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三聖剣物語  作者: なつ
Dear Heart  --愛するものへ--
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 第二十五章 ある重要な二つの断片

 肩を越える赤い髪を、首のあたりで縛っている。着ている服はどこか異国のものだろうか、遠い東方を思わせる、ターシャやラドでは見られない。どこからともなく渡って来た旅人なのだろう。半袖の服にたすき状に掛かった帯、その先がベルトの下で風になびいている。パンツは腰から始まるマントによって隠れてしまっていて見えない、おそらく膝丈くらいのものだろう。

 顔を上げると、その瞳も赤い。このもやのかかった世界にあってもなお赤い。闇を照らす太陽のようだ。

 レディー=ファング。

 幼い頃から動物の言葉が自然と聞き取ることができた。それが普通のことじゃないと気が付いた頃には、貴族の面白い素材として扱われてきた。

 だからレディーは、同じ場所に長く留まらない。それに、彼にはどうしてもやらなければならないことがある。それが例え自分の命を失うことになったとしても。

 それなのにまだレディーはターシャ国にいた。いや、正確にいえばターシャ国ではない。ラド国とターシャ国の中間だ。まだはっきりとした境界線が引かれていない。

 件の地だ。

 ボニセット=キャメルの口車に乗ってしまい、連れてこられた西の森の奥地。おそらくボニセットはレディーの能力を知っていたのだろう。そしてもし森の中で迷子になったとしたら、レディーの能力を使って、つまり動物に現在の位置を確認することで、森から出ようと考えていたのだろう。

 断るべきだっただろうか。でなければここに縛られることなくもっと西まで旅が出来たはずなのだ。シュガーの顔がちらつく。まだ旅を止めるつもりはなかった。知らなければよかった。

 あれから何度も悩んだが、結局レディーは再びここを目指していた。湖から一本の水路を辿っていけばつけるのだからそれほど難しいことではない。だが問題はもやだった。近づけばそれだけもやは濃くなる。いつからこのもやは広がり出したのだろう。分からないが、とにかくあれから1年くらいたった頃にはすでにもやに覆われていた。

 もやと表現しているが、おそらくそれでは上手く伝わっていないだろう。黒い霧というのが近しい表現かもしれない。光を反射することなく吸収してしまっている霧が一面に広がっているのだ。

 視界は悪い。2、3メートル先しか分からない。小川の横を歩いて行くのがやっとなのだ。

 それにしてもこの小川自体不気味だ。雨が降らないのに小川が枯れることがない。水源から溢れているのだ。

 それも目的地に到着すれば分かるだろう。

 ゆっくりとレディーは歩き続けていた。

 時々人の声が聞こえるが、どこにいるのか分からない。苦しそうな声が大半だが、探しに行こうとは思わない。おそらくそのようなことをすれば自分もこのもやに取り込まれてしまうのだろう。

 ラド、ターシャの両国王が救援部隊を送らなかったことは正解なのだ。そんなことをすれば、いらぬ犠牲が増えるだけだ。

 犠牲は少ない方がいい。

 そう考えながら、レディーはため息をついた。そんなにも長い間この土地に住み着いてしまったと言うことなのだ。


 件の地一帯は逆にもやが薄かった。

 次第に開けてきた視界にレディーは口を開けた。小川はそのまま一つの岩場へと進み、そこから流れ始めている。

 ゆっくりとレディーはその岩場に近づいた。

 あれからまるで様変わりをしている。地面から飛び出た岩の高さが2倍ほどになっている。周りに出来ていた水の溜まり場はない。そのまま水は小川となって流れている。そして岩の頂上から止まることなく水が溢れている。

 レディーの目はその中間辺りに釘付けになっていた。

 まるで彫刻のように。

 人の形をした突起があるのだ。半分が岩に飲み込まれていて、そこから逃れようと必死に前へ前へと進んでいるように見えた。

 それでも両手と腰から下は完全に岩の中へと消えている。

 出ているのは顔と胸、肩、そして背中から生えているだろう翼だ。

 まるで囚われの天使のように見えた。

 だがその顔は、まぎれもなくあの時の少女のものだ。

 そう、真っ白な翼と真っ白な瞳を持った少女。レディーの赤い髪と瞳とはまるで対照的に、冷たく頑なな意志をその瞳にしたためているように。

 岩の頂上から流れ出る水が、ちょうどその少女の瞳の部分を伝っていた。

 泣いているみたいだった。

 レディーは手を伸ばすとその両頬を抑えた。岩の冷たさがもの哀しさを増長している。レディーはゆっくりと顔を動かすとその少女の口にキスをした。短いキスでそこから唇を離すと、レディーは俯きそして顔を振る。

「どうして」

 両手はまだその少女の頬に当てられていた。

「どうしてなの、姉さん」

 レディーの小さな呟きはその空間から決して出ることはなかった。




 その光景は輝ける朝だから余計に美しく思えた。木々の間から見えたその人物はおそらくまだ10代であろう、体も小さく顔に幼さが残っていた。その両手には優しく赤ん坊が揺られていた。

 朝の光が木々を貫くように射しこみ、少女を照らしていた。天使がその少女に話しかけているようだった。

 その少女はゆっくりと膝をつくと、両手に支えられた赤ん坊にそっと口づけをした。

 そしてゆっくりと体からその赤ん坊を遠ざけてゆくと体を屈める。両手が湖に達したそのとき、少女から赤ん坊が手放された。

 安らかに眠る赤ん坊は目を開けなかった。それまでずっと羊水に浸かっていたのだ、水は安らぎの対象でしかなかった。

 少女はそのまま手を組み縮こまるように体を震わせていた。泣いているのだろう。

 1秒でも遅れていたら赤ん坊はそのまま死んでいただろう。

 赤ん坊がそこから救い出され、その赤ん坊をぎゅっと抱きしめていたのは1人の男性だった。つい今の光景に目を奪われていたが、我にかえるやすぐさま湖に飛び込んだのだ。びしょぬれのまま男は少女の前に立ちはだかると、少女の胸座を掴み上げた。

「てめー、いきなり何すんだよ、俺の一張羅がだいないしじゃないか!」

 それから少女を座らせると、男は少女の横に座った。

「乾くまで動けやしねえ、これでまた怒られる。いいか、お前責任持つんだぞ」

 男はまだ赤ん坊を抱えたままだった。

「で、何があった!」

 少女は答えなかった。いや、答えることが出来なかった。涙は止まっていたが、まるで状況が理解できていないようだった。

「何か言えよ。俺が偶然通んなきゃ、お前この子死んでたぜ、確実。それにお前だって子殺しがばれちまえばどんな罰を与えられるか分かんねえ」

 少女は泣き出した。声をあげて、まるでお菓子を取り上げられた子供のように。それに釣られるように赤ん坊も声をあげて泣き出す。

「うわ、わ、わ、悪かった、泣くな。泣き止め。まず落ち着け、んで、それから話せ」

 不器用に赤ん坊をあやしながら男は言った。

 次第に少女も赤ん坊も泣き止み、それらかゆっくりとした調子で少女が話し出した。相手は行きずりの旅人だということは分かっている。そのとき将来を誓い合ったが、子供が出来たと知ると、また旅立ってしまった。少女はもともと体が大きな方ではなかったため、8ヶ月くらいまでは親にもばれることがなかった。だが、逆にもはや生むしか手段がなかった。親は怒り子を勘当したが、しつつも家から一歩も外に出さなかった。そして子供が生まれたらここに来るようにと言われたのだ。

「で、何、それで親に言われるままにここで自分の子を殺そうとしたわけ?」

 少女はうなずいた。

「あのね、素直なのはいいことだよ。でもだからって自分の子供だろ、このままさよならでいいわけ?」

 少女は首を振った。

「でしょ。だったら養護施設に届けなよ。そのためにあるんだろ、そういう施設って。国が管理してくれるんだ、ちゃんとしてるよ」

「でも」

「大丈夫だよ、プライバシーはちゃんと守るし、迷惑はかけない」

「でも」

「でもじゃないの、そうすべきなの、分かる? とにかくお前がいくらだめだと言っても俺は連れてくね、断固」

 男は赤ん坊の頭を撫でた。

「お前は家に帰って、ちゃんと湖に捨ててきたって親に言えばいい。後は俺が養護施設まで持ってく、いいか?」

 少女は動かなかった。

「よし、決定だ。お前もまだ若いんだ、よな。きっとまたいい出会いがあるさ」

 男は立ち上がった。まだ服が多少濡れているが、帰る途中できっと乾くだろう。

「ああ、そうだ、名前は?」

 少女も釣られて立ち上がるが、男の顔を見て目を伏せる。

「この子のな。まだないのか、なら置き土産に考えてくれ。姓は適当につけとくからさ」

「ありがとうございます」

「いいから、名前」

 少女はしばらく考えている素振りを見せた。それから顔を上げると言った。

「ボニセット」

 男は口で繰り返すと、満面の笑みを見せる。

「いい名だ。きっと子のこの将来は明るいぞ」

 男が歩き去る間、少女はずっと頭を下げていた。


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