第二十六章 イン・ザ・キャッスル・オブ・ターシャ
西の森は深いことで有名だ。それは昔からずっと伝わっている変わらない真実だった。アディーヌの名が示すとおり、緑に溢れている場所なのだ。自然が自然として存在する場所でもあった。だが、それが自然だったと気がつくには時間がかかりすぎた。否、時間が経つことによって自然でないものに自然を見出そうとしているのだ。作られた小道、湖の形、いわゆる絵画美というやつだ。絵に描かれる自然の形が、自然本来の形だと誤った認識が貴族を含め一般大衆に浸透していた。だが、いまや森は失われ、そこには砂漠が広がっている。始めは不自然に思われたが、1年という月日もあればそれが自然に思えてくる。引越しをして1年も経てばそこが我が家だと感じるのと同じだ。砂漠は以前からそこに存在していたかのようだった。
だが、さらに1年が経つことによって自然の中に不自然が発生した。それが黒い霧だ。あるいはそれが自然の姿なのかもしれないが、原因が究明されていない以上、原因が説明できない以上、それは不自然にそこに存在していた。そう、それは砂漠の中心部から徐々に膨れて来ているのだ。それを放っておくならば、おそらく1年と経たないうちにターシャの街にまでもそのもやは到達するだろう。一つの、今解決しなければならない謎であるのだ。
「どうする?」
ターシャ王城のテラスに立ち、ターキー=ゲムニスはそのもやの中心を睨んでいた。ターキーの話し相手はダニアン=ターシャだ。現国王アルベルト=ターシャ=ニコラウス3世のただ1人の息子にあたる正当なターシャ国の世継である。そのダニアンも同様にしてもやの中心を睨んでいた。
「国王は何と申されておられた?」
ターキーは質問を取り替えた。昨晩ターシャへと帰還し、2人はターキーの父である現宰相ダウモ=ゲムニス、アルベルトとに挨拶をした。その後、ターキーは父のもとへと行き、ダニアンは国王の元に残った。
「嬉しそうに怒っていたよ。だが特に何も話してはいない。とても話せるような状況ではなかったな。僕はキミトの所へ行っていたんだ、昨夜は」
キミトは2年前にダニアンが結婚した相手である。本名はキミト=エルミ、昔からダニアンの世話をしていた人だ。
「僕はね、自分の身勝手さに本当嫌気がさすよ。あれも嬉しそうに怒っていた。正直ダウモや父上にお会いしたときはあまり感じなかったが、あれに会えてようやくターシャに帰ってきたんだと思うことが出来たよ。情けない話だな」
「聞いてもいいか?」
少し間をおいて、ターキーは遠慮がちにダニアンに申し出た。なんだ、とダニアンは顔で合図をする。
「2年前、つまり西の森へと行ったときなんだが、あのときは、その」
「そうだな。全くばかだったよ」
ターキーの意図を汲み取ったのか代わりにダニアンが説明をする。
「僕は確かにショコラのことが好きだった。あの若さで黄の騎士団副官に登りつめた実力も当然だが、もっと別の魅力があった。もちろん僕は彼女と話したことなど数回しかないし、そのせいもあるかな。彼女はどこか遠くを見ているようだった。まるでターシャから離れていってしまうようで、そのせいで余計に気になっていたのかもしれない。今はこう客観的に見ていられるが、でも当時としては本気だったんだ。だからどうしたら彼女にこの城に留まってもらえるか考えたんだ」
「まるで逆効果だったけどな」
「全くだ。けど、僕はこれでよかったと思っているよ。これが運命だったんだ。彼女は西の森へと行くべきだった。それに、今考えると好きというよりも、憧れ、だったのかもしれないな」
「西の森、か。俺もそう思う。そして、俺たちがあそこへ行くことも運命だったんだ」
「運命か。気楽な言葉だな」
ダニアンはテラスの手すりに手をかけた。
「結局は過去のことだ。未来の運命などどうなるか分からない」
「その通りだ」
「僕はその結果、というか、キミトと結婚することになったんだが、それが正しかったと思う。近くに居過ぎたから気がつかなかったんだな。今はキミトのことを愛している」
「そうか、それはよかった」
ターキーは鼻に手を当てると軽く微笑んだ。
「お前は、ダウモと何を話したんだ?」
「世間話が中心だったな。酒も入っていたし、くだらない話ばかりさ。でも父上はこう言ってくれた。お前たちは白の騎士団の団員だ。俺や国王にもその行動を指示することは出来ない。自分たちで考えて行動しろ、とな。父上たちはまるで俺たちを試してるみたいだ」
「ああ、そうだな。いずれにせよ僕たちが将来この国を支えなければならないんだ。それまでに積める経験は積んでおきたい」
「そうだ。だから、これからどうする?」
「ははは。自分で決めるのだろう」
「俺はもう決めている。ダニアンの意見を聞きておきたいだけだ」
「出来れば、あのもやの原因を調べたいな。僕たちには思い当たることがある。あの日から全てが始まっているんだ。いや、始まりはあの日ではなかったが」
「あの、天使のことか」
天使の姿をした少女のことだ。名前はなく、ターキーは仕方なしのそれを天使と呼んだが、どうしてもそれはしっくりしない言葉であった。もちろんダニアンは直接のその天使とは対峙していないのだが、白の騎士団として行動していく上でその話は聞いていた。
「少なくとも僕はあの光を3度目撃している。森がなくなった瞬間の光ではないが、とにかく不吉な予感だけはした。2年前、7年前、12年前のことだ。正確ではないが」
ラドと戦争を始めたとき、西の森に魔物が住む噂が広まったとき、そして西の森がなくなったとき。だがそんなものは歴史的な偶然に過ぎない。
「そして、その天使によって3年後のことが予言されている」
「考えてみると5年おきのサイクルなんだな。何か理由があるのかな」
ダニアンは返事をしなかった。理由など分かるはずがない、答えることが出来なかったからだ。
「戦争は今、滞っている。覇権を争っているときではない」
「確かにそうだ。戦うべき相手はラド国ではない」
「だが、終戦の宣言を出すことは出来ない。理由もない。だがそう動かなければならない」
「そうだ」
「僕はラドへ行くよ。ひとまずルドへ足を運んで、みなと合流しよう。こちらの情報も伝えなければならないし。その後でイドへ行こうと思う。もちろん、これはみなの意見を聞いてからになるだろうが、みなが嫌がるなら僕は1人でも行く」
ターキーはダニアンの隣りで手すりに手をかけた。そしてゆっくりと頷く。おそらくターキーもイドへ行くつもりだったのだろう。ダニアンは嬉しそうにターキーを一目見た。
ダウモがアルベルトの部屋を訪れたのは、日中の国政が終わってからのことだ。そしてそのときにはすでにターキーもダニアンも旅立っていた。
「気の早い奴らだ」
ダウモは持ってきた酒に口をつけながら言った。アルベルトも同様に酒を口に運んでいる。
「2年ぶりの再会だぞ、もう少しゆっくりしても罰はあたらないだろうに」
「もう酔っているのか?」
そう言うアルベルトの顔もすでに赤かった。まだ酒を飲み始めて10分ほどしか経っていない。
「何も言ってやることも出来ない。情けない限りだ」
「そうだな。結局あれは、すぐにエルミの部屋へ行ってしまうし。1人残されてどうしろというのだ。まずい酒だった」
「ははは、互いに情けないな」
「あいつらはこれからどうするのだろうな」
「ターキーはお前に何か話してくれたのか?」
「いや。昨日報告したことだけだ。ラドも砂漠へは救援部隊を送っていないらしい、やることがないと嘆いていた。こちらから連絡が取れないものだから一度戻ってきたのだろう。これから一体どうするのか、もしかしたら砂漠へ向かうかもしれないな」
「かもしれぬ」
「それは避けられないだろう、遅かれ早かれ。我らが国として砂漠へ向かうときも来よう」
ダウモは酒の入った器を強く握り締めた。
「いや、遅すぎるならターシャが飲み込まれるだけだ」
「誰一人として帰ってくるものがいないのが気になるところだ」
「全滅した、もはやそう判断するしかあるまい。最初の部隊が持って行ったであろう食料はとうに尽きているのだ」
「兵を進めるか?」
「いや、国内への救援物資調達にほとんどの騎士団が走り回っている。青の騎士団でさえだ。赤の騎士団を動かすわけにいかないし、黄の騎士団も内陸部へと派遣されている。それこそ残っているのはまだ騎士団に入る前の見習い兵しかいないが、今進めると将来後悔しそうだ」
再びダウモは器に酒を満たす。
「結局は白の騎士団に任せるしかない。彼らがこの状況を解決してくれると期待するしかあるまい」
「情けないな」
「全く」
アルベルトも再び器に酒を注ぐともう一度乾杯をする。それは国王と宰相というよりも2人の父親の姿だった。息子らの自立に分かっていながらも対処できないでいる姿でしかない。ターシャの国民がこの様子を見たらどう思うだろうか。情けないと思うだろうか、それとも嬉しいと思うだろうか。
まだ城内では忙しく働いているものたちが大勢いる。国王の部屋と言えど、防音が完全になされているわけではない。扉の前を通り過ぎる足音がたびたび聞こえる。その音を遠くに聞きながら、ダウモとアルベルトは机に伏したまま眠りに落ちるのだった。




