第二十四章 騎士団に入るために
ダニアン=ターシャ、ターキー=ゲムニスがターシャへと戻り、一方でショコラ=ロリータとパンプキン=エリコがイドへと向かったため、ハンツェル=ロッドファーはボニセット=キャメルと2人でルドに残ることになった。
ショコラはずっと手を握っていてあげてといったが、まあ、それは無理な注文だった。だが、それ以上にハンツェルの負担は増えた。それまではショコラがボニセットの食事や着替えなどの面倒を見ていたのだが、それを全部ハンツェルがやらなければならないのだ。はっきり言って、ハンツェルとボニセットが付き合っていることは公然の秘密だった。冷やかそうものならボニセットのこぶしが飛んでくるし、日ごろの訓練が厳しくなるだけだ。それでありながらハンツェルとボニセットはいつも一緒に行動をしていた。ある意味理想的ではあった。
だが、ハンツェルにはどうしてボニセットがこうなってしまったのか、全く分からない。たくさんの話をしてきたが、今までボニセットが溺れた経験を口にしたことはなかった。にもかかわらず、それはボニセットにとってどうやら大きな心の傷になっているようだった。
始めは、ハンツェルは自分がまだ完全に信頼されておらず、ボニセットの傷を埋めることが出来ないからだろうと考えていた。だが今は違った。ボニセット自身が覚えていない記憶なのではないかと考えるようになった。そして、記憶がないところがあるという話を聞いたことがない、つまりおよその人がそうであろうが、ずっと幼いころの出来事なのだろう。
半分意識なく目を開けているボニセットの体を濡れたタオルで拭きながら、ハンツェルは昔のことを思い出していた。
「騎士団に入りたいんだ」
みすぼらしい格好をした小さな少女が、ターシャ王城の入り口で門兵に怒鳴っていた。門兵が全く相手にしなかったからだ。城内にある野外訓練施設からその光景が見えていた。ハンツェルは当時、騎士団にまだ入隊できていなかったが、それは年齢が足りないからだった。騎士団になるには16歳を越えてなければならない。それに満たない若者は、見習い兵でしかない。だが、ハンツェルは見習い兵の中でも飛びぬけて運動量があり、木刀の扱いも熟達していたため、騎士団の練習に混ぜてもらっていた。
「隊長」
ハンツェルが当時の隊長、つまり赤の騎士団の官長であったダリア=ハングトンに呼びかけた。
「あそこ、何事ですか?」
「騎士団に入りたいとわがままを言ってるんだろう。まったく、騎士団をなめすぎている」
「可哀想じゃん」
会話はしているが、ハンツェルは木刀を振り続けていた。
「なんか貧乏っぽいし、帰る場所がないんじゃないの、きっと」
「可哀想なんて言葉を使うんじゃない。相手に失礼だろう」
「それのが失礼だと思うけどね。要するに騎士団になって城から食事をせしめたいんでしょ、いいじゃん、入れてあげれば」
「騎士団に入るにはまず能力がないとだめなの。それに見たところまだ子供じゃないか、見習い兵くらいの年だろう」
「俺みたいにすげーかもよ」
「ばかか」
ダリアは思いっきりハンツェルの頭を木刀で打ちつけた。頭を抑えながらハンツェルがうずくまる。
「何するんだよ」
「それに女の子のようだ。およそ女なんざ使いものにならん。お前と一緒に入隊した中に何人が残ってる?」
ハンツェルは答えなかった。
「今は1人もいない、それが現実だ。女は男が帰ってくる場所を守るのが仕事だ」
そのとき、その少女は門兵を思いっきり投げ飛ばして無理やり城内に入ってきた。
「おいおい、あの門兵何やってんだよ、その女に投げ飛ばされてんじゃないか」
ハンツェルの冷やかし以上に、ダリアの目は少女を睨んでいた。
「訓練止め、整列!」
ダリアが列を整えさせると、ちょうど少女がその近くにやってきた。少女を迎えるようにダリアが動いていたためざわつくものは誰もいなかった。
「名前は」
「ボニセット」
「ハンツェル、木刀を持て」
驚いた顔をしたハンツェルを無視して、ダリアはボニセットに木刀を渡した。
「あいつに勝ったら騎士団にいれてやる。勝負は一本だ」
はじめの合図より先にボニセットは動き出した。そしてハンツェルが木刀を構えるよりも先に、その懐へともぐり込む。
「ひ、卑怯だぞ」
なんて言っているのは相手をなめているからだろう。ボニセットが左から回した木刀を、ハンツェルは自分の木刀の柄の部分で受け止めた。やはり相手は女だ、力が足りない。それを悟るとハンツェルはボニセットに体当たりを食らわした。
一瞬間合いが広がると、ハンツェルは木刀を上段から振り下ろした。吹っ飛ばされて体勢を崩していたボニセットには、その木刀の動きは見えていなかったはずだ。
ボニセットとハンツェルの目が合った。
次の瞬間ハンツェルの木刀が空を切ると地面にぶつかり、ボニセットの木刀が横からハンツェルのわき腹を捉えた。
「そこまで!」
ダリアのその宣言は、多くのことを意味していた。
「どこで習った」
「私は騎士団になりたいの」
「ハンツェル!」
まだわき腹を抑えていたハンツェルにダリアは一喝を入れ立ち上がらせた。
「お前はもういちど見習い兵からやり直しだ」
「た、隊長」
「負けた理由が分かるまで16になっても騎士団へは入隊させない」
それだけ言うと、ダリアは後ろを向き再びボニセットに話し掛けた。
「騎士団は厳しい、耐えられるか?」
「私に耐えられないことはないわ」
「よし。今日からお前は騎士団の一員だ」
ハンツェルにしてみれば初めての敗北だった。もちろんそれまで試合での勝ち負けは何度もあったし、先輩にいいようにやられたこともあった。だが、同年代に負けたことはなかったし、相手は女だ。最高の屈辱だった。
16になったとき、ハンツェルは負けた理由を考えてダリアに話した。その結果無事に彼も騎士団に入ることが出来た。そのときすでにボニセットは先輩であった。はっきりいってそれまでも、食堂で会ったり、廊下で会ったりするたびに2人はいがみ合っていたが、騎士団でボニセットの配下にハンツェルが置かれたことで状況は悪化した。
かに思われた。
「よろしく、ハンツェル。あなたのおかげで騎士団に入れたんだから感謝してもし足りないぐらいだわ」
訓練の初日にボニセットに言われた。最高に腹が立つ一言だったが、その夜食事のとき突然ボニセットがハンツェルの隣りの席に座った。
「本当よ」
そのときのボニセットはひどく弱く見えた。
「何で騎士団に入ったんだ?」
「私ここに来る前、養護施設にいたの。孤児の集まり。減ることはないわ。親に捨てられた子も多いけど、戦いで孤児になった子もいるわ。子供がいるのに、親がいないなんて可哀想なのよ。だから私は騎士になるの。私は子供いらないから、みんなを守るのよ。私がもし死んでも孤児は出来ないでしょ」
「そうかもしれないけど、騎士である以上孤児を作ることになるんじゃないのか?」
哀しさを感じながらもハンツェルはいつものくせでボニセットにつっかかっていた。
「そうね、かもしれないわ」
沈黙が怖かった。
どうしていいか分からなかったハンツェルは、頭を抱えながらつぶやいた。
「てか、孤児はできないけど悲しむ奴はたくさんいるだろ」
ボニセットはまだ何も言わずにいた。
「俺は悲しいぞ」
言ってからハンツェルの顔は赤くなった。
「たく、ガキね」
そう言ったボニセットの言葉に棘はなかった。
それから何年も、2人は同じ場所で食事を取っていた。そのときから互いに色々なことを話して来たのだ。それでも、ボニセットの話に溺れた経験の話はなかった。
そう、これはボニセットの記憶以前の出来事なのだ。
「お願い、捨てないで」
そう叫んだのは、捨てられたからだ。
誰に?
親に……それでボニセットは孤児になったんだ。
どこに?
水の中に……それでボニセットは溺れたんだ。
いつ?
生まれてすぐに……それでボニセットは覚えていないんだ。
ボニセットの体を拭きながら、ハンツェルななぜか確信を感じていた。
「ありがとう」
そう出た言葉は、自然だった。考えて作った言葉ではない。ただ、そう感じた。
「ありがとう、生きててくれて」
ハンツェルの足に、自分の涙がこぼれた。
そのとき、ボニセットの手がハンツェルの手を握った。驚いたハンツェルだったがボニセットを見るとまだまるで意識がない。無意識にハンツェルの手を握ったみたいだった。ボニセットはそのままその手を自分の頬に当てた。ハンツェルはすぐに濡れたタオルを放すと、直にボニセットの頬の熱を感じる。温かい。それから無意識のまま、ボニセットの口が動いた。
「もう少ししたら帰るから、もう少しこのままでいさせてね」




