Chapter XXIV アナタス強襲
階段を降りた先は広い空間になっていた。明かりは入ってきた階段の上からくる太陽の光だけだというのに、なぜか明るかった。空間を構成している白い石は大理石だろうか、それが自ら光を発しているように思えた。
「何も、ないようだな」
腕を組みながらディトス=アーバニアは言った。四方を見渡しても何も見当たらない。入ってきた入り口と、そちら側に壁が左右に走っているのを除けば何もないのだ。不思議なことに、天井さえも見えなかった。確かに階段はかなりの距離があったが、これほどの地下空間が存在していることが信じられないほどだ。
「何なのかしら、ここ……」
不安そうにメリッサ=V=ディバルが辺りを見渡す。
「いや、何かあるようだけど」
ある一方に視線を定めてサルメ=ムトゥーは答える。
「この方向……何か分からないけれど、だいぶ先のほうがちょっと膨らんで見えないか?」
「んー、そうかぁ?」
「気のせいかな」
「行ってみましょうよ。どうせよく分かんないんだし」
「仰せのままに」
ディトスが仰々しくお辞儀をする。
「ま、後でここに戻ってこられないと困るけどな」
言いながらすぐにディトスは歩き始めた。それに続くようにメリッサもサルメもついていく。よく分からない……確かにその通りだ。ここが一体何なのか、先ほどの光は何だったのか、そして、ウル国王と宰相カサが、なぜここに行くようにと言ったのか。さっぱり理由が分からない。おそらくはあの光を解き放つのが目的だったのだろう。そこに希望を求めたのだろうが……すでにメメルの王城はダルファ=ガイ博士らの手によって落ちているのだ。どこに希望が残っているというのだろうか。
「本当だな。確かに隆起しているようだ」
しばらく進むと、誰の目にも明らかなほどにそれは膨らんで見えた。いや、膨らんでいるというよりも、そこだけ数段高くなっているようだ。後ろを振り返ると先ほどまであった壁でさえもはや微かにしか見えない。
「段のようですね、さらにもう一つ膨らんで見えるけど……」
「いい目をしているなぁ」
その膨らんだものは、どうやら玉座のようだった。近づけばそれだけ形がはっきりしてくる。白く光る大理石のような地面に、ぽつんとひとつ玉座が置かれている。
「意味分かんねぇ」
「結構立派な玉座のようですね……」
「ねえ、何か彫られているみたいよ」
メリッサが玉座にいたる段の側面を見た。まるで装飾のようだが、それはメリッサが知っている文字だった。
「ああ、これなら読める……」
サルメが答える。合計で三段あるようだが、その前面に文字が上から順に彫られている……上から読めば、知っている文句になっていた。
「ト ルルエル
バ ラエッサンド ラマハル エマ アルエル
ウルカ ア サフォル メーテ ラ エブレ クル セルマ
ウルカ ア セルマ メーテ エエムメ クル ファーレ
ウルカ ア ファーレ メーテ クイルラメ クル カッカーダ
ウルカ ア カッカーダ メーテ ホイルトメ クル サフォル
ア ニヒト
ア イ ラマハル エマ アルエル
ラウール フォルン
ト ルルエル
バ ラエッサンド ラウール エマ フォルン」
サルメは調子をつけてその文句を読んだ。有名な子守唄だ。ヴァンデルト国に訳されたものが一般には広く流布しているが、図書館にはそれと並ぶようにして、この言葉とその読み方が載っていた。
「へぇ、なんだか聞いたことがあるな」
「子守唄と言えば思い出せるのではないでしょうか?」
「西へ
太陽が沈む地へ
春に夏の息吹を感じるように
夏に秋の涼しさを感じるように
秋に冬の心地よさを感じるように
冬に春の暖かさを感じるように
夜に
太陽が沈むときに
希望が溢れる
西へ
希望が眠る地へ」
メリッサが今度はそれをヴァンデルトの言葉で歌った。
問題は、どうしてこの子守唄がここに刻まれているのか、ということなのだ。
同じアナタスに、ダルファ=ガイ博士とサマセット=イーファ、ラゼル=タイタスは戻りついた。だが、そこはほぼ壊滅の地と化していた。
「ナンダトイウノダ?」
「なんということだっ」
建物からは煙があがり、そこかしこに絶叫が響いている。路上には剣をもった男たちが互いに切りつけあっている。どちらも、ヴァンデルトの国装をまとった男たちだ。
「ナイランデショウカ」
「内乱ならば、同じ紋章を抱くまい」
ダルファは考える。だが、まともな考えには行きつかない。
「あら、また会ったね」
突然背後から声をかけられ、三人は同時に振り返った。そこには、遠くファーラガーのビアンカ姫の部屋で見た、あの時の天使が立っていた。
「覚えているよ、あなたが私の半身を取り出してくれたんですもの」
「何者だ!」
「何者なんて者じゃないわ。私は私、それ以外の何者でもないもの」
「お前がやっているのか?」
「あら嫌だ。私じゃないわ。これを始めたのはあなたたちでしょ?」
天使はふわふわと高さを整えると、三人の目の前へと進み出る。
「メメルを崩壊させたのでしょ。おかげで私はこんなにも早くにメメルを掌握できたのですけど」
ダルファはサマセットに目で合図を送った。それに答えようとサマセットが動こうとしたとき、天使の左手がサマセットの左胸に刺さっていた。
「ナ!」
血が吹き出ると共にサマセットが倒れる。一瞬のことでダルファもラゼルも動くことさえできなかった。
「その程度、ということね」
遅れてようやくラゼルは振り返りサマセットを見た。
「私を封印して作り出したにしては、たいしたものじゃなかったのね。これなら心配いらない」
「ナニ!」
「それに勝手に反乱までしてくれたし。創始者の気持ちなんて、知る由もなしってことね」
「何者だ」
「私は私、それ以外の何者でもない。あなたたちはしばらく私の手足として働いてもらうことにするわ」
「従うと思うのか」
「従わなければそれまでよ。ヴァンデルトの人たちはほとんど従ってくれたし。イルカの滅亡まで戦い続けるだけよ」
「イルカ国の滅亡だと?」
「ええ、最後の一人まで殺してあげるわ。私に抗うものすべて、ね。ふふふ、面白いでしょ?」
「ああ、それは面白い」
ダルファは考える。
「余分なことは考えないことね。あなたもイルカの人間なのだから」
「だったら、あの時すべてを破壊してしまえばよかったものを」
「できたわ。でもそれじゃあつまらないでしょ?」
天使は腰に手を当てて笑ってみせた。
「人間同士が争ってる姿が面白いんじゃない。この街の連中を見たでしょ? もとは同じヴァンデルトの人間だったのにね、今じゃ互いに敵同士。こんな面白いことないじゃない」
「いいだろう。ちょうど倒したい奴らがこちらに向かっている頃だろう」
「わたしの後ろ盾があるのだから、あなたは死ぬ気で戦いなさいね」
と同時に天使は姿を消した。
「ダイジョウブデスカ?」
「ああ。サマセットはやられたか。なんて強さだ。レベルが違うな。だが構うまい。とりあえずはアリスたちを倒すことを考えよう」
「ワカリマシタ」
後ろを向き、街を見渡す。
おかしなことだ。先ほどは同じ人間同士が争っていたように見えたのだが、今は違う。明らかに二種類の人間が見える。あの天使に魅入られ、恐怖され、追われているもの、そしてこのアナタスの住民たちだ。この区別は魅入られた側にだけできるようだ。その群れを見ているとよくわかる。場所によってはアナタスの住民同士が戦っているからだ。
面白い?
ああ、確かにこれほど面白いことなどあるまい。
ダルファはすでに完全に魅入られていた。




