Chapter XXV 東へ
ソラ=ルトは西ではなく、東に向かって歩いていた。足取りは重い。背負われた大きな剣が枷となっているからだ。
「ラブ=オールよ」
アリスがその剣を城の地下にしばらくこもった後、ソラに差し出した。ブロードソードの類に入るものであろう、剣の長さはソラの丈をはるかに越えている。それに横に厚く、盾にさえなるのでは、と思えるほどのものだ。そしてこの重量……ソラにはとても扱えそうにない。果たしてこの剣をまともに振るうことができる人などいるのだろうか、ソラにはありえそうになく思えた。
「後悔するよ」
隣りで小さな赤子を抱えたキャロットが言う。
「今更あたしたちが東に行っても何もできないだろうし、その天使ってソラの妹なんでしょ?」
キャロットの足取りも重たい。城内に勤める魔術師の力によって傷がふさがったとはいえ、まだとても万全とはいえない。
「妹だから、自分で止めたいし、オレは。それに、オレの旅の目的は、ルナを起すことだから……」
「だったら、なおさらあたしたちが行っても」
「うん。でも、オレの中で、ルナはまだ目覚めていないんだ」
「そう……」
ガベトを越えて、少し進んだところだ。おそらくワインハルトたちはすでにアナタスにたどり着いている頃だろう。このペースで二人が歩き続けたとしたら、アナタスにつく頃に戦いは結してしまっているだろう。にもかかわらず、西ではなく東へどうしてもソラは行きたかった。キャロットも否定はするものの、強くない。自分だけ戦いを放棄して逃げてしまうのは嫌なようだ。態度で何となくそれが伝わってくる。
鳥が、キャロットの肩に舞い降りた。ププだ。
「どうしたの?」
ププを撫でながら、キャロットはその声を聞いた。
「あらそう、困ったわね」
「何だって?」
「ほら、前ここ通ったとき、変な獣に襲われたじゃない。狼のような、真っ赤な目をした獣……あのときはワインハルトとアリスが倒してくれたけど、今回はどうしようかって」
「へぇ」
「ププもすぐに気が付いて教えてくれにきたんだけど、もう周りを囲まれてしまってるみたいなの、どうしよう」
「それは、困った」
「ソラ、その剣で戦ってよ」
「これ鉛だよ、背負っているからなんとか運べているけどさ、とても振るうことなんてできないよ」
ソラは言いながら剣を降ろした。そして柄を両手で持つが、やはりとてもじゃないが振れそうにない。
「これじゃあ、アナタスに着く前にあたしたち終わっちゃうね」
「いや、笑いごとじゃないよ」
ソラは辺りの様子をうかがう。遠くに確かに獣の影が見えている。四方にほぼ何もない地帯だ、遠くの様子までよく分かる。遠巻きに三匹、囲むように獣がいる。おそらく彼らの足があれば、その間を走り抜けることなど不可能だろう。
「ちょっと貸してね」
キャロットは地面に置かれた剣の柄に手をかけた。
すっと。
手が柄になじむ。
なじむ?
「重いよ?」
ソラの言葉とは裏腹に、キャロットは剣を持ち上げた。片手で、確かに重いはずなのだが、重量をそれほど感じない。
「ソラ、この子をお願い」
キャロットは抱いていた子をソラに預けた。そしてあらためて両手で剣を握る。
「重くないのか?」
「うーん、そんなことないけど。なんだか体の一部みたいで……」
「なんとかなりそう?」
「でも、あたし剣なんて振ったことないからなぁ」
ソラは再び辺りを見る。獣の姿がかなり大きくなっている。逃げることはできない。と、一頭の姿が瞬間的に大きくなる。
キャロットが剣を前に構え、それに備える。
ソラは赤子をしっかりと抱きしめ、他の二頭の動きを注視する。
「タイミングをずらして、一気に来る」
「ププ、援護お願いね」
その刹那、キャロットの剣が縦に振り下ろされた。だが、それは空を切る。
ププが鳴く。
キャロットの剣は地面に着くより先に左へとなぎ払われた。途中に重い手ごたえを感じる。そのまま剣を振りぬく。
「次!」
ソラの声にププが再び鳴き声をあげる。
剣が曲線を描き、キャロットの体はソラを中心として回転する。最後、斜めから振り下ろす形で、剣は何者かを切る。
剣は止まらない。
ププが鳴く。
ソラは最後の一頭の動きを捉える。止まっている。少し間をあけ、こちらの様子をうかがっているようだ。キャロットの足はそちらに向かった。
獣が横へ跳ぶ。
と、その方向へとキャロットも向きを変える。スピードは遅いが狂いがない。数度獣が反復するが、狂いのない動きに、獣は剣に貫かれた。
そこでキャロットの足がもつれ、倒れた。
「大丈夫か!」
ソラが駆け寄り、キャロットを片手で抱き上げた。キャロットは笑顔をこぼす。肩で激しく呼吸をし、心臓が大きく打っている。
「へへ、へ」
「すごいよ」
「ププが相手の動きをトレースしてくれてたから。あたしはそれに従っただけ」
そのキャロットの肩にププが舞い降りた。
「芳しくないわね」
アリス=リスタット=ハナユメが唇を噛む。アナタスから五マイルほど離れた位置にアリス、ワインハルト=ジャネ、トニオ=アルゲは立っていた。
はるか前方に、アナタスの尖塔がかすかに見えている。
「ああ」
トニオが相槌を打つ。戦況は、確かに芳しくない。そもそも戦況と呼んでよいものだろうか、とさえ思う。
イルカの兵士は屈強だ。それは分かる。もし、ヴァンデルト国と同じだけの兵士数があったとすれば、ヴァンデルト国など取るに足らないほどであろう。いかんせん、数は圧倒的に少ない。それでも、これまで戦ってきているのは、敵がヴァンデルト国すべてではないということだ。
敵はヴァンデルトの一部のようである。
彼らがアナタスに着いたとき、すでに戦いは開始されていた。まるで内乱のように思われたが、そうではない。ヴァンデルトの一部の兵士に、異様な感じがあった。
兵士の一人が彼らの元に走り寄って来る。
「申し上げます」
「どうした」
「敵と思われるヴァンデルトの主力部隊はほぼ瓦解しました」
「ほう」
今まで出一番の朗報だ。
「が」
兵士は続ける。
「黒い騎士が突如現れまして、イルカの同志たちを次々と殺めておりまして」
三人の顔に緊張が走る。
「我らでは太刀打ちができませんでしたので、すぐにとご報告に参りました」
「黒い騎士は一人か」
「はい、確認できた限りでは」
「分かった、下がれ」
トニオは腕を組んだ。それからちらとアリスを見る。続いてワインハルトにも視線をおくる。
「よし、そろそろ僕たちので出番のようだな」
「しっかり頼むわよ」
「分かってるさ」
そして三人ともアナタスに向かって歩き始めた。
「一応聞いておくけど」
アリスが隣りを歩くワインハルトに声をかける。
「ヴァンデルトの皇子たちをアナタスに連れて行くとか、前言ってたわよね」
「ああ」
「アナタスのどこに連れて行く予定か、あんた知ってる?」
「アナタスはメメルと同様に歴史ある都市だ。だが、近年の人口増加により、居住地区だけが異様に発達した。結果、かつての歴史ある建築物は、都市の一箇所に集約されることとなった」
「そこだけ取り残された、とも言うがな」
「……最後まで、取り残される場所でもある」
「それがどこか、知っているの?」
「もちろん」
「イルカの国王は、アナタスで封印が解かれたとか申してましたな」
「つまり、それが目的であったのだろう」
ヴァンデルト国にとって、イルカ国を滅ぼすこと。
「先ほどの兵は、黒騎士が一体だと言っていたな」
ワインハルトが小さくもらす。
「サマセットかラゼルか」
「まだ切り札があるってことね。多分私たちが向かえば、ダルファ博士も登場するでしょう」
「相手が一人なら、三人がかりでなんとかなるだろうけどね」
「それ、その弱気発言は止めて欲しいんだけど」
「サマセットだったら、俺がなんとかしてやろうか?」
「ダメだ。サマセットの相手は僕がする。胸の傷の借りを返したいんだ」
「ラゼルって奴の特徴は?」
トニオがアリスに聞いた。
「まあ、黒騎士の中では一番強いってことかしら。パワーもスピードもそうだけど、動きをトレースできないってことね。もっとも新しい技術を持って、ダルファ博士が作り出したものだから」
「それは厄介だな」
「ラゼルだったら、僕がなんとかしてやろうか?」
「いや、一人で充分だ」
アリスは肩を竦めた。
アナタスの尖塔が次第に高く伸びてゆく。都市の西側もすでに戦場と化していて、おびただしい量の血糊がそこかしこについている。そして、死体もだ。
イルカ国の兵士も、ヴァンデルト国の兵士も……否、ヴァンデルト国に限っては兵士ではないものが多数だ。ほとんどが兵士らしい格好をしていない。
サルメからの報告によると、メメルが襲撃を受けたとき、国王は第一騎士団を除くすべての騎士団をメメルに集結させた。そして、そのメメルはダルファ博士らの襲撃を受けて滅んだ。
兵士など、その時ほとんどが倒れているのだ。
では、今目の前でイルカ国と戦っているものたち、そしてヴァンデルト国内で二つの派閥に別れて戦っている者たちは、一体、なぜ、戦っているのだろうか。
アリスの思考は、アナタスを前にして、黒騎士を前にして、中断した。




