第二章 突然の対決
案の定彼女は西の森にいた。
ショコラ=ロリータ。丸い顔に大きな目、金に輝く髪を短く切りそろえている。前髪を分けて左で束ね、首につけたピンク色のリボンが彼女を年齢よりも幼く見せていた。急いでいたせいか装備は軽装で、とても森に挑もうという格好ではなかった。身を防ぐものといったら、女性用のブレストプレートくらいで、他は多少動きやすい普段着と変わりがなかった。ただ、腰にぶら下げた剣は大きく、おそらく俗にブロードソードと呼ばれる部類に入る剣だろう。およそ普通の女性が扱えるものではない。
ショコラにしてみればひどく突然のことだった。実際気が付くのが遅ければ一日目にして王城の牢獄に連行されていたかもしれない。二日間の非番が幸いした。ターシャの町の行き慣れた食堂からの帰り道、不自然な兵士が看板を立てているのが気になり、兵士が去った後でその看板を見たのは運がよかった。
人相書きと彼女の名前。罪名は王国の宝を盗んだとあったが、そんな大それたことをしてしまった記憶はない。だが、調べられてはまずいことがあるのも事実だった。そのためショコラはひとまず逃げることにした。
だからといって、この町にいて逃げ切れる場所などない。知り合いやつてもあるが、迷惑をかけるわけにはいかない。だったらいっそこの町を出てしまったほうが見つかる確率は下がるし、さらに言えば、西の森へ入れば見つかる可能性はまずないだろう。
そうショコラは考えた。危険だとは分かっていたが、他の手段を考えるだけの時間もなかった。普段から護身用に身につけていたブレストプレートと、使い慣れた愛用の剣だけを持って西の森に入った。始めは貴族が集まる湖が見える近場にいた。それから、対岸へと周り、人の姿が見えるごとに奥へと入っていった。気がつけば、方向の感覚は完全に失われていた。この深い西の森の暗影の中、完全に迷子になっていた。
それでも一ヶ月近く生き長らえることができたのは、王城内で植物学やサバイバルの入門を学んだことにあった。どれが食べられる植物かの判断ができたし、森の中には実際食べられる植物がたくさんあった。もちろん、実経験は初めてのことだったがためらっている余裕もなかった。
だが他にも多くの問題があった。その一つに睡眠がある。2、3日眠らないでいることも訓練したし、無理な体勢で眠ることもできる。それでも、眠っている間に獣に襲われたとしたらひとたまりもない。それに、西の森には魔物が棲むという噂もある。いくら剣に慣れているとはいえ、それは人間を相手にしたときのことである。魔物や獣を相手に剣を振るったことはなかった。
しかし、彼女の心配は杞憂に終わった。思った以上に森は穏やかで、身に危険を感じるほどの恐怖もなかった。もちろん、それは彼女が運良くそれまで獣に襲われなかっただけかもしれないし、まだそれほど森の奥に迷い込んだわけでもなかったのかもしれない。
そんな中ショコラは、森の中に偶然泉を見つけた。草木や木がその周りでは開けており、空が見えていた。彼女は息をつくと、その泉を見つめた。自然にできたとは思えない美しさだ。地面が一部分で隆起しており、その頂上部分から水が溢れるようにできている。そして、隆起した部分の周りを囲むように小さな水溜りを形成していた。
あまりの光景に一瞬気を許そうとした瞬間に、突然気配を感じた。
「追っ手?」
すぐさま剣の柄に手を持ってゆき、慣れた手つきでブロードソードを抜く。気配は泉に向かって右側、再び森へと入って行く茂みの中から感じられた。意識を集中しながら、一歩一歩近づいて行く。およそ4メートル、彼女が一撃で到達できるであろう間合いに入ったとき、その茂みの中に陰が見えた。
そこから見えたのは後姿だったが、明らかに人間のものだった。
「動くな」
ショコラが、その後姿に向かって呼びかけた。それは一瞬驚き、振り返った。その瞬間にショコラは間合いを一気に縮める。それと目が合ったときには、ショコラのブロードソードの切っ先は、その喉もとに達していた。
それは、少年だった。見るからにまだ幼い。黒い髪と黒い目。耳にはピアスがはめられており、ヘッドガードに羽飾りをつけていた。身長は彼女よりも幾分低いだろうか、年齢はおそらく10代の前半だろう。
少年の目はひどく驚いていた。じっとショコラが見つめていると、その瞳が一瞬左へ動く。
「あっ!」
突然少年が大声を出し右手で左を大きく指すと、ショコラはついそちらを見てしまった。次の瞬間に少年は、大きく移動し剣を抜いていた。相手が子供だと油断してしまったとショコラは唇を鳴らした。
少年との間は5メートルほど。ショコラがブロードソードを前に構えているのとは違い、少年は剣を下段に、居合するかのように後ろに構えていた。ショコラは逡巡した。間合い的にはこちらの攻撃は届かない。だが、それ以上近づくのは危険だと肌が感じていた。
「追っ手?」
そのままショコラが少年に話し掛けた。
「人に剣を突然突きつけて、それはないっしょ」
少年の声は予想通り高かったが、内容は好ましいものではなかった。それでもショコラは、少年の様子から彼が、彼女を追ってここにいるのではないと判断した。
「私はターシャ国黄の副官ショコラ=ロリータ。今剣を収めるなら、こちらも剣をしまうわ」
相手の目を見ながらショコラは言った。
「そんなこと知らないよ」
そう言いながら、少年は間合いを詰めた。ショコラは一歩引き、その動きに集中する。向かって左下から少年の剣が振り上げられる。動きだけでも並みの剣士でないことが分かる。そのまま剣を振り下ろされるとまずいと判断し、ショコラは同様に剣を上段に持ち上げ、威力が上がる前に少年の剣を受けた。
金属のぶつかる音が森に響き渡る。同時に近くにいたのか複数の鳥が飛び立った。
5メートルあった間が、このコンマ数秒の間に限りなくゼロになった。二人が、互いの剣を境としてにらみ合う。その時彼女は気がついた。彼の黒かった瞳が、今は白く輝いている。ぞっとした感情が彼女の内に起こり、とっさに彼女は再び少年との間合いを開けた。
「副官というのは本当らしいな。だが、それだけでは説明がつかない。この剣の一撃を耐えられるなんて」
「さあ、剣を収める?」
収めて欲しいとショコラは祈った。ブロードソードで受けたにも関わらず、衝撃が並じゃなかった。ショコラが扱っている剣の半分ほどの太さしかない剣なのに、尋常ならざる力がそこにはあったし、それを少年が出せる力とは思えなかった。
「ショコラ=ロリータと言ったな。その剣に名前はあるか?」
「私は『ラブ=オール』と呼んでるけど」
それが何か? とショコラが疑問をこぼすよりも早く少年は再び間合いを縮めた。突然のことに驚いた彼女は、一歩退きながら彼の剣を受けることしかできなかった。下からそのままの勢いで迫ってくる剣に、なんとかタイミングを合わせる。
再び大きな金属音が響くと、今度はショコラのブロードソードが空を舞った。そして離れた地面に突き刺さる。
それはショコラの敗北を意味していた。
「剣が泣くぞ」
「あんたが強すぎるのよ」
両手をあげて降参のポーズを取る。少年が剣を空に突き上げた。
「これは『エンゼル=ハーテッド』」
そしてゆっくりと背中にあった鞘に戻してゆく。
「久しぶりに楽しめたぞ。また遊ぼう」
その瞳が、言いながら黒く戻って行くのをショコラは見ていた。まるで鞘に収まるのと同調しているように。そして瞳が完全に黒くなると少年はその場に倒れた。負けたはずのショコラが両手を突き上げて立っているのに、少年が倒れてしまったのだ。
「ちょ、ちょっと、大丈夫?」
驚いたショコラが少年の側に駆け寄ると、彼の息はひどく乱れていた。さらに目を開けてはいるが、焦点があっていないようだ。軽く上半身を持ち上げ、額に手を当てる。すごい熱だ。
「ちょっと待ってね」
そう言って周りを見渡すと泉が目に付いた。もう一度少年を寝かせるとそこに駆け寄ろうとしたが、少年の手が彼女の腕を握っていた。ショコラが振り返ると、少年が首を横に振っている。
「何!」
意味もなく語調を強めてしまい、ショコラはしまったと後悔する。
いや、もともと先ほどまで殺しあうほどの勝負をしていたというのにその相手を助けようとするなんて、普通では考えられないことだった。でも、少年の瞳の色の変化と、その幼さがショコラにその行動を起させたのかもしれない。
それでも少年は首を横に振っているだけだ。
しょうがなく、ショコラはもう一度彼の上半身を持ち上げた。
「どうしたの?」
「だい、じょうぶ。すぐ、治る、から」
そして少年は無理に笑顔を見せた。どこが大丈夫なのと、ショコラはため息をついたのだが、その間にも少年の額から流れていた汗の量が少なくなっていた。そして息も次第に落ち着いてくる。
「でしょ、すぐ」
もう大丈夫だからと、少年は立ち上がった。今さっきまでふらふら立ったのが信じられないくらいに足元もしっかりしている。
「本当に大丈夫なの?」
「大丈夫大丈夫」
言いながら跳ねたり首を回したりしている。それから思い出したかのように、泉を指差した。
「そうそう、なんでここだけこんなに開けてるんだと思う?」
少年がショコラに聞いた。けれど、ショコラは答えられなかった。
「水が近くにあって、植物にとって大切な栄養がそろってるって言うのに」
「もしかして、毒、とか?」
少年は頷いた。
「たぶん。少なくともあの水を有害としている植物が多いってこと。人間にどんな影響があるのかは分かんないけど」
なるほど、とショコラも頷いた。それから立ち上がると、膝についていた短い草や土を払った。さらに思い出したように、少し離れたところに地面に刺さったブロードソードを抜いた。それから腰につけた鞘に剣を収める。
「それにしても、初めてかも」
頬を掻くようにして少年が言った。ショコラが振り返ると、嬉しそうに彼が笑った。
「とりあえず、ありがとう、かな」