5:初めての惑い
巨大な門を潜ると、そこは背の高い壁に守られた国だった。
そこかしこに活気が溢れていて、綾を尻込みさせる。
「レスターさんに玉幽さん!」
朗らかな男の声に、呼ばれた二人が反応を返した。
門の側にある詰め所から、四十代後半の男が出てくる。感じの良さそうな顔をしていた。
「無事で何よりです。それで、どうでした?」
「酉を一体、落としましたよ」
白金の髪の男──レスターが、にこやかに答える。
「そうですか…近頃は、本当に、魔物がよく出没するようになってしまい、他の国へ行くのが至難の業…」
「俺は平気だった」
「レスター!」
新緑髪の男──玉幽が、無神経なレスターの台詞を低くたしなめた。
「ははは。気にしないで下さい、玉幽さん。心強いじゃないですか」
男は肩を揺らして笑ったが、すぐに表情を改める。
「しかし、魔物などというものが出始めたのは十七年程前…突然現れ、人を、国を襲い、そして今、数が増してきています。どうしたものでしょう…」
「どうにもならないサ。原因を突き止めない限り…」
レスターは唇を半月に歪めた。しかし、紫水晶の瞳は微かも笑っていない。
「…そのために、守人がいる」
暗くなった場を、玉幽が執り成す。
「そうですね。頼りにしていますよ」
と、ここで男が、二人の後ろにいる綾に気付いた。
「おや、そちらの娘さんは…?」
「魔物に襲われたようだね」
「え!? それは、よく無事で!」
男は目を丸くして驚き、綾に微笑みかける。綾は戸惑った。
「怪我もないようで、この方達に発見されてよかったですね」
何の関わりもない男に心の底から無事を喜ばれ、綾はどう反応を返せばいいのか判らない。
「ラカスさん。この娘をお願いできますか?」
レスターの言葉に、ラカスという男は大きく頷いた。
「それは、もちろん!
では、ここを任せてもいいですか? 家に連れて行きます」
「お願いしま〜す♪」
何故か、レスターはウキウキしている。それが、綾の気に障った。
血塗れの綾を、人々が好奇の目で注目する。綾は居心地が悪かった。
「やぁ、ラカスさん! その娘は誰だい?」
知りたくてウズウズした表情で、中年男が挨拶がてらに声をかける。
「やぁ。東の守人に助けられた娘ですよ」
「東のと言えば…あの若い二人かい?」
「そうです」
「さすが、若いのによく…よかったな、嬢ちゃん!」
会話を聞いていた人々が、若い守人たちを称え、綾の身の上の幸運を羨んだ。
綾は顔を伏せ、歓声から逃れるように耳を塞ぐ。
(五月蠅い…皆、私を知らないから、そんな顔ができるんだ…!)
「さあ、もうそこだ」
ラカスは綾の背を促し、案内した。
並ぶ石造りの家。その内のひとつ、白い石の家の前で止まった。木製の扉を引き、室内へ。
「あら、ラカス。その娘はどちらさん?」
丸い体型の、ラカスと同い年くらいであろう女性が、腕一杯に衣類を抱えて出迎えた。
「この娘は、レスターさんと玉幽さんに助けられたんだ。魔物に襲われたらしい」
「まあ!」
女性は目を丸くし、コクコク頷く。
「そうかい、そうかい…大変だったね。名は何と言うんだい? あたしはタミヤだよ」
ニコリと、破顔一笑。心を和ませてくれる笑顔だ。
「荒井綾、です」
タミヤの優しい雰囲気から、素直に姓名を答えてしまったが、ここは知らない場所。言葉は通じているようだが、どういう文字を用いているのだろうか。
「アライリョウ?」
やはり、日本名が聞き慣れないのだろうか、綾の名を繰り返したタミヤのイントネーションが少しおかしい。
「綾、と呼んでください」
「リョウ、良い響きだね!」
タミヤは心得たとばかりに、また破顔する。
面と向かって人と接したことのない綾は、名を褒められ、心が浮くことに戸惑った。
「それじゃ、タミヤ、この娘の世話を頼むよ。私は仕事に戻るから」
「はいよ。リョウのことは任せときな」
タミヤが頼もしく頷くので、ラカスはそんな妻に柔らかく微笑み返す。