第二十一章 形だけの白の騎士団
古き名称アディーヌ。
ターシャの王城の書斎に眠る文献にそう書かれている、今西の森と呼ばれている地帯。文献に残されるはるか昔より、そこは緑なす森だった。アディーヌとは、ディーヌすなわち緑溢れたるところを意味する。
それは古い時代から気候がよく、雨も適度に降っていたからこそ形成された自然であった。
では、今目の前に広がるこの砂漠は不自然であろうか?
答えはなんとも難しい。
そうなのだ、あの日以来ここアディーヌに一切の雨が降っていない。この事実をもってして、このありさまを見れば、なんとも自然ではないか。雨が降らなければ森は形成されない、故の砂漠ではないか。
これを偶然とはもはや考えられない。
なぜならすでに2年の月日が経ち、毎年ある雨季の季節はもはや何度も過ぎた。乾燥と水不足が次第に砂漠を形成する。
もっと大規模な目で見るならば、大気の流れが落ち窪む場所に砂漠は作られる。つまりは、より熱帯に近い地域で温められた空気は上昇し、そこに雲を作る。やがてその空気はアディーヌへと流れ比較的に温暖な気候地帯で下降する。そこに雲は出来ない。そう、アディーヌとはそもそも砂漠にこそ適した気候なのではないだろうか。証拠に、東を見れば明らかだ。ターシャ東方の内陸都市フィルプト以東は巨大な砂漠地帯が広がっている。
今まで緑を作っていたのは、たまたま北西より吹く風が海から湿った空気を運んでいたからなのではないだろうか。
だが、どの書物にもその答えはない。
あるとしたら、それは白の騎士団のみが知る恐怖かもしれない。
「これが呪いなのかもな」
ハンツェル=ロッドファーが窓から外を見ながら言った。
「何?」
「ほら、あいつが最後に言った言葉、覚えてるだろ」
「あいつの呪いって」
相手をしているのはショコラ=ロリータだ。さして広くもない部屋に今いるのはショコラとハンツェルと、彼らを隔てるようにして置かれているベッドに横たわっているボニセット=キャメルだけだった。
「私はパンプキン君に呪いが残ってるんだと思ってたけど、あなたの意見に賛成」
「だな。このままじゃターシャもラドもなくなっちまう」
「本当ね。そんなの絶対許さないんだから」
ショコラは握り締めたこぶしを逆の手で包んだ。かっとなってはいけないと自分に言い聞かせているかのようだった。
その時、部屋の外から声が聞こえてきた。どうやらパンプキン=エリコとターキー=ゲムニス、ダニアン=ターシャのようだ。
「おかえり」
ドアが開くと同時にショコラは言った。
「ただいま」
「どうだった?」
「どうもこうも、動くに動けないな、これでは」
彼らは今ルドにいた。ターシャから西の森を迂回し、このルドに入ったのはもう1年以上前のことだ。旅するキャラバンと称して来たのだが、居心地のよさについ長居している一座、ということにしている。
「まだ戦いが本格化していないようで、明らかな行動をとっていないんだ。下手に動けば怪しまれるだろうし」
「そうね」
「それに、こちらとしても早くボニセットに目覚めてもらわないことには」
ボニセットはベッドに横たわっていた。実際目が覚めていないわけではない。一日に14時間くらいは目が開いている。が、目が開いてもただぼーっとしているだけで動こうとしない。
ルドに来てから医者に見てもらうと、精神的な負荷が掛かっておりそれが取り除かれない限り目が覚めないとのことだ。ボニセットがこのような状態に陥るほどショックな出来事が彼女にあったということなのだろう。
「ハンツェル、何かないのか?」
「んなこと言われたってよ、俺だって知りたいくらいだよ。俺はこいつと子供の頃から一緒にいるんだぜ、でも何も思い当たらないし」
「ハンツェルが嫌いなんじゃない?」
「何!」
などと無邪気な意見をいうのはだいたいパンプキンだった。
ただ手がかりと言えば、ボニセットが時々悪夢を見ているかのように発する言葉だけだった。
「水」
「怖い」
「溺れる」
「助けて」
断片的ながらボニセットに溺れた記憶があるのだろうことは想像に難くない。だが、ハンツェルが知る限りボニセットが溺れたことはないのだ。ハンツェルによると、ボニセットは昔養護施設にいたらしい。それが、何があったのか、ターシャの騎士になりたいと都にやってきたのだ。まだラドと戦争が始まっていない頃のことだった。
「やはり養護施設の頃の彼女をもう少し調べた方がいいか」
現実的な意見をダニアンが言う。だが実際調べてみても、彼女が溺れたというような話も、記録もなかった。
「水が怖い、ね。私は反対だけどな」
ショコラが遠い目をして言った。
「みんながどうか知らないけど、私、あの扉に入ったときと出るとき、悪夢みたのよね。真っ暗で絶望的な。それで、昔のことを思い出したの。せっかく忘れるようにってしてたのに」
部屋の中でしゃべっているのはショコラだけだった。今まで一度も話していないことだっただけに、誰もショコラの邪魔をしなかった。
「私はグナの村出身で、グナの村を出る前年はすごい水不足だった。ちょうど今みたいに雨が降らなかったのね。だからその年、グナでは豊作を願う祭りを行った。村の上手にある水源地への祈りの祭りだった。ようするに生贄を捧げるって祭りなのよ。選ばれたのは私の母だった。私も幼かったし、あまり覚えてないんだけどね」
そこで一度だけ言葉を切ってから続ける。
「でも、私の場合、絶望的だったけど希望もあったから。それでターシャの騎士団を知ったんだし、ターシャに来ることもできた。ラブ=オールとも出会えた」
ショコラはそっと脇の柄にふれた。
「助けてっ!」
突然叫んだのはボニセットだ。一斉にみなボニセットを見る。上半身を起こしかっと目を見開いて、両手で頭を抑えている。
「お願い」
「ハンツェル」
ターキーが叫ぶよりはやく、ハンツェルはボニセットの手を取った。そして強く握り締める。
「お願い、お願い」
手はがくがくと振るえ、何度もボニセットは懇願する。
「大丈夫だ、落ち着け」
「お願い、捨てないで」
ハンツェルはボニセットを強く抱きしめた。肩越しに見えるボニセットの目からは涙が流れていた。
そのときショコラはボニセットが恐れていることが直感的に理解できた。だが、ショコラはそのことを誰にも言わなかった。いや、とても言えなかった。
次第にボニセットの呼吸が戻ると、彼女は目を閉じた。それから再び寝息を立てる。それを確認するとハンツェルはボニセットをベッドに寝かしつけた。
「とにかく、僕たちはここで無為に過ごすために来たんじゃない。今やるべきことを考えないと」
「そうだな。俺たちの目的は補給部隊を足止めすることだ。だが、補給部隊なんてありやしない」
ダニアンの責任感をターキーが一蹴する。
「今前線では何が起きてると思う?」
ショコラの質問にダニアンは答えられなかった。砂漠の探索が終わり、互いの兵がおよそオアシスがあったところでぶつかったという情報はある。だが、それも昔のことだ。新しい情報など何もない。
「あまり望ましくないことが起きてるみたいね。一番近いルドにさえ情報が流れてこないんだから。水不足は深刻だし、砂漠の真ん中で水がないなんて最悪。補給さえされない。もう戦いなんてしてられないんじゃないかな」
「誰も後続の部隊として勇んで進むものもいない。国王でさえもその指示を出せない。ターキー、お前はどう考える?」
「父上にも考えがあるのだろう。俺ならば、今こそ補給部隊を出せば砂漠の覇権が得られると思うのだが」
「それをしないのか、出来ないのか。一度ターシャに戻ったほうがいいかもね。こちらに誰も情報をもって来ないのも気になるし」
結局身になる議論にはならなかった。情報がないために、想像と理屈で埋められているからだ。だが、結論的にダニアンとターキーはターシャへ帰ることになった。いざ戦いになってもたいした戦力にならないことは確かだし、ターシャの状況を一度見てくることにしたのだ。
夜、ダニアンとターキーが旅立ったあと、ショコラはハンツェルに提案をした。一つは、つねにボニセットの手を握っていてあげること。
そしてもう一つは、自分とパンプキンとの2人でラド国の首都イドへと行くことだ。
ハンツェルは反対しなかった。
同日夜、ショコラとパンプキンはルドを後にした。




