第七章 出発の朝
太陽が昇り、森の中にも日が差し込み始める。泉を中心とした空けた空間に眠っていたショコラ=ロリータは、まぶたを通して入ってくる陽の光に目を覚ました。疲れがたまっているのか、体が重い。
ゆっくりと目を開けながら、朝の温もりを感じる。
「んー」
温かさについ口から欠伸がもれる。もう一度寝転びながら伸びをすると、かすかないい匂いが鼻をかすめた。
ぱちっと目を開けると、自分の体に毛布が掛かっている。疑問に思いながら顔を横に向けた。人がいる。
パンプキン=エリコのことを思い出すのに数秒の間があった。
ばっと立ち上がると、パンプキンを見た。昨日の夜同様、剣を鞘から少しだけ出しフライパンで何かを炒めている。
「おはよー」
こちらを見るこく言葉を続ける。
「寝ぼすけさん」
「な、何よー、起こしてくれてもいいじゃない」
ようやくショコラを見ると、パンプキンは片手で自分の髪の毛を横に引っ張るようなしぐさをした。
「すんごい寝癖だよ、それ」
それから声を立てて笑い出す。
「う、うるさいわね、しょうがないでしょ」
ショコラはぺたぺたと自分の髪の毛を直しはじめた。
「パンプキン君、私を妹扱いしてない?」
「はい、出来た」
まるでショコラの質問には答えず、パンプキンはフライパンをショコラに差し出した。カサの木の根っこのようだ。焼けばトーストのようになる。といっても焼かなければかなり苦く、今までショコラはそれを我慢して食べていた。
「ありがと」
素直にフライパンを受け取ると、ショコラのお腹がなった。もう一度パンプキンは笑うと泉に歩き出し、そこで水を汲んだ。
カサの木の根っこを食べながらパンプキンの様子を見ていると、パンプキンはまっすぐ戻ってきてコップによそった水をショコラの脇に置いた。
「何?」
「どうぞ」
「て、え?」
確かその水って。
「ど、毒じゃないの?」
「たぶん。でも調べてみたところ別に毒じゃなさそうだったから」
そしてけらけらと笑ってみせる。
「僕は大丈夫だったよ」
調べてって、飲んで調べたのかい。と突っ込むだけの余裕はショコラにはなかった。
「私は繊細なのよ」
「どこが?」
ぶーぶー怒るショコラを横目に、パンプキンは実際にそのコップから水を飲んで見せた。
「それに、これかなり美味しい水だよ」
そしてもう一度ショコラにコップを手渡す。一瞬躊躇するものの、ショコラもコップから水を飲んでみた。泉から溢れた自然の冷たさが口内に広がる。街で飲む水とは違い、自然と甘味がある。
「美味しいでしょ?」
こくっとショコラは頷いた。
朝のご飯も食べ終わりそろそろ動き出そうかと準備が出来た頃、ショコラがわざとらしいくらいに甘い声でパンプキンに声をかけた。
「断る」
内容を聞く前にパンプキンが否定する。
「何よ、まだ何も言ってないじゃない」
「だって悪い予感がひしひしと伝わって来るんだもん」
「悪くないわよ。ただひとつお願いがあるだけ」
一応聞く姿勢を見せたパンプキンであったが、顔は明らかに嫌そうだった。
「何」
「久しぶりに水浴びをしたいなーと思って」
パンプキンが顔を傾ける。
「だって、一ヶ月以上ろくに髪も洗えてないんだよ。もう気持ち悪くて悪くて」
「で?」
「だからちょっと待ってて欲しいのと、覗かないで欲しいの」
「お願い2つじゃん」
しまったと言う表情を見せたものの、ショコラはすぐに立ち直るとパンプキンの腕を持った。そして下から顔を覗き込む。
「ね、お願い」
「はいはい。明後日の方向を見て待っていればいいのね」
パンプキンはくるりと向きを変えて泉に背を向けた。それを見届けると、ありがとうと声に出してお礼を言ってからショコラは泉の端に向かった。
岩場がショコラの肩くらいまで盛り上がり、岩と岩の間から水が溢れている。その岩の周りに水がたまっており、おそらく入ると腰くらいの深さはあるだろう。
ショコラは一度パンプキンを見て、こちらを見ていないことを確認すると急いで服を脱いだ。もともとそんなに厚着をしていたわけではないが、裸になるとさすがに少し肌寒い。一歩踏み出して泉に片足を入れると、水の冷たさを直接感じる。確かにかなり冷たいけれども、気持ちのいい冷たさだ。そう体が感じ取ると、ショコラは両足とも泉に入れた。それから一歩ずつ深みへと足を進めて、中央の岩に手が届く位置まで来る。この時点で水は腰のあたり。下半身が冷たくて気持ちいい。
もう一度ショコラはパンプキンを見ると律儀に泉に背を向けている。ちょっとだけほほえましくて、ショコラは笑顔をこぼした。
それから水を胸にかけると、腰を屈めて一気に全身を水につけた。
体中が引き締まる感覚を覚え、髪の毛が水面に浮かぶ。両手で顔をこすり、髪の毛も水で洗う。
息が切れそうになると、腰は屈めたまま顔だけをあげた。
「はー」
つい息を洩らした。
昇りかけの太陽の光が、水面に反射し輝いている。かすかに揺れる水はとても澄んでいて足場となっている岩の形まではっきり見える。
ショコラはもう一度頭まで水につけて、それから顔をあげると、頭を振って水滴を払った。
ここまで来てようやくショコラは重要なことに気がついた。
体を拭くものがない。
自然乾燥でもしようかと考えるが、さすがに長いこと裸で地に立っているのは恥ずかしい。しばらく考えてからしょうがないのでショコラはパンプキンを呼んだ。
「パンプキンくーん」
「はい?」
「タオル、持ってないかしら?」
パンプキンは明らかに間を空けてから答えた。
「あるけど、どうしろと?」
「こっちまで持ってきて欲しいな、と」
かくっとパンプキンの頭がうなだれた。ため息でも聞こえてきそうな雰囲気だ。仕方なく立ち上がるとパンプキンはリュックサックからタオルを取り出して振り返った。
ちょっとだけ身を強張らせて、ショコラは胸元を隠して待った。
「そこに置いといて」
と、パンプキンが近づいてきたときにショコラは自分の服が脱いである場所を指した。パンプキンはそれに従いタオルを置くと、ショコラの顔を一瞬見て呟いた。
「ふーん、ちっちゃいんだね」
服を着て荷物の準備を全部し終わったときになっても、ショコラの顔は膨れていた。口に空気を溜めていかにも怒っていますという表情だ。
パンプキンは左頬を抑えているが、それはショコラが服を着てからパンプキンにびんたを食らわしたからだ。もちろん角度的にパンプキンからショコラの胸は見えなかったはずだと頭では理解していたのだが、ショコラは抑えることが出来なかった。
「んなに怒んなくたっていいだろ。だいたい冗談なのにさぁ」
リュックサックを左肩に背負いながらパンプキンがショコラに言った。答えは返ってこない。
「悪かったよ」
何度も謝ってはいる。それでもショコラの膨れた顔は戻らない。パンプキンはため息をつくと、埒があかないので話題を変えた。
「で、出発するのはいいけど、どこに向かうつもりなの?」
すでに森に入ろうと動き始めていたショコラの足が止まり、そこでくるりと振り返った。顔は膨れていないが、まるで無表情だ。
「て、その顔は考えなしか」
「しょうがないでしょ。ここがどこかもわかんないんだから」
ようやく口を利いてくれたことにパンプキンは内心ほっとした。
「じゃあ僕に任せてよ。行き先は分かってるし」
「嘘!?」
何で? 驚きの表情をショコラはした。
「ここがどこかはわかんないけど、とりあえずどっちに行ったらいいかくらいは分かるよ」
「どこに行くの?」
「ターシャ」
間髪をいれずに答えたパンプキンに、ショコラは残念そうな顔をした。
「私は、ターシャには行けない」
「何で?」
純粋に理由を聞いてくるパンプキンに、ショコラは自分が置かれている状況を説明した。
「ふーん」
だから最初に見たとき追っ手かと思ったのか、パンプキンはようやく納得した。
「でも、思い当たる節がないんでしょ?」
「全然」
「だったら別に逃げない方がいいんじゃない? よけい立場が危なくなるし」
「そんなこと言われても」
「じゃあ、王様に会いに行こう。そうすればはっきりするよ」
「でも……」
口ごもったショコラであったが、元気に強引に決めて行くパンプキンに反対することが出来なかった。確かに、全くもって冤罪だ。直談判というのが正しい判断かもしれない。
結局ショコラはパンプキンの先導でこの泉を離れ、再びターシャの町を目指すことにした。