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16:晴れた霧

 玉幽は溜息を零す。今日一日で何回溜息をしたのだろうかと思わずにおれなかった。扉の向こうに誰がいるのか、考えるまでもない。

 すると、急かすようにまた扉が蹴られた。怪訝に眉を(しか)めた綾に、問題ないと示すように頭を軽く振り、玉幽は扉へ向かう。

「遅っせー!」

 そこにいたのは、やはり、レスターであった。何やら布の塊を腕いっぱいに抱えて、抗議の声を上げる。しかし、窓を背にして立つ綾の表情に嫌悪が増すのを、レスターは見逃さなかった。

「このレスター様がわざわざ布団を持ってきてやったんだ。ありがたく思え」

「布団?」

 首を傾げて聞き返した玉幽に、レスターが片眉を上げて見せる。口角が厭味たらしく歪んだのを目にし、玉幽は聞き返してしまったことを後悔した。

「あっ、もしかして余計なお世話だったァ? でもまさか、会ったばかりで……ねぇ?」

「違う」

「何の話をしている……」

 よく聞き取れなかった綾が低く鋭い声と共に、レスターを目の敵にする。レスターは愉快げに咽喉の奥を鳴らした。

「娘、寝床をどうするつもりだったんだ?」

「何……?」

「だって、この部屋には寝台が一つしかないだろう? だから、俺はこうして布団を持ってきてやったんだけど……余計なお世話だったんじゃないかとねー」

「───ふざけるな!!」

 漸く間接的な言葉の中の真意を理解した綾は、殺気を(みなぎ)らせてレスターに躍りかかる。だがそれは玉幽に阻まれた。

「貴様ッ!!」

「落ち着け、綾!」

退()け、玉幽! このままでは私の気が済まない!」

 綾は牙を剥き、腕を伸ばす。先には余裕綽綽と笑むレスター。更に綾の怒りを煽った。

「それ、玉幽の服だね。もう仲良くなったんだァ」

「レスター!」

「その首へし折ってやる!!」

 玉幽は綾を懸命に抑えながら、レスターに()めろとその名で訴える。

「どうせ、床で寝るつもりだったんだろ? ハイ、どうぞ」

 仕方ないとばかりに肩を竦め、悪意が満ち満ちたニッコリ笑顔で、布団を綾に差し出した。

「要らんわ!! そんな物なくとも、床で眠れる!!」

「人の好意は快く受けとくものだゾ♪」

「貴様のは好意と言わん!! 馬鹿にするな!!」

「そう思うのは、おまっへぐ──」

 また逆撫でするような事を言おうとする口を、玉幽は慌てて塞ぐ。

「レスター!」

 紫水晶の双眸はキョトキョトと可笑しげに和んだ。玉幽は呆れ、溜息を落とす。

「道を開けろ、玉幽!」

「綾、レスターはからかっているだけだ。適当に流せ」

「からかう、だと……そのような軽い言葉で納得できるものではない!」

 頬を上気させた綾が苦々しく吐き捨てた。

「真面目に取り合うな、綾」

 肩越しに琥珀の瞳に見つめられ、綾は口を噤む。下脣を噛み、このままでは埒が明かないと唐突に理解した。何を言ってみても、レスターはあらゆる箇所で突っ込んでくるだろう。ならば、大人になってこちらが退()くしかない。レスター相手では、どう判断を下しても業腹(ごうはら)だが。

「……もういい……」

 ふう、と、吐息混じりに囁き、表情を消した。本来感情の表れやすい瞳さえ、一切が失われている。

 現実を切り離すかのように一歩退いて(きびす)を返し、窓辺へ向かった。そっと窓枠に寄り掛かり、夜闇を透かす。

 玉幽とレスターは互いの顔を見交わした。

「……レスター、どうしてあんな態度を……」

 レスターを解放し、玉幽は気怠げに息を吐く。

「えー? 愉快だから?」

 懲りることを知らないレスターが、ケケケと笑声を立てた。剣呑な眼差しを向けられすぐに納めたが、口許には笑みを刻んだままだ。

「そう怒るな。ホラ、布団。確かに渡すつもりでいたんだ。ほんの遊び心だ」

「……一応、礼は言っておく」

「どういたしまして♪」

 布団を渡し、ニッと白い歯を見せる。そうして、窓に額をくっつけて俯く娘へ目を転じた。

「おい、娘。明日、発つ前にタミヤさんのところへ挨拶しに行っとけよ」

 綾は特に反応という反応を返さなかったが、薄く口を開く。

「そういえば、レスターはどうして綾がここにいると?」

「ん、そうだなァ……娘は嘘ついたろ? もし罪悪感なんてモノがあったなら、顔を合わせづらいんじゃねぇかと」

 だから、どこぞで独り夜を明かすか、玉幽のところしかない、と。

「ああ、そうか……」

「タミヤさん、心配してるだろうねぇ」

 レスターは脣に繊細な指を添え、チロッと舌を出した。

「なぁ、娘。嘘をついたから、戻れなかったんだろ?」

 綾は何も喋らないが、そんなことは了解した上で続ける。

「恩を仇で返すつもりか?

 どうしても嘘をつかなければならない状況だったのか?

 違うな。今、お前は嘘をついた上でここに居る。嘘をつく必要はなかったろう?

 どこへ行きたいのか知らないが、本当の事を話しても何ら支障はなかったと思うぞ。彼女は、他人(ヒト)が進むと決めた道を邪魔するような女性ではないだろう」

 珍しく真剣な口調のレスターに、玉幽は驚きと多少の敬意を()い交ぜにした視線を注いだ。それに気付いたレスターはうなじを撫で、フンと鼻を鳴らす。

「後悔するなら、意味のない嘘をつくな」

「……何か、とてつもなく貴重な時間を過ごした気分だ」

「茶化すなよ。たまにはいいだろ?」

「別に、茶化しては……どちらかと言うと、いつも茶化しているのはレスターの方だろう」

「茶化しても、偽りを口にした覚えはない」

「そう、だな……」

 否定はせず、あっけらかんと言い放ったレスター。玉幽は苦笑を洩らし、布団を寝台側に置く。

 始終言葉を閉ざしていた綾の心は、様々に揺れていた。構うなと常に悲鳴を上げているのに、奥深くでは孤独でないことに安堵を(いだ)いている。優しくしてくれた女性についてしまった嘘、平気だと思っていたが痛みを覚えた。

 ……だが、皆はまだ知らない。綾が持つ、忌まわしいチカラを。

「玉幽、俺は暫くラルムにいるから」

「ああ」

 そう告げるレスターは飄飄としており、名残を惜しむ暇などない。

「無事でな。またどっかで」

 玉幽の肩をポンポンと慕わしげに叩き、部屋を出ていった。扉が閉まるまで見送り、玉幽はひとつ吐息する。

「綾、床で寝るなら布団を使え。折角だから」

 卓上に広げた地図を片しながら言うと、綾は黙りこくったままクルリと向きを変えた。布団を手にし、寝台がある方とは反対の壁際に敷く。玉幽は頬を微かに弛め、自分も寝台へ腰を下ろした。

 玉幽に背を見せる形で横になる綾。何の感慨もなくただ壁を眺めた。漸く進めるのだと思いを巡らし、視界を閉ざして何故か、タミヤさんの顔が浮かんでは消え、母親の顔が浮かんで消えた。

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