北方群島の辺境伯領にライは生まれた。
その名の通り北の辺境に位置する多くの島の集まりである北方群島は、古い歴史と伝統を残し、国より独自の自治を与えられている。
現在、北方群島を治めるのはアルバート・ガウェイン辺境伯。
先代の辺境伯、父アウグレ・ガウェインよりその地位を引き継いだ。
ライ・ガウェインもゆくゆくは父親の跡を継いで、北方群島を治める辺境伯となるはずだった。
運動神経が良く、さっぱりした性格のライは、目立った産業のない決して豊かではない北方群島にいながらも、その明るさから多くの領民からも慕われていた。
現在は北方群島から遠く離れた首都の寄宿学校に通いながら、勉強に励んでいる。
中等部での卒業も間近に控えたある日、ライは十五歳の誕生日を迎えた。
このラスティエ教国では、生まれてすぐの一歳と成長した十五歳の二度、教会で洗礼を受けるのが習わしだ。
この国で広く信じられている宗教、ラスティエ教にのっとって、天空神ラスティエにこの世に生を受けた喜びと、十五まで成長した祝福とを授けてもらう教会の儀式だった。
その慣例にのっとり、十五歳の誕生日を迎えた今、ライも教会で洗礼の儀式を受けるはずだった。
彼の通っている寄宿学校は有名な神学校で、学校の敷地に大きな教会も建っている。
その教会には司祭も常駐している。
朝と夕との祈りの時間に、神学校の生徒全員、教会で祈りを捧げるのが日課だった。
「ライ・ガウェインは先日十五歳の誕生日を迎えたそうだな。夕方の祈りの時間、今月誕生日を迎えた生徒たちと教会の聖堂で洗礼の儀式を行う。名前を呼ばれたら通路を通って、祭壇の前に一列に並ぶように」
先生に昼休みに職員室に呼び出され、そう言われた。
ライは洗礼の儀式の前に緊張するような繊細な性格ではなかったので、それを聞いた後、学食にむかい、ホットドッグと玉子のサンドイッチと、クラムチャウダーのシチューとマッシュポテトとトマトとレタスのサラダに、抹茶のアイスクリームとクランベリージュースを注文して、それをきれいに平らげた。
それ以上注文しようとも考えたが、友達のサクヤとンゴペリに止められ思い留まった。
その日の夕べの祈りの時間、ライは授業の疲れでうとうととしながら天空神ラスティエに祈りを捧げていた。
前の授業がライの好きな乗馬だったので、いつも以上に頑張ってしまったのだ。
そんな訳で、ライは自分の席でこくりこくりと船をこぎながら、教会の老司祭の聖典に書かれているありがたいお話を聞いていた。
「中等部三年、ライ・ガウェイン」
老司祭の静かな声が教会の聖堂に響く。
「ライ、名前を呼ばれてるよ?」
隣の席のサクヤに肘でつつかれ、ライは顔を上げる。
「ひゃい」
ライは眠い目をこすりつつ、返事をして席から立ち上がる。
ふらふらとおぼつかない足取りで、通路に出る。
「あいつ、大丈夫か?」
ンゴペリに心配されつつ、ライは通路を歩いていく。
老司祭の立つ祭壇の前に、生徒たちが一列に並んでいる。
ライもその最後尾に並ぶ。
他にも数名の生徒の名前が呼ばれ、ライの隣に並ぶ。
老司祭は並ぶ生徒たちを見回し、厳かに告げる。
「では、ここに並ぶ八名は、今日この時、十五歳の成人の時を迎え、ゆくゆくは社会に巣立っていくことになるのだが、それに際して全知全能なる天空神ラスティエ様に、彼らの無事の成長をご報告申し上げる」
祭壇の前に並ぶ生徒たちは深く首を垂れる。
老司祭は祭壇から降りると、並んでいる生徒の頭上に杖を掲げる。
「汝、これからも天空神ラスティエの教えにのっとり、たゆまぬ努力と隣人への友愛を心がけるか?」
「はい、司祭様」
先頭にいる生徒が凛とした声で答える。
すると司祭の持つ杖の先に青い光が灯り、まばゆい光を放つ。
その青い光は聖堂全体を青い夜のように照らし出す。
やがてまばゆく輝いていた青い光は砕けて、星のように生徒の頭上に降り注ぐ。
青い光はその生徒の神の奇跡を扱う力の強さだ。
老司祭は満足げにうなずく。
「よろしい。これからもその心がけを忘れぬようにな」
老司祭は白い法衣の裾をひるがえし、次の生徒に向き直る。
同じように杖を掲げる。
「汝、これからも天空神ラスティエの教えにのっとり、たゆまぬ努力と隣人への友愛を心がけるか?」
同じ質問を繰り返す。
生徒が返事をすると、さきの光ほど強くはないが、老司祭の持つ杖の先に青い光が灯り、砕ける。
これがラスティエ教の十五歳を祝う洗礼の儀式だった。
洗礼の儀式とは、すなわち神の奇跡を起こす力、法術を扱える力がその子どもにあるかどうかを判断するためのものだ。
この国では神の奇跡、法術を使える人間は、全人口の三割ほどしかいない。
法術は生活のあらゆる技術と結びつき、世界中で広く活用されている。
生まれたばかりと十五歳の二度、洗礼の儀式を執り行うのは、法術を扱える人間か、そうでないかを判断するためだった。
法術を扱える「適格者」はこの国では優遇されるのに対して、法術を扱えない「不適格者」は高い職にもつけず、優遇されないのが普通だった。
ある生徒は自分の力の強さに感動し、ある生徒は力の弱さに落胆の溜息を吐いた。
しかしどの生徒の頭上でも同じ青い光が灯っていた。
この有名な神学校の入学資格が、一つには法術を扱えること、と記載されているためだろう。
法術を扱える生徒を集め、国の将来を担う優秀な人材を育成する。
それがこの神学校の方針であり、特に優秀な生徒には、学費を免除していた。
ライは学費を免除されるほど優秀な生徒ではなかった。
けれど将来は故郷に戻って父親の跡を継ぎ、北方群島の辺境伯となるのがライのぼんやりとした目標だった。
いよいよライの番になった。
「汝、これからも天空神ラスティエの教えにのっとり、たゆまぬ努力と隣人への友愛を心がけるか?」
同じ質問が繰り返される。
土台儀式と言われるものが苦手なライは、静まり返った聖堂の中、授業の疲れで眠くなった頭を無理に動かす。
「ひゃい、司祭様」
返事の声が裏返ってしまった。
ライは目をぱちぱちと何度も瞬きし、一生懸命目の前の老司祭を見ようとする。
老司祭はライの頭上に杖を掲げたまま、動かなかった。
大きく目を見開き、信じられないものを見るかのような驚愕の表情を浮かべている。
ライが周囲の様子をうかがうと、聖堂は耳が痛いほどの静寂に包まれていた。
長椅子に座る生徒たちをはじめ、先生、祭壇の前に並ぶ生徒たちでさえ、驚きを隠せないようだった。
じっとライと老司祭の動向をうかがっている。
老司祭はわざとらしく咳払いをし、杖を引き寄せ握り直す。