第十二章 思惑・疑惑・確信・核心
その様子は、あらかじめ2人を待ちわびていたかのようだった。ショコラ=ロリータとパンプキン=エリコが王城への門へとたどり着いたとき、門は開かれていた。いや、もちろんのこと待っていたとしたらショコラだけだろうが。門の横に控えている兵が槍を持ち無関心を装うかのように立っているが、横目で2人を見ていることなど2人とも感づいていた。
「どう思う?」
城内へと足を踏み入れる前にショコラはパンプキンに耳打ちした。
「気のせいだったんじゃない?」
「何が?」
「ショコラが賞金首だったってこと」
「そんなはずないわよ」
「ほら、見間違えてて実はショコラじゃなかったとか」
「何よ、この間宿では納得してくれたじゃない」
パンプキンはあはは、と笑顔を見せた。本気で言っていないことは分かるが、現状が理解できない。少なくともあの宿の主人はこの現状を知らなかったはずだ。ショコラはパンプキンの笑顔につられるようにして城内へと足を踏み入れた。
ショコラがここに来てから何度も通った道だ。
左手側が兵の宿舎、右手が訓練施設や会議場などターシャの町民に開かれた場所。そして正面には王族が生活をしている、いわゆる城だ。
ショコラとて、その城の中に入ったことは数えるほどしかない。黄の副官へと昇進したときに、王より直にその祝いの言葉をもらったのがもっとも最近のことだ。
懐かしい声が聞こえる。おそらく訓練施設の中で行われている稽古の声だろう。左手の宿舎からは見覚えのある顔もたくさん覗いている。
だが、誰も2人の元へと歩み寄っては来なかった。
「ショコラ=ロリータだな」
まさに城の入り口へとたどり着いたとき、その扉の脇に立っていた近衛の兵士が言った。もっとも、その兵士はショコラの部下であったが。
「みりゃ分かるでしょ」
いらいらしていたのか、ショコラは腰に手を当てるとぶーっと唸った。それでも、次の瞬間ショコラの瞳は潤んでいた。懐かしさが勝ったのだろうか。
「ただいま」
その言葉に兵士は返事をしなかった。いや、出来なかった。何かを言おうと口を動かしてはいたが、それは言葉にはなっていなかった。その様子をショコラは見て取り、軽く笑って見せた。それから兵士の目がショコラの隣りに立っている少年に注がれた。
「パンプキン君よ。私の友達」
文句ある? という言外の意味がそこには込められていた。
「王以下が待っている」
兵士は扉を開けると、中へと促した。2人はそれに従うように中に入ると、そこには別の兵士が待っていた。城内警備を担当しているもので、ショコラの管轄とは違い顔は知らなかった。
「あとは彼が案内するので、ついて行ってください」
「ありがとう」
ショコラがそう言って、城内を見ようとしたときその兵士があっともらした。何、とショコラが振り返ると、兵士はしっかりと背筋を伸ばし胸に手を当てていた。
「副官殿。お帰りなさいませ」
素早くそれだけを言ってお辞儀をすると、兵士はその扉を閉めた。
以前もそうであったが、城内の案内は複雑だった。2度3度と階段を上がっては下り、通路を進んでは角を曲がる。防衛のためにわざと複雑にしてあると聞くが、では入り口に戻ってくださいと言われても迷わず戻れる自信はいまいちない。
そして案内された部屋はかなり進み、城の片隅まで来たのではないかと思われた。扉の前で案内をしてくれた兵士は挨拶を軽く済ませると、2人の前から姿を消してしまった。仕方なくショコラがノックをすると、中からどうぞと声が聞こえる。聞き覚えのある、宰相の声だ。
扉を開けて中を見ると、案の定小さな部屋だった。中央に燭台の置かれたテーブルがあり、人が計4人座っている。まず奥に見えるのが国王であるアルベルト=ターシャ=ニコラウス3世だ。それから隣りには彼の妻にあたる現王女、ロザッティー=ターシャ=アルス。テーブルの左手には宰相であるダウモ=ゲムニス、その反対には王子であるダニアン=ターシャだ。つまり、現ターシャ国の最高階級の面々が顔をそろえた豪華な場所でもあった。
さすがに緊張をしたのか、ショコラはそこで一時躊躇した。
「まあ、座りなさい」
ダウモが2人を促した。情報がすでに伝わっていたのか、椅子は2つ用意されていた。ショコラは失礼します、と一言告げるとその席についた。倣うようにパンプキンも席に座る。
すると、別の入り口からティーポットを持ったルトス=ターシャが入ってきた。ダニアンの姉に当たる、第1プリンセスだ。第2プリンセスに当たるアルキス=ターシャはすでに結婚をし、ヴィットール=マーチンという貴族と王城内で暮らしている。
ルトスが2人に茶を注ぎ終わると、アルベルトは一つ咳払いをした。それに合わせるようにしてダウモが話し始める。
「ショコラ=ロリータ。ここで話される内容は、ごく秘密にされて頂きたい。今後のターシャを担う、非常に大切なことなのだ」
「納得のいく説明をして頂けるのなら、ね」
「ショコラの人相書きを町に張り出したのは今から76日前。それは私の息子であるターキーが発案したこと。と、表向きはなっている。だが、実際は違う。我々は初めからそうする予定であった。それも、君が非番の時をあえて選んで貼りだした」
ショコラは困惑の表情をした。
「目的は2つあった。それは西の森についてだ。長年の君の性格から、我々はおそらく君が西の森に身を隠すだろうことは想像していた。そして案の定そうなった」
「すべて予定通りだったってことかしら」
「我々は君の腕が並じゃないことを知っていたし、その腕も信じていた。それゆえ、君が西の森に入ったとしても生きてゆけると信じていた」
「ありがとう。褒め言葉と受け取っておくわ。それで、何が目的だったの?」
パンプキンは隣りで不思議そうにショコラを見上げていた。いつもよりむ数倍言葉づかいが硬かったからで、無理をしているように思えた。実際王城内で生活していたときは、そうやって自分を実年齢より高く見せていたのかもしれない。
「結果はそのまま。君が追っ手につかまるだろうことは考えていなかった。そして、何人もの勇敢な者たちが西の森へと足を運んだ。つまり、西の森を探索することが、一番の目的だったのだ」
「納得いかない」
「もちろん、それは目的の最初の一歩に過ぎない。大切なのは、その後のことだ。西の森を探索し、我らの知るところとなれば敵国であるラド国への道が開けるわけだ。つまりは奇襲が可能となる」
そこでダウモは言葉を切った。
「でも、どうして私1人なの?」
「確かに、君に1人で西の森に入ってもらうのは心苦しい選択ではあった。特に君は周りからの信頼も厚く、人気があったから。それでも君が選ばれたのは、それなりの理由がある。つまり、君が何者なのか、どうしても調べなければならなかったからだ」
ショコラの心臓が激しく跳ねた。
「それについては、ここで今どうこう言う気はない。現に今、君がこの場にいてここでこうして話しているのだから。それに、副官の称号を奪う気もない。いや、むしろそちらのが好ましいだろう」
「そう」
ショコラは冷静を装って、軽く返事をした。そして沈黙が続くと、ダウモは咳払いを一度してから言った。
「どうやら、納得してくれたみたいだな」
「ちょっと待ってよ」
ショコラが俯いたのに対して、パンプキンが口を挟んだ。ダウモはパンプキンを軽く一瞥だけした。
「僕は納得いかないよ、そんなの」
「君が誰か知らないが、ショコラの友達と言うことで今ここにいてもらっているだけで、それ以上でもそれ以下でもない」
「そんなことはどうでもいいんだよ、おっさん」
最後の言葉に、ダウモはがっと立ち上がった。とっさにショコラがパンプキンを抑えようとしたが、パンプキンはやめる気はなかった。
「そんな秘密のことに僕を参加させるなんて、馬鹿じゃないの。それよりも、今おっさんが言った理由、本当の理由じゃないでしょ。目的は2つ目だけが本題で、1つ目なんて後で取ってつけたかのような理由じゃないか」
「なんだと」
「ダウモ!」
激昂しようとしたダウモをアルベルトが制した。
「そんな子供だましの理由で納得させようなんて、虫が良過ぎるよ。どうして素直にごめんなさいが出来ないの? 間違いや手違いなんて誰にでもあるじゃないか」
「分かった」
パンプキンを睨みつけていたダウモの代わりに国王であるアルベルトが答えた。
「このたびの事件は私の采配ミスであり、ショコラに心的な苦痛を与えてしまった。赦していただきたい」
「そんなお言葉、もったいないです」
「私からもお願いします」
今度はロザッティーが頭を下げた。隣り側の席に座っていたダニアンも頭を下げていた。その様子をみてから、ダウモもすまなかったと立ったままお辞儀をした。
「もういいです、いいですから」
手を振りながらショコラが困ったかのように、返事をする。そしてひそかに隣りで得意顔をしているパンプキンの背中を叩いた。
その後国王と王女、宰相は順に部屋を後にした。ショコラは立ち上がる力もなくお茶をすすりながら座っていたのだが、王子であるダニアンがいつまでたっても部屋を出て行かなくて、ひそかに居心地の悪さを感じていた。
「ショコラ……さん」
そのダニアンが、ふとショコラに話し掛けた。
「何でしょう、ダニアン王子。その前に、さんはつけないで下さい」
「では、ショコラ。すまなかった。本当に申し訳ないと思っている」
ダニアンはずっと俯いたままだった。その様子を訝しく思ったのか、ショコラがダニアンをじっと見つめた。するとダニアンはいよいよ小さくなる。
「そんなお言葉、私には過ぎたものです。結果的に無事だったんですから、何もダニアン王子が気にすることではございません」
ショコラはティーカップを横に移動させると、頭を下げた。
「いいえ。僕のことは、どうぞダニアンと呼んで下さい」
それは出来ないですよ、王子様。とひそかにショコラは思った。
「それに、今回のことは元はと言えば僕のわがままから始まったことなんだ」
「顔を上げてください」
ショコラの言葉に、ゆっくりとダニアンが顔を上げる。どことなく目が腫れている気がする。
「この会議に僕が参加させられたのは、そのことを君に告げるようにと父とダウモが考えてのことだったんだ。だから」
夜眠れなかったのか、泣いていたのか、ダニアンは年齢よりもずっと幼く見えた。
「僕は、君が昇進して副官になったことを素直に喜べなかった。責任が増せば、それだけ危険が増える。たとえ黄の副官だろうと、ルド国との戦争が本格化すれば君は戦地に赴くかもしれない。だから、僕は君を城に縛り付けておきたかった。どこかへ行って欲しくなかった。それをターキーに相談したんだ」
ダニアンは淡々と語っていた。
「ターキーが提案してくれたことが、もともと決められていたことだなんて僕は知らなかった。君を苦しめてしまって、僕は辛かった。僕は馬鹿だった」
ダニアンの瞳が潤んでいる。それは悔しさの表れだった。
「そのうえ、ターキーまでも西の森に行くと言った。どうして僕は止めなかったんだろう」
「ダニアン」
呼び止めたのはパンプキンだった。ダニアンは怒った風もなく、パンプキンを見て何だい、と言った。
「僕はよく分かんないけど、悔やんだってしょうがないと思う。じゃあ、どうするかを考えないといつまでたっても進めないよ。それに、言うべきことがあるんじゃないの、ショコラに。なんなら、僕は外で待ってるけど」
驚いた表情をし、それから一度笑うとダニアンはまずパンプキンに言った。
「いや、いいよ。君はここにいて欲しい。それから、ショコラ」
そして次にショコラを見つめると、はっきりとした口調で言った。
「僕は君のことが、ずっと好きだった」
時間は分からないが、ショコラはしばらく呆けていた。全くもって想定外の告白をされてしまい、ショコラの思考は完全に停止していた。
「すまない。これだけはどうしても言っておきたかったんだ」
「ありがとう、ございます」
ようやく動き出した思考に働きかけて、ショコラは何をどうすればいいのか必死に考えていた。
「王子様にそのようなお言葉をいただけて、身に余る光栄を感じます」
言葉はちゃんとしているが、ショコラが動揺していることは明らかだった。その言葉にダニアンの表情が一瞬明るくなった。ダニアンの表情を見てから、ショコラは俯いて続けた。
「ですが、申し訳ありません。王子様は、私のことをもうご存知なのでしょう?」
「何のことでしょう」
ショコラの顔は伏せたままだった。
「僕は何も知りません。ダウモは何も教えてくれませんでした」
「そう」
再びショコラは曖昧に返事をした。
「たとえ知っていようといなくても、私は」
「いいんです。もう、そのことは。ただ伝えておきたかっただけですから。それに、僕はもう結婚することになったんです。式は来月に催される予定です」
まくし立てるかのように、ダニアンは一気に言った。
「申し訳ございません」
がたっと音を鳴らして、ダニアンは立ち上がった。それから笑顔をショコラに向ける。腫れていた瞳を隠すようにつぶっている様は、流れそうな涙を隠しているかのようだった。そのままダニアンは靴音を響かせながらショコラの横に来ると、顔を見ることなく告げた。
「それでは、王よりさずかっていますショコラへの命令を伝言させていただきます」
前置きを入れた後でダニアンは、といっても僕のお願いからこれも始まっているのですが、と加えた。
「再び西の森に入り、ターキー以下ハンツェル=ロッドファー、ボニセット=キャメルを無事に城へ連れ戻すこと」
ダニアンが部屋から出て行ってから、ショコラは大きく息を抜くと椅子からずり落ちるかのように、だらけた格好をした。
「あー、びっくりした」
心臓がまだ激しく打っている。それがダニアンの告白が理由なのか、それともダウモが知りえた事実によるものなのか、ショコラには分かりかねていた。
「僕もびっくりした」
きょとんとした表情でパンプキンが言った。
「パンプキン君は何にびっくりしたの?」
そのままの体勢で、天井を見つめたままショコラが呟く。
「僕はターシャ国の様子を見たら一度ルドに戻る気でいたんだ」
「パンプキン君ってラド国の人?」
「違うよ。僕の故郷は海の向こうの島だって、前に話したでしょ。ルドに戻るのは約束したからだよ」
「そっか」
「だから、もうちょっとショコラと一緒にいられるね」
がばっと体勢を立て直してショコラは椅子に座りなおすと、隣りに座っていたパンプキンを見た。屈託のない笑顔を見せている。その笑顔につられるようにショコラも笑顔をこぼした。
「そだね」
廊下を歩き自分の部屋に向かいながら、ダニアンは唇をかみ締めていた。すべてが自分のしでかしたせいだと父アルベルトに告白して10日以上が過ぎた。一度思いっきり殴られ、それからショコラのお触書が全て取り除かれた。アルベルトは言った。
「西の森に入り、自らの罪を認めているターキーに比べ、お前は一体何をしているんだ」
その後すぐに、縁談の話がまとまった。いわゆる政略結婚に当たるのだろう。相手は貴族の娘であるキミト=エルミだ。幼い頃から知ってはいるが、ダニアンよりも5つ歳が上だ。自分が姉のように彼女を慕っていはいたが、妻としては意識したことがなかった。だが、相手は違ったようで、ダニアンと結婚したい旨をアルベルトに直接伝えていたらしい。そして、キミトは王女の座はいらないともアルベルトに言っていた。それが何を意味するのか、ダニアンは頭では理解していた。
ロザッティーがいうには、今後のことについては何も決まっていないと言う。いや、決める時間などなかったというのが真実だ。
悩んだ末にダニアンが出した答えは、たとえ何を失ったとしても親友であるターキーを救いたいということだった。
アルベルトにその旨を伝えると、アルベルトは表情を柔らかくした。
「その言葉を待っていた。実はショコラ=ロリータが西の森の湖にある宿に泊まったという報告があった。その報告によると、誰か1人仲間を連れてこちらに向かっているという。おそらく直接ここに来るだろう」
それからアルベルトはダニアンの頭を一度撫でた。
「ダウモと話し、ショコラには今回のことのあらましをおよそ伝えることにした。だが、最後にもっとも重要なことを告げるのはダニアンだ、分かるな。そして、ショコラには任務を与えることになる」
今度はダニアンの肩に手を置くと、アルベルトは強く握った。
「ターキーにはハンツェルとボニセットがついている。西の森の獣どもにけがを負わされることはあるまい。だが、西の森の恐怖はむしろその広大さにある。1度迷ったら2度と出られぬ。だが、ショコラはそこから再び出てきた。ならば、彼女に西の森探索の任務を与えるのが一番だろう」
ダニアンは唇をかみ締め、はいと頷いた。
「心配せずともよい。万事はうまくゆく。お前は今は、キミトとのことだけを考えておれ」
「はい、ありがとうございます」
そして3日後に当たる今日、ショコラは予定通りここへやって来た。
ショコラの友達だと言う少年が言ったとおり、あの理由は取ってつけたものに過ぎないのかもしれない。それとも、すべて予定通りにことが運んでいるのだろうか。ダニアンにはダウモやアルベルトの裁量の深さがまだ分からなかった。
だが、もうダニアンは言うべきことはすべて言った。あとに残されているのは、キミトとの結婚と、ターキーの無事だけだ。
ようやくダニアンは自分の部屋につくと、その扉を開けて部屋へと入った。
そこには当然のようにキミトが待っていた。