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夢の運び人

作者: 北方シスイ

 数多くの芸術家を輩出したこの都市の商店街は、昔国を超えて名を馳せた大芸術家が工房を構えていたこともあり、芸術関連の店が色濃く、国内外から多く人で賑わっていた。

 しかし、その一角に皆から忘れ去られたかのように静かに佇む店があった。

 その店はかつてはこの雑然とした商店街の中でも一際目立ち、輝いていた。

 色褪せてしまった原因はちょうど一年前に起きた。

 この店の主はこの街では知らぬものはないと言われるほどの彫金師だった。男の作る装飾品は流れるように美しく繊細な線が様々なものを描き出し、指輪や無骨なだけの剣や鎧が見事な芸術品に仕上がるのだ。

 領主や貴族たちの間では男の作品を持つことが一つのステータスにまでなっており、男は常に仕事に追われ休む暇などないほどであった。

 そんな男には一人の娘がいた。

 男の妻は娘を産んでから直ぐに亡くなってしまい、男は一人で娘を成人まで育て上げた。娘は男にとって宝物であり、自分の命よりも大切なものだった。

 ――だが、娘は結婚を目前にして流行病で呆気なく、男のこれまでの努力を嘲笑うかのようにその命を散らしてしまった。

 胸にぽっかりと穴が開いてしまった男は技の精彩を欠き、わずか半年後には注文がぱったりと止んだ。

 あんなに忙しく、身を粉にして働いてきた仕事も。

 大切に、大切に育ててきた娘の成長を見守ることも。

 すべてが男の腕の中から零れ落ちてしまった。

 それからというもの男は生きる目標を見つけられず、ただ無気力に命を潰していくだけの存在となった。

 薄っすらと埃のかぶった店内は本当に人が今も住んでいるのかと見紛うようにしんと静かだ。しかし、店内のカウンターには大きな人影があり、そこに男は居た。

 そこにいるのが義務というのか、かろうじて残っている職人としての意地なのかはわからないが、焦点の合っていないうつろな目で俯いていた。

 今は開くことが無くなっていた扉が静かに開かれる。

 木が軋むような音とチリンチリンという呼鈴の音色がこの店の主に来客を知らせる。

 男は訝しみ少し生気のともった瞳を扉に向けた。

 瞬間、男は立ち上がり慄いた。

 娘が――。

 死んだはずの娘がそこに立っていた。

 とうとう頭がおかしくなったのかと男は思うが、すぐにそれは間違いだということに気づかされる。

「こんにちは。誤解なきよう言っておきますが、私は幽霊ではありませんので」

 娘は、娘の姿をした何かは男の表情を見てそう言ってきたのだ。

 幽霊ではないと言った娘は男が何かを言う前にこう続けた。

「あと私は貴方の娘ではありません」

 にっこりと笑いながら娘の姿をした何かは男に近づいてきた。

 男は考えるよりも先に口走る。

「じゃああんたは何なんだ! 娘じゃないならなんで娘の姿をしているんだ!!」

 そう、男の娘は去年に流行病でなくなっているのだ。葬儀を執り行い、遺体を棺桶ごと土に埋めるのをその目で見ているのである。

 見た限り死体がそのままここに来たとは考えられない。

 暗くてよく見えないがちゃんと生きた人間であることがわかる。

 あの墓場特有の臭い、つんと鼻の奥を刺激する死臭がしないのだ。

 化け物の類かと睨みつけるが、娘の姿をした何かはスカートのすそを摘み見事なカーテシーをした。

「私は死者を悼み、死者に囚われている者たちに一時の夢を見せることを生き甲斐にしております。人は私のことを『夢の運び人』と呼びますね」

 夢の運び人と自らを呼んだ娘は微笑んだ。

 それは娘が生前よく見せていた無邪気な笑みだった。

「ただ貴方を捕らえている死者、娘さんの姿を借りているだけですよ。貴方にはそう見えるのです。そういう存在なのです、私は」

 今夢の運び人を追及したところで、これ以上の情報はでないだろう。きっと男には理解できる話でもないのだ。

 ならば、これからのことを話そうではないかと男は頭を切り替えた。切り替えざるを得なかった。

 娘は夢を見せると言った。

 彼女の言う夢とは何か?

 男が今一番してほしいことなのだろう。

「……夢を見せてくれるといったな。何をするんだ?」

 不満を呑み込んだ男は娘に問うた。もうどうにでもなれと開き直りに近い気持ちだった。

 すると娘の姿をした何かはあっけらかんと言い放った。

「この姿で出来ることなら何でも致しますよ。それで貴方の心を死者から、この娘から解放できるのなら」

 思わず耳を疑った。

 何と言った?

 男はそれまで感じていた得体のしれなさをもっと強く感じた。いや、それをはるかに凌駕した何かを感じたのだ。

 人間知らないものやわからないものと出会うと恐怖を感じるか、畏怖するかのどちらかだが、この存在はそのどちらにも当てはまらなかった。そもそも認識できる範囲から外れているのだ。

 だが、茶化すわけでもなく本心からそう言っているのだと気付いた時には、すとんと自然に納得できた。

 娘の正体など男にとってもうどうでもよくなった。

 死んだはずの娘がそこにいて、少しの間だが一緒にいられるのだ。

 夢が見られるのだ。

 決してある筈のないあの頃の続きが――。

 男は娘に向かってどこか躊躇いがちに己の願いを口にした。

「……じゃあ、話がしたい。いろんな話だ。急にいなくなってしまうから、まだ話したりないんだ」

 両目に涙を溜めながらそれでも笑顔を作っているせいか、顔はぐしゃぐしゃで歪んでいた。だが、その笑顔は娘の姿をしている夢の運び人にとっては何物にも代えられない宝物だった。

「ええ、喜んで」

 ふっと笑みがこぼれた。

 夢の運び人はその特異な体質の所為か己の姿が見る人によって違う。しかも、その人が思っている死者の中で一番大切な人の姿を映すために、死者に対しての冒涜だと罵られてしまうことが行く先々で起こった。

 そのおかげかどこに行っても歓迎されることはなかった。

 己の容姿が、体質が疎ましく思っていたのだ。

 しかし、この男のように一部の優しい人はこんな自分を受け入れ、感謝をしてくれる。

 そのことが心に響き、幸福だった。

 ――まさに夢のように。

 そう、夢の運び人などと名乗ってはいるが夢を運んできてくれているのは果たしてどちらなのだろうかと自嘲する。

 娘の姿をした夢の運び人は、男の話を聞きながら心の片隅で感謝をしていた。


 男はいろいろな話をした。

 娘が死んでから何にも手がつかなくなり、店は閑古鳥が鳴くようになってしまったこと。

 婚約者の青年はいち早く立ち直ったが、皆と距離をとるようになってしまったこと。

 また、娘が生前好きだったことや、お転婆な娘のちょっと困った行動など、だんだんと娘の話題に入っていった。

 話をしている最中どんどんと男は涙が溢れて止まらなくなっていき、最後には娘の姿をした夢の運び人に縋り付き大の大人としては見っともないかもしれないがわんわんと声を出して泣いてしまった。

 夢の運び人はまるで泣き喚いた子供を諭すような手つきで男の頭をなで続けた。大丈夫、大丈夫、貴方は頑張ってきたと声を掛けて。

 しばらくすると男は泣き止み、少し照れくさそうに頬をかいた。

「……見っともないところを見せたな」

 その様子に夢の運び人は微笑み、気にしないでくださいと言った。

 仕方のないことだ。

 あんなに娘を思っていたのだ。号泣するのは至極当然のことだろう。

 それまで溜め込んでいたものを吐き出した男は夢の運び人が来た当初に比べて、ずいぶんとすっきりした顔になっていた。

 憑き物が落ちたような。

 娘を亡くす前に戻ったかのような精悍な顔つきだ。

 これならば大丈夫だろう。

 もう心配することはない。

 これから男はしっかりと前を向いて歩いて行ける。

 夢の運び人の出番は終わったのだ。

「貴方は死者から解放されました。夢が覚める時が来たのです」

 夢の運び人はそう言う。

「ああ、そうだな。ありがとう」

 男は決意を秘めた瞳で夢の運び人を見つめる。

「では、大丈夫そうなので私はこれで。ごきげんよう」

 それだけ言うと夢の運び人は店から出ていこうとドアノブに手をかける。

 用事が済んだからすぐに帰ろうとする夢の運び人を慌てて男は引き止めた。

「待ってくれ。何か礼をさせてくれ!」

 死んだ娘に囚われて、過去に縋っていた自分。

 仕事もせず、ただ惰性で生きていた自分。

 あのままいたら確実に娘の後を追っていたことだろう。

 そんな自分を立ち直らせてくれた小さな恩人――夢の運び人。

 彼女をこのまま返すのは男の矜持が許さない。

 男は店の奥へ引っ込んでいき、数分もしないうちに戻ってきた。

 その手には角度によっては虹色に見える銀色の懐中時計が握られている。

 懐中時計の蓋の部分に男が彫ったのであろう百合の花が見事に咲いていた。

 男は懐中時計を見せながら言った。

「娘の成人祝いに腕によりをかけて彫ったものだ。これはあんたに持っていてほしい」

 男にとってそれは娘の形見同然のものなのだろう。だが、男は縁も所縁もない他人である自分のもとに娘の姿をしてきてくれたのだ。

 その姿が一時のものであったとしても、この懐中時計は彼女に持っていてもらいたかった。

 それは男なりの過去とのけじめだ。

 夢の運び人は男の確かな想いや気持ちを汲んで懐中時計を手に取った。

「ありがたく頂戴させていただきますね」

 そう言って夢の運び人は来た時と同じ木が軋むような音とちりんちりんと呼鈴の音色を響かせ、扉の向こうへと姿を消した。

 ぽつんと一人己が店に取り残された男は呆然とそれを見送った。

 出会いは劇的であったが、別れるときは余韻も残らぬほどにあっさりとしたものだった。

 男はあまりにあっさりとしたものだから、現実感がなく、今までのことが夢であったかのように錯覚した。

 ――いや、夢だったのだろう。

 正しく彼女は夢を運んできてくれたのだ。

「さてと、これからまた忙しくなるぞ」

 男は胸を張り、今まで迷惑をかけてきた人たちに声を掛けに扉をくぐった。


読んでくれてありがとうございます。


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