Chapter XV ダルファ=ガイ、黒騎士の生親
「構え」
トニオ=アルゲは彼の後ろに横一列に並んだ彼の部下に対して声を発した。それに呼応するように、その前列にいる弓兵が一斉にその弓を引く。
「やるらしいぞ」
「クダラナイ」
トニオの前には数十メートルの間を隔てて、二人の人物がいた。一人はフードを目深にかぶり、一メートルほどの小人。もう一人は、およそ倍近くの体格がある鎧を来た人物。真っ黒の鎧は太陽の光を反射しない。
「なぜ我らの国を荒らす!」
トニオがその二人に向かって大声を発した。
「荒らす? 違うな」
フードの男は黒騎士を残すようにして前へと歩き始めた。
「それ以上近づくな。こちらの質問に答えよ」
「なぜ我らの国を荒らす? 愚かな」
それでもフードの男は止まらない。
「国などというものに縛られていては、それ以上のものを得られない。我らが国と同じ道を歩むこととなろう」
「近づくな!」
「姫は解放された。もはやお前たちの手の内にない」
姫? トニオの思考が高速回転をはじめる。
「とこしなえの命への夢は失われた。ウルの愚かさは証明された」
ビアンカ……姫? トニオの心臓が激しく打つ。
「裏切り者とその末路は定められた」
「撃てーーーーーっ」
トニオの怒声が響き渡った。と、同時に弓兵から矢が一気に放たれる。空気を裂く音とともに、矢が空へと上ってゆく。
「逃した鳥は大きいかな」
やがて矢は重力に従い弧を描くようにして、そのフードの男目がけて降り注いだ。
地面に刺さる音、衣をかすめる音。
その音が終わったとき、フードだけが地面に落ちていた。トニオが我が目を疑う。
「第二派、構え!」
二列目にいた弓兵が前線へと移動し、その弓を構える。だが、狙うべき先がない。
「愚かなる若者よ。姫に近づくな。お前は愚昧なれど、ウルには及ばない」
フードの男の声が背後から聞こえ、トニオはとっさに振り返った。だが、そこにいたのは男と言っていいものか分からない。
異様に大きな目は眼球もなく、血に赤く染まっている。肌は腐ったようにどす黒く、口は裂けるように大きい。そこに生えているのは牙だ。髪の毛はない。だが、ひどく皺がよっていて、まるで脳そのものの形がそのまま出てしまっているかのようだ。
「醜いか?」
着ているボロには、ところどころ紫色の血糊がついている。
「そう思えるお前なればこそ、姫に近づくな」
「き、騎士団、前へ!」
弓兵の後ろから、馬に乗った兵士が前へと踊り出た。
「やれやれ、仕方のない奴だ。ならば、相手になろうぞ」
殺気を感じたトニオは、目の前にいる小人を飛び越えるようにして、前転した。ドッと、鈍い音と共に、元いた場所に黒騎士の太い剣が振り下ろされていた。
トニオは体勢を立て直すと剣を構えた。
「ウォーーーーー!」
その掛け声とともに、戦いが始まった。
「もう始まってるみたいよ」
走りながらアリスが言った。
「まるで神話の兵器と人間が戦ってるようなもんだな。まともにやってあの黒騎士に勝てるはずがない」
「そうね」
「前からそうだが、お前はあれを知ってるのか?」
「たぶん、あれはフリートね。フリート=ジンベル。ダルファ=ガイ博士とともに、謀反を起した三人の一人……」
「謀反?」
「あんたが、自分の秘密を全部教えてくれたら、話してあげるわ」
「とりあえず、敵でいいんだよな」
「ええ」
「倒してからにしよう」
二人がその戦場に到着したとき、戦況はすでに結していた。
「トニオ、騎士団を退避させろっ」
すぐさまワインハルトが叫ぶ。いくつもの死体がすでに地面に横たわっている。
「ワインハルト!」
トニオが構えた剣をそのままにワインハルトの姿を確認する。
「問答は無用だ。まずは騎士団が邪魔だ」
ワインハルトも抜刀し、黒騎士の背後に構える。
「騎士団、剣を引け。そのまま退避だ」
その命令に背こうとするものはいなかった。明らかに実力差があり、誰もが殺される覚悟を抱いていたからだ。
「ニガストオモウカ?」
「フリート、久しぶりじゃない?」
アリスが黒騎士の横に間合いを取って立った。黒騎士の顔がゆっくり動きアリスを捉える。
シューっという息を切る音がその口から漏れ聞こえる。
「コムスメカ」
「あんたがいるってことは、みんないるってことかしら?」
「オマエニシルケンリハ、ナイ」
黒騎士がゆっくりと剣を上段に構えた。と、次の瞬間にはその剣はアリスの胸元にあった。
ガキンっという音と共に、アリスの体が後方に飛ばされる。二回、体を回転させて地面に着地すると、すでに黒騎士は次の剣を横から払っていた。
瞬間的に剣を呼び出して、相手の剣を下方にいなす。横になった体勢の下側を剣が音を立てて通り過ぎた。
その黒騎士を後方からワインハルトが切りつけた。
だが、その剣は空を切る。
黒騎士は体を回転させながらワインハルトの太刀を避けると、そのままの勢いで剣をワインハルトに振り下ろした。
その剣をトニオが受ける。
自分の剣の腹を左手で支え、さらに片膝をつくようにして黒騎士の剣の勢いは完全に止まった。
「強い」
アリスが思う。力だけならトニオの方がワインハルトよりも上のようだ。
ワインハルトの剣がその瞬間に黒騎士の手を打った。
ガキンという音と共に、だが折れたのはワインハルトの剣だった。ワインハルトは驚きに我が目を疑った。刹那、殺気と共にワインハルトは黒騎士の蹴りをもろに喰らっていた。
「くそが」
体勢を立て直すと、ワインハルトは折れた剣を捨てた。黒騎士はすでに次の一振りをトニオに食らわしていた。今度はトニオの体が吹っ飛ぶ。
やはり実力差がありすぎる。
ワインハルトがそう思ったとき、黒騎士は動きを止めた。その懐にはアリスが立っていた。そして手をその鎧のつなぎ目に当てている。
「コムスメガ」
「動かないで答えて」
アリスの目は、黒騎士の顔を睨んでいた。冑の間から真っ赤な目が見えている。
「博士もいるのかしら?」
「モウイナイ」
「他の仲間は?」
「シロニイル」
「何が目的なの?」
「オマエトオナジダ」
「だったら、これ以上手を出さないで」
「ハッ」
「消えて」
アリスの声と同時に、黒騎士は後方へと後ずさり始めた。トニオとワインハルトが驚いて、立ち上がる。
「待て、逃げるのか?」
「逃がすのかよ」
「違う。ただ、その死に様を人前にさらさないだけよ」
アリスは肩で息をすると、二人を見上げた。
「ちゃんと急所を突いた。三人がかりなら、勝てるってことね」
「勝った、のか?」
アリスは右手をワインハルトに見せた。鎧の間から剣を出したのだろう。直接体内に。それならどれだけ強かろうと関係ない。十分な死傷になる。
周りを見ると遥か離れたところに、第一騎士団の残りがいた。もう数えるほどしか残っていない。
「ワインハルト、ありがとう。全滅させられるところだった」
「ああ。相手の恐ろしさは知っていたからな」
「アーガスがいなかったら、何も知らずにやられていただろうな」
状況が分かったのか、ゆっくりと騎士団が集まってくる。
「それから、君も、ありがとう」
「私はアリス。よろしく」
そう言って、アリスは右手を差し出した。一瞬躊躇したものの、トニオはアリスの手を取った。
「あなた、ワインハルトより強いのね」
「何?」
トニオより先にワインハルトが反応した。
「力だけだがな」
「まあ、確かに力は認めるが」
「あなたは、私の味方?」
握った手をそのままに、トニオが顔を傾ける。
「僕の味方ではある」
「ヴァンデルト国を……裏切る勇気はある?」
アリスはその手を離さない。
「だって、私たちを見逃すのって、そういうことでしょ?」
「今回は、そうさせて頂こう。どの道この戦力では任務を達成できそうにない」
「賢明ね」
アリスは手を離すと、ワインハルトを振り返った。
「あんたは?」
「態度が違うくねぇ?」
「ここに残るか、また戻るか」
「戻るさ」
「ヴァンデルト国を裏切るのね」
ワインハルトは答えることなく道を走り出した。それにアリスも続く。トニオは追いかけなかった。やがて騎士団が追いつき、馬にまたがる。
「今日は弔いだ。明朝、ガベドへ向かい出発する」
トニオの声が響き渡った。
「それじゃあ、秘密を話してくれるのね」
「秘密というほどのものじゃない」
ガベドまでの道を走りながら、ワインハルトが答える。
「あのとき、アーガスがもたらした便りの内容を教えてよ」
「僕はメメルの王城に仕える兵士長だった。第一、第二、第三の騎士団をまとめるのが任務だ。メメルの西区を担当している」
「過去の話?」
「そうだ。僕は兵士長を解任された。理由は二つある。どちらも表向きにすべき任務ではないため、多くのものは首になったと思っているだろうね。だが、上部の、例えばトニオ=グレイのような隊長クラスの人間なら、僕の任務を知っている。
西の塔から逃げ出したシャロル=ド=イルカ=ビアンカを連れ戻すことだ。イルカ国のビアンカ姫……ソラが言っていただろう、三十年前に内乱で滅びたと言われている国の、姫だ」
アリスの顔が一瞬曇る。
「なぜ、その姫がメメルの西の塔に監禁されていたのか。僕はそれが知りたくなった。突然の内乱。ヴァンデルト国とイルカ国の交戦地は今のここよりも東だ。イルカ国までの道は閉ざされていたはずだ。サルメ=ムトゥーが調べたところによると、あの西の塔に人が監禁されたと言われだしたのは、戦争が終わってからのこと。順番が逆だった。監禁する理由などなかったはずだ」
「そうね」
「監禁にはおそらく別の理由があったのだろう」
「おそらく?」
「まあ、貴族の慰み者だね。これは仮定に過ぎないが。戦勝国が敗戦国の姫を奪う、それ自体は不自然なことではないのだが、さっきも言ったように、腑に落ちない。イルカが滅んだのは内乱だ」
眉間に皺を寄せながら、アリスもその説に納得していた。キャロット自身が、身に覚えがたくさんあるともらしたからだ。
「もう一つの任務は?」
「聞かないほうがいいかもよ」
「構わない」
「ソラを捕まえることだ」
アリスはさすがに驚いて、その走る速度をゆるめた。
「それは……気が付かなかった」
「僕も、アーガスからの手紙で知った」
「?」
「君は知らないだろうけど、僕はフォルンの東側であの黒騎士と一度対峙しているんだ。突然のことでね、こう、胸を切られた」
歩きながら、ワインハルトは自分の胸を触った。
「そのときソラとキャロットに助けられてね。二人には感謝している。ただ、そのときのショックで僕は自分の任務を忘れてしまっていたんだ」
「ソラを捕まえるの?」
「ガベドに行けばソラを捕まえることができる」
「それは簡単な任務ね。どうしてそんなことをあなたがする必要があるの? それに、それはトニオも最初は知らなかったのでしょ?」
「……そうだ」
「ビアンカ姫以上の秘密がソラにあるのかしら?」
「ビアンカ姫は生かして、ソラの生死は問わない。僕も驚いたよ」
大して強くもなく、剣もまるで使えない。役に立つといえば、料理がうまいことくらいか。あとは色々なことをよく知っていることか。
「生死を問わないなら、捕らえる必要なんてないんじゃないか、てね」
「そうよ、その通りだわ」
「ソラは天才だ。国の学者も認めている。国王はソラのその頭脳が必要なんだ。死んでいても大丈夫らしい」
「そんなことって」
「まあ、僕には分からない世界さ」
「待って」
「ん?」
「どうやらお客さんみたいよ」
アリスは言うと同時に振り返った。ワインハルトもそれに続く。すると、いつの間にいたのか、小さな男が彼らの後ろにいた。フードの男だ。
「手を引いていたのはアリスか」
「お前はっ」
ワインハルトは身構えるも、彼の剣は先ほどの戦いで折れてしまっていた。
「ダルファ博士!」
アリスの怒声に、フードの男は深く頭を下げてみせた。
「今の話、興味深く聞かせていただいたよ」
「今になって、どういうつもりなの?」
「今になって……それはそちらも同じこと。まるで計ったかのようだ」
「計っていたのよ」
「その男には警告をしたはずだが?」
「なんのことか分からないな」
「姫に近づくな。さもなくば……」
「興味ないな」
「帰るのだろ?」
フードの男は笑いながら、今度は視線をアリスに向けた。
「もちろんよ。そうしないと何も始まらない」
「ではそこで会おう」
次の瞬間、フードの男は消えていた。今いた場所に向かってアリスは思いっきり舌を突き出す。
「ふんっだ」
一方ワインハルトは肩で大きく息を吸い込んだ。
「おい、どういうことだ。知り合いなのか?」
「姫に近づくな、だって」
「僕の任務だ」
アリスは一瞬寂しそうな表情を浮かべると、すぐに笑顔に戻り、道を走り始めた。
「ちゃんと説明しろよ。こっちは秘密を話したんだからな」
「ダルファ=ガイ博士よ。フリート=ジンベル、サマセット=イーファ、ラゼル=タイタス。三人の黒騎士を作った博士……そして、彼らとその配下それぞれ十名の騎士団とで謀反を企てた。
私たちはもう何百年もずっとヴァンデルト国と戦ってきた。私はあんたがさっき言ってたイルカ国の残された民の一人なのよ」
「はぁ?」
「目の前の現実としてあんたは受け止めることができるはずよ」
「理解できないな」
「少なくともビアンカ姫の存在は認めているはず」
「そりゃ、そうだ。任務だからな」
「それ以上嘘つくと、私もしゃべらないよ」
ワインハルトは走りながら頭を掻いた。
「わぁったよ。キャロットのことだろ、もちろん知ってるさ」
「彼らは、突然反旗を翻したの。私たちの戦力のほとんどはヴァンデルト国との戦いのために出向いていた。王城は手薄だった。その虚をつかれて」
「じゃあ、イルカ国が滅びたのは」
「彼らが原因よ。その強さをあんたはもうよく分かってるでしょ」
「確かにあんなのが四体もいれば、メメルだって落とされるかもしれない」
「彼らの目的ははっきりしていた。至高の宝石……賢者の石よ」
「賢者の石?」
「ええ、研究者や学者にとって、甘すぎる禁断の蜜……らしいいわ」
「それで、その石は奴らの手に?」
「いいえ。城が完全に落ちたとき、すでになかったのよ」
「それで?」
「石が発見されたのはヴァンデルト国首都メメル! どういうことか分かる?」
ワインハルトの思考が揺れる。
「崩壊よりも先に、石はすでにヴァンデルト国に持ち込まれていた。敵将ながら完全にやられたと思った」
「分からないな」
「それが、西の塔に監禁されていた、とすれば分かるかしら」
「キャロットか」
「そう。正確にはビアンカ姫自身ではないけれどね」
「まだよく分からないな」
「私はビアンカ姫をお守りするように国王に遣わされたの。無事に姫を王城までお連れするように」
「だがイルカ国は」
「滅んだ。歴史上そう思われてるわ。でも、それは嘘なの。イルカ国はあのときのまま存在する。姫と呼応するように」
「そんなばかな」
「イルカ国までくれば分かるわ。でもそのためにあんたは任務を放棄しなければならない」
「しかし」
「敵将ウル。ソラに何をさせようとしているのかしら」
びくっとワインハルトの顔がひきつる。アリスはそれを見逃さない。ワインハルトはまだ何かを隠している。いや、隠しているというよりも、口に出したくないのだろう。
「それに私は誤算をしていた。姫が監視の塔を出た途端、彼らが動き始めた。まるで待っていたかのように。いえ、監視の塔の中を彼らは知る術がなかったのでしょう。私一人では黒騎士には勝てない。それに後の二人はもっと強いはず」
「僕は、イルカ国まで行こう。約束する」
「ありがとう、助かるわ」
走っている彼らの前方にガベドがうっすらと見え始めた。




