第20話 食堂棟のパーティーナイト
食堂棟4階カフェ・ファストフードエリア。
その一角に軒を連ねる小さな個人経営店――カフェ・ボワソン。
命が再びそこに戻ってきた時には、時刻はすでに午後六時を回っていた。
神経を擦り減らした命の感覚ではまだ六時だが、命を待ちわびた二人の感覚ではもう六時に違いない。
(これも相対性理論でしょうね)
命は朝方に交わしていた馬鹿な会話を懐かしむ。きっとこの二人といれば、その続きを楽しめるという期待もあった。
「遅いよ八坂さん。ケーキ食べ過ぎた系」
「あの……こっぴどく叱られたのでしょうか」
「お待たせしました。大方那須さんの想像通りです」
二人には一度退店してから戻ってきた跡がうかがえた。
空き始めたカフェ・ボワソンの中央ではなく、奥まった優良席に移動している。また席の側には、出る前にはなかったスーツケースがあった。
「荷物、受け取ってきたのですね」
「あー、これね。受け取り場所に人が押しかけて大変だった系」
「本当は八坂さんの荷物も持ってきたかったんですが、その……見つからなくて」
「気にする必要はないですよ。私の荷物はどうやら手違いで届いていないようでして。……あっ、ウェイトレスさん!」
命がウェイトレスに注文を告げると、二人も続いた。どんどん注文が増えたこともあり、今夜の夕食はカフェ・ボワソンで取ることになった。
ジャンボサンドウィッチ、オムレツ、グラタン、ほうれん草とベーコンのキッシュ、仔羊の煮込み……。ウェイトレスは必死に注文は書き込んでいく。
ジャンボンサンドウィッチ、オムレツ、グラタン、ほうれん草とベーコンのキッシュ、仔羊の煮込み……。ウェイトレスは伝票に必死に注文を書き込んでいく。
「あと、食後には洋梨のタルトも欲しいなあ」
「さすがに頼みすぎでは?」
「今日は私の奢りだからドーンとお任せ系」
根木がこうして大盤振る舞いできるのも、命がチキチキ魔法少女入学杯に勝ったことで思わぬリターンが舞い込んできたからである。
「というわけで、大感謝セール&入学祝いパーティーのお知らせ系」
「それはとても素敵なお知らせですね」
「あの……私は何もしてないんですが」
「参加資格は友達なので、無問題です!」
三人が雑談を交わすなか、ウェイトレスが瓶を抱えて駆け寄ってくる。別テーブルの注文かと思ったが、彼女は命たちのテーブルで足を止めた。
「マスターからの差し入れです。乾杯にどうぞ」
「えっ、良いのですか」
「良いんです。うちはあまり商売っけないのが取り柄なので。これからもリッカちゃんとも仲良くしてあげて下さいね」
マスターは笑顔で手を振っていたので、三人はその好意に甘えるとした。
(これは常連になってしまいそうです)
命は翠髪の彼女――ウルシ=リッカを思い出す。
少し気難しそうなリッカがカフェ・ボワソンを好むのも納得できた。この店は女神が居着くほどに居心地が良いのだ。
差し入れの品は、シャンパンにも似たピンクのシャンメリーだった。十九歳未満の飲酒はセントフィリア王国では禁止されているため、女生徒のアルコール摂取はご法度である。
那須がグラスにシャンメリーを注ぐと、一足早いがパーティーの準備は整った。二人の視線が自分に向いていることに気付くと、命が乾杯の音頭を取った。
「それでは、私たちの入学祝いと今後の明るい未来を祈って――乾杯!」
「乾杯!」
合図に合わせて、三人はグラスを重ねる。命たちの入学祝いパーティーは、小さなカフェの片隅でひっそりと開催された。料理が運ばれてくるまでは、過去と将来の話題に花が咲かせた。
根木が魔法少女であることがバレかけた話や、那須が理科室を爆発させた話など、掘り下げれば色々な話が出てきた。
「将来については、あんまり考えてないかな。強いて言うなら三年間遊び倒す系!」
「日本に戻って大学に入るか、ここに残って魔法の研究とかできるならそれも良いかなと思ってますが……悩み中です」
「私はお父さんの跡を継いで宮司になるつもりです。セントフィリア女学院に通ってからだと、少し遠回りになりますけどね」
命が神社の生まれだと聞くと、案の定二人は「巫女服姿が見たい」と口を揃えた。「卒業したら見に来て下さいね」と命は言葉を濁した。
(卒業後なら種明かししても構わないでしょうか。男の姿で出迎えたら、二人ともどんな顔しますかね)
密かに悪巧みをする命は、将来が少し楽しみになった。
話題は尽きることはなかったが、料理が運ばれてくると命たちは食べること手一杯になった。注文した料理は三人前よりも遥かに多かったのだ。
「頼みすぎたね」
根木は舌を出してはにかんでいた。リスのように頬張る二人に加勢して、結局男である命が一番食べた。
デザートの洋梨のタルトが運ばれるころには、パーティーも落ち着いていた。会話こそ少ないが雰囲気は悪くない。店内に流れるゆったりとした洋楽が心地よかった。
(そろそろ、頃合いですかね)
命はタイミングを見計らい本題を切り出すとした。例の女子寮入居とルームシェアの問題である。
「実は……大変言い辛いのですが、女子寮入居の件についてお話があります」
「そっか……避けては通れない問題ですよね」
「もう三人で一緒に暮らせば良い系」
「いえ。実は私、女子寮に入居できないことになりまして」
後で思い返すとそれがパーティーの閉会の挨拶となった。燭台の火が消えたようにパーティーは薄暗くなり、温かった空気までもが冷めていく。
(――えっ)
命が身を引いて、根木と那須をルームシェアさせる。女子寮入居の問題はそれで全て片がつくと、黒髪の乙女は勘違いをしていた。
入学初日から何度も渡った危ない橋に比べれば些細な問題だと油断していた。命は最後で人の心を読み違え、地雷を踏み抜いた。
その後のことはあまり覚えていない。入学祝のパーティーは通夜の空気となった。居心地の良かった沈黙もどこかぎこちなく、命はいたたまれなくなり口を開いた。
「明日も早いですし、そろそろ帰りましょうか。女子寮まで送っていきます」
口から出たのが逃げの言葉だと知っていた。それでは何と言えば良かったのか。どう言えば丸く収められたのか。考えても答えは出なかった。
「八坂さん、私たちはここで大丈夫だよ」
命は思案に暮れていた顔を上げる。セントフィリア女学院の私有地にある六つの女子寮。欧州建築に基づくレトロモダン調の建造物は、互いの寮が寄り添う集合住宅にも似ていた。
「あの……すみません。私たちがご迷惑をおかけしてしまったせいで」
「いえ、気にしないで下さい。明日は学力テストですから、寝坊しないようにお互い気を付けましょうね」
那須の詫びをやんわりと受け止めてから、命は理事長が予約してくれた宿屋を目指した。後ろから手を振る二人に応え、静けさに包まれた女子寮沿いの道を歩いた。
小さな不安を残し、初日の幕を降りていった。
◆
命たちが入学初日祝いをする一方、別の三人組も会議を開いていた。
食堂棟4階カフェ・ファストフードエリア。
その2つのエリアは並列に扱われているが、敷地面積は大きく異なる。
ファストフードエリアは広大な敷地面積を誇る反面、女生徒からの人気はあまり高くない。おしゃれ空間を求めてさまよう乙女は、カフェエリアに吸い寄せられる傾向がある。
がら空きのファストフード店の隅っこに座る三人組もまた、好き好んでこの場所を選んだわけではない。居場所を無くしてここに行き着いたのだ。
「えー、それでは第一回成り上がり会議を始めます」
議長――ルバート=ピリカの宣言を受けて、成り上がり会議は開幕した。
「コメリン、議事録の準備は良いか」
「なあピリカ、本当にこれ必要なのかあ」
愛称コメリンこと――ドドス=コメリカは面倒そうに言う。
横幅の広い彼女は面倒くさがりで、食べること以外には無頓着。今も議事録をとることより、横のフライドポテトに意識がいっている。
「議事録は大事だ。後で見返したときに役立つ。それに言質を取っておくことは大事だ」
「ふーん。よくわからないけど、大事そうなのは伝わったから頑張るわ。やっぱピリカはすげえな」
気を良くしたルバートは、次に不健康そうな細身の女性へ指示を出した。
「クルはタイムキーパーだ。会議とは知らぬ間にコストを食う怪物なんだ。きっかり三十分だ。時間と相談して指示を出してくれ」
「へいへい、時間を測れば良いんだろ」
愛称クルこと――クルト=クルリカは億劫そうに言う。
ドドスと対照的に鶏ガラのような彼女は、大体やる気が無い。指示を出せば何でもやるが、指示が無ければ何もやらない類の人種だ。
ドドス=コメリカ(愛称:コメリン)
クルト=クルリカ(愛称:クル)
ルバート=ピリカ(自称:悪のカリスマ)
彼女たちは、カフェ・ボワソンで命へ難癖を付けた三人組だ。リッカからの脅迫を受け、敢え無く撃退されたのは数時間前の話である。
周囲にリッカがいないことを確認の上、ルバート一味は食堂棟に戻ってきていた。
「会議の準備が整ったところで、まずは今回の計画の問題確認だ」
「ええと、『黒髪ポニーを倒して、ダークホース計画』のことかあ」
「問題が山積み過ぎて、どっから突っ込めば良いのかわからんのだが」
黒髪ポニーを倒して、ダークホース計画。
御三家の一角であるフィロソフィア家のご令嬢を倒した命を叩き、地位と名声をかすめ盗る。それが通称『黒ホス計画』の恐るべき全容だ。
外部入学生を一人蹴落とすだけなのに、美味すぎだぜ、と息巻くルバートだったが、フタを開けてみれば大惨敗。何が原因だったかは明白だ。カフェ・ボワソンの女神が立ちはだかったからだ。
「……なんでリッカがいるんだよ」
「えっとお、内部進学したからじゃないかあ」
リッカは、ルバート一味の天敵だった。
悪事が露見する、リッカが来る、ぶっ飛ばされる、退散する。この一連の流れは、もはや伝統芸の域に入っていた。
中等部時代も悪事を働くたび、ルバート一味は才媛の影におびえたものだ。
それなら最初からやらなければ良いのだが、それはできない。なぜなら悪事を働くことこそが、小悪党ルバートのアイデンティティだからだ。
こうして捨て台詞を吐く日々をくり返すルバート一味だったが、やがて予期せぬ出来事が起こった。
中等部三年の三学期。
忽然とリッカが姿を消したのだ。
同級生は誰も思い当たる節がなく、教員の誰に聞いても口を閉ざす。煙のように消えたと形容するのがまさに相応しい消失劇だった。
――あれ、これ私たちの時代来たんじゃね。
これ幸いと、ルバート一味は悪事を働いた。
悪の桜前線急上昇。あれよあれよと悪行三昧、極上ライフ。「これからの時代はルバートさま一色だぎゃあ」と高笑いした。
ルバートは知らなかった。
花は咲いたら散るものだと。
三日天下の桜木は、花びら一枚残さず燃やされて灰になった。
元凶はリッカと入れ替わりで、ルバート一味に絡みだした赤髪ベリーショート。彼女は悪事を発見すると、容赦なく一味を焼き払った。ふらりと現れては、ふらりと燃やす。通りすがりの放火魔であった。
その凶行に耐えかねて糾弾したこともあるが、彼女との会話など成り立たなかった。
――テメエ、何の恨みがあって突っかかる!
――えっ、特に恨みはないけど。何か合法的に殴れそうだなと思って。
そのとき、ルバートは気づいた。
これはあかんと。理性ある狂戦士を相手にしている気分だった。
泣く泣くルバート一味は、日陰者として静かに暮らした。長い冬の季節は春まで続き、ルバート一味は大人しく高等部に内部進学した。
――おおーい。ピリカ、大ニュースだあ。
ドドスとクルが持ってきた話は、魔法少女の選抜合宿なるものだった。
なんでも優秀な魔法少女候補生が学外で合宿を行うとのことで、あの赤髪ベリーショートもいなくなるという情報だった。
この短い春を逃してなるものかと、ルバートは必死に獲物を探し、不幸にも目をつけられたのが命だった。
久々の悪事に内心そわそわ、結構わくわく。
淀みなく難癖が付けられるよう台本を用意し、時間がないなりに、読み合わせもしっかりと行った。
しかし、実際に難癖を付けてみると、どうだろうか。ルバートたちの元に、見覚えるのある緑髪長身の女生徒が、鬼の形相で近づいてくるではありませんか。
――うふふ誰かな……リッカだよ、馬鹿野郎。
懐かしい感覚と戸惑いを覚えながら、ルバートは心中で膝を折った。
「とまあ、全ての元凶はリッカだが、目標を見失ってはいけない。私たちの目標はあくまで八坂命だ」
「うわあ。よく立ち直れるなあ。久々にリッカを見ただけで、もう膝がガクガクで仕方なかったのにい」
「ピリカの打たれ強さだけは、見習うべきだな」
手下二人の賛辞も、ルバートの心には響かない。
勝手に負け戦にされているが、ルバートはリッカとの勝負に負けた覚えはない。それを簡単に認めるわけにはいかなかった。
「いや、立ち直るも何も、あの勝負は完全に私たちの勝ちだからな」
突然の勝利宣言に二人が唖然とするなか、ルバートは自慢気に500イェン硬貨をコイントスする。
「見ろこれを。私たちは何の損害もなしに500イェン硬貨を手に入れた。これは経済学的観点から見ても、私たちの勝ちは揺るがないということだ」
「えっ、何こいつ……精神力強すぎ」
「経済学的観点とかよく分かんねえけど、やっぱピリカはすげえなあ」
「ふふふ、あまり褒めるなよコメリン。私の凄さが逃げていく」
調子が出てきたルバートは、カフェ・ボワソンでの出来事を思い返す。
「あれだな。運悪くイレギュラーが重なっただけで、思い返すと悪いところはないな。それじゃあ、黒ホス計画ver1.1の修正案の検討に移るか」
「なんかver1.1って格好良いなあ」
「あくまでver1は失敗じゃないと言い切るお前が、私は怖えよ」
新たなステージへと進化する、黒ホス計画ver1.1。ルバート一味はその計画を思索する。最初に意見を出したのは、やはりリーダー格のルバートだった。
「まずは分断だな。獲物を一人にするのが重要だ」
「でもよお、いつも三人で行動してないかあ」
「なら、明日の学力テストを狙うってのはどうだ。学力テスト中におびき寄せれば、監視の目も緩い」
2日目の日程は、全日学力テストだった。
セントフィリア女学院が、世界各国の魔法少女が入り乱れる教育機関とはいえ、最低限度の学力基準は存在する。
学力テストでは主要五教科の学力レベルを判定する。必要レベルに達していない女生徒の履修スケジュールには、強制的に赤点科目の講義を組み込むシステムになっていた。
一科目ごとのテスト時間は90分であり、午前に二教科、午後五時半までに残り三教科を消化するスケジュールだ。合間に昼休憩を挟むことを除けば、女生徒は完全に教室に拘束される形となる。
クルトはそこが狙い目だと提案したが、ルバートは首を横にふった。
「いや駄目だ。そんなことしたら、私たちまで学力テストを受けられない」
「えっ、気にするところそこなん?」
「当たり前だろ。この学力テストのために、コメリンがどれだけ頑張って勉強したと思ってるんだ」
「あんだけピリカが頑張って教えてくれたんだし、私も期待に応えないと不味いよなあ」
「そっか。なら仕方が無い。頑張れよコメリン」
やっぱり学力テストって大事だよね、全員が全員魔法少女になれるわけじゃないし。
と、ルバート一味は改めて学力テストの大切さを確認し合った。
「私は人質作戦を提案しよう。あいつと一緒にいる二人を攫えば良い」
「ああ、あのおかっぱ頭のとおでこの奴かあ」
「その二人を苛めて、おびき寄せるってわけだな」
人質を苛める。その不穏当な発言に、ルバートはいち早く反応した。
「いや駄目だ。人質を苛めるのは非人道的だ。私たちの目標はあくまで八坂命だ。それ以外の被害は最小限に抑えるべきだ」
「何の理由もなく、苛められたら嫌だもんなあ」
「まあ、わからなくはねえけど。そこは少し割り切ろうぜ」
割り切る。それも一つの答えである。
だが、それは逃げの思考ではないか。人間は考える葦である。考えることを放棄してはいけない。そう真摯に問題と向かい合いルバートを、天は決して見放さかった。
そのとき、悪のカリスマの頭に天啓の閃きが走る――ッ!
「そうだ……人質の時間を買うんだ」
「えっとお、どういうことだあ」
「時間給で拘束しようって腹なんだろ」
「あー、なんだか平和的で良いやり方だなあ」
「……くくくっ、一時間800イェンまでの経費は負担しよう」
手下二人の反応も良好。ルバートは拳を握る。
この計画いけるやんと、確信持つと直ぐにGOサインである。
その発想は人質の概念を覆す、人質レボリューション。革命の旋風がルバートの頭を吹き荒れ、時代が変わる鐘の音が聞こえる。
「来た……ついに私に時代が追いついた。この方針で作戦を詰めるぞ」
ドドスにとって、ルバートの頭が良いのは通常運転。クルトにとって、ルバートの頭がおかしいのは通常運転。なので、二人はリーダーの発言を不審に思わず話を進めた。
「それじゃあ、おびき寄せる場所はどうすんだあ」
「高等部のキャンパスはよくわからねえしな。あんま人気がない場所とか思いつかんな」
「くくくっ、まだまだお前らは甘ちゃんだな」
喉を鳴らすと、ルバートは女学院の校内図を広げて指差した。
「見ろ、演舞場は女生徒への時間貸しを行っている施設だ。ここを一階層丸々貸し切りにすれば、何ら問題はなかろう」
「こんな施設があるなんて、知らなかったなあ」
「というか、何でそんなに詳しいんだよ」
「馬鹿め、地形を押さえるのは戦力的に必要な一手だ。ちゃんと配られた資料には目を通すことだな」
ルバートは地形を重んじるだけでなく、配られた資料や説明書には、きちんと目を通す女生徒の鏡である。演舞場の他にも、シャワールーム、妖精猫飼育場、植物園や美容院などに丸がついていた。
「驚くのはまだ早い。その隣の施設を見てみろ」
「ああ、保健室が完備してあるなあ」
「怪我をしてもアフターフォローは万全ってか」
「最小の悪事で最大限の成果を上げるのが、このルバートさまのやり方よ」
ルバートは高笑いを噛み殺す。
ファストフードエリアは空いているとはいえ、疎らに客が散在している。食事の時間を邪魔するのは良くない。
「あっ、三十分過ぎたな」
「むう。時間計算が甘かったか。ならば一旦休憩してから再開としよう」
ルバートは、財布をドドスに投げ渡した。
「腹が減っては、良いアイディアが浮かばないからな。ちょうど入学初日でもあるし、計画の前祝いとしてだなあ、そのう、そういうのも悪くないかもな」
「コメリン、好きなだけ飯買ってこいだってよ」
「うわい。太っ腹だな。やっぱすげえなピリカは」
ボヨンボヨンとボールが跳ねるように、ドドスはレジカウンターへと向かう。
今日は盛大な前祝いになるなと、ルバートは唇の両端を持ち上げた。
ルバート一味の前祝いは、ファストフードエリアでひっそりと開催された。
◆
理事長が予約した宿屋アミューゼは、命が予想したよりも質素だった。
ホテルと呼ぶよりは2階建てのモーテルと表現した方が近い。外観こそ小奇麗だが、内装の方は少しガタがきている。1階には受付の他に四つの宿泊部屋があり、2階にも同じく四つの宿泊部屋、計八部屋の小規模な宿泊施設だった。
コンコンと、部屋の扉がノックされた。
命は眠たげな黒水晶の瞳を開き、両腕を天井へと伸ばした。昨日受付に頼んでおいた古風なモーニングコールのようだ。
「……眠いですねえ」
口元を上品に押さえて欠伸をすると、命は壁掛けの時計に目を向けた。
時刻は午前七時。普段命が起きる時間に比べれば遅い。実家にいたころは、境内の掃除、早朝ランニングが日課であった。
命は黒い靄を成形して、手のひら大の黒い魔法弾を作る。成形速度や発動速度は普段と遜色ない。こうなると、魔法行使による疲労ではなさそうだ。
(となると、気疲れなのでしょうね)
初日から、思いも寄らぬ様々な出来事があった。
ここまで濃厚な一日は、命の記憶にはない。慣れない環境と不測の事態の連発で、知らず識らずのうちに疲れを蓄積していたようだ。
とはいえ、多少身体が気怠いだけで、体調には問題はなかった。
命は身体をほぐして気合を入れ直すと、地下室のコインランドリーに向かう。昨日は洗濯物を放り込むだけで精一杯で、直ぐにバタンキューした。
(確か、6番のドラムでしたね)
ドラム式の機械は、洗濯機、乾燥機の一体型である。乾燥された衣服を回収するため、命は6番のドラムの蓋を開けた。
「――えっ」
なかを確認し、命は思わず素っ頓狂な声を上げた。
空っぽ――昨日あったはずの衣服の一切が残っていなかったのだ。
命はバスローブのまま、立ち尽くした。




