第3話 彼の決意と彼女の幕開け
八坂命当年16歳。性別♂。
彼の進学先は、魔法少女を育成する女学院だった。
その理不尽な現実を冬の空に訴えると、命は半狂乱の状態で庭を駆け出し、勢いそのままに箒を掴む。父親が止める間もなく、弾丸のごとく現実から飛び去っていった。
「……性急すぎましたか」
そうつぶやいてから、父親が和室で待つこと三十分。
上空で頭どころか全身を冷やした命が帰ってきた。
縁側から和室へ上がると、命は開口一番問いかけた。
「質の悪い冗談ですよね?」
「質の悪いことに、冗談ではありません」
「うわあああああああああああああああん」
命は両手で抱えた頭を振ると、男性にしては長くて艷やかな黒髪が揺れた。
その綺麗な黒髪すら、今の彼にとっては恨めしかった。
命の容姿は、あまりにも男性離れしていた。
中性的を通りすぎて、女性的だと評されるほどに。
男性にしては線が細い小柄な体型。絹のようになめらかな黒髪は、一糸乱れず肩口まで柔らかく流れ落ちている。まさに絵に描いたような黒髪の乙女だった。
後ろ姿を女性と見間違えられるなど、命にとっては日常茶飯事である。
「違います、私は男なのです」
毅然と振り向いて抗議すると、命への疑いの目は一層厳しくなる。
幸か不幸か、命は後ろ美人に留まらず、正面美人でもあった。
白く透き通るたまご型の小顔は、黒髪とのコントラストを際立たせる。
顔の造りもまた、その輪郭を裏切らない造形美を誇る。煌めく二重まぶたの下の長い睫毛、吸い込まれそうな黒水晶の瞳、瑞々しい桜色の唇。
まるで神様が性別を取り違えたとしか思えない、そんな人物が抗議しても説得力は皆無だった。命の容姿はあまりにも可憐すぎた。
男子トイレに向かえば引き止められ、女子トイレを勧められるか痴女認定される。友達と映画を見に行けば、女性割ときどきカップル割が適用される。男女ともに通じる名前は誤解を生み、女子の出席番号に入れられる。実家が神社だと他愛のない会話を交わすと、自宅では巫女服だと噂が広まる。文化祭の出し物が演劇に決まると、見事シンデレラに抜擢されて女子の恨みを買う。
このような事態が頻発すれば、本人とて否が応でも認めざるをえない。
自分の容姿が乙女めいているのだと。
(だが悲しいものです。その動揺もすぐ落ち着く)
命は自分の容姿が女性的ということに慣れすぎた。
容姿を揶揄されること、からかわれることは日常的なイベントであり、否応なくその手のことへの耐性は上がった。
「唐突なことで取り乱しましたが、一旦話を整理させて下さい」
その命の提案を、父親は笑顔で快諾した。
父親も先を急ぎ過ぎた自覚があったのか、腰を据えて話すよう姿勢を直した。
ちゃぶ台を挟み、父親は息子が女学院へと進学する現実と向き合った。
「まず聞きたいことは、どうして私が女子校に通わないといけないかです」
冷静に考えれば、無理に女学院に通う必要などなかった。
神道系の学校に進学すれば良いではないか、というのが命の疑問だった。
少し間を置いて、父親は口を開いた。
「……そうですね。その質問の答えるには、幾つか説明が必要になります」
(まあ、そうなるでしょうねえ)
大当たりはない、と命は心中でうなづく。
この予想は飽くまで当たれば良いな程度の宝くじにも似た淡い願望だった。
何かしらの要因があって、父親は命に女学院への進学を勧めているのだ。
というか、そうでないなら、そんな父親はかなり嫌である。
「まずは、命の出生について話しましょうか」
父親はゆっくりとした調子で説明を始めた。
「命は母さんのことについては、わかりますよね」
「もちろん。元魔法少女だということも、よく知っています」
今は美魔女だと言って憚らない母親の姿が、命の頭に浮かんだ。
「誤解がないように言っておくと、命は正真正銘の私と母さんの子供です」
「つまり、私はお母さんの血筋を引いているから、魔法が使えるということですよね」
母親の言葉を借りるなら、魔法とは血筋で操るものであり、決して才能や努力で発現するものではない。それが命の知る魔法使いの定義だ。
一部の例外を除いて、生まれつき魔力が低い者が魔道に目覚めることはない。
魔法の行使には才能や努力も必要だが、前提として血筋が欠かせない。
少なくとも命は稀少な存在であったため、そのスタートラインに立っている。自分は資格を手にしていたと、命は次の瞬間まで誤った認識を持っていた。
「魔法が使える……もはやその点がおかしいんです。命には資格が足りない」
「資格が、足りない?」
「魔法が使える条件にして、最大の前提。それは」
――女性であること。
短く突きつけられた言葉の衝撃は、命の心を大きく揺さぶった。
(えっ、ちょっと待て。それはおかしいでしょう)
資格が足りないのに、資格を手にしている。
それは明らかな矛盾だった。蛇の輪のように互いの尻尾を食い尽くす。足りないのに満たされており、不完全なのに完成形。
それは決定的に何かがおかしかった。
「信じがたいことですが、これを読んで下さい」
父親が差し出したのは小冊子だった。
少し黄ばみがかった表紙には、セントフィリア女学院の文字印が押されている。
「それは、昔セントフィリア魔法女学院で配布されていた小冊子です」
「よくもまあ、このような物が手に入りましたね」
「母さんが古い知人をあたって入手した物です。もっとも、詳細は僕にも教えてくれませんけどね。母さんは魔法については秘密主義だから」
そう告げる父親は、困り顔に微笑を浮かべていた。
(それにしても、あのお母さんが)
「安心して下さい。私と母さんが命を騙すために用意した物ではありません」
「わかっていますよ。元より疑うつもりはありません」
両親に対する疑惑は皆無だった。
むしろ純粋に命は感心していたのだ。自分へ真実を打ち明けるために、ここまでの準備を整えてくれる両親に。
(わざわざこのような物的証拠を持ちださなくても、言葉だけで十分なのに)
ずしりと、途端に小冊子が重く感じられた。
命の手のなかにあるのは、ただの小冊子ではない。
両親の本気が乗った機密文書である。
命は一層姿勢を正した。直面している問題を真摯に受け止めること、それが何より両親に報いる行動だった。
ごくりとツバを飲み、命は恐る恐る小冊子を開いた。
小冊子のなかにはセントフィリア女学院に関する簡単な説明や校風、規則などが記載されていた。興味深い内容ではあったが、今求めている情報ではない。そう判断する度に手早くページを捲り続け、命はある記述に行き着いた。
――女性の魔法少女は存在しても、男性の魔法使いは存在しない。
動悸が早くなる。身体中が騒がしい。
研ぎ澄まされた聴覚が、胸が早鐘を打つ音を、速度を増して身体を巡る血液の音を拾ってきた。何かがおかしくなりそうだった。
「あは……あははは」
命の口をついて出たのは否定の言葉でなく、乾いた笑い声だった。
自己存在を否定されて、自身が常識の枠外にいる存在だと知った。
受け止め難い事実を前にして、命は疑問を呈さずにはいられなかった。
「では……私は何だと言うのですか、お父さん」
「決まっています。命は私と母さんの大事な一人息子です」
父親の返答には迷いがないことが、命にとって救いだった。
胸を張って答える父親の優しさ、その逞しさに熱くなる目頭を押さえて、命は精神の崖っぷちで踏み留まった。
(大丈夫です。たとえ私が何者であっても、私にはこんなにも心強くて優しい味方がいる)
揺れる気持ちを落ち着けて、命は改めて小冊子と向かい合った。
そこで、先ほどの記述に小さな注釈があることに気づいた。
「一部例外を除く」
その言葉の響きは、確かに希望だった。
渋面の父親が補足説明をするまでは。
「落ち込まないで聞いて下さい。かつて例外として、男の魔法使いはいました」
「もうその前置きからして聞きたくないのですが」
少しおどけたように話すのは、命なりの精一杯の強がりだった。
とうに命の精神力は底をついている。それでも気丈に振る舞う息子に応えるため、父親も覚悟を決めて話を続けた。
「名をリッシュ=ウィーンという、セントフィリア王国建国の立役者なのですが」
「その後にはきっと、悪名が続くのでしょうね」
「ええ……彼は王国最大の背信者として名を残しています」
「男の魔法使いは、不幸を招く存在ですか」
「あちらの言葉を借りるならば"災厄の象徴"、そういう表現になります」
「……そうですか」
(ここまでくると、笑えるほどに酷い)
魔法が使えて喜んでいた、子供のころの自分が滑稽だった。
無邪気に魔法を使う命を見て、一体両親は何を思ったのか。そう考えると、茨で心臓を締め付けられるようだった。
(厄災の象徴……か)
命は、静かに天井を仰いだ。
立ちはだかる運命の扉は重く、ひたすらに重厚で堅固だった。
手を打つべき難題だとわかっていても、命にはその問題を考える余力もない。今はもっと身近な問題で手一杯だった。
父親に対してなんと答えれば良いのか、その答えが命はわからない。
厄災の象徴と呼ばれる自分が、どのような反応を返せば良いのか。
命が黙りこむと、自ずと父親も口を閉ざした。
昼間にかかわらず、和室の薄暗さを増していく。何も言えず、上手く視線を合わせられない。二人は会話の切っ掛けを掴めずにいた。
「父さん!」
母親が襖から突入してきたのは、そんな時だった。
タックルに近い勢いで命へ抱きつくと、彼女は父親を睨みつけた。
「私たちの息子が"災厄の象徴"なんて、あんまりではありませんか」
「あちら側の言葉を借りただけだよ。僕はそんなこと砂の一欠片も思っていない」
「わかっています、ええわかっていますとも」
下唇を噛みしめ、母親は強い口調で言い放った。
「それでも私は嫌です。嫌で嫌でたまりません。大事な息子なんです、命は私の自慢の息子なんです!」
「……お母さん」
力強く抱きしめたまま、母親は真っ直ぐな目で我が子を見る。
「いいこと命、よく聞きなさい」
大きく息を吸い込み、母親は堰を切ったように命へ言葉を投げた。
「命が私のお腹にきてくれて嬉しかった。その日から、私は幸せをお腹に宿したのよ」
それは始まりの言葉に過ぎない。母親の口は止まらない。
「二人分の幸せを持っている私は、神様に怒られるかと思うほどに幸せだった」
母親は誇らしげに語りながら続ける。
「命が産まれると一人と一人に別れたけど、私はもっと幸せになりました。命の産声が、一挙手一投足が嬉しかった。私の心のなかに、数えきれないほどの優しい花を咲かせてくれました」
母親の忙しない口は、決して語り尽くせない幸せの言葉を紡ぐ。
「大きくなっても擦れることなく、優しい子に育ってくれて私は鼻が高いです。私には出来すぎた息子ですが、出来すぎているから渡せと神さまに脅されたなら、断固として拒否します。私は神さまをぽかぽか殴る所存です」
息を切らしながら、それでも必死に母親は訴える。
「命が現れてから、私の人生はいつだってキラキラと輝いています。昔、私は魔法少女だったけれど、こんなに人の心を満たしてくれる魔法を私は知りません」
そして母親は、自分の息子を全肯定した。
「それぐらいに命は奇跡的な存在なのです。私にとって、命は幸せの象徴です」
――だから、"災厄の象徴"なんて言わないで。
最後にそう告げると、母親は泣き崩れた。
喉から絞る切ない声が和室を満たすと、父親は立ち上がって命と母親を抱き寄せた。彼には八坂家の家長として、二人のとを受け止める責任があった。
「……ごめんよ命、母さん。聞きたくない言葉を聞かせたことを、言わせたく言葉を言わせたことを許して欲しい」
「許すも何もありませんよ。だって私たちは家族じゃないですか」
二人に包まれて少々苦しいが、その窮屈さが今の命には嬉しかった。
両親の温もりが、何より命の存在を肯定してくれた。
「父さん、母さん」
命の決意は固まった。
狭き門の先に続く道が、辛く険しいことは本人とて重々承知である。
それでも、その先の景色を見るために彼は歩き出す。
「私は普通の人間に戻るために、セントフィリア女学院に通います」
その日、魔法少女を騙る命の物語が幕を開けた。