Chapter XXVIII ここに一つの、歴史が終わる
戦場の真ん中に、アリス=リスタット=ハナユメは座っていた。それを遠くからソラ=ルトとキャロットが見つけ、彼女に駆け寄る。
ここにいたるまで多くの死体を見てきたが、無残なものだ。アリスの前にはダルファ=ガイ博士が事切れている。そして、アリスの後方には、並べるようにしてワインハルト=ジャネとトニオ=アルゲが横たわっている。トニオには足がない。ワインハルトの腹からは、血糊が溢れている。
生が感じられない。
「アリス」
「最悪だね」
小さな声でアリスが答える。キャロットは剣を脇に置くと、アリスを抱きしめた。小さな体がきゅっと震える。
「よくがんばったね」
「最悪だよ、これじゃあ、もう、どうしようもないもの」
「大丈夫だよ」
「大丈夫じゃない。わたし一人じゃ何もできない」
「オレたちがいるじゃないか」
「ソラに何ができるの、子守りくらいじゃない」
確かに、ソラの胸には今赤子が抱かれている。すやすやと眠っていて、機嫌がいいようだ。アリスはキャロットの束縛を解くと、膝を払いながら立ち上がった。そして赤子の口元に人差し指を持っていく。
「名前は? もう決めたの?」
「うん。男の子だから、ファングの姓にしようと思うの」
「へぇ、いいんじゃない?」
「パパが分からないから。レディー=ファングにしようって、ソラと話して」
アリスはソラから赤子を受け取り、胸に抱いた。
「うんうん、いいね。きっと心の優しい子に育つよ。名付けの親がソラだし」
「何だそれ」
「それより、二人はどうしてアナタスに来たの?」
その質問にソラとキャロットが視線を交わす。
「オレの、妹のことだからね。だから最後まで見届けたいんだ」
「あたしはソラとア・ディーヌまで行くって決めたから」
「ア・ディーヌってもっとずっと西にあるんでしょ。遠回りじゃない。それに」
「オレだって、それくらい分かってる」
アリスの言葉はソラによって遮られた。
「分かった。それじゃあルナを探しましょうか」
「どこにいるか分かってるの?」
アリスは首を振る。そのときププが舞い降り、キャロットの肩に止まった。
玉座が白く光り始めたのは、彼らが子守唄を歌い終わり、どうしたものかと考えていたときだ。中央にメリッサ=V=ディバル、左にディトス=アーバニア、右にサルメ=ムトゥー。最初に気が付いたメリッサが玉座を指す。
「何だ?」
ディトスが脇の柄に手をかけながら玉座を睨む。光は次第に凝縮されるように形をなしていく。それは、この空間に入る前に見た、翼を持つ人の姿へと、形を変えていく。
メリッサとサルメは一歩退き、ディトスの背後に回った。
光は、白い天使へと形をなした。
「わたしの玉座になにか御用?」
天使の口が動く。
「誰だ!」
「わたしはわたし以外の誰でもない。むしろこちらが問いたいことね」
「俺はヴァンデルト国南の兵士長ディトス=アーバニアだ。再び問う、お前は誰だ?」
「おかしなことに、わたしのことをルナと呼ぶ人があるわ」
「ルナ?」
「ルナ=ルトか!」
後方でサルメが叫ぶ。
「ご明察」
天使は口元に手を持っていき不適に笑みを浮かべる。
「今は亡きヴァンデルト国の愚行ね」
「ヴァンデルトは滅ばない。俺たちは国王の命を受けてこの地に赴いたんだ」
「どの国王かしら?」
「ウル国王は、あらかじめメメルが落とされることを予期していた。それがため、アナタスのここに俺たちを差し向けた……」
「わたしの封印を解くためにね」
「ファン・ドール」
メリッサが、気が付いたように顔をあげる。
「永遠の自由。ヴァンデルト国の由来だと思っていた」
「わたしを、永久に自由を約束する言葉じゃない。あなたたちがわたしの封印を解いてくれたのね。何も知らずに」
天使が面白そうに微笑む。
「イルカでさえ、その言葉を扱える人間は少ないというのに。ヴァンデルトの人間がわたしの封印を解くなんて、どうして人間って愚かなんでしょう」
「黙れ!」
「はるか昔、イルカの民がわたしを封印したのはどうしてでしょう」
羽を動かし、天使は玉座から立ち上がった。
「わたしが脅威そのものだった。イルカを滅ぼすほどの力を持っていた。簡単なことよ」
「その通りだ。ウル国王はそれがためにお前を蘇らせたのだろう」
「まあ、それは当然のことね。確かにメメルに攻めてきたダルファ博士らはつい今しがた死んだみたいですし」
「ありがたい」
「確かにそうね。わたしを封印したイルカを、わたしは許さないわ。必ずこの手で滅ぼすでしょう。でもね、ヴァンデルト国とイルカ国の戦争なんて些事に関わる気は一切ないのよ」
ディトスは柄を握る手に力を入れる。
「これはほんの遊びなのよ」
すっと天使は移動をすると、ディトスの剣の柄を彼の手の上から握る。ディトスはまったく動けなかった。
「わたしは世界を統べる。人間たちが愚かに争っているから、それを止めるの。すばらしいことだと思わない? 東方世界も、お前たちがアディーヌと呼ぶ西方世界も、すべてわたしの手で治める」
「サルメ、目の前のこいつは敵か味方、どっちだ?」
「ダルファ博士を倒したのは、おそらくワインハルトたちでしょう。そのワインハルトは、今イルカと手を組んでいる。ダルファ博士とウル国王は何らかの密談をしていた」
天使は笑う。
「味方ではない」
「正解」
ディトスは素早く体を引くと、剣を抜いた。だが、目の前にすでに天使の姿はない。天使はサルメの背後にいた。
「あなたはよく頭が回るようね」
「ルナ=ルト……」
天使の腕はサルメの体を突き抜ける。
「だと、したら……」
「それだけ危険ということ」
振り向いたメリッサが悲鳴をあげた。
ディトスの剣が天使を横に切る。それを後方に跳ねて避ける。間髪をいれずディトスは剣を振り下ろし続ける。その度ごとに天使は下がっていく。だがその表情には笑顔すらある。まるで遊んでいるようだ。
メリッサはサルメを抱き寄せる。サルメは膝をつき、口から血が流れている。呼吸は激しく、胸の……そう胸からも大量の血が流れている。
「大丈夫、大丈夫よ」
サルメの耳元でメリッサは囁く、まるで自分に訴えかけているようだ。
「メリッサ……さま」
サルメの声がかすかに聞こえる。
「ダメよ、しゃべらないで」
「ディトスが、時間を稼いでくれます。どうか、生き延びてください。あなたは、ヴァンデルト国の唯一つの希望です。決して消えては、なりません」
「お願い、何も言わないで」
「ウル国王の残された希望でもあります」
紡ぎ出される言葉は途絶えない。
「ダルファ博士を裏切ったウル国王ですが、希望も残されました。すべての鍵を、ウル国王はご存知だったのです。ワインハルトに、ソラ=ルトの生死を問わず連れ帰るように命令を下しました。ルナ=ルトが目覚めるための、重要なファクターなのです。そしてビアンカ姫もまた、大切な鍵なのです」
「サルメ」
「あれを倒すための駒を、あらかじめウル国王は用意していたのです。そう信じます。ですから、メリッサ様。どうか、生き延びて二人を探してください。そうすれば……」
言葉は消え入る。
「サルメ?」
目は開いている。体も温かい。だが、すでに呼吸はなかった。メリッサはちらりとディトスを見る。天使相手に剣を何度も振り回している。
「最悪よ、もう」
涙が出ない自分に腹が立つ。いや、今はそのようなことを言っている場合ではない。
確か、と思い空間の一方を睨む。遠くの壁はぼやけているが、あちらから来たはずだ。メリッサは立ち上がると、一気に走り出した。
否、走り出そうとしたその時には、天使がメリッサの腕を掴んでいた。
「どこへ行くの?」
「どこだっていいじゃない。勝手でしょ」
「勝手じゃない。あなたの自由はすでにないのよ、それが分からないかしら」
天使の背後からディトスが剣を振り下ろした。確かな感覚がディトスに伝わる。
「ああ、やってしまったのね」
冷たい声を天使が発する。
ディトスの手から剣が落ちる。
倒れたのは、メリッサだ。
「そんな剣が役に立つと思っていたの?」
ディトスの剣は天使に当たらなかった。それは今まで避けられていたのとは次元が違う。鈍い感覚は、切っ先がメリッサの肩に当たったからだ。
天使の体は、まるで、そこに存在しないかのようにすり抜けていた。
「そ、んな」
「ヴァンデルト国第二皇女メリッサ=V=ディバルを殺害。これは死罪に値するわね」
目の前の天使はすでになく、ディトスは後方から体を突き抜ける感覚を受ける。それが連続して三回、意識は遠くなり、血の味さえない。
「まだ少しは意識があるようね」
天使の興味はディトスになかった。メリッサの体を持ち上げて、表情を見る。切られたのは肩だ。それに深くはない。血が流れているが、致命傷にはいたっていない。
「王族の血を引く最後の一人があなたになるのだけど」
天使は笑う。
「どうやら、イルカより先に滅亡を迎えたようね」
笑いながら、その手はメリッサの心臓に達していた。




