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魔法少女の狭き門  作者: 朝間 夕太郎
旅立ち編
14/113

第14話 星をみるひと

 春の若葉が、風に揺れる並木道。

 セントフィリア女学院の正門から真っ直ぐに伸びる道の途中、そこにいる二人の魔法少女が注目を集めていた。


 一人の少女の名は、フィロソフィア=フィフィー。魔法少女の御三家にも数えられるフィロソフィアのご令嬢。絹のような金の髪を風に流す、傲岸不遜な魔法少女だった。


 祖国からここセントフィリア女学院に進学する彼女の噂は、かねてより広まっていた。良いも悪いも一緒くたに混ぜた、様々な噂が飛び交うご令嬢ではあるが、周りからの注目度が高かったのは確かだった。




     ◆




 ――ねえ、フィロソフィアのお嬢様の話、聞きました?


 その噂のフィロソフィア嬢が、ある外部入学生と空中レースをくり広げているという話は、女学院中にまたたく間に広まっていた。

 気づけば賭けを始める女生徒があらわれ、最初小規模だったそれはいつの間にか胴元が賭け札を売る一大賭博になっていた。


 毎度のこととはいえもう少し節操を持ってもらいたいものだ――なんて思いはするものの、気になってしまうのもまた人の性である。


「はーい。押さない押さない。チキチキ魔法少女入学杯のチケットは要らないですか。締め切り間近ですよ」


 覗いてみると、銀髪の女生徒が揉みくちゃにされながらチケット(暗黙の了解で賭け札とは言わない)を売りさばいていた。感情が薄そうな顔して、なかなかガッツのある娘だ。


(制服の赤ライン……新入生か)


 新入生と判明した胴元は、売る売る売る売る、売りさばく。あっちこっちに飛び交うチケットは、フィロソフィア、フィロソフィア、フィロソフィア。空前のお嬢さまフィーバーであった。


 まあ配当は低くとも無難である。

 まさか御三家のご令嬢が一介の外部入学生に負けるはずもあるまい。辺りの女生徒ももう勝ったつもりなのか、ホクホク顔である。


「私は杖を新調しますの。魔法石を仕込むのも良いかしら」

「ああ、これで念願のアウロイタイガーのバッグが手に入りますわ」

「ちょうど春の新作が欲しかったので、臨時のお小遣いは助かります」


 取らぬ狸のなんとやら。欲望の果てを知らない乙女の夢に、際限はないようだ。


「そこの貴方もいかがですか。締め切り間近ですよ」


 銀髪の少女の声がかかる。

 悪いが気分じゃないので、遠慮することにした。


「そこの見目麗しきお嬢さんも一枚どうでしょうか」

「私のことか」


 今思えば少し恥ずかしい。私は商人の甘言にまんまと乗った、乙女だった。


 私は考えた。さて、どちらのチケットを買ったものか。なんだかんだ言っても、この様なお祭り騒ぎは嫌いではなかった。


(どう考えても、フィロソフィア嬢が安牌なのだが)


 そんなのは面白くない。


「黒髪のチケットを二十枚ほどいただこうか」

「ほう、見目麗しい上に勝負師とは。美人さんは違いますね」

「追加で後三十枚ほど購入しよう」


 今思えば、すごく恥ずかしい。ヨイショされた私の財布の紐は、少しばかり甘かった。

 お祭り騒ぎには、少なからず阿呆がいるから面白いのは確かだが、さすがに五十枚は大枚を叩きすぎた気がする。


 一枚1000イェンのチケットを50枚も購入。

 まさしく阿呆の所業である。これが両親にバレれば怒られるやもしれない。

 そうして、後悔が頭が登り始めたころである。


「黒髪の乙女のチケット、100枚ください!」


 もっと阿呆の勝負師があらわれた。


「私の友達は負けません。ゆえにオールベット系!」


 おでこを出した、どこの国の娘であろうか。東洋系というのはわかるが。

 あと一つわかることがあるとすれば、躊躇なく大勝負に臨む彼女も新入生だということだ。


 この様な阿呆な女生徒がいるのであれば、我が女学院も安泰だ。後一年は退屈せずに、女学院生活を送れそうである。


 隣の芝生を眺めて落ち着いたところで、私は観戦に回った。せっかくの祭りごとである。楽しまにゃ損損と、私の不真面目な部分が語りかけていた。


 正門前の人集りから、部活塔へ。

 同好会から部活動までが、ずらりと並ぶフロアが上から下まで続く円柱形の塔。趣味人から暇人までが集まる巣窟から、私はひとつのドアノブを回した。


「来た来たー! 私の万馬券が!」

「うわあ、何よこの黒髪ポニー。前評判詐欺にもほどがあるし!」


 ああ、やはりここにも阿呆がいたか。

 扉を開けてすぐ目に入ったのは、賭け事に興じる二人組だった。


 一人は髪を振り乱し、もう一人は腕を高々と挙げていた。元より私には興味がないのか、賭け事に熱中しているのか、特に挨拶はない。


 壁沿いに置かれたL字型ソファーに腰を下ろし、私はもう一人の女生徒に声をかけた。


「ずいぶんと盛り上がっているじゃないか」

「見世物としては、結構おもしれーですよ」


 くたびれたテーブルの上には、水晶球が置かれていた。東洋魔術師のなかでも一握りしか使えない【遠視】の魔法は、今はギャンブル狂い二人の玩具にされているようだ。


「ほう。黒髪の子が勝っているのか」

「そうそう。アウロイ盆地15km地点を独走状態なんだよ!」

「うおおおん。私の金が溶けるー!」


 水晶球に映る光景は、意外や意外。

 黒髪の子が、一人旅状態で先行していた。

 腰まで届く黒髪を結わえているので、黒髪ポニーか。競馬になぞらえて上手く言ったものである。


「だが顔色が良くないな。恐らく魔力消費が激しい」

魔力枯渇(パンク)する前に逃げ切ってえええええ!」

「魔力枯渇しろ! 今すぐ魔力枯渇しろ! でも怪我せず着陸しろ」


 ずいぶんと無茶を言う奴らである。魔力枯渇の概念も知らない入学生にかける言葉ではない。


「あっ、【烏】の式神が消えました」


 水晶球のチャンネルを変えると、【遠視】の主が軽い調子で言った。

 彼女はさして、勝敗には興味がないようだ。その証拠に飢えた勝負師の目をしていないし、ソファーに寝転がって煎餅をかじっていた。


「っしゃあ、私の名馬が復活した! さあ反撃の狼煙を上げるのだ!」

「逃げてえええええええ! 私の黒髪ポニー逃げてえええええ!」


 ひとまずギャンブル狂いは置いといて、私は煎餅をかじる彼女に聞く。


「お前は賭けないのか?」

「賭けませんよ。こうして人生を破滅させる人間を見ながら食べるせんべいが、実に旨いのです」

「……お前も大概だな」

「美人とおだてられて、チケットを五十枚も買う団長には負けますよ」

「何っ、お前見ていたのか――ッ!」


 不覚。乙女として一生の不覚であった。


「あー、団長。私もその話聞いたよ。よっ、美人さん!」

「ねえねえ。万が一黒髪ポニーが来たら、飯おごってね美人さん!」

「……お前らという奴は」


 どうする。記憶操作など、私には到底できない。

 ……そうだな。鈍器なようなもので頭を叩くとするか。うむ、それが一番簡単そうである。


 私が一時の恥を消そうと、魔力を練り始めたときだった。


「伝――令っ!」


 伝令ちゃんが、慌ただしく扉を開けた。

 当然本名ではなくて、あだ名だ。一年生のころに伝令を任せて以来、伝令という仕事に取り憑かれたという、少し変な子であるが、良くできた後輩である。


 ――伝令をするときに、周囲へ緊張が走る一瞬が堪らんのですよ。


 とは、伝令ちゃんの弁である。

 私にはさっぱり理解できないが、彼女の個性を尊重することにしている。彼女は、伝令するとき一番良い顔をしている。きっとそれで良いのだ。


「ええー、今良いとこなんだけど」

「伝達ミスだろ。取り敢えず聞き直してこいよ」


 ギャンブル狂いの反応は芳しくない。

 彼女たちは今、厄介な病気にかかっている。働きたくない病だ。もう年中かかっているが。


 じわりと、伝令ちゃんの目元が光る。

 不味い、来るぞ。


「伝――令っ! 伝――令っ!」

「どうやら大変そうだな。速やかに報告を頼む」


 そう告げると、伝令ちゃんの顔が明るくなる。

 さすがに、涙目の伝令ちゃんを無碍にはできなかった。伝令ちゃんは嬉しそうな表情を隠しつつ、報告に励む。彼女にとって伝令とは、笑って行うものではないのだ。


「伝令! チキチキ魔法少女入学杯に賭けた生徒が、続々と正門前に集結しています」

「うわあ、これは暴動に発展しますなあ」

「馬鹿だねえ、私たちみたいに静かに観戦すれば良いものを」


(正門前に詰めかけているか……これは不味いことになるな)


 今日は入学式とはいえ、あまり正門前に女生徒が詰めているのは不自然である。

 不自然な人の流れは、教員の間に不審の輪を広げていくに違いないだろう。


「ねえねえ。もしかして新入生も野次馬になってて、ロミオホール空っぽだったりしてね」

「あり得る。うちの女学院バカばっかだもんなー。で、いくら賭ける?」

「やだよ。そんなの賭けになんないじゃん」


 ギャンブル狂いは、膝を叩いて笑っていた。

 残念ながらその通りである。うちの女学院に来る乙女は阿呆ばかりなのである。

 もうこの秘密の賭けごとが白日の下に晒されるのは、時間の問題でありそうだ。


「うむ。伝令ちゃんよ、大儀であった。引き続き警戒に当たってくれ」

「ははあ、身に余る光栄です。それでは」


 伝令ちゃんは、風のように去っていた。実に忙しい子である。働き者とも言えるが。


「聞こえたですか。今すぐ乙女のオカリナ部隊は、配置に付くのです」


 煎餅をかじっていた彼女が、水晶球ごしに命令を飛ばしていた。一年前にくらべると、頼もしくなったものである。ここは任せておいても問題なさそうだ。


「後は任せたぞ、マイア。ほらお前らも働け!」

「仕方ないなあ。行くとしますか」

「最後の瞬間は、ゴール前で見学すれば良いか」


 二人の怠け者を連れて、私は正門前に向かった。

 戦いの時は近い。予感というよりは確信である。もう戦いは避けられまい。


 現場に到着すると、案の定と言うべきか。

 正門前に詰める女生徒の数は、優に百を上回っていた。なかには『入学おめでとう』などというプラカードを掲げて偽装を図る者もいたが、数が数である。


「あーあー、こりゃダメだよ、オルテナちゃん。時間の問題だね」

「そうそう。もうどうしようもないし、大人しく空中レースを楽しもうぜ」

「そうするか。祭りに水を差すのも気が引ける」


 ギャンブル狂いの二人はハイタッチをかわしていた。なんだか二人の意見に乗せられた気もするが、気にしないでおこう。


(しかし、思ったよりは大人しいじゃないか)


 と、感心していたのも三分間だけの話である。

 街の検問所を突破した二人の姿が見えると、正門前の静寂はすぐに破られた。

 魔力枯渇寸前で火花を散らす二人の姿に、野次馬のボルテージは否応なく上がっていく。


「行けー、私の交遊費の全てがかかっているのよ!」

「ふざけないでよ。こっちは来季の学費を突っ込んでいるのよ!」

「来た来た エメラルドの魔法石が近づいて来た!」


 品のない声が飛ぶなか、一際大きい声が上がった。


「超頑張れー、八坂さーん!」


 あまりの大声で耳奥がキーンとなる。横を見ると二人も苦い顔をしていた。

 こちらは聴覚が鋭いので控えて欲しいところだが、声の主を見て納得。

 おでこを出した東洋人。そりゃ100枚分も注ぎ込めば、必死になるか。


「走れー、お前が負けたら一文無しだ」


 続いて響いたのは、抑揚はないが透き通る声。


 叫んだのは、胴元の銀髪少女だった。

 はて。胴元である彼女は損をしないシステムなのに、なぜ叫ぶのか。

 横顔を盗み見ると、その理由はわかった。

 西洋人形めいて見えた銀髪少女の顔には、少し興が乗っているようだった。


(どれ、私も景気付けに声援でも送るか)


 と思ったが、喉元まで登った言葉は、声にならなかった。


 勝負終盤のメインストリートの直線。

 フィロソフィア嬢は先行すると、道幅を防ぐ【風の壁(ウォール)】を展開した。


(あっ、これは無理だな)


 脳内で、5万イェンが飛んでいく絵が見えた。

 腐っても御三家の一角。フィロソフィア嬢の防衛策は見事なものだった。


 万馬券の到来に歓喜していた女生徒は、阿鼻叫喚。安牌に賭けた女生徒は、胸を撫で下ろしていた。


 誰もが決着がついたと見たとき、後方の黒髪ポニーが【呪術弾】を生成した。

 黒い靄を成形する速度といい、半径一メートル級の大きさといい、外部入学生とは思えぬほどに使い慣れた手際だった。


「くくく……勝てぬなら、殺してしまえホトトギス」


 万馬券狙いだった部員が、物騒なことを口走った。目がマジである。

 だが、なまじ有り得ない話でもなかった。半径一メートル級【呪術弾】の着弾を恐れて、正門前の女生徒は引き潮のように離れていく。

 お前らの大半が相殺可能な魔法だろうとも思ったが、今彼女たちは頭がおかしいのだった。万馬券が消えたことでな。


(まあ、撃つというなら見過ごせないがな)


 来る【呪術弾】の射出に備えて、魔力を練り上げる。悪いが、ここは魔法でものを言う国である。ルールを守れない無法者は、力で制圧させていただこう。


 目配せすると、素知らぬ顔で二人も準備を整えていた。なんだかかんだで、大事なところでは仕事する奴らである。


 黒髪ポニーの【呪術弾】の魔力が手元から離れ、先行するフィロソフィア嬢が、背後のプレッシャーから首を回した。

 間近に迫った射出の瞬間に合わせて、野次馬の緊張感が高まるなか。



 【呪術弾】は――――上空に放たれた。



「――えっ」


 フィロソフィア嬢のつぶやきは、正門前にいる集団の心の声を代弁していた。

 私たちが上空に目を取られた一瞬、無敵の馬はゴール直前で宙を転げた。

 その光景に、野次馬共は言葉を無くしていた。金の話ではない。地面に落ちるご令嬢の身を案じてだ。


(――ッ! 間に合うか)


 私の目に入っただけで、五名は彼女を助けようとした。しかし、その誰もが遅かった。魔法の行使は間に合わない。


「退いて下さい――ッ!」


 箒に乗った一陣の風が、吹いた。

 黒髪ポニーは減速することなく突っ込み、空中でフィロソフィア嬢を抱き抱える。揺れる不安定な態勢を力で抑えこむと、彼女は速度を殺して、ゆっくりと着地した。


「貴方のお城にご到着ですよ。お姫様」


 先にセントフィリア女学院の敷地に足を下ろした、黒髪ポニーの勝ちだった。

 万馬券の到来で浮かれる者はもちろん、大枚叩いて大損こいた連中までもが湧き上がる。黒髪ポニーは無名の最強馬だとか、そのような低俗な話ではない。


 私は、自分に万馬券がきたことなど忘れていた。黒髪ポニー、いや、そのような名前は失礼である。


 ここで改めて紹介しよう。

 正門前通りで注目を集める黒髪の乙女ーー八坂命は、人の視線を惹きつける魅力を持った、星だった。


「見つけた……こいつだ」


 この日、私は後継者を見つけた。是が非でもこの子を後継者にすると決めた。




     ◆




 頭から足の爪先までも、青空で満たされた気分だった。命の身体を巡る『なにか』に名前があるとすれば、それは爽快感に他ならない。


(ああ、そうか)


 ――答えは、空のなかにあった。

 後から思えば、なんてことない単純な問題だった。噴水広場で子供が向けていたあの目が、命の原点だった。


 まばゆく輝く魔法の魅力が色失せたのは、いつのころの話か。

 恐らくそれは、魔法が実生活に役立たないと気付いたころだった。


 少しずつ大人に近づき、少しずつ子供から遠ざかっていくなかで、幾つもの大切なものを拾い集め、幾つもの大切なものを落としてきた。


 これは知らぬ間に落としてしまった、そんな大切な気持ちの一欠片だった。


(わたしは――)


 子供のころ、魔法使いになりたかった。その時の気持ちが、命のなかで鮮明に蘇っていく。


(ただ何も考えずに、大空を駆けたかったんだ)


 女学院生活は、命の望んだものではない。

 ストレスの鎖で雁字搦めにされて、道中で友達と喧嘩をした。感情の爆発に任せて、異国の地で金髪少女と空で競り合いもした。


 思い返せば、奇妙な道のりだった。

 自分でも何をしているのかと、ため息の一つでも付きたくなる。けれど、今日ばかりは良しとしようと決めた。


「それで私は、貴方に頭でも下げればいいのかしら」

「いえ結構です。どうでも良くなりました」


 腕のなかで睨みつけるフィロソフィアも許せる。

 感謝こそしないが、彼女と空を駆けたことで、命は難しい考えから解放された。


「今日は気分が良いので、許してあげます」

「そう。なら――」


 フィロソフィアの右手から、ビンタが放たれた。暴れた彼女は、命の腕から脱出して立ち上がる。


「下ろさせていただくわ。私には一人で立てる両の足がありますの」


 樫の杖を拾うと、フィロソフィアは折れぬプライドを抱えて、背中を向ける。決して振り返ることも、頭を下げることもない。


「馬鹿な真似していないで行くわよ、エメロット」

「きょ、今日のところはこの辺で勘弁してやるぅー」


 三下の演技をする従者に、金髪少女が苛立たしげに手を振るう。飛んでくる主人の手を、銀髪少女はすんなりと避けた。

 その慣れた遣り取りでお互いの調子を確かめながら、金と銀の魔法少女は正門前から退場していった。


(――痛っ。簡単に許さないほうが良かったですかねえ)


 命は寛大な処置を施したことを少し後悔したが、何よりも安堵感が勝った。

 途中何度も危ないと思ったが、命はフィロソフィアとの勝負に勝ったのだ。


「八坂さーん!」


 根木が、勢いを付けて命の胸に飛び込む。気を抜いていた命は、慌てて彼女を抱き抱えた。


「ありがとー。そしてごめんなさーい。元を辿れば私のせいなのに」

「気にしないで下さい。私が好きで買った喧嘩ですから」

「でも」


 命は、そっと人差し指を根木の唇に当てる。


「おっと。それ以上はなしです。私たちは友達でしょう。根木さんは友達を馬鹿にされたから怒って、私は友達が危ないから助けた。ただそれだけの話ですよ」

「うん、わかった。友達だもんね」


 愛おしげに身体をすり寄せる根木を見て、命は思う。抱き抱えるには金髪の暴れ馬より、この野菜のお姫様が良いと。



 ピ――――――――――――――――――ッ!



 唐突に、女学院に笛の音が鳴り響いた。笛の音を聞いた誰かが、笛を吹いていく。

 やがて幾重にも重なり、大音声を立てた。


「一体何の音ですか」

「始業のチャイム系かな」


 入学式すら終えていない二人は、知らない。

 それはセントフィリア女学院に通う女生徒であれば誰もが知っている、乙女のオカリナと呼ばれる警笛であった。


 次いで【白馬】に乗る伝令があらわれると、ギャラリーの間に緊張が走った。


「伝――令っ! チキチキ魔法少女入学杯とその賭博行為は、教員の知るところとなった。すでに先兵は討ち取られた。皆さん早く逃げて下さい!」


 そう言い終えると同時に、伝令の少女は【白馬】ごと吹き飛ばされた。

 彼女にぶつかった巨大な水塊の残滓が、太陽に照らされキラキラと光った。


(え、なんですか。風が止んだと思ったら、今度は巨大な水の塊!)


 巨大な水塊が放たれた方角。そこには、水色のふわふわしたウェーブヘアを揺らす女性がいた。


「さあ、次に沈みたいのは、どの娘かしら」

「げえっ、リルレッド先生だ!」

「うわあ、三十路独身を目前に控えた、リルレッド先生だ! こいつはヤバイ。婚期を逃した女教師様は、八つ当たりできる相手をご所望だ!」


 賭博現場を押さえられて一時は狼狽えるも、当女学院の女生徒はたくましかった。

 このときに備えて、自警団の三名は部室から足を運んだのである。


 耳あて付きの帽子を被った女生徒――オルテナは一歩前に出ると、二人の部員に指示を飛ばす。


「お前ら前に出ろ。遠慮は要らん。派手にぶちかませ――ッ!」


 ざんと、足並みを揃えて二人の魔法少女が前に出た。オルテナと同じ帽子を被った二人組だ。


「やーっぱり、最後はこうなるわけなんだね」

「面倒くせえ。一生独身の構ってちゃんの相手とか」

「……だ・れ・が」


 リルレッドは、大きく振りかぶる。

 手元に生成された水の塊【水泡弾】が、気泡を上げながら膨らんだ。


「一生独身じゃああああああああああああ――ッ!」


 リルレッドが豪快に投げ飛ばした瞬間、オルテナは声を上げた。


「迎え撃て――ッ!」


 合図に合わせて、二人の前に虎が顕現した。

 炎だけで象られた【炎虎】は、唸り声とともに水塊に飛びかかる。


 二つの魔法は互いを喰い合い、相殺すると、衝突の余波に合わせて大量の水蒸気をまき散らした。

 白い霧が賭博現場を包み隠していくと、キュピーンと乙女たちの目が輝せた。

 この好機を逃すようでは、セントフィリア女学院での生活を送れない。


「一、二の……散!」


 たちまち女生徒は散会し、白い霧に紛れた。


「なっ、小娘たちが小癪な真似を」


 逃げる女生徒にリルレッドは歯噛みするも、なお果敢に立ち向かう者もいた。


「まだだ。せめて新入生は全員逃がすぞ。新入生諸君はホールまで走れ」


 ある者は上級生の意地を見せ、


「闇討ちです。リルレッド先生の講義を落とした同士たちよ、集うのです!」


 またある者は単位を落とした腹いせに、


「クエスト発生! クエスト発生! 独身貴族を討ち取るのです!」


 残りは面白半分で戦乱へと巻き込まれにいく。


「何だかよくわかりませんが、逃げますよ」

「合点承知の助だよ! 八坂さん」


 命は根木の手を引き、入学式ホールに走る。新しい生活が直ぐそこに待っていた。


 


     ◆


 


 セントフィリア女学院のメインシンボル、白亜の城。その5階に理事長室はある。


 客人を招く部屋でもあるため、豪奢な調度品があるのだが、今ソファーに腰をかけるのは物の価値がわからぬ教員だった。


 マグナは我が物顔でソファーを独占し、机に置かれた水晶球を眺めてゲラゲラと笑っていた。


「実に今日も我が女学院は平和だな」

「元気なのは良いけれど、もう少しお淑やかであって欲しいものねえ」


 返答したのは、理事長席でこめかみを揉む――カルチェット=マーサだ。

 本学院の女生徒から、心優しいおばあちゃんと慕われている人物である。マーサも、女生徒とこのセントフィリア女学院をこよなく愛している。


 しかし、毎度のように魔法少女は騒ぎを起こすので、心労は尽きない。ただでさえ騒がしい女子高生が魔法を使うのである。一番上に立つマーサの苦労は計り知れないものがあった。


「上級生もですが、今年は一年生も問題児揃いで、頭が痛くなりますね」

「そう言うなよ、ばっちゃん。可愛い生徒だろ」

「もちろん、それは変わりません。女生徒はみんな、私の娘ですからね」


 セントフィリア女学院に通う生徒は、全て娘である。それが、マーサの教育理念であった。多少の騒ぎならば、娘のしでかしたことだと目をつぶる。


「ですが、私とてすべてを許容できるわけではありません。本当に戸籍を偽造した生徒なんて受け入れて、良かったのですか」

「構わない。全責任は私が請け負う」


 堂々と言い切るマグナを見て、マーサはため息を付いた。


 マーサがまだ教員だったときから、マグナはこうだった。問題児として名を轟かせ、何度も手を焼かされてきた。この問題児を送り出す前と後では、マーサは三年という年月以上に老け込んだ気すらした。


 しかし、そんな問題児もいなくなれば寂しいものである。マグナが卒業してから二年、セントフィリア女学院には平穏な日々が戻った。


 大変だったが、終わってみれば悪くない生活だった――などと、過去が美化される手前の出来事であった。


「悪いばっちゃん。仕事ねえから雇ってくれよ」


 二年で職を失ったマグナが、職を求めて戻ってきたのだ。悪夢の出戻りではあったが、マーサは彼女を笑顔で迎え入れた。

 不出来な娘であるからこそ、一層可愛らしくも思えるのである。


 三つ子の魂百までを地で行く問題児は、教師になってからも素行不良で名を馳せた。ここに至るまでも悪事を重ね、その度マーサは便宜を図ってきた。


 だが、今回ばかりは彼女もマグナに庇えない。


「一教員が取れる責任の範疇を超えていると思いますがねえ」

「上手くやるさ。バレなきゃ万事問題なしよ」

「……心配なことこの上ないのですが」

「なーに、大船に乗ったつもりでドーンと任せろ」

「貴方に大事なことを任せて、ロクなことになった覚えがありません」

「それは飽くまで過程の話だろ。何があっても結果を出す女だぜ、あたしは。いや出さずには引き下がれない女だからな」


 釈迦に説法するようなものだった。

 昔から説教をしても、聞くような子ではなかった。

 地位や権力に媚びることがない姿は、尊敬に値する一方、危うくもあった。


 だからこそ、マーサはマグナを止めたかった。


「マグナ……貴方を一人の教員と認めて、問います。一人の生徒の人生を台無しにする。その重みがわかりますか」

「怖え顔すんなよ。私だって無駄に切り札を切るような真似はしねえさ。切らずに済んだらそれまで。単に三年間、我が女学院に変わり種がいただけの話だろ」

「もし私の生徒を、私の娘を不幸にしてみなさい。私は貴方を許さない」


 理事長として、マーサには譲れないものがある。

 その覚悟を伝えたつもりだが、マグナはわずかに顔を曇らせただけだった。


「ばっちゃんに嫌われるか……それは悲しいねえ。けど言っただろ、あたしはもう引き下がれねえ。あたしは馬鹿をするために生まれ、馬鹿をするために死ぬ人間だ」


 マグナは反動を付けて、ソファーから立ち上がる。背を向けて口にする言葉は、明確な反抗の意志だった。


「悪いなばっちゃん。あたしはもう止まれねえ。たとえこの女学院すべてを敵に回してもだ」


 マグナは理事長室から退出する間際、思い出したように言った。


「最後に訂正してやるよ。あいつは私の娘じゃなくて、息子だろ」


 燃える双眸を携えて、彼女は理事長室を後にした。


 一人残されたマーサは、何度目かのため息を付く。

ため息を付かずにはいられなかった。


 自分が賢明なのか、あるいは臆病者なのか。

 彼女が勇敢なのか、あるいは愚か者なのか。

 答えはわからない。一人きりの理事長室に、答えを返す者はいない。


(無駄に切り札を切る真似はしないなんて、馬鹿な子。それでは、時期がくれば切ると宣言しているようなものなのに)


 何が正しいかは、マーサにはわからない。

 だが、それでもやるべきことは決まっている。

 セントフィリア女学院学に通う生徒を、娘を守る。それが教育者として、彼女が最優先するものだった。

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