ゴリラッキーに願いをこめて
「ごめんね、恵ちゃん。小桃のお守り、お願いね」
申し訳なさそうにするお姉ちゃんを、あたしはニコニコ笑顔で送り出した。
「うん、任せて。ちょうど動物園には行こうって思ってたから」
「おどうぶちゅえん!」
小桃ちゃんがあたしと繋いだ手をぶんぶん振って飛び跳ねる。
「おどうぶちゅえん! おどうぶちゅえん!」
「恵ちゃんの言うこと、よく聞くのよ?」
お姉ちゃんは小桃ちゃんに言い聞かせると、財布から一万円札を一枚、取り出した。
「これで足りる? 動物園の入場料とかいくらぐらいするのか知らなくて……」
「うんうん! じゅうぶん足りると思う」
「お釣りは返さなくていいからね」
ラッキーだ。
動物園の入場料って、確か大人六百円ぐらいだったと思うから──
「恵果ちゃんにもお土産買ってくるからね」
俊お義兄さんがさらに嬉しいことを言う。
「小桃は世話焼かすと思うから──」
「結婚前の気分で楽しんできてください」
あたしは愛嬌たっぷりに二人を送り出した。
「夫婦水入らずで温泉一泊旅行──いいなぁっ!」
「『小説家になりお文学賞』の発表、今日だったよね?」
お姉ちゃんが聞く。
「うん。十四時」
「楽しみだね、ドキドキするね! あたしも旅館でチェックするからね。受賞者の中にあたしの名前があったらカッコいいな!」
お姉ちゃん夫婦が車で出て行くと、広い家に小桃ちゃんと二人きりになった。お父さんもお母さんもとっくに仕事に行ってる。
あたしの名前は林檎崎恵果二十七歳、家事手伝いをしながら小説家をめざしている。
大手出版社『雛書房』が開催する『小説家になりお文学賞』に、あたしはこのたび初めて作品を投稿した。ペンネームは迷った末、許可をもらってお姉ちゃんの結婚前の名前『林檎崎もも』にした。
一次選考、二次選考を突破し、最終選考まで残ったのは全十作品。その中にあたしの『林檎と白桃の境界線』が入っていた。
今日の十四時に運命は決まる。
「けいちゃーん! おライオンさん見る! おキリンさん見るー!」
「はいはい、わかったから。ちょっと待ってね」
ズボンの裾を引っ張る鳥越小桃ちゃんは四歳になる姪っ子だ。お姉ちゃんによく似てかわいい。
あたしはスマホで時計を見た。
現在の時刻は午前九過ぎ。発表の十四時までは、まだ五時間近くもある。
この賞で大賞を取れば、賞金三百万円と雛書房からの単行本化、さらにはコミカライズやアニメ化の道まで拓ける。二十七歳、職なし、実家暮らし。あたしの人生の一発逆転が、今日の十四時にかかっているのだ。
あたしは元々今日、一人ででも動物園に行くつもりだった。
ゴリラッキーを授かるために──
「よしっ、小桃ちゃん! お出かけの準備しよっか!」
あたしが笑顔でそう言うと、小桃ちゃんはビシッ! と厳しく言い直しを求めてきた。
「ちがうでちょ! あたしのことは『おこもちゃん』と呼びなさい!」
小桃ちゃんは何にでも『お』をつけたがる。なぜ『も』が一つ抜けるのかは謎だが、彼女のことは『おこもちゃん』と呼ばなければ叱られる。
こういうお子ちゃまな遊びというか、こだわりというか、懐かしい気がする。
あたしにも何かあったかなぁ……
あったような気がする。思い出せないけれど──
ちっちゃい頃から創作するのが好きで、新しい言葉とかを創作して遊んでたあたしだから。お姉ちゃんもよく笑ってくれたっけ。
お姉ちゃんが「恵果は小説家になれるんじゃない?」って言ってくれた、思えばあれが端緒だったかもしれない。
お弁当を作り、水筒にお茶を入れ、準備が整ったのは十時過ぎだった。
「よしっ! こも……おこもちゃん、行こうか!」
「わーい! おどうぶちゅえん! おどうぶちゅえん!」
○ ● ○
あたしの車で動物園についたのは十二時前だった。
平日の動物園は人が少なく、がらんとしていた。
「おこもちゃん、おどうぶちゅえん、初めてきた!」
手を繋いで歩きながら、小桃ちゃん──じゃなくて『おこもちゃん』が動物を指さしてはしゃぐ。
「ああっ! おかんがるー!」
見るものすべてが珍しいらしく、繋いだ手を引っ張ってはしゃぎ回る。
「あっ! あれは……! おぞうさんだ! でかっ!」
まだ十四時までには間がある。
あたしはおこもちゃんが行きたいほうへ、好きに行かせてあげた。
「おたぬきだ!」
「ううん。あれはレッサーパンダだね」
「おれっ……! おれっちゃー? おパンダさん!」
「ふふ……。『お』が二つもつけてもらえて喜んでるよ」
「けいちゃん、あえは何ー!?」
「綺麗だね。フラミンゴだよ」
「お? お……。おフラミンゴ!」
海賊王のあの漫画に出てきそうな敵キャラみたいだと思ってあたしは思わず吹き出した。
すれ違う清掃員のおじさんを指さして、おこもちゃんが珍しいものを見るような声をあげる。
「おおじさん!」
「えっ?」と、王子さまには申し訳ないけど見えないおじさんが振り返り、照れくさそうに笑った。
休憩スペースで持ってきたお弁当を二人並んで食べた。
その間にもチラチラとスマートフォンで結果発表のページを見てしまう。当たり前だが発表はされていなかった。
さて……。そろそろ十三時だ。
あたしは行動を開始した。
ゴリラの『五郎』──
この動物園の名物ゴリラだ。
発端はある女性芸能人の体験談だった。
金澤ユカ──今では日本人なら誰でもが知る有名アイドル。
彼女はオーディションに落ちまくっていた。
これが最後と決めたオーディションを受ける前、この動物園に来たのだという。緊張をほぐし、気分をリフレッシュするため──
その時、なんとなくゴリラの檻に気を引かれ、近づいた。そこに五郎がいた。
目が合ったのだという。
『がんばれ』というように、五郎が手を振ってくれたのだという。
その直後に受けたオーディションで、彼女は見事に合格し、そこからあれよあれよという間にスターダムを駆け上がっていった。
TV番組で、彼女はこう語っていた。
「あれはゴリラッキーだったと信じています」
「五郎と目が合って、手を振ってもらったら、きっと願いが叶うんです」
あたしはそれにあやかろうと、今日ここへ来た。
一人だとちょっと気恥ずかしかったかもしれない。ツレがいてよかった。
ゴリラッキーがもし、もらえたら、あたしはきっと受賞する──
そんなことを信じてここへ来たのだ。
平日でも五郎の檻のまわりには結構な人がいた。みんなゴリラッキーにあやかろうとしているのだろう。
五郎は地べたに座り込み、じっとしていた。まるでリストラされた翌朝のベテラン中間管理職みたいだった。
「ああー! おかいじゅう!」
少し眠そうになっていたおこもちゃんが、五郎を見て元気を取り戻した。
「おゴリラだよ」
あたしは教えてあげた。
「お五郎で、おゴリラッキーなの」
「おゴリラッキー!」
おこもちゃんがゴリラに向かって手を振った。相変わらず五郎は白い灰になったボクサーのようにじっとしている。
あたしはおこもちゃんと繋いだ手に少し力を入れた。
こっちを向いて──
あたしと目を合わせて──
そしてどうか、手を振って!
時計は十三時二十六分──
噂では『直前』でなければご利益はないらしい。
ゴリラッキーを授かったとネットで発信したひとは何人かいる。もちろん真偽のほどは定かではないが……
運命の恋人と出会えたひと──
潰れかけていた会社を奇跡的に立て直すことができた社長さん──
極貧で栄養失調になり死にかけていたのが石油王に見初められ一転ブルジョワになったしいなここみ──
みんなが口を揃えて言う。ゴリラッキーを授かってから一時間以内にそれは起こったのだと。
あたしは金網をちいさくノックした。
どうか、こっちを向いて──
あたしと目を合わせて──
手を振って──
あたしを小説家にしてください!
「けいちゃ〜ん……」
小桃ちゃんがぐずり出した。
「おゴリラ、あきちゃったよぉ〜……。あっち行こ?」
「もうちょっと、もうちょっと待って!」
時計を見た。十三時四十九分──
「あとでアイスクリーム買ってあげるから、ね?」
「おあいちゅくいーむ!?」
おこもちゃんの声に元気が戻った。
「今たべたい! おあいちゅくいーむ、今たべたい!」
『お願い! 五郎!』
あたしは心の中で叫び声をあげ、つい金網を叩いてしまった。
『こっちを向いて! ゴリラッキーをあたしに授けて!』
時計が十四時になった。
ゴリラッキーは授かれなかった。あたしはうなだれながら、ゴリラッキーのないままスマートフォンで結果発表のページを開いてみるしかなかった。
まだ発表はされていなかった。
えてしてこういうものは誤差があるものだ。
ふと顔を上げてみると、五郎が立ち上がっていた。
長い両腕を地面について、こっちへ向かってくる。
あたしがそれを見ていると、五郎もこっちを見た。
目が……合った。
ゆっくりと、五郎の左腕が、上がった。
ゴリラッキーだ!
「けいちゃあーん……」
繋いだ手を小桃ちゃんがぶんぶんと振る。
「おあいちゅくいーむぅ〜……。おバニラのがたべたいよぉ〜」
あたしはもう一度、発表ページを開いた。
結果が発表されていた。
大賞は該当作品なし、入選が一作品、佳作が二作品選ばれていた。
その中に林檎崎ももの名前は、なかった。
五回確認した。
どう見ても、あたしの作品はそこにはなかった。
ふー……と息を吐いて、思った。
そうだよね……
審査の結果はとっくに──ゴリラッキーが起きるよりきっと遥かに前に決まってたんだから。
大体、受賞してたら結果発表よりも前に電話で連絡とかあるものじゃないんだろうか。知らんけど。
何よりオカルトに縋ってしまった自分が馬鹿みたいだった。
とにかく力が抜けきった。
繋いでる小桃ちゃんの手を離しそうになってしまったほどに──
「さーて……」
あたしは力なく、小桃ちゃんに言った。
「帰ろっか」
「おあいちゅくいーむ!」
小桃ちゃんが激怒した。
「おあいちゅくいーむでちょ! たべる!」
「あっ、ごめんごめん! そうだったね」
あたしは苦笑いしながら、小桃ちゃんの頭を撫でた。
落ち込んでいる暇なんてない。四歳児の『おあいちゅくいーむ』への執念は、あたしの未練なんかよりずっと強烈なのだ。
アイスクリームを売っているところを探しながら歩いていると、頭の上から音楽が聞こえてきた。
懐かしい感じの、聴き覚えのある、エレキギターのインストゥルメンタル曲が、頭の上に設えられたスピーカーから鳴っていた。
確かこれ、ザ・ベンチャーズの有名な曲だ。『パイプライン』だっけか──。あたしがそう思っていると、小桃ちゃんが叫ぶように言った。
「あっ、おベンチャーズ! じぃじがこれ、好きなの」
プッと吹き出してしまった。
お義兄さんのお父さんがファンなのだろう。それで小桃ちゃんもよく聴かされているんだと思った。
「おベンチャーズて……」
大笑いしながら小桃ちゃんにツッコミを入れた。
「おべんちゃら言うひとの集団みたい……」
その時、稲妻のようにアイデアが降りてきたのだった。
まだ明確な形にはならないけど、『おベンチャーズ』でものすごく面白くてセンセーショナルな小説が書けそうな予感がしたのだ。ゴリラッキーを授かってから間もなくのことであった。
「よし……!」
あたしは力強く、口に出して言った。
「来年はおベンチャーズでリベンジするぞ!」




