それから
ドボンデズのアジト消滅の三日後 赤坂の料亭ひろみ
部屋の入口の襖がカラリと開いて、野口が顔を覗かせた。部屋の中には既に敬天会のメンバーが集まっていて、酒を酌み交わしていた。
「いや、遅くなってすまない。例の件の後始末で時間を食ってしまった」
野口はそう言いながら部屋の中に入ると、背広の上着を脱ぎ、床の間を背にしてテーブルの前に座った。床の間には『因果応報』と達筆で書かれた掛け軸が掛けられていて、一輪挿しには闇のような黒百合が活けられていたが、誰も気に留める者はいない。駆けつけ三杯と言われて杯を慌ただしく重ねた後、料理に箸をつけながら野口が状況を説明した。
「陸自の特殊作戦群の出動はテロ組織の壊滅作戦であり、ドボンデズのアジトの爆発は、逃げられないと悟ったテロ組織がテロ用に備えていた爆弾を爆発させて自滅を図ったものという説明で、政府関係部署は了解済みとなった。但し、マスコミにはこの件は伏せて、あくまで化学工場が漏電により火災を起こして、備蓄していた可燃物質が爆発したと説明することになった。陸自の方はどうだ」
防衛省情報局の市川が野口を見て頷いた。
「特殊作戦群の実行部隊の死者については、演習場への移動中の輸送バスの転落事故による事故死とすることになった。昇龍の暴走については特殊兵器開発研究所で原因を調査中だが、いずれにせよ『なかったこと』として処理されるだろう。多額の予算を投じて開発したロボット兵器が暴走しましたでは済まされないからな。もみ消すしかないのさ」
野口が冷ややかに笑った。
「フン、そんなところだろう。まあ、いずれにしても、これで我々の人口統制計画を知る者も、邪魔する者もいなくなったと言うことだ。諸君、ご苦労だった」
野口の発声でメンバー一同は乾杯の杯を空けた。
失礼しますと部屋の外から声が掛かって、仲居が料理を運んできた。頭を屈めて鴨居を潜らなければならないほどの大女だ。
「ちょっと時期は遅いんですけど、飛び切り良い松茸が手に入りましたので、松茸のドボン・・・失礼、土瓶蒸しにしてみました。料理長からの差し入れでございます」
松茸の芳醇な香りが部屋中に広がった。仲居はテーブルの上に人数分の土瓶を並べると、「さあどうぞ」と言いながらひとりひとり横について、全員の猪口に注いで回った。全員に注ぎ終わると、ニッコリと笑って「ごゆっくり」と言うと部屋を出て行った。
「すごい馬面の仲居だったな、オグリキャップを思い出したぜ。あんな仲居ここにいたかな」
猪口に満たされた出し汁を啜り、土瓶の中の松茸を口の中に放り込みながら野口が首を捻った。防衛省の市川が相づちを打った。
「このご時世、人手不足だからなあ、ここも大変なんだろう。猫の手、いや、馬の脚でも借りたいんじゃないか。ハハハ・・・うん、美味い」
敬天会の六人は、松茸の土瓶蒸しに舌鼓を打ちながら、今後の経済政策の方向性について議論を始めた。憂国の士を自負する彼らの頭の中からは、既にドボンデズのことなどすっかり消えていた。
翌日の朝刊の三面に小さな記事が載った。
『赤坂の高級料亭ひろみで集団食中毒が発生し、六人が死亡した。松茸の土瓶蒸しの中に、松茸によく似た猛毒の松茸もどきが混入していたことが原因と断定された。料亭ひろみは当面営業停止となり、業務上過失致死を視野に捜査が進められることになった。死亡した六人は、内閣情報調査室野口一郎さん、総務省広瀬忠道さん、財務省清原誠司さん、経済産業省里中賢太郎さん、厚生労働省水山悟さん、防衛省市川公介さん。いずれも将来を嘱望されたエリート官僚で、職場の上司・同僚からは早すぎる死を悼む声が寄せられている』
ドボンデズのアジト消滅の二週間後 東京都内
東京都内では奇妙な鼻風邪が流行していた。二、三日の間、少し鼻水が出る程度で発熱はしないため、感染しても誰も気にしなかった。これから年末年始を迎えて、帰省する人々が日本中に病原菌をバラまくだろう。そうやってこの鼻風邪は恐ろしい勢いで東京から日本全国に広がるのだ。三か月も経てば日本中の全ての人がこの鼻風邪に感染するだろう。そして、一年も経てば全世界の人がこの鼻風邪に感染するのだ。
この鼻風邪が、人口統制計画による寿命短縮機能を無効化する機能を組み込んだ新型細菌兵器Zによるものであることは誰も知らない。
こうして人知れず人口統制計画は葬り去られたのである。
ドボンデズのアジト消滅の二か月後 東京都内
年が明けて、早くも一月が終わろうとしていた。人通りも疎らな商店街を神藤和也はこれといった目的もなく、ただブラブラと歩いていた。この寒空の下、上は黒のタンクトップに革ジャンを羽織っただけで、下はジーンズをはいている。
ドボンデズのアジトの自爆から何とか逃れた和也は、片岡の紹介で社団法人世界平和維持連盟の嘱託社員として採用された。デス博士の投与した強制覚醒薬の影響で、和也は過去の記憶を失っていた。魔人製造室の手術台の上で意識を取り戻してからの記憶が、和也の人生の全てだった。当然にチャッピーのつけのことなど思い出すこともない。
和也は人気のない商店街を歩きながら、どこかで見た風景だと感じていた。以前、この辺りを歩いたことがあるのだろう。一軒の喫茶店の小さな看板に和也の目が釘付けになった。店の名前は『白百合』。外から見た店内の造作は古びているが、看板だけは最近新調したのか新しい。
和也は吸い寄せられるように店に入った。カランと音がした。
「いらっしゃーい」
鈴を鳴らすような若い女性の声がした。
和也の目の前に百合の花のように清楚な女性が立っていた。年の頃は二十歳を少し出たところか、うりざね顔に大きな瞳とスッキリと通った鼻筋、少し受け口の蕾のような唇、皮膚の下の静脈が透けて見えるほどの白い肌、栗色の髪の毛はうなじの後ろでキッチリとまとめたポニーテール。千夏だ。
和也が千夏の顔に見惚れていると、千夏がニコリと笑った。とろけるような笑顔だ。
「神藤さん、お久しぶりです。どうぞこちらの席へ」
いきなり名前を呼ばれて面食らっている和也を、千夏はカウンター席に座らせた。そこは片岡の指定席だった場所だ。
「あのう・・・私の名前を、なぜご存じなのですか。私は以前にこの店にきたことがあるのでしょうか」
「いやだ神藤さんたら、忘れちゃったの? あたしは若竹千夏・・・そうか、片岡さんが『神藤は記憶を失った』って言ってたけど、本当だったんだ」
「片岡さん? 片岡さんもこの店にきていたのですか」
「そうよ、片岡さんはあたしのお姉ちゃんの千春が優駿という名前で喫茶店をしていたときの常連さんだったの。神藤さんもその当時、何度もこの店にきていたのよ」
千夏はコーヒーカップを和也の前に置いた。コーヒーの甘い香りが鼻腔をくすぐる。和也はコーヒーをガブリと飲むと「うん、美味い」と呟いた。
「それで、この店は新しく千夏さんが始められたということですか」
千夏はコクンと頷いた。ポニーテールがフワリと揺れる。
「片岡さんとお姉ちゃんが結婚して、南米のアマゾンに行っちゃったでしょう。この店を放っておくのはもったいないから、あたしが引き継いだの」
「片岡さんがアマゾンに行った? 片岡さんがアマゾンになった? ああ、頭がこんがらがってきた」
「とにかく、これからごひいきに。そろそろお昼の時間だけどランチはいかが?本日のランチは『ちらし寿司風ピラフ』よ」
姉妹そろって突拍子もない料理が得意なのだ。やはりメンデルは正しい。
「何とも不思議な・・・味が想像できないけど、それ大盛りで」
千夏は「はあい」と返事をするとカウンターの奥に引っ込んだ。
和也はカウンターの上に置かれていた新聞紙を手に取った。折り込みチラシが挟まったままだ。和也は何げなく折り込みチラシに目をやった。パチンコ店の新装開店のような派手な見出しと色使いが目を引いた。
『悪の秘密結社ネオ・ドボンデズ新装始動! 新規採用者募集中。資格経験不要・福利厚生充実・手取り応相談・諸手当あり・独身寮完備。さあ、一緒に世界征服を企てませんか!』
地下シェルターに避難したドボンデズの幹部は、秘密の通路を通って脱出していたのだ。そして、性懲りもなく新しい悪の秘密結社を立ち上げたのだ。新型細菌兵器Zの拡散も彼らの仕業なのだ。
チラシの下部には『私たちと一緒に!』という勧誘文句と共に、えんじ色のユニフォームを着た戦闘隊員の写真が載っていた。山本班長がゴリラ顔を歪めて不気味に笑っているその横で、晃と村木が両手を前に突き出して戦闘ポーズを決めていた。バカは死なないのだ!
新アジトの場所は新木場から東京ゲートブリッジを渡った先の中央防波堤埋立地。ドロン首領が会長を務める株式会社土門土木建設の資材置き場があるのだ。
ランチを食べ終わって会計を済ませた和也に、千夏がさりげなく小さな紙切れを渡した。
「はい領収書。世界平和のために頑張ってくださいね」
千夏はとろけるような笑顔で和也を送り出した。
和也は店を出て領収書を見た。裏面に若い女性らしい丸文字で何か書いてある。
『ネオ・ドボンデズ、狂気の東京飲料水汚染作戦、三月十五日午前十一時決行、場所:利根川水系、東都ダム第一貯水塔、時間厳守五分前集合のこと』
世界平和を守る正義の使者月光への情報提供は千夏が担当するのだ。千夏はいったいどこから情報を入手しているのか・・・ヨクルトレディー? いや、チャッピーのおやじだ!
狂気の東京飲料水汚染作戦
三月十五日午前十一時 利根川水系、東都ダム第一貯水塔
ネオ・ドボンデズの面々が東京の水瓶である東都ダムに毒薬を投入すべく、慌ただしく作業していた。作戦を指揮するのは『ネオ魔人カメデズン』。デス博士の後任者、小林研究員改め『ドクターK』により造り出されたカメ魔人だ。晃と村木は山本班長に小突かれながら毒薬の入った大きな亀、違った、大きな瓶を運んでいる。
遥か彼方からエンジン音が響いてきた。エンジン音は新緑の芽生え始めた渓谷にこだましながら貯水塔に向かって近づいている。爆音を上げて貯水塔前の広場にホンダスーパーカブ50改が走り込んできた。空冷四ストロークOHC単気筒、総排気量四十九CC、燃費は一リッター当たり百六キロメートルと、改良前より一キロメートルも向上したモンスターマシンだ。リアキャリアには大型のラゲージボックスが装着されていた。
スーパーカブには黒のタンクトップの上に革ジャンを羽織り、ジーンズをはいた神藤和也が乗っていた。白いヘルメットを被っている。スーパーカブはカメデズンの二十メートル手前で止まった。
和也はスーパーカブから降りると白いヘルメットを投げ捨てた。片岡と違って扱いが雑なのだ。和也は精悍な顔をしてカメデズンに正対した。よく見ると和也の顎が薄っすらと二つに割れている。万能細胞Zの影響だろう。
「待てーい! ネオ・ドボンデズ、お前たちの好きなようにはさせない! 世界平和を守る正義の使者月光に体形変化!」
和也はそう言うと、胸の前に両手を合わせて『Z』の字を作った。
説明しよう。神藤和也は元ドボンデズの戦闘部隊員かっこ非常勤かっことじるである。悪の殺人ロボット兵器により瀕死の重傷を負った和也は、出津博士により万能細胞Zを移植され、超人に生まれ変わったのだ。世界平和が脅かされそうになったとき、出津博士が開発した超人用装甲スーツを装着することで、神藤和也は正義の使者月光に体形変化するのだ!
(おわり)




