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佐伯と桃内さん

「夢の中に潜るの」と先輩は言った。

「月を削った犯人も、夢からは逃れられないはずよ」

それから、と小さな紙を差し出す。角の丸い字で、紙の幅いっぱいにごちゃごちゃと書かれているが、不思議と詰まることなく読むことができた。

「それは夢の中での注意。守らないと、ひどい目に遭うから、気をつけてね」

「はあ」

「それじゃあ、決行は九時。言った通りにやれば、夢の中でもちゃんと「これは夢だ」って意識出来るはずだから」

「はあ」

「それと、今日はなるべくナマグサモノを摂取しないで。特に魚は食べちゃあ駄目だからね」

「はあ」

それじゃあ夢の中で、と言うなり、勢いよくドアが閉じられ、僕はその場に呆然と立ち尽くした。

色々と荷物を渡して、顔も見たくないというように男を締め出した女性と、何も言えずに荷物を押し付けられ、締め出された男。

傍から見れば、これは痴情のもつれ以外の何物でもなく、実際、道路を挟んで歩いていた人が、痴情のもつれ以外の何物でもない光景を目撃してしまった、というような顔をして通り過ぎてゆくのを、僕は横目で見た。

佐伯(さえき)に言わせれば、僕はマゾヒストらしい。

「だって君、マゾじゃあなかったら、それは奴隷と言うものだぜ」

先輩に言いつけられて、学校の端にあるザクロの実を取りに行った時のことだ。

ボランティア委員として、清掃活動に精を出すふりをして、近くの木の下で彼女とのオセロに興じていた彼は、そう断言した。

「命令に文句ひとつ言わずに付き従い、自ら意見を申すことも殆んどない。一家に一台お求めしたくなるくらいの、立派な奴隷だ」

「そうかなあ」言われてみれば、そうかもしれない。「そうかもしれないなあ」

「あのね、そんな風にぼうっとしてるから、付け入られるんだよ。もっとこう、どっしりと構えなさいよ」

この僕を見ろ、と佐伯は胸を張る。

「天地開闢以来、こんなにどっしりとした男はそうそうおるまい。しかも、あんまりどっしりしすぎていたせいで、先日彼女に「二人だけだと空気が重い」って言われたから、あんまり好きじゃあないけど、こんな風に楽しくゲームに打ち興じる柔軟さも兼ね備えている」

「それは、本当にどっしりしているって言えるのかい」

「ちょっと自信ない」

二人の会話を、彼女はつまらなさそうに眺めていたが、つ、と僕の背中を指さすと、

「血が出てるわ」

「え、本当かい。うわあ、ひどいなこりゃ、こんなに血が出てるのに、よく立ってられるな」

「これ、ザクロの汁だよ。さっき木から落ちた時に、背中で潰しちゃったんだ」

首をひねってみてみれば、潰れた直後より乾燥してきたせいか、サスペンスホラー寄りの色合いになり始めている。

「ほれ見たことか。彼女の命令に従ったせいで、君は無用な汚れを引っかぶったし、僕らは無駄に驚かされた。彼女の命令は、君のみならず、君の周囲の人間までもを不幸に陥れているのだ」

「桃内さん、何時から二人でオセロをしてたの」

「時間は覚えてないけど、さっきのであたしの十三勝目」

なるほど、と思った。「そりゃ佐伯も飽きるよな」

「ええい、同情するような目で見るな。桃内(ももうち)は良いよ、勝ってるんだから。十三回も同じゲームで負け続ける方が、一体どんな気分になるのか、君たちは少しでも考えたことがあるのかね」

「でも、一回ごとにちゃんとハンデをつけてるじゃない」

「そもそも、このオセロというゲームがいけない。一説によれば、必勝法も存在するとか、後攻が強いとか、そういう定石があるのじゃあなければ、僕だって」



「で、結局勝てたの?」

「今の所、あたしが全戦全勝」

いくつもの教室を、粘土細工にして無理やりくっつけたような部屋だった。

珊瑚礁の椅子に座って、にやにやと笑う彼女と対照的に、佐伯は思いつく限りのゲーム全てで惨敗を喫したかの如き、沈痛な面持ちである。

「思いつく限りのゲーム全てで惨敗を喫した」

「だろうと思ったよ」

こうなれば、と叫んで立ち上がると、ぐっと私に詰め寄り、

「蔦森、なんでもいい、僕が勝てそうなゲームを考えてくれ」

「今まで何をやったのさ」

彼は黙って、桃内さんの後方を指した。種々多様な魚たちと一緒に、宙に浮かぶ黒板一面に、カードゲームやらボードゲームやら、区別をつけずに様々なゲームの名前が書き連ねられていて、そのどれもにピンク色の丸がついている。

「青い丸がついているのが、僕の勝ったゲームだ」

新品のままの青いチョークを忌々しげに睨み付けながら、吐き捨てるように佐伯は白状した。

「どのゲームも、僕と桃内の二人ともが、何回もやったことのあるもので、中には僕の方が長く遊んでいるゲームもあったんだ」

だってのに、一度も勝てない。これはおかしい。ひょっとして、この夢と言う空間の特殊性を、意識的か無意識的にかはともかく、どうにか利用して、彼女は無敵の強さを得たのではあるまいか。

「なあ、どう思う」

殆んど泣き出しそうな顔で問われ、僕は少々まごついたが、やがてあることを思いついた。

「もしかしたら、今ここにいる桃内さんは、桃内さん本人じゃあないのかも」

どういうこと、と同時に訝しむ二人に、吾妻に説明したのと同じようなことを説明をすると、桃内さんはくすくすと笑いだし、

「それじゃあ、あたしが恭平に負けないのは、今ここにいるあたしが、「絶対ゲームに負けない」っていう恭平の イメージからできた、恭平の夢の中の人物だから、ってこと?」

「ええと、うん、そういうことになるな」

必死で話についてこようとする佐伯を見て、桃内さんのくすくす笑いは、いよいよひどくなる。

「それなら大丈夫。あたしは、あたしが「あたししか知らないこと」を知ってる、ってことを知ってるもの」

「なんだって?」

「なら本人だ」

困惑する佐伯の横で、とうとう堪えきれなくなったのか、桃内さんは体をくの字折り曲げて大笑いし始める。

打ちのめされた様子で、佐伯はしばらくその姿を眺めていたが、やがてがっくりと膝を折ると、辺りに散らばるトランプやボードゲームの駒を拾い集めながら、そっと僕に耳打ちした。

「なあ、夢の中だと、人の性格って変わるのかね?」

「どうだろう」

視界の端、雨の降る窓の向こうに、ゆっくりと桃色の金魚が漂うのを捉え、そちらの方に向き直りながら、僕はにやりと笑った。

「元々、そういう性格だったんじゃあないの」

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