第三十章 青天の霹靂
雨は突然始まった。
まずは砂漠、かつて西の森があった場所だ。謎とされていた黒いもやから黒が払われると、それはまぎれもなく水の雫だった。一斉にそれが砂地へと落ち始めた。そこにいたものは誰もが身をかがめた。それほどの激しい雨だ。そして身をかがめるとは、そこに西の森にすむという魔物が消えたことを意味する。ターシャの騎士団の目は普通に戻り、インザ=ヘスキンズ、ボニセット=キャメル、ハンツェル=ロッドファー、アルマ、オルマ、ターキー=ゲムニスは無事に誰も傷つけることがなかった。そして、終結したのだと分かり、泉へと歩き出した。
雨が降る中、森が形成された。
何百年、いや、何万年、何百万年をも早送りしているかのようだった。目に見える速さで木が生え、草が育ち、動物が生まれた。しかし何故だが、人間が通れるような道が存在していた。だが、それは一時的なもののようだ。ターシャの騎士団はその道を利用し、森から外へ出た。すると道はなくなりそこはやはり森となった。森から出たのはターシャの騎士団だけではない。ラド国からの兵士も幾人かいた。ただ、全員ではないのは残念なことだがこの2年の内に亡くなったのだろう。
インザがボニセット、ハンツェルと合流し、さらにアルマ、オルマ、ターキーに追いつくと、森の中の開けた空間はすぐ近くだった。
雨が皆の体を濡らしていたが、寒くはなかった。太陽の光が森の木々に遮られているのに、暖かい日の力を確かに感じることが出来たからだ。
泉へと来ると、まずダニアンが岩のふもとで膝をついているのが見えた。
「ダニアン!」
ターキーが大声でダニアンを呼んだ。気がついたダニアンが立ち上がり、振り返った。泣いていたかもしれないが、雨に濡れた顔ではそれは分からない。皆が集まると、ダニアンは場所を譲るようにして岩を見せた。
「これは?」
「墓だ」
岩にはあの時の天使の胸像があった。もし全身の像だったら、それは本物と区別がつかなかっただろう。雨と泉の水とで、天使は泣いているようだった。
「偉大なるレディー=ファング、ここに眠る。汝は生きとし生きるものと通じあい、権力から遠く、いかなるときも身を焦がすことがなかった。ここには全てがある。汝が愛するすべてのものが。数多の生き物たちと、敬愛すべき姉とが」
ダニアンは胸に手を当てて言った。
「またここに来てそう墓標に刻むつもりだ」
「レディーが、死んだのか?」
ハンツェルが驚いた声を出した。
「ただ1人の犠牲者だ。僕たちの中で」
「ショコラとパンプキンは?」
あたりを見渡してボニセットが言った。
「2人とももういないよ。一緒に旅に出たんだ」
ダニアンは笑って言った。本当に笑っていた。
「僕も一緒にどうかって言われたんだけどね、断った。2人のがいいだろ?」
「そうね。なんだかんだいってあの2人仲よかったわよね」
「ショコラが謝ってたよ、騎士団の官長が抜けてごめんなさいって」
ダニアンがターキーを見て言った。ターキーは腰に手を当てて何があったのか理解しようとしているようだった。
「それからターシャにもまた戻ってくるって。その時はまた騎士団に入れて欲しいそうだ」
「行き先を聞いたのか?」
「僕はね。でも秘密にしておいてくれと言われた。だからそうさせてもらうよ。文句はないだろ」
一度ターキーは下を向くと、笑顔で顔を上げた。それから手を差し出しダニアンと握手をした。
「インザ=へスキンズ、いいかい?」
ダニアンは手を離すとインザ=ヘスキンズに視線を移した。
「ん?」
「今までどおり兵は救援に当てておいてくれないか? ターシャもそうする」
「王が決めることだ」
「雨が止んだ頃に僕は正式な手続きを持ってイドを訪れる。和平を結ぼう」
「俺が決めることじゃない」
「僕もまだ国王じゃない。いいだろ?」
「賛成だ」
ダニアンはインザと握手をした。それから互いに抱擁をする。
「じゃあな。またすぐに会おう」
インザはアルマ、オルマとともに森へと姿を消した。それを見届けた後でハンツェル、ボニセット、ターキー、ダニアンは歩き出した。
「何があったのか話して下さいよ」
ダニアンの隣りを歩いたのはボニセットだった。
「成長されましたね、王子」
戴冠式が予定よりも1年近く早く行われたのには理由があった。ダニアンがターキーらとともにイドを訪れてまだ3ヶ月のことだ。ダニアンが国王になったときに、ラドとターシャが正式な友好国となる話をしてまだ3ヶ月なのだ。イドの国王アルカ=ラド=ラディアはまだ準備が出来ていないと怒っていたが、インザ=ヘスキンズらとともにターシャへとやってきて戴冠式の様子をみたとき、その理由が分かった。
ダニアンの頭に国王アルベルト=ターシャ=ニコラウス3世が冠を載せた。いや、もう国王ではないが。
「ダニアンよ。これからはダニアン=ターシャ=ニコラウス4世としてこの国を治めるのだ。覚悟は出来ているな」
「もとより」
「当たり前だな。出なければこんな真似はしまい」
アルベルトがちらと視線を送った先にはキミト=エルミが立っていた。そのお腹は誰が見ても分かるほどに大きい。赤子がそこにいるのだ。代々国王になるまで世継をもたないというターシャの慣わしがあったために、無理やりダニアンの戴冠式を早めたのだ。めでたいと言えばめでたいのだろう、アルカ国王も腕を組みながらその様子を伺っていた。
「ほれ、挨拶だ。言葉はもう考えてあるか?」
小さい声でアルベルトがダニアンに言った。緊張を和らげるために言ったのだろう、ダニアンにはおかしかった。
ダニアンはついていた片膝を上げると、立ち上がった。それからそこに集まった顔を見た。ハンツェル、ボニセット、ターキー、インザ、アルマ、オルマはもちろん、アルカ国王、ルトス=ターシャ、アルキス=ターシャにロザッティー=ターシャ=アルス、ダウモ=ゲムニスら王族貴族、さらにはターシャの国民の半数がそこにあった。
「ダニアン=ターシャ=ニコラウス4世。まだまだ分からないことが多い。これからもアルベルト、ダウモとともにしばらくは政治を行うつもりだ。ともあれ、一つだけ私はすでに仕事をしたと思っている。おそらく誰もが望んでいながら、実現が難しいことでもあった。今日、ここに、ターシャはラド国と友好国となる」
歓声がその広場を埋め尽くした。
「ここに今ラド国の国王アルカ=ラド=ラディア氏もおられる」
ダニアンの紹介にアルカは片手を挙げた。
「民人の平和をここに、ダニアンの名と」
「アルカの名において」
「宣言する!」
さらに大きな歓声が聞こえた。ダニアンは微笑むと、アルカにその場所を譲った。一言話してもらうためだ。
「アルカ=ラド=ラディア、3ヶ月前にダニアンがわが国に来たときは想像も出来なかったが、未来は現実のものとなった。それも思った以上に早かった。その理由を皆はご存知だろうか?」
歓声がざわめきに変わった。恐らく知っているものも多くいただろう。
「キミト=エルミ殿こちらへ」
さらにアルカが場所をキミトへと譲る。すると歓声はさらに大きなものとなった。
「もうじき新たな生命が生まれる。それこそまさに平和の象徴だ。今宵はあらゆることの記念日となろう」
キミトはお辞儀をすると再び場所をダニアンに譲った。
「さあ、今宵は祭りだ。皆も存分に楽しんでくれ!」
ダニアンのその言葉に皆が手を挙げた。そこには器と飲み物がすでに注がれていた。何万もの手が乾杯の声を待っていた。
「そして、今ここにいないが、この和平の立役者たちに最大の賛辞を送りたい。レディー=ファング、ショコラ=ロリータ、パンプキン=エリコ。彼らに幸が多くあらんことを」
ダニアンは一呼吸おくと、大声で言った。
「乾杯」
ターシャの町に祭りが始まった。この会に参加できなかったものも、遠くから様子を見るしかなかったものも、祭りには参加した。といってもほとんどがただの大騒ぎだ。
ダニアンが振り返ると、父や仲間たちの顔があった。みな器を持っている。キミトがダニアンに器を渡し、そこに酒を注ぐ。
「さあ始めよう。今夜は祭りだ」
ハンツェルとボニセットは2人でどこかへいなくなった。アルベルトとダウモもだ。ダニアンの姉たちもその場を離れ、アルカ国王もインザたちと話し込んでいる。ダニアンはターキーを捕まえて、絡みだした。
「どうにかしてくれ、こいつの酒癖は昔から悪いんだ」
ターキーがキミトを見た。キミトは両足でしっかりと床に立っていて、彼女はお酒を飲んでいなかった。
「私は先に部屋に戻ってるから、後で連れてきてくださいね」
ターキーはため息をついた。
「ははは、こんなに早く国王になるとは思ってもみなかったよ」
「そうですね。それもこれも自分が子供を作るからでしょう」
「そんなもんは副産物だよ。お前は結婚しないのか?」
「今のところまだ、予定がない」
「よし、今度誰か紹介してやろう。お前の好みは、結構ボニセットがタイプじゃないのか?」
「よしてください、気が強いのは苦手です」
「じゃあショコラもだめか?」
「ははは」
「そういえばどうしてるかな、あいつら」
「また戻ってくるって言ったんでしょ。それなら戻ってきますよ」
ターキーはなぜか妙に他人的な言葉を使っていた。それはダニアンが酔ったときのいつもの対処の仕方だった。だが、ショコラの話題が出たとき、色々なことを思い出した。
「そうだな。楽しみだ、驚かせてやりたい」
「王城を広く開放している、とか?」
「そうだな。彼女に劣らない新たな女性官長を何人も、とか」
夜は月に照らされて明るかった。何万もの星が見えるのは空気が澄んでいるからだろう、もし空を見上げてみたらそのまま吸い込まれてしまいそうだ。
2人のところにインザがやってきた。手には新しい酒のビンが握られている。
「まだまだこれからだろ?」
「望むところだ」
ため息をついたのはターキーだった。




