第十四章 ダニアン動く
ショコラ=ロリータとパンプキン=エリコが再びターシャを出発して丸2日が経とうとしていた。
ダニアン=ターシャはかつてターキーとよく語らったテラスに来ていた。一望できる町がどこか暗く見えるのは、ダニアンの心の表れかもしれない。見るものが曇って見えるのは、ダニアンの心に陰りがあるからなのかもしれない。ぼんやりとダニアンは考えていた。
「ダニアン王子」
いつの間にダニアンの後ろにいたのか、キミト=エルミが立っていた。
「どうしたのですか、王子。そろそろ夕食のお時間ですよ」
「キミト。ここには今僕しかいない。2人でいるときは堅苦しい言葉を使わないでくれと言っただろう」
「はーい」
キミトはちょっと間の抜けた返事をした。社交界や国王の前では決してできない態度だ。キミトはダニアンが彼女にこのような態度を要求するのは、ダニアンがキミトに心を許し始めているからだろうと考えていた。
自然とキミトの頬が緩くなる。
キミトは偶然ターキーとダニアンがこうやって話しているのを見たことがあった。2人が子供の頃から幼馴染であり、いつも2人で遊んでいたからそれが自然なことなのだろうと考え、ターキーの態度を咎めることはしなった。それに、緊張なく話している2人の様子が一目で気に入りそれ以来キミトはダニアンのことを意識するようになった。ロザッティー=ターシャ=アルスが国政に忙しいとき、キミトとルトス=ターシャ、アルキス=ターシャがダニアンの子守りをしていた。キミトが子守りに携わっていたのは、偶然ルトスと歳が同じで、ダニアンとターキーのように2人が幼馴染だったからだ。
それでもキミトがターキーの子守りをしていた10数年、キミトはダニアンに打ち解けた言葉を使ったことはなかった。
それが当然だと思っていた。
だから、キミトがルトスと10代の頃にしていた女の子会話のような口調で気を抜いた言葉を使うのは逆に気を使うことだった。
「ダニアンはよくここに来るよね」
「ああ。僕はここが好きなんだ。ターシャの町が一望できる」
「ふーん」
そう相槌を打ちながら、キミトはダニアンの視線を追った。ぐっと高く見つめられているその先は、太陽が傾こうとしている方角だ。
町の外の森へと視線が注がれている。
ターキーが仲間とともに入った西の森。
そしてショコラ=ロリータが再び入っていった西の森。
ズキッとキミトの胸に痛みが走った。
「大丈夫かしら」
気丈に、ダニアンと同じ視線を森へ向けてキミトが言った。
「大丈夫さ。ハンツェル、ボニセット、それにショコラだ。国の最高レベルの兵士たちなんだ。大丈夫に決まっている」
「そうね、だといいけど」
引っかかる言い方だとダニアンが感じキミトを振り向こうとしたとき、ダニアンの瞳が何かを捉えた。
森の中ほどだろうか、激しい光が天と地とを結ぶような。
でもあまりにも一瞬すぎて、改めてその場所を見ようとしてももはや何もない。森のどこかも分からない。
「今、見たか?」
真剣なまなざしでダニアンは森を睨んだ。
「はい?」
キミトのその返事だけで、ダニアンはキミトがその光を見なかったことが分かる。自分の気のせいだったのだろうか。
それでもダニアンの胸に、不吉な思いが走る。
西の森は深いことで有名だ。一度入ったら二度と出られない。話には、魔物が住むという。人を食らう、恐ろしい魔物。
「僕は」
しばらく森を睨んだ後で、ダニアンは小さく呟いた。
「ダニアン」
泳いでいるダニアンの瞳を見て取ると、キミトは優しくダニアンの名を呼んだ。
「私ね、時々思うの。私はダニアンが国王の息子じゃなかったらよかったって。でも、国王が私の願いを聞き入れてくれたとき、とても嬉しかった。もちろん、私だってダニアンが私のことを思ってくれたらって思うわ」
視線を合わさずに、キミトはターシャの町並みを見ながら続けた。
「気持ちは変わらない。私は今でもずっとダニアンと結婚できることを幸せに思ってる。でも、少なくとも今のダニアンはちょっといや。地に足がついてないみたいで、ダニアンの意志を感じない」
キミトはダニアンが怒るでもなく、彼女を見ているのに気がついていた。キミトはそれを避けるように、城内への扉へと足を向けた。
「私はあなたを信じてる。約束は破らない。私は待ってる。一ヶ月が過ぎても、待ってるから」
ダニアンは、キミトが城内へ姿を消してから自分にだけ聞こえるように呟いた。
「ありがとう」
ダニアンが国王アルベルト=ターシャ=ニコラウス3世の部屋を訪れたのはそれからすぐ後のことだった。昼間の仕事を終え、リラックスした格好をしていたアルベルトは快くダニアンを迎えた。
「どうした?」
「ご休息のところ申し訳ございません」
構わん、と答えながらアルベルトは笑っていた。息子が訪ねて来たことが素直に嬉しかったのかもしれない。
「母上は?」
「今湯浴みしておる。ロザッティーに用があったのか?」
「いえ。父上にです」
ダニアンがここまで一切表情を崩さなかったことから、それなりに重要な話だと理解したのか、アルベルトはダニアンを向かいの椅子に座らせた。
「どうした」
「僕は、ようやく決心がつきました」
ダニアンのどこかもって回したような表現に、アルベルトの眉があがる。
「まさかキミトとの婚約を取りやめるとかいうんじゃないだろうな」
「いえ。僕はキミトと結婚します。それはもう決めてますし、むしろそれでよかったと思っています」
「では、何の決心がついたと言うのだ?」
「僕はいつも周りを頼っていました。他人任せでした」
アルベルトの目をしっかりと見つめてダニアンが続ける。
「いつも周りに守られて、城に守られて。でも僕はそれではいけないと思うのです。僕は守られるような人間じゃない」
「城を出てゆくとでも言うのか」
言葉を選びながらアルベルトがダニアンに聞いた。
「周りを守れる人間になりたいのです。ターキーに頼るのでなく、ショコラに頼るのではなく。自らの手で、罪はあがないたいのです」
ガンっとアルベルトは膝を打った。だが言葉は発せず立ち上がると、ダニアンの肩に手を置いた。
「誰に似たんだかな」
その言葉にダニアンが顔を振り上げる。
「1世にそっくりだ」
ポツリとアルベルトが言葉をこぼす。
「あれもお前みたいだったらしいぞ」
続いてアルベルトはダニアンの髪の毛をがさっと掴んだ。
「僕は西の森へ行きます。例えダメだと言われても抜け出します」
アルベルトは声に出して笑った。
「西の森は危険だ。供に数名の兵士をつけさせよう」
「気持ちだけで結構です。自分で揃えます」
「全く」
アルベルトは部屋の窓際へと行くと、外を見やった。
「ロザッティーにはうまく伝えておく。今宵のうちに城を出よ」
「ありがとうございます」
「国王としてお前に命令を出す。ターキー、ハンツェル、ボニセット、ショコラ。以上四名を必ず無事に城へ案内せよ」
ダニアンは片膝をつくと、深く頭を下げた。案内するためにはダニアンも無事でなければならない。言外にあったダニアンへの心配の言葉を心の奥にしまいこんだ。
ダニアンは立ち上がると、廊下への扉の前に移動した。そこでもう一度会釈をすると、声の調子を和らげて言った。
「無事に帰ってきましたら、もう一度父上と呼ばせてください」
アルベルトは背を向けたままであったが、片手を挙げてそれに答えた。
ふーっと、アルベルトは長いため息をついた。ダウモからあらかじめ言われていたことだった。キミトと婚約をさせ、ショコラを再び西の森へ向かわせるならば、ダニアン自身も西の森へと向かうでしょう。
「そのときはどうするつもりですか?」
頭の中でダウモの言葉が繰り返される。
「そのとき考えるさ」
などと言っていたが、考える時間なんてまるでなかった。1人でダニアンが部屋に来た時点から頭が全然働かなかった。ダウモと一応は相談をし、ダニアンが城の外で経験を積むことはいずれ必要だとは思っていた。
だがこんな形ではない。ましてや西の森に向かわせるなど、自分の愚かさに虫唾が走る。これでは子殺しの罪に処せられようと、何の文句も言えないではないか。
なぜ止めなかったのか。
後悔が何度も鼓動を早める。それでも、ダニアンのあのまじめな瞳を見てどうしてその希望をくじくことが出来よう。
「お前もそうだったのか?」
ダウモがターキーを西の森へ向かわせたときの気持ちを、アルベルトは慮った。
「久しぶりにお前とまずい酒を交わしそうだな」
そう呟くと、今度は気持ちだけを元気にしてアルベルトはダウモの部屋へと向かうのだった。