Chapter XXVII 決戦
「ヨウヤクオデマシカ」
「お前は誰だ?」
「ラゼルよ」
アナタスに入ってしばらく進むと、戦場の只中に一つの黒い影が見えた。三人は黒騎士だろうと一気にそこまで駆けた。
「なら俺が相手をするさ」
「サマセットはどこにいる?」
ワインハルト=ジャネが声を発した。
「もうおらぬよ」
返事は突如彼らの背後から聞こえた。それをあらかじめ予期していたのはアリス=リスタット=ハナユメだけだ。アリスはすぐに振り向くと、その相手を睨んだ。
「ダルファ博士っ」
「愚昧なれど、それだけは確かなること」
ワインハルトも続いて振り返る。
「血気が盛んなのはいい。だが我らとて後がないのだよ。愚昧なる者らをまずは確実に撃たねばならぬ」
ワインハルトは背負った大剣を構える。
「そう早まるなて」
ダルファ=ガイ博士は両手を後ろに組んだまま、まだ動こうとしない。
「アリス トムラ エル? ナ リット イッセンラ クル イルカ ダルダ」
「何が言いたい」
アリスはダルファ博士を睨んだ。
「お前は愚昧なれど、謀反の後もイルカ国にいたのだろう。ならば、我が研究の先を進んでいたはずであろう」
「ナラスが落ちて、主たる研究資料なしで、何ができるという!」
「我らの後ろにはそれがある」
「ばかなっ」
「ほう、やはり分かっているようだの」
「しかし、今回封印を解いたのはヴァンデルトだと……」
「さっき何て言ったんだ、博士は」
トニオ=アルゲが一人ラゼルと体面しながら小さく言った。
「イルカ国が原始に封印した者が何か」
「ルナ=ルトに宿ったやつか。確かイルカ国王は、かつて我らが封印したもの、と言っていたな」
「あ!」
アリスの表情が歪む。
「あれがなんなのか、わたしにも分からない。確か国王は、賢者の石を作ったときの負の遺産と言っていたけれど、わたしにはむしろ、賢者の石によってあれを封じようとしたのだと、思う。イルカ以前の歴史書にも、翼を持った存在は示唆されていた」
「さすがよ」
「わたしは、原始のイルカの民が、苦心して封印したものだと」
「封ずると宿るとは本質的に考えて差異はあるまい……愚昧なれど、さすが我が娘よ」
「黙れっ」
「え?」
「わたしはお前を父親などと思ったこともないわ!」
刹那、アリスは剣を出した。刀身の長く、透けるほどに細い剣だ。アリスの身長をはるかに越えているにもかかわらず、それは軽い。
「娘ってどういうことだよ」
「そのものずばりの意味よ」
ワインハルトは剣を構えているものの、体が動揺している。
ダルファ博士はそれを見て取ると、一瞬体を動かし、はるか十メートル後方まで下がった。
・
戦いが始まった。
ラゼルの剣が、トニオを真左から切りつける。トニオは前転をしてその剣をかわすと、すぐに左を向く。だがそこにすでにラゼルはない。空を切る音が背後から聞こえ、側転でその剣を避ける。
否、ラゼルの剣はトニオの足を切りつけていた。
「ぐっ」
鎧をも切り裂く重い一撃だ。立っていられないほどの激痛がトニオを襲う。案の定、トニオは倒れた。そのトニオの首元に、ラゼルの剣が振り下ろされた。
視界が暗くなるとともに、金属音が耳にこだました。
「おいおい、いきなりやられてんじゃないよ」
ワインハルトがラゼルの剣を横に払った。
「ああ本当、情けないな」
「相手の特徴は?」
「まだ掴めるほど戦ってないよ」
ならば先手必勝と、ワインハルトはラゼルに対して剣を横に払った。だが、ラゼルはすでにその場にいない。ワインハルトは止まることなく、その場で回転を続けた。
1、
2、
3回転したところで、かかとをつけて動きを止める。刹那、剣を真上に切り上げた。
剣がぶつかる音がし、ラゼルが空中で体勢を崩した。その瞬間をワインハルトは見逃さない。再び剣を構えなおすと、ラゼルが落ちるより早く剣をたたきつけた。
空中で何とか体勢を立て直そうとするも、それは間に合わなかった。ラゼルはワインハルトの剣を腹に喰らった。衝撃とともに、さらに飛ばされる。
「へへへ、どうだってんだ」
「ヨワイナ」
ラゼルは立ち上がる。
「ソノテイドデハアイテニナラン」
「ああそうですか」
再び剣を中段に構えるも、ワインハルトは震えている。渾身の攻撃のつもりだったのだ。ちらとトニオを見る。目を瞑り、痛みに堪えているようだ。
「トニオ、死ぬ覚悟はあるか?」
「ないさ」
「あっそ。だったら必死に立ちやがれ」
ラゼルが消える。風を切る音が横から聞こえ、ワインハルトは剣を構えなおす。が、ラゼルの剣がワインハルトの手を切りつけ、ワインハルトの剣は宙を舞った。目の前にすでにラゼルはない。
否、正面にラゼルはいた。
その握られた剣は、ワインハルトを貫いていた。
「ぐっ」
血が逆流する。口から鮮血がもれる。だが痛みはない……痛みをすでに越えていた。揺らぐ視界の先、ラゼルの黒い鎧が鈍く光る。
ワインハルトは、ラゼルの腕を掴んだ。
「今だっ」
声になったかは分からない。だが、感覚のなくなったワインハルトの腹を、今度は後方から剣が突き抜けた。それはラゼルの鎧にも達する。
「ハナセ」
ワインハルトは放さない、離さない。剣はさらに深く突き刺さる。
血が、逆流する。
・
アリスの刀身の細い剣を、ダルファ博士はその手の先ですべて受け止めていた。いや、実際手にすら当たっていない。ダルファ博士の手から発せられる障壁に、剣が弾かれているのだ。
「相打ちか」
アリスは剣の動きを止めない。
「愚昧なるな。それでは、相手にもなるまい。お前は動きが単純すぎる。機械でもないのに、トレースが容易い」
まるであざ笑うかのように、ダルファ博士は一歩も動かない。アリスはまだ動きを止めることなく、剣を振り続ける。だが、すべての攻撃が弾かれる。
「無駄なことよ」
「ダルファ博士。お前などわたしの相手ではない」
「愚昧なるな」
「お前の後ろにある、我らの祖先が封印したものの強さを知りたい」
アリスの剣は止まらない。
「少なくとも、今生あるあらゆるものよりも強い者ぞ」
「ラゼルよりもか?」
「圧倒的だ。サマセットをその手で殺したのだからな」
そこでアリスの剣がようやく止まる。
「全く、相手にならないとはこのことよ」
「勝てる見込みは?」
「残念ながら、皆無だ。さもありなん」
「そうか、ならばお前などもう、必要ない」
アリスの剣が振り下ろされる。
「愚かなる者よ」
あざ笑うかのように、ダルファ博士の手がアリスの剣を遮る。
否、手に触れる瞬間、アリスの剣は消えた。
「!!」
アリスの動きは止まらない。剣は、ダルファ博士の手を越えると再びその刀身を露にした。そして、そのまま剣はダルファ博士を切り裂いた。
・
震えが止まらない。このままでいいのだろうか?
答えは、否。
明らかなことだ。だが、どうすることもできない。
リカ=トールはイドネ=エリコの家の中で動けなかった。それはイドネも同じことだ。家は血に溢れ、腐臭が漂う。目の前で、イドネの娘であるルナ=ルトが彼らを殺したのだ。あれは、本当に娘だったのだろうか。おそろしい疑問だ。あれは間違いなくルナであった。だが、あれはルナとは思えなかった。
ルナはもう何年も寝たままだった。八年前、城の学者がルナを連れて戻ってきた。その時聞かされたことを、忘れようはずがない。
ルナは選ばれた存在だと、彼らは言った。
一体誰に選ばれたというのだ?
彼女はいずれ目を覚ますと、彼らは言った。
ああ、確かに目を覚ました。
そのとき、彼らはルナを迎えると言った。
だが、もはや彼らはない。
「おばさま」
リカが弱々しい声を発する。
ルナはメメルを掌握し、そのままアナタスに向かった。メメルに残されている人は少ない。動ける男連中はすべからく、アナタスへと向かった。残されたのは、イドネやリカのような弱い、女子供ばかりだ。
「あたしゃね」
イドネがリカを抱きかかえる。
「こんなときになって、ソラが帰ってくるんじゃないかって、思ってるんだよ……理由もなく……きっともうヴァンデルト国内にもいないのだろうにね」
「わたしも、そう思います。だって、ルナはちゃんと目覚めたんだから」
「ちゃんと、ね」




