第十七章 呪い
いつも僕を導いてくれる声が聞こえた。
だから僕は走ったんだ。
その声は僕を包んでくれる、あの声。
扉の中へと。
そしたらそこに、彼女がいたんだ。
だから僕は駆け寄ったんだ。
そしたら彼女が僕に手をさし伸べてくれた。
僕も手を差し出した。
その瞬間、僕の記憶の中の少女が現実のものとなって僕を包み込んだ。目の前の彼女が、僕の手をすり抜けるようにして僕と重なった。
まるで飲み込んでしまったようだった。いや、飲み込まれてしまったようだった。
意識はあった。
でも意志はなかった。
彼女が思う言葉、しゃべる言葉全てが僕には届いていた。
ショコラ=ロリータ。
今はまだ小娘だが、今の内に始末しなければならない。
それは嫌だと叫んだ。
でも声にはならなかった。
僕は見ていた。
映像として、ただ捉えていた。
ショコラの構えるブロードソードがまっすぐ僕に向けられている。
「今助けてあげるからね」
僕は聞いていた。
音として、ただ捉えていた。
でも嬉しかった。
だからショコラに斬られたとき、痛くなかった。
そのとき、ちょっとだけ僕の気持ちが外に出られるような気がした。
だから僕は叫んだんだ。
何度も、何度も。
ショコラ=ロリータは倒れているパンプキン=エリコにまず駆け寄った。すぐ近くに浮いている天使の姿をした少女など二の次のことだった。
「大丈夫?」
パンプキンを抱き上げながらショコラは自分のスカートを無理やり破ると、それをパンプキンの左腕に巻きつけた。聞いておきながら、止まりそうもない左腕からの出血が目に入っていたからだ。
ショコラの声が聞こえたのか、パンプキンはぱっと目を開けた。真っ黒な瞳だ。それを見るとひとまずショコラは安心した。
パンプキンは口を横に広げて笑って見せると、大丈夫だからと立ち上がった。
「お前ら、もう許さないんだから」
天使の声だった。その声にショコラもパンプキンもその天使を見る。純白に輝く翼。それが動くことで、少女の体を宙に浮かせている。その少女の瞳も翼と同じくらいに白い。よく見ると、その少女の左腕も切れている。
少女は腕を組むと、パンプキンをにらみ付けた。
「だいたいなんであんたが私に反抗するのよ。完全に呪えてたはずなのに」
「君は、一体誰なの?」
パンプキンは言葉を選ぶようにして少女に聞いた。その少女の姿は、間違いなくパンプキンの幼馴染のものだった。ただ、それはパンプキンが7歳だったときと同じ姿をしていた。
「私は私よ。せっかく手に入れたと思ったのに。残念だわ」
「パンプキン君の体なんていらないって抜け出したくせに」
聞こえるように悪態をついたのはショコラだ。
「うるさいわね。いいでしょ。だいたいこいつが私の中で叫ばなければ、本当は抜け出る必要なんてなかったのよ。まったく! でもおかげで受肉できたことは感謝かしらね。あの血を引いているおかげかしら。私との波長もぴったりだと思ったのに。相性はいまいちだったってことかしら」
天使の姿をした少女が良く分からないことをまくしたている。横目でショコラはパンプキンが自分の足で立つのを確認すると、再びラブ=オールを構えた。
一方パンプキンは左腕を軽く振ってみて、思ったよりもけががひどくないことを確認すると、エンゼル=ハーテッドが刺さっているところへと移動した。そしてそれを引き抜く。だが、それを握ってみても以前のような強さはない、ただの鈍らな剣と同じ感覚だ。
「なによ、やる気なの?」
少女は浮いている高さを調整しながら、パンプキン、ショコラと同じくらいの高さに視線を合わせた。
ショコラは中段にラブ=オールを構える。
パンプキンは下段後方にエンゼル=ハーテッドを構える。
「そっちこそやる気?」
「当たり前じゃない。もうこうなっちゃったんだから、パンプキンなんて邪魔なだけなんだから」
「なんかおしゃべりになってない?」
「もとがこうなのよ」
舌を出して思いっきり睨みつけると、少女は戦う構えを見せた。ただ手には何も持っていない。
「僕の幼馴染だったってことも嘘だったの?」
パンプキンは少女の目を見ながら声に出した。
「あらやだ。嘘な分けないじゃない。わざわざあんなはずれの島まで遊びに行ってあげてたのに。それに幼馴染よりももっと近い関係なのよ、本当は」
互いの間合いが少しずつ縮まっている。
「ただ、ちょっと思い出を美化しすぎてるとは思ったけどね」
それから声を殺すように笑った。
ショコラはちらっとパンプキンを見た。少女の言葉をどう受け取ったのかは分からない。ただ、同じタイミングでパンプキンもショコラを一瞬見た。
刹那、パンプキンが一気に間合いを詰める。
ぐっと体勢を縮めて膝をつくような格好になりながら、その位置から剣を振り上げる。
だが少女はそれを待っていたと言わんばかりに、剣を上方へと避けた。
「ばかだね。私をそんな普通の剣で切れると思ってるの?」
少女はパンプキンの頭上でお腹を抱えるようにして笑った。
瞬間、影が少女の目の前を上へと移動する。
驚いてしっかりと目を開けるが何もない。いや、いるべきところに人がいない。ショコラ=ロリータだ。
とっさに上を向いた少女だったが、そこにはすでに剣を振り下ろそうとしているショコラがいた。
ショコラはパンプキンを踏み台にして一気に少女よりも高く飛び上がっていた。
避けるのを諦めたのか、少女は両手をクロスして下へと後ずさりするしか他なかった。落下の勢いを借りるように、ショコラのラブ=オールが振り下ろされる。
「私の剣ならあなた自身に傷をつけれるみたいだしね」
ショコラが地面に着地したとき、すでに少女の姿はなかった。だが確かに斬った感覚はあった。
ゆっくりと周りの風景がぼけ始める。ろうそくの火に揺らめくように、水面が風に揺れるように。
と同時に、荒い息が聞こえる。はあはあと乱れた、苦しそうな息づかいだ。
ショコラは再び吐き気を覚えると、地面に四肢を着いた。
「ちょっと油断したよ」
脳内に声が響く。
「もっとお前の剣には警戒すべきだった。でもね、これで終わりじゃない。ちょっと早かっただけ、急ぎすぎただけなんだから」
世界がマーブル状に溶け込み、やがて深い闇が襲ってくる。
「予言しよう」
目を開いているのに、自分の手すら見えない。
「お前らとは5年の後にまた会うことになるだろう。それまで私の呪いを存分に楽しむがいい」
動いても感覚すら感じられない。
「お前らの醜い部分を存分に発揮するがいい」
声が止むと同時に、激しい光が通り抜けた。
「ショコラぁー」
遠くで聞こえる声が懐かしかった。心地よさに、このまま目をつぶっていたかった。だが、事の次第を頭が思い出してゆくに従い、そうもしてられないだろうと、心の奥で自ら叫ぶ。
「大丈夫?」
「うん」
パンプキンの声に、ショコラは自然と答えていた。ゆっくり目を開けると、パンプキンの顔が目の前にある。焦点があってくると、パンプキンの黒い瞳がどことなく潤んでるような気がした。ショコラが目を開いたのに気が付いたのか、パンプキンの表情がぱっと明るくなった。
「大丈夫だから」
ショコラは笑って見せると、パンプキンの腕を解いて自ら立ちあがった。そして周りを見渡す。
ハンツェルがボニセットを背負って立っている。その脇にはターキーと赤髪の青年が立っている。さらに少し離れたところにはラド国の高官2人が1人を支えている。
さらに周りを見渡すと、つい笑ってしまいそうな状況だった。
張り出した岩から泉が作り出され、小川が流れている。その周りに小さな草が生えている。だが、それ以外に緑がなくなっていた。
森が消えてしまった。
そう表現するのが分かりやすいだろう。
分かりやすく言えば、この場所をオアシスとして、全てが砂漠と化してしまっているのだ。
「何これ」
いや、実際は笑っていられるような状況ではない。それでもショコラがお腹を抱えて笑っているのにつられて、そこにいる皆が笑い出した。
ハンツェルも、ターキーも、レディーも。
アルマも、オルマも。
パンプキンも。
ショコラはひとしきり笑うと、落ちていたラブ=オールを拾い鞘に収めると腰に両手を当てた。
「やってくれるじゃないの」
それだけ言うと、再び周りと一緒に笑い出すのだった。