Chapter XVII メメル襲撃
ヴァンデルト国の歴史は長い。あるいはファンドールと呼ばれるその国はここ数十年それまでの対外政策とは打って変わって、各地への遠征を控えていた。イルカ国との戦争が終わって以来のことだ。現在の国王の父に当たるサイラ=V=ディバルの時からだ。ウルに政権が移って以降もそれは変わっていない。彼らの施策は今、内へ、内へと向かっているのだ。その真なる意図を知る者は少ない。ときおり発効される国王の免罪符だけが、それの証拠となっているのだ。だが、それも今変わろうとしている。
カサ=イグノールは国王ウル=V=ディバルの脇に控えていた。謁見の間だ。二人の前には十一の騎士団の隊長が膝をつき命令を待っている。第一騎士団のトニオ=アルゲだけはすでに別の命令を受けて西のティシン国へ向けて出立済みだ。おそらくすでにガベドまでたどり着いている頃だろう。またさらに三人の兵士長も十一の騎士団の後ろに立って待っている。西の第一から第三騎士団までをまとめる兵士長だけは、ワインハルトがいなくなって以来空席となったままだ。
「始まったな」
ポツリ、とウルがもらす。
「卿らすべてに集まってもらったのは他でもない。ヴァンデルト原始以来の事態が起きようとしている」
隊長、兵士長の顔に緊張が走る。
「二から四までは中央広場に展開、五から九は城門に、十から十二は城内に。すぐに行け!」
カサの怒号と共に、隊長たちは立ち上がり、音を立てるように謁見の間から出て行った。
「兵士長はそれぞれ第一皇女、第二皇女、第一皇子の保護に走れ。手はずどおり、メメルから連れ出すのだ」
兵士長たちは、はっと返事をすると謁見の間から飛び出して行った。
「半年か」
ウルが再びもらす。
「フォルン襲撃から期間を開けてきたな、どう思う?」
「ビアンカの確保とメメル襲撃……ビアンカを奪われたか」
「旧世代の遺物らが」
「楽しみだ」
カサは目を細めた。後ろに組まれた手に自然と力が入る。
「ふっ」
ウルが突然口元から息をもらすように笑った。
「歳は、取りたくないな」
ドゥーン!
突如、腹の底まで響き渡るほどの音が響いた。国立図書館で書物を調べていたサルメ=ムトゥーは驚いて顔をあげる。周りに人はいない。耳を済ましてみるが、何も聞こえない。サルメは一度首をかしげると、再び書物に目を落とした。
サルメがいるのは専門書のフロアだ。ヴァンデルト国とイルカ国が研究していることについて書かれた書物をサルメは読んでいるのだが、専門用語やわざと文法を変えていたり、古代語が使われていたりと、読み解くのは優しくない。ゆえにまだ、ほとんどその内容を理解できていない。集中が切れると、ただの暗号文にしか見えないほどだ。
「サルメー!」
今度は叫び声が聞こえた。メリッサの高い特徴のある声だ。
「ここに!」
サルメが返事をすると、メリッサはすぐに彼の前に現れた。ここまで駆け上がってきたのだろう、息があがっている。表情は強張り、うっすらと目に恐怖も浮かんでいる。
「どうなさったのですか?」
立ち上がろうとするサルメの腕を掴むと、メリッサは唇を噛みしめた。
「どうなさったのですか?」
もう一度同じ質問をすると、メリッサはサルメを連れて走り出した。
「急いで」
「メリッサさま」
「ここはすぐに戦場になりますわ」
「彼らが……攻めて来たのですか?」
「そうです。今しがた西の監視の塔が彼らの手によって破壊されました」
サルメは先ほどの地響きを思い出す。
「一瞬のことでしたわ」
「どこへ向かうおつもりですか?」
「わたしは、このような時のためにあらかじめ行く先が決めてあります」
このような時? 階段を駆け下りながら、サルメの頭が揺れる。
「すぐにでもディトス=アーバニアが迎えにくるでしょう」
「でしたら、このようなところに足を運ぶこともなかったでしょう」
「寄らなければ、あなたの顔を二度と見ることができなかったでしょう」
前を走るメリッサは、そのまま前をむいたまま言った。
「そのようなこと、わたしには耐えられません」
図書館を飛び出ると、太陽の光が眩しいほどに照り付けてくる。サルメはすぐに左右に視線を走らせた。左には王城……その前にはすでにたくさんの兵士が身構えている。右には中央の広場が見えている。だが、その広場がすでに戦場になっているようだ。
ドゥーン。
再び地響きがしたかと思うと、中央広場に立てられていた像が崩れ落ちていくのが見えた。都市内を悲鳴が響いている。
「まるで相手になっていないな」
「ワインハルト元兵士長でも敵わなかったのでしょ、ここに彼以上の戦士なんて残っていませんわ」
メリッサは再び走り始めた。サルメも握られたてそのままに引かれていく。
「この路地は戦場になるみたいですね」
「そうみたいですわ。すぐ裏路地に入ります。大丈夫よ」
二人の姿はやがて表通りから消えていった。
ディトス=アーバニアは南の兵士長だ。本来なら、第二皇女を迎えにあがるのはワインハルト=ジャネの仕事のはずだが、今彼はいない。西の監視の塔に囚われていたシャロル=ド=イルカ=ビアンカと、ルナ=ルトの兄であるソラ=ルトをメメルに連れて帰るために外へと派遣されている、最も危険な任務といえるだろう。だが、第二皇女を探すのも楽な仕事ではない。なんと言ってもお転婆で有名なメリッサ=V=ディバルなのだから。マノムーレ第一皇女どインダナ第一皇子はすでに王城内の所定の場所に予定通りおられ、おそらくメメルの外へと向かっている頃であろう。だが、メリッサ第二皇女は王城内にいない。側近の給仕がうろたえながら答えるには、最近は中央広場へと続く途中にあるヴァンデルト国立図書館に通っているらしい。傍目には勉強熱心で、それ自体別に咎める点はないのだが。問題があるとすれば、そこで何をしているのか、という点だ。もちろん本を読んでいるのだろうが、果たしてあのメリッサが本をおとなしく読むなどということがあろうか。
つまり問題は、誰と、そこで本を読んでいるのか、ということなのだ。こちらはカサ=イグノールを通さずに国王ウル=V=ディバルから直接調査の依頼がきている。もちろん元来はワインハルトの仕事なのだろうが、仕方がないことだ。
調べていく上で給仕などからあがってくるものは、サルメ=ムトゥーという人物だ。調べてみると、一介の若者らしい。ワインハルト直属の調査団の隊長であるらしいのだが、身分が離れすぎている。
「他人の色恋沙汰なんざぁ、興味ないね」
ディトスは小さく呟いた。それからポケットからメモを取り出して、もう一度そこに書かれている文字を読む。メリッサの部屋に行ったときに給仕に渡されたものだ。西区の地名が走り書きされている。そこに来いということなのだろう。
すでに敵の攻撃は中央広場を越えている。つまり、二から四までの騎士団はほぼ崩壊しているのだろう。当然だ。騎士がこのような場所での戦いに向いているはずがないのだから。攻めることを前提に作られた兵団なのだ。守るには弱すぎる。城が落ちるのも時間の問題だろう。兵士長と騎士団長の立場を逆転させれば、まだ分からなかったのだろうが。非常に愚かなことだ。国王ウルはすでに自身より、娘や息子たちのほうが大切なのだろう。
「まぁ、どうでもいいことか」
颯爽と路地をディトスは走り抜けていく。その先には所定の……酒場があった。
メリッサは椅子から降りると、立ち上がった。そして入り口を見る。真っ赤な髪の若者が立っている。髪は逆立つように後ろへと流れ、その髪の色と同じ瞳がそこにあった。おそらく色をつけているのだろう。国装を身にまとい、腕を組んでこちらを睨んでいる。ディトス=アーバニアだ。給仕からメモを受け取ったようだ。
「遅いお出ましね」
「くだらんおしゃべりは嫌いなんだ。さっさと行くぞ」
「もう、どうして兵士長ってこうも風変わりなのが多いのかしら。カサの気が知れないわ」
「お転婆な姫さんに言われたかぁないね」
「彼も連れて行くわよ」
「俺の仕事はメリッサ第二皇女をメメルから連れ出すことだ。他に興味はない」
サルメは小さくうずくまるようにしてメリッサの後ろに隠れていた。
「まあ、第二皇女なればこそ構わないことではあるがな。それ以上のことは国王がお決めとなるところだ」
「ありがとう」
「さて、問題は今から王城内に戻るのは非常に危険ということだろう」
ディトスは敵の攻撃を考える。恐らく今は五から九の騎士団が必死に城門付近で戦っている頃だろう。だがそれも時間の問題だ。王城内からなら所定のルートを使って直にメメルの外まで脱出が可能なのだ。
「そうでしょうね。でも、どうしてわざわざ王城に戻らないといけないの?」
「ああ?」
「今この場所が何よりも平和じゃない」
「城が落ちれば、そのまま攻撃がメメル全体へと移るだろう。平和なのはそれまでだ」
「ねえ、サルメ、あなたはどう思う?」
「面白いな。そちらの青年に聞こう。我々はどうやってメメルから脱出すべきか」
突然指名されてサルメの胸は大きく跳ねた。メリッサの背後から姿を現すと、呼吸を落ち着けて自分の考えをまとめる。
「敵の攻撃ははっきりしています。西の塔の破壊と国王の殺害。この二点を邪魔するものであれば、攻撃の対象となることでしょう」
ディトスの眉が大きく動く。
「それで?」
「敵の背後を取り、西の塔横の門を利用するのが一番安全でしょう」
「サルメ、と言ったな。なぜ国王の殺害を敵が狙っていると分かる?」
「……裏切り者、だからです」
その瞬間ディトスの剣がサルメの額に当たった。あまりにも早すぎてサルメは動くことができなかった。
「質問だ。敵とは?」
その様子をメリッサはどうしようもなく見つめていた。
「イルカ国の残兵。ダルファ=ガイ博士が生み出した三体の黒騎士。フリート=ジンベル。サマセット=イーファ。ラゼル=タイタス」
カシャッと言う音と共にディトスは剣を鞘に戻した。
「なぜ、国王が裏切り者だと?」
「シャロル=ド=イルカ=ビアンカを西の塔に監禁し、生体実験を繰り返した。メメル内にその犠牲者が一体どれほどいるものか」
「生体実験の内容も分かっているのか?」
「あと一日あれば」
「残念だな。ではサルメ君。君を連れて早速メメルから脱出することにしよう。メリッサ第二皇女もご一緒に」
三人はその酒場から姿を消した。




