1話 お兄ちゃん成分充電。
最近王都エルサレムの人々の中で、密かにブームになりつつある店があった。
エルサレムの人々、と言ってもその店はこれといった宣伝をしておらず、常連たちの口コミで僅かに広がっているだけに過ぎないが、それでも確かな人気を獲得しつつあった。そしてそこは夜中まで開いているという事もあってか、特に冒険者たちのような遅くまで働いている人間たちには熱狂的とも言える人気がある。
その店の名前は『異世界奴隷食堂』と言った。
何故異世界なのか。それはこの世界にはない発想、味付け、組み合わせ……それらにより生み出された料理が、正に異世界のものとしか形容出来ないような美味さだからだ。
何故奴隷なのか。それは驚く事に従業員全員ーーと言っても二人ーーが奴隷だからである。もちろん奴隷と言っても、給仕に相応しくない汚らしい存在ではない。その姿は大変愛くるしい美少女そのもので、当事者からの言葉がなければ誰も奴隷と信じないほどである。
そしてそんな普通ではない要素が二つも組み合わさった今人気の『異世界奴隷食堂』はと言うと……絶賛お休みであった。
店の扉には『closed』と書かれた看板が提げられてあり、設置するタイプの看板には一言『材料確保のため、数日間休業させていただきます』と書かれてある。
一般的に不定休の飲食店は嫌われる傾向にあるが、この店の場合は料理に新鮮な食材や一風変わった材料を使用するため、客は皆仕方ないどころかむしろ「次は一体どんな料理が食べられるのだろうか」と期待に胸を踊らせる。
何故かと言うと出先で思わぬ食材を見付けた時、期間限定メニューが売り出される時があるからだ。
それに休みという事は、人々のアイドルであるハルとクロも休みになるという事である。最近の昼時は常に満席状態であり、常連は忙しそうにぱたぱたと走る二人を見るのは好きだったが、過労で倒れないかと心配していたのだ。
ここで休みだと知って悪態を吐くのは、噂を聞いてやってきた新参者くらいである。
そんなわけで本日、『異世界奴隷食堂』はお休みである。
「今回はあれだな。雪山に行こう」
「雪山……ですか?」
場所は自宅の二階、カムイの部屋。ちゃんと部屋を用意したのにもかかわらず何故かカムイのベッドの上でくつろいでいたクロが、面倒くさそうに聞き返した。
「まあ正確に言えば雪山じゃなくて、山に雪が積もるくらい寒い場所だよ」
エルサレムは現在冬である。しかし今回カムイが行きたい場所は内陸国であるエルサレムにはない場所であった。
「簡単に言えば、海の幸を獲りに行こうかなと」
「海……って、あのしょっぱい湖だよね?」
クロ同様、何故かカムイの部屋にいるハルが、読んでいた本から視線を外してそう言った。
「湖っていうか、海は海なんだけど……まあここら辺の人には分からないか」
イアンパヌといえども山に住む人たちであるから、海は詳しくないらしい。近くの川で鮭が獲れるという事はあまり遠くない位置に海があるはずなのだが、地理について詳しく知らないカムイには何とも言えなかった。
取り敢えず近場に海があったとしても、内陸国という事は少なくともこの国自体は海に接していないという事。海を知らない者に海を伝えるのは難しいため、カムイは説明する事を諦めた。
「どこか海が近くにあるダンジョンとかないのか?」
「うーん……雪山のダンジョンならいくつかあるんだけどね」
以前行った『雪に覆われた城』もその一つだが、あそこは吹雪が凄過ぎて危険だ。
「じゃあいくつかピックアップして、軽くダンジョンを回ってみるか」
ギルドで情報を収集するという手もあるが、冒険とは手探りで行うのも楽しみの一つだ。真夏のダンジョンに行くのは無駄足でしかないため、最低限の情報だけを頼りにダンジョンへ潜る事にする。
「んじゃ、今回は誰が行く?」
初日は下調べ程度なので夜には帰る。そのため店の掃除や買い出しなどをする人間が一人、ダンジョンに行く人間が二人としている。二日目、もしくは三日目からは全員でダンジョンに潜る形だ。
「はい、私はお留守番が良いです」
ぴしっ、と綺麗に挙手をしてお留守番宣言をするのはもちろんクロ。彼女はあまり率先的に何かをするようなタイプではなく、逆に言えば率先して何もしたがらない。無論掃除などはちゃんとこなすが、それはどっちかと言えば掃除がマシだからだ。
だが今回はそんなクロと二人でダンジョンに行くつもりであったカムイは、当然ながら彼女専用の秘策を用意している。
「クロ、海の幸が何なのか分かっているのか?」
「……塩、ですか?」
「違うわ!」
速攻で否定する。塩とは生きて行くために必要不可欠なものではあるが、わざわざ塩のために遠くまで行ったりしない。エルサレムには多少値は張るが良質な塩も売っているのだ。
「海の幸ってのは、魚介類だ」
「ぎょかいるい?」
「つまり魚って事だよ」
「魚ですか!?」
魚と聞き、予想通りクロは食い付いた。
カムイはにやりと唇を歪めると、さらに詳しく説明を重ねる。
「しかも獲れたての新鮮魚だからな。刺身で美味しくいただける」
「良いです良いです! 今回は私が行きます!」
ベッドのスプリングを利用してぴょんと飛び上がると、カムイの手を両手で握って上下に揺する。
見事引きこもり猫を誘い込む事に成功したようだ。
実はこの作戦の立案者であるハルはクロの後ろで嬉しそうに笑っている。
具体的な方法はカムイ任せではあるが、今回の下見にクロを連れて行って欲しいと言ったのはハルだった。
「では準備してきます!」
クロは握っていたカムイの手を投げ捨てると、隣にある自室へと向かった。
「作戦成功だね!」
そういうとハルはベッドに腰掛けているカムイに飛び付く。
「うわっ!?」
「今のうちに、お兄ちゃん成分じゅうでーん!」
ぎゅうぅ、と抱き締め、カムイの胸に顔を埋める。
ハルはクロとカムイにもって仲良くなって欲しかったし、クロにはいろいろな事を経験して欲しかった。奴隷歴がどのくらいは聞いていないし聞くつもりもないが、多くの時間が無駄に消費されたはずである。だから今回はカムイと一緒に下見に行く役を譲ったのだが、やはり一日二日とはいえ一人でのお留守番は寂しいものがある。
せめて今だけはカムイを独り占めしようと、カムイを押し倒した。
「おいおい……」
キツネなのに犬みたいなやつだな、と苦笑しながらハルの頭を撫でる。
「なるべく早く帰って来るけど、海が見付かって魚が獲れそうなら少し遅くなるかも」
こういうのは下見の時に食べた方が特別感があるというものだ。ハルもそれを理解しているため、早く帰って来てと催促する事はしなかった。ただしほんの少しだけ腕に力が込められ、カムイはそんなハルを愛おしく思うのだった。




