第十五章 集まった役者
ショコラ=ロリータとパンプキン=エリコは、迷うことなく森を歩いていた。泉からターシャへと帰るときに通った道だ。意識的に草木を掻き分けておいたため、今回は苦労なく歩ける。それでも四方から大きな樹木の枝や、羊歯、左右からは丈の長い草が腰の高さまで覆っている。ターシャで見た植えられた樹木など、自然とは程遠いものだと改めて感じる。だがとにかく今はこの道を進むのが安全だ。
もちろんショコラにとって、その道を通ることがどれほど意味があることか分からない。ショコラがやらなければならないことは、ターキー=ゲムニス、ハンツェル=ロッドファー、ボニセット=キャメルを見つけ出し無事に城へ連れて行くことなのだ。だが考えてみると、彼らはまだショコラのことを追っているのだろうし、こちらの容疑が晴れ国王から任務を与えられていることなど知らないだろう。一戦交えることになるかもしれない。あるいは、抵抗なく捕まって城に連れて行かれるというのも面白いかもしれない。
「もうすぐ着くよ」
などと考えていると、パンプキンが前方を見ながら言った。おそらくあの泉があった場所に着くと言っているのだろう。ショコラも前方を見やると、確かに草木が切れた空間が何となく見えている。
2人はそこからものも言わずすたすたと歩いた。パンプキンに迷子になると困るからと、ショコラは彼の後ろを着いて行くことになっていた。最初は妹扱いするなとがなっていたが、効果がないと分かるとショコラはそれに従ってパンプキンの後をついて行くことにした。
そしてまさにその空き地へと足を踏み入れようとしたとき、パンプキンが立ち止まった。どうしたの、とショコラがパンプキンの顔を覗き込むと、ひどく怯えた表情をしている。
「パンプキン君?」
ショコラの声に、びくっとパンプキンが身震いをした。
「だいじょ、うぶ、何でもない」
一瞬だけパンプキンの瞳から色が消えたような気がしたが、その様子はあまりにも短すぎて、ショコラは確信を持てなかった。そのため、ショコラはパンプキンの視線の先を追った。
空けた空間。
ショコラが一歩踏み出しそこを見ると、彼女でさえ動きを止めてしまった。
目を奪うものが同時に入ってきた。
まずはおびただしい血痕。
とても1人分とは思えないほどの血の跡。にもかかわらず、その血を流したものが存在しない。不吉な予感がショコラの胸を走る。
勇気を出してそこへと近づく。
人間の血だろうか、嫌な記憶がショコラの脳裏をかすめる。
「どういうことよ、これ」
「分からない」
律儀に返事をしながら、パンプキンは血の跡とは別のものに目を奪われていた。
それは扉。
扉としか表現がしようのないもの。
泉があった場所に高々とそびえている。10mを越えるのではないかと言うほどの巨大な扉。圧倒的なスケールで存在しているのにもかかわらず、空気に溶けてしまっているようで向こう側が透けて見えている。光が生み出す目の錯覚かと思い、目をこすってみたり場所を変えてみたりするが確かにそこに存在している。ただ、大きさに関わらずそれはなんとも薄い。薄いと表現していいのか分からないが、はっきり言えば厚さがないのだ。ただ扉のみがそこに存在している。
自然とショコラも扉を見つめる。
開いている。
完全にではない。だが、人が通れるくらいの隙間は開いている。そして不自然ながら、その開いている場所だけ後ろの風景がかき消されている。
「え、何。本当に?」
突然パンプキンが大きな独り言を発した。
「どうしたの?」
とショコラがパンプキンに声を掛けたときには、パンプキンは走り出していた。まっすぐとその扉に向かって。
パンプキンは開いている扉の前に立つと、そっと扉に手を掛ける。それから一度上を見上げるとなんのためらいもなく扉の中へと入った。
その瞬間パンプキンの姿が、まるで存在そのものが消えてしまうように、見えなくなる。
あっけにとられ様子をただ見ていたショコラだったが、我に帰るとぎゅっとこぶしを握り締める。
血の跡を調べるべきか。
扉の中へパンプキンを追うべきか。
「もー、しょうがないわね」
ショコラはわざと声に出してそう愚痴をこぼすと、まっすぐ扉へと走った。そして先ほどパンプキンがそうしたように、扉の縁に手を掛けて中を覗いた。
闇と黒がマーブル状に混ざっているようで何も見えない。そっと顔をつっこむと、声に出してパンプキンを呼んでみたが返事はない。もう一度顔を引っ込めると、ショコラは息と唾液を飲み込んだ。
そしてえいっと扉の中へ飛び込む。
そこは不思議な空間に繋がっていた。いや、空間と呼ぶにはふさわしくないかもしれない。
ショコラは扉に入った瞬間から、どうもなんともいえない感覚に襲われた。地に足が着いているのか着いていないのか分からない。まるで落下しているようで、空中に浮遊しているようで。白光しながら黒光し、それがマーブル状に合さっているようで、それでも何も見ることができない。無数の音に満ちていながら、何も聞こえない。嗅覚も、聴覚も、感覚も全てが麻痺をしてしまったかのようだ。いや、逆に多感になりすぎているかもしれない。
「気持ちわるっ」
声に出してショコラが悪態をついた。だがそれも音には変換されなかった。少なくとも自分の耳に、空間を伝わって届くことがない。自意識の中で反響しているだけだ。
妙な吐き気がショコラを襲った。
そういえば以前もこんな吐き気を覚えた記憶がある。ショコラは遠い昔を頭の隅に感じていた。
それは絶望の音。
望みが絶たれたときに脳内に響いた音。その音が吐き気を作り出す。
「うげぇ」
ショコラは倒れこみながら、胃液を吐き出した。
四肢を地につけているのか何の感覚もなかったが、その格好でしばらく体を休めているとショコラの脳に声が響いた。
「やっと会えたね」
女性の、いやおそらくは少女の声だ。ショコラ自身の声でないことは確かだ。にもかかわらず耳で捉えたのではない。自分でものを考えるときのように思考に進入してきてまるで本物の声のように脳内に響く。気持ちの悪い違和感だ。
「すごく大きくなって、見違えたよ」
その声は誰かに話し掛けているようだった。
「もっとこっちに来て」
そこで声は一度途絶えた。ショコラは頭を上げて周りを見た。これまでと何も変わっていない、闇と黒のマーブル状の空間。光があるようで見えず、絶望が頭を悩ませる。
忘れたわけではない。
忘れるはずがない。
ショコラは唇をかみ締めた。悔し涙が頬を伝わってゆく。
「ふふふふふふ」
不気味な笑い声が脳に響いた。ショコラのではない。だが、先ほどの少女の声に比べると質は同じだが幾分低い。
溜めていた鬱憤を晴らすかのような笑い声だ。
一層の吐き気がショコラの胃を襲う。
「ようこそ」
声がそう発すると同時に、激しい音と激しい光がショコラを襲った。瞬間、ショコラはそれに飲み込まれる。
その次の瞬間、ショコラの四肢は地に着いていた。白く光る下はおそらく大理石だろう。それが一面に敷き詰められている。
それを感じると、ショコラは自身の息がやけに乱れているのに気が付いた。ゆっくりと呼吸を整えると、一度頭を振ってから立ち上がった。
どこまでも広い空間だ。だが建物の中のようで、空は見えていない。辺りを見渡すと案外近くに人がいる。
見知った顔もあるが、合計で7人。一所に固まっている。その内倒れているのが2人。ボニセット=キャメルだ。赤の騎士団で、ショコラがターシャの騎士団に志願したとき世話になった。深く傷を負っているのか、ハンツェル=ロッドファーに膝枕され、目を閉じている。
「ショコラ!」
ショコラの存在に気が付いたターキー=ゲムニスが叫んだ。それに合わせるように赤い髪をした青年も振り返る。長い髪をたなびかせると腰に手を当てて肩をすくめた。
「こんなところで会えるなんて、ばかげてるな」
そんなセリフを吐き終わるとレディー=ファングは髪をかき上げた。
それからもう1人倒れているのは男だ。赤と白のストライプといえば、ラド国の国装だ。2人のそっくりな男の間に倒れている。服には白い部分を隠してしまうほどの血が付いている。
ショコラが声を掛けようとすると、それ以上に早く声が空間に響いた。
「ようこそ」
その声は間違いなくパンプキンの声だった。
声の先を探すと、自然と7人が間を開ける。どうやらその先にパンプキンがいるようだ。間から見えたのは、大理石が積み重なり、見たことのない文様が刻まれている段と、ちょっとした高台、そこにある椅子だ。そしてその前にパンプキンが立っていた。
「パンプキン君」
そう叫んでショコラはパンプキンの元へ駆け寄ろうとしたが、ちょうど7人のところで彼女は立ち止まることになった。
真っ白な瞳。
パンプキンの瞳が白く光っていたのだ。