Chapter VII フォルン到着
城が落ちる。
彼方から朝日と見まごうばかりに赤く。まだ太陽の昇らない時間。朝告鳥でさえ、まだ目覚めていない。
城が落ちる。
巨大な衝突と金属音とのすさまじい音がここかしこに響き渡る。怒声と金切り声と泣き声とが交差する。まさに終末。一つの歴史が終わる。すべてが終わる。瞬間。
そんな音もまだ小さい、城の奥。
敗北を知らない部屋。
シャロル=ド=イルカ=ビアンカは、装飾の施されたベッドの上で人形を抱えていた。うさぎの人形だ。生まれたときにお婆さまからプレゼントされた大切な宝物。ビアンカの口が歌を口ずさんでいる。小鳥の鳴くような、小さな声で。
「オム サルファ……イルテ ラエルクル ポイム」
ビアンカの歌をかき消すかのように、彼女の部屋の扉が開けられた。ぱっと顔をあげてそこを見ると、父の姿がある。重厚な鎧に身を包み、恐ろしいほどに目を開いている。
「パパ!」
彼はビアンカに近づくと、彼女の両肩に手を乗せた。
「ビアンカ。今からパパは表に行って来る。これが最期の大仕事だ」
口は笑おうとしているが、目だけは厳しい。
「お前は時間になったら、いつもどおり表に出るんだ。あそこから、外へ。いいな?」
「うん」
ビアンカは頷いた。
「よし、いい子だ」
彼はビアンカの頭に手を置くと、立ち上がった。そして部屋から出ていく。
部屋の外で、彼はすぐに柄に手をかけた。いつ襲われるか分からないからだ。城を囲んでいるのは、数十名の兵士。たったそれだけの相手に、この城が落ちているのだ。炎の矢は一度の数十本と放たれる。それが途絶えることはない。
彼は走り出した。
とにかく王として、最期の仕事だ。引くわけには行かない。ビアンカが生きている限り、この血が絶えることなく続いていく。ならば、いいではないか。そう言い聞かせて。
次第に音が大きくなってゆく。
テラスから外に出ると、そこに敵兵が待っていた。
「シュー」
機械のような音がその口元から漏れる。
「ドコヘヤッタ」
「お前らなどに教えるか!」
その日戦争は終結した。
「おいおい、まだ着かないのか!」
「しょうがないだろう?」
「十日なんてとっくに経っちまったぞ」
「あれの速さにあわせてるんだから、贅沢言うなよ」
ソラ=ルトとワインハルト=ジャネは互いに寄り添いあうようにこそこそと話していた。彼らの後ろにはキャロットがいる。手を後ろに組み、周りをきょろきょろしながら歩いている。
「あとどれくらいかかりそう?」
「この分だと、あと二日くらいかな」
「ねえ、ソラ」
気が付いたように、キャロットがソラに呼びかける。
「もう少しゆっくり行かない?」
その言葉にはぁ、とため息がこぼれた。
「むしろ急ぎたいくらいなの! オレ結構やばい橋渡ってんだから」
「大丈夫よ」
「何が大丈夫なもんか。それにワインハルトだって、そろそろ体力が落ちてきてる。早くまともな治療を受けた方がいいに決まっている」
後半は嘘だった。ワインハルトの体力は恐ろしいもので、むしろこの数日の間に完全に体調は回復していた。
「そう? 元気に見えるけど」
嘘はすぐにばれるものだ。
「僕もできれば早く村に行きたい。どうももやもやしていて困るんだよ」
「急げば今日中に村につける。そうすれば体をしっかり休めることができる。キャロットも急いでるんだろ?」
「あたしは急いでないわ。今は安全だし。ぷぷも元気だし」
そう言ってキャロットは笑った。
「服の替え、持ってないでしょ? 気持ち悪くない?」
「大丈夫」
キャロットの服はかなり汚れていた。黒のワンピースに血がびっしりついている。何も知らない者が見れば、驚くほどだ。実際ソラも驚いた。ただ、その血はワインハルトのものだが。
行程はゆっくりしたものだ。森の中とはいえ、小川が道しるべになってくれている。フォルンはこの川沿いにある村落だ。最初のソラの予定では、もうフォルンを抜け、さらに森から外に出ているはずであった。だが、キャロットの足が非常に遅く、予定の半分ほどの速さでしか森を進めなかった。
羽の音と共にぷぷがキャロットの肩に止まった。
「何?」
キャロットが首を傾げて、ぷぷに頬をぶつけた。
「足を止めないでね」
そういうソラだが、キャロットの足は完全に止まっていた。しかたなくソラもワインハルトも立ち止まる。するとキャロットがぐずれ落ちるように、足元から倒れた。
「おい!」
とっさにソラが駆け寄るが、キャロットの意識ははっきりしている。口元に手を持ってゆき、それが小刻みに震えている。
「どうしたんだよ!」
「ごめん、なさい。大丈夫。大丈夫だけど、ちょっと気分が悪くて」
「ぷぷが何だって?」
今までの観測の結果、キャロットはぷぷと意思の疎通ができるようだった。実際どれくらいの意思が通じているのか不明だったが。
「ぷぷは、今フォルンに行ってもらってたの。先に、念のため」
「で?」
「先に通り抜けるか、後にするか。どちらかしかなかった。そうしないと、フォルンを抜けられないから。でも、先に行ってしまったら、二度と戻れない。知らないままになってしまうの。それは避けたかったから」
「意味が分からないよ」
ワインハルトは額に手を持ってゆき、肩を竦ませた。
「いいわ。急ぎましょ。今日中につけるのでしょ」
キャロットは立ち上がり、両手を胸の前で強く握り締めた。その様子に、ソラとワインハルトは互いに視線を交わす。
行程は順調だ。最初からこの速さで移動ができていれば、十日もかからずにフォルンにたどり着けただろう。だが、三時間ほど進み、フォルンが近づくにつれて、キャロットの言った言葉の意味が分かり始めていた。
「なんだよ、この臭いは?」
ワインハルトが眉間に皺を寄せて様子を窺う。このペースで行けば、あと一時間もあればフォルンに着く。だが、距離が近づくにつれて、異常な臭いが漂い始めた。
火と、煙と、死の臭いだ。
「走れるか?」
ソラが二人に目配せをする。どちらも頷いたのを確認すると、三人は走り始めた。
「キャロット、どういうことだ?」
「行けば分かるわ」
何度も聞いたが、キャロットはそれしか答えてくれなかった。明らかに嫌な予感がする。臭いはさらにきつくなり、視界の先には赤く燃える火さえも見え始めた。
フォルンに着いたとき、フォルンはもはや存在しなかった。
小さいとはいえ、村落は完全に燃えていた。火の勢いはむしろ落ちてきている。すべてが終結しているのだ。煙が村を覆っている。見たくもない黒こげの死体があちこちに転がっている。
キャロットは村の入り口で動かなかった。
ソラとワインハルトは村の中を走り回る。だが、何もない。命を感じない。すべての人間は殺され、建物は燃やされている。
「くそったれが、どういうことだよ!」
ワインハルトは戻ってくるなり、キャロットの胸元を掴んだ。
「止めろよ、キャロットのせいじゃないだろ?」
「ごめんなさい」
ワインハルトはキャロットを放した。
「ごめんなさい。でも、見てもらいたかったの」
「説明しろ」
「こうなることは分かっていた。でも、もしあたしたちが予定通りの速さで歩いてたら、この惨劇を見ることなく森を抜けてた。だから、なの」
「誰の仕業だ?」
「あなたを襲った相手よ。ただの一人……」
その言葉と同時にワインハルトは膝をついた。はっきりと覚えていないが、漠然とそれなら納得ができた。
「なんでキャロットが知ってるの?」
「あたしだって、直接知ってるんじゃない。ぷぷが教えてくれただけ。だけど……」
キャロットは俯き、言葉をかみ殺した。ソラはその様子が気になったが、どうしていいのか分からない。とにかく、ワインハルトとキャロットを立ち上がらせると、移動しようと提案した。
「そうだな。だが、遠くまでは行かない」
ワインハルトの言うとおり、その日はフォルンが見える小川の近くで野宿をすることになった。
日が落ちても、暗くはならなかった。
ソラの思考は働いていない。明日、あらためて考えよう。そう思いながら彼は眠りに落ちた。




