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三聖剣物語  作者: なつ
On Love  --愛について 恋人のうえで--
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 2nd Movement  奇遇

 ミルスはティシン国の中では比較的発展している都市だ。北からのサマン川とオアシスによって、砂漠の中にあっても水が豊富にあるのが理由だ。かつては都市の外までも緑に覆われていたという痕跡もまま見られる。しかし今は、内陸からの乾いた空気と熱とがかつての緑を奪っていた。氾濫の季節を除けば、サマン川の水位は低く、一年中太陽の熱に晒されている。

 ゆらゆらと大地の熱に揺らめく蜃気楼。砂埃に覆われたすぐそこの建物でさえ揺れて見えるほどだ。土着のものでなければ、この暑さに耐えることは難しい。ただそこにいるだけで体力が奪われる。

 ミルスにまで辿り着いたアリス=リスタット=ハナユメ、リカ=トール、レディー=ファングも例外ではない。

「まだ気持ち悪い?」

「ううん、大丈夫」

 ベッドに横たわっているのはアリスだ。ここまでに道の途中で、アリスの体力はすでに限界を超えていた。リカとレディーを守りながらの道中であったが、途中からはむしろ守られていたようなものだ。大きな危険こそなかったが、それでも体が熱を拒絶している。

「今レディーが医者を連れてくるから」

「大丈夫だから」

 気丈に振る舞う声でさえすでに震えている。

 西への旅を始めてすでに10年近くが過ぎた。イルカ国首都ファーラガーから一度ヴァンデルト国の港町テルマに戻り、そこから船でティシン国に入った。テドからイーダを経てミルスまで、通常ならばそれほど時間はかからない。けれど、街に着く度にアリスは長い休養を必要とした。自分でも体力が落ちているのが分かる。そして、何より顕著なのは成長である。ビアンカ姫が開放されたことにより、アリスの肉体的な成長が再び始まった。それが恐ろしいまでに体力を奪っている。他のイルカの残された民にはそこまでの影響はなかった。アリスがまだ体が成長する過程であったことが災いしているのかもしれない。そして、ビアンカ姫の幽閉されていた30年が、確実にアリスを蝕んでいる。

 そしてミルスに着いた時、すでにアリスの精神年齢と肉体年齢はほぼ同じになっていた。旅をするには歳を取り過ぎていた。

「姫も……」

 アリスは姫のことを思う。姫も同じように成長しているのだとしたら、ソラと一緒にいることが苦痛になるかもしれない。アリスよりも歳は重ねていたが、それでもまだ……。

「わたしは邪魔ね」

「そんなことない」

「歳を取り過ぎたみたい。ソラを探しに行けるほど若くない」

「ダメよ。アリスがいないとわたしたち」

「わたしにも何もわからない。10年旅をしてきて、どこにも、2人の手がかりもない」

「アディーヌはもっと西なのでしょ?」

「この砂漠を越えないといけないわ」

 リカは頭を下げた。かつては黄色に輝いていた髪はすでにない。埃と砂とで、痛みに汚れている。目の前に横たわるアリスは細い。もともと線の細い少女であったが、この10年にして、女性を経て、すでに老齢の皺がある。ミルスまではだましだましやってきたが、アリスとともにさらに西へ進むことは不可能であろう。頭では分かっている。

「おばちゃん!」

 バタンと音を響かせて、レディーが部屋に入ってきた。肩で息をしている。きっと走ってきたのだろう。彼の後ろには、ターバンと厚い布を幾重にも巻いた男が立っていた。そこから覗く顔には濃いヒゲが見えている。

「早過ぎるぞ」

 男はレディーとは違い、落ち着いたものだ。

「うるさい、早く診てくれ」

 リカは近くに駆け寄ってきたレディーの頭に触れて立ち上がった。

「すみません、お願いします」

「どれどれ」

 男は軽くお辞儀をすると、ベッドのそばに来た。そこに寝転んでいるアリスの腕を取る。少女のもののように細く、軽い。

「脈は正常のようだ」

 それから顔を覗き込み、アリスの瞳、鼻、喉を順に見ていく。それから男はリカを振り返った。男の目には困惑が浮かんでいる。

「お前さんたち、どこから来たんだね。さっきその小坊主にも聞いたんだが」

「治療に必要なことですか?」

「んん、いや、必要ではないが」

「わたしは、ヴァンデルト国の芽メルから来ました。西へ旅をしている途中です」

 リカは正直に答えた。

「彼女もヴァンデルトの人間かね? 民族レベルではなく、種族が違うように思うが……」

「治療に必要なことですか?」

「必要だ」

「彼女は、イルカ国の住民です。もう40年ほど前に滅びたことになっている国です。国が滅びた時、彼女はまだ10歳でした」

「イルカの残された民の一人、か」

 その表現にアリスは体を震わせた。

「ヴァンデルト国と戦争をして、早すぎる滅亡を迎えたと聞いている。おそらく謀反があったのだろうな。ゆえに、国は滅んだことにして、イルカの残された民は隠れるように姿をくらませた」

「よくご存知ですね」

 目をつむり、アリスが答える。

「その通りです。その残された民も先の戦争で多くが失われました。再興の道は険しく、本来ならわたしもその道を進まなければなりません。ですが、わたしにはどうしてもやらなければならないことがあります」

「ここから西にはあとタタラトがあるくらいだ。だが、まともな道はない。南へ向かい、海沿いに南西へ向かい、大きな川があったらそこから上流へ戻ればタタラトにたどり着くこともできるが、かなりの時間がかかるだろう」

「わたしにはあまり時間が残されていない」

「このまま直で進むこともできる。一応道も整備されているが、過酷だ。お前さんには無理だろう」

「あなたはわたしを治せない?」

「残念だが無理だ。胎内に埋め込まれた石を直接浄化しなければならない。おそらく師匠なら……」

「どこにいるんだ?」

 話の途中で割り込んだのはレディーだ。

「タタラトだ」

「よし、ちょっくら行ってくるよ」

「待ちなさい」

 リカがレディーの肩を掴む。

「あんた、分かってないでしょ」

「うるさい。タタラトに行かなきゃアリスを治せないなら、そこに行くだけだ」

「小坊主、まだ話が終わっていない。それまで待て」

「小坊主じゃない。レディーだ」

「師匠の名はウィッド=ウーナー。まずはそれを頭に入れておけ」

「ウィッド」

 男は大きく頷いた。

「だが、今日はもう早くない。直に日が暮れる。お前は夕食を取ってこい」

 それだけ言うと、男はレディーを部屋から追い出した。




「あの小坊主は一体何者だ」

 レディーを部屋から追い出すとすぐに、男は表情を厳しくして振り返った。わずかにのぞく瞳が白く光って見える。

「あなたの名前は?」

「怖いもの知らずだな。俺の名はウィッド=ウーナーだ」

「彼は姫の息子ですから、正当なるイルカ国の世継になります。優しさは母親譲りでしょう。そして強い意志と能力は賢者の石によるものです」

「俺を連れてきたのもその能力か?」

「恐らくそうでしょう。あなたは医者ではない」

「ああ、違う。こんな身なりの医者があるもんか。ちょいと野暮用でこっちまで来てたんだが、だからってこいつを治してやることはできない。ここじゃあ、俺の能力の半分も出せやしないからな。もしあんたらがタタラトまでやって来て、俺の居場所を見つけられたなら役に立ってやらんこともないが、タイミングにもよるな。何の用意もなく突然タタラとに来られても俺でもなんの役にも立ちやしない。だが、小坊主が俺を見つけた、それ自体驚異的なことだ。とにかく、あんたらがタタラトまで仲良く来られたなら、それ相応の対応はしてやろう」

「そこまでわたしは生きていられるでしょうか」

「無理だな」

 その言葉にリカがウィッドを睨んだ。

「どう考えても無理だ。こいつばかりはどうしようもねぇ。下手すりゃ1年もたねぇ。ここで安静にしてりゃ、まだ数年は生きられようがな」

「わたしたち、アディーヌに行きたいの」

「勝手にすればいい」

 ウィッドは一度頭を下げると後ろを向き、扉に手をかけた。

「では、またいずれに」

 扉を開けウィッドは出ていく。このまま帰してはいけない、そう思ったリカはすぐに追いかけようと扉を開けた。だが、そこにすでにウィッドの姿はなかった。左右を見るが静かなものだ。土で作られた壁が静かに佇んでいる。どちらにも、その男の影さえなかった。しかたなくリカは部屋に戻った。ベッドを見るとアリスはすでに寝息を立てている。その寝息が荒れていないことが唯一の救いだろうか。

 リカはベッドの枕側に腰をかけた。それから左手でアリスの額を触る。温かい。

「わたしはどうしたらいいの?」

 小さな声でリカが囁く。

「西へ行きたい。ソラに会いたい。けど、一人じゃだめなの。あなたがいないと、わたし何もできない。あなたが動けないなら、わたしは動かない。それじゃあ、だめ?」

 リカの思考は過去へと飛ぶ。

 中央にある騎士の像、その手に握られた旗、太陽の光が左上から放射され、右下に獅子がある。ヴァンデルト国の旗だ。像の周りには円形の噴水。その縁に、ソラとリカは座っていた。極普通の、幸せな、午後の風景だ。この光景が永遠に続くと思っていた。もちろん、ソラが徴兵されるのは分かっていたことだが、それもわずか1年のことだ。

 ああ、あまりにも目まぐるしいその1年だった。

 ソラが徴兵の朝いなくなり、国の兵士だろうか、名前は知らないが、ソラの行方を追う男にあった。紫に染めた髪が印象的で、まだその姿を覚えている。彼はソラを見つけたのだろうか。それさえ分からないままに戦争が始まった。

 西の塔が破壊され、中央の騎士の像が破壊され、城はその日のうちに落ちた。

 メメルが滅び、地獄のような日々をイドネおばさんと過ごしていた。

 ルナが、途端、ソラの妹のルナが目覚めて、メメルから多くの人が失われた。救世主は、しかし救世主じゃなかった。わたしにとって救世主は……

 リカはベッドを見る。

 アリス、あなただった。

 ふわっと体を倒すと、リカはアリスに覆い被さった。よわよわしい鼓動が響く。体は細い。あまりにも、小さい。わたしが守ってあげないといけない。

 わたしはソラに会いたい。でも、最期まで、アリスと一緒にいたい。


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