恐怖の東京湾封鎖作戦
七月二十日、午前十時三十分、横浜港の本牧埠頭D突堤第十八番倉庫前
梅雨が明けて夏本番の日差しが容赦なく降り注ぎ、突堤のコンクリートをジリジリと焼いていた。風はそよとも吹かない。灼熱の油地獄に投げ込まれたようである。
十八番倉庫前で二列になって並んでいるドボンデズ戦闘部隊第一班の面々は、噴き出した汗で既に頭の天辺からつま先までぐっしょりと濡れていた。夏本番というのに身体全体を覆うグレーのユニフォームを着て、今日は戦闘時に着用するマスクまで装着しているのだ、暑くない訳がない。
列の前に立っている山本班長は、五秒おきに腕時計を睨んでいた。
「遅い! 遅い、遅い、遅すぎる!・・・もう一回、遅い! 集合は五分前が鉄則だ! それを幹部自ら率先しないと、部下に示しがつかんじゃないか。マッタク、タコデズ様は何をやっているんだ」
山本は集合時間になっても現れない魔人タコデズに対する不満をぶちまけている。
整列している戦闘隊員のひとりがフラリと身体を揺らしたかと思うと、地面にしゃがみこんだ。五十過ぎの正規雇用の戦闘隊員で、ビヤ樽のような腹をしている小島という名前の男だ。和也が小島の背中をさすりながら声を上げた。
「山本班長! 小島隊員の具合が酷く悪そうなんですが・・・熱中症ではないかと・・・どうしましょう」
「あーん? 熱中症だと?・・・小島か、ブクブクと肥りすぎなんだよ。とにかく、日陰に連れて行って水を飲ませろ。後方支援の三班に連絡して医務員を要請しろ。作戦が始まる前からこれじゃあ先が思いやられるぜ。ああ、きたきた、タコデズ様だ。十五分も遅れてやがる。小島の救護以外の者は全員整列!」
黒塗りのミニバンが十八番倉庫の前に滑り込んでくると、整列している第一班の前で止まった。後部スライドドアがゆっくり開き、車の中からウネウネとした触手のような腕がドアの外に伸びていく。腕にはびっしりと吸盤が付いていた。触手のような腕に続いて大きな身体が出てきた。
ドボンデズの魔人タコデズが姿を現したのだ。
万能細胞Xと蛸の遺伝子を掛け合わせてできた蛸魔人である。丸い頭と小さな目、その下にチューをするように突き出した口、絵に描いたような蛸の顔をしていた。身長は二メートルを超えているだろう、羽織った赤いマントがユラユラと揺れている。
「タコデズ様に敬礼!」
戦闘隊員たちは気を付けの姿勢から、胸の前に右手拳を当てて「ギリギリ!」と叫んだ。これがドボンデズ式の敬礼なのだ。
「いやあ、遅れてすまん。国道357号線が事故渋滞でね、動きやしない・・・」
タコデズは歩きながら山本に向かって遅刻の言い訳をしている。山本は敬礼の姿勢をしたままムスッとしたゴリラ顔でタコデズを睨みつけていた。
タコデズは気まずそうに目を逸らしたまま山本の隣に立つと、吸盤の付いた右手を上げて応礼した。
「戦闘隊員の諸君、暑い中ご苦労。本日の作戦の指揮を執るタコデズだ。いよいよ恐怖の東京湾封鎖作戦を実行するときがきた。作戦内容は熟知しているな? よし、それでは作戦開始! 東京湾の海上交通網を麻痺させて日本経済に大打撃を与え、日本中を恐怖のドンタク、失礼、恐怖のどん底に叩き込むのだ! 山本班長、後はよろしく」
タコデズの声は姿に似合わず低いバリトンの美声で、その響きは耳の奥で蕩けるように心地良い。加えて、チューをするように突き出した口から発せられたとは思えない活舌の良さである。
山本は「ハッ」と応じると、戦闘隊員に向かって声を張り上げた。
「よーし、それでは第一班の諸君、行動開始。十八番倉庫から蛸型特殊機雷を運び出して、この先に係留している輸送船に積め。ふたり一組で慎重に運べよ、落としでもしたら大爆発だぞ。一時間で積み込みを完了させろ。その後、ちょっと早いが昼食休憩に入る。埠頭の入口にある船員食堂の二階を借りてあるから適宜利用してくれ。おススメは海鮮丼、味噌汁付きで八百五十円だ。十三時にここを出発して東京湾入口の館山沖を目指す。十四時に館山沖到着、蛸型特殊機雷投下開始。十五時、投下完了、横浜港に向けて帰投。十六時帰港。十八番倉庫と周辺を清掃後、十六時三十分解散。なお、送迎用マイクロバスを利用する者は、十六時四十分出発予定だ。今日は暑いぞ、既に一名が熱中症で離脱した。早め早めの水分補給を心掛けてほしい。以上、何か質問は?」
戦闘隊員たちは敬礼の姿勢のまま微動だにしない。山本の「かかれ!」の声を受けて、戦闘隊員たちは口々に「ギリギリ!」と叫びながら、一斉に十八番倉庫に向かって走り出した。
和也と晃はふたり一組になって、一辺が一メートルの立方体の形をした木箱を運んでいた。木箱には『爆発物危険』の文字とドボンデズの略称『DD』がペイントされていて、その下には『天地無用』の文字も見える。中に蛸型特殊機雷が入っているため、木箱はとてつもなく重い。滑り止めのゴムの付いた軍手を嵌めて、慎重に木箱を運ぶ和也と晃の顔面には滝のような汗が流れている。十八番倉庫から輸送船までの距離は百メートル。和也と晃は三往復して音を上げた。和也は倉庫の床の上に座り込むとユニフォームの上を脱いで上半身裸になり、フウフウと肩で息をした。晃は床の上にゴロンと寝ころんでしまっている。横を見ると五、六人の戦闘隊員が同じように倒れていた。
タコデズと山本が並んで倉庫に入ってきた。山本の罵声が飛ぶ。
「何だお前たち、情けない。作戦開始からまだ三十分も経っていないぞ。見ろ、倉庫の中には木箱がこんなに残っているじゃないか。立て! 立って木箱を運べ、出航時間に間に合わなくなるぞ。立て! 立て! 立つんだジ●ー!」
興奮する山本の肩を、タコデズは吸盤の付いた右手でペタペタと叩いた。
「まあまあ、山本班長、落ち着け。仕方ない、この先の荷下ろし場に行ってターレーを借りてきて、それで運ぼう。ああ、そこに大きな台車があるじゃないか、それも使って運べば時間までに何とかなるだろう」
「しかし、タコデズ様、ターレーや台車に載せて運ぶと振動で爆発する危険がありますが」
「時間との競争だ、そんなこと言っていられない。なあに、一個や二個爆発しても大勢に影響はないから大丈夫だ。怪我人? そりゃ出るだろう、爆発するんだからな。ひょっとしたら爆死する可能性も・・・まあ、骨は拾ってやるから安心して、あ、爆死したら跡形もなくなるから骨は無理か。とにかく急がせるんだ」
タコデズは低いバリトンの声で無慈悲にそう言い放つと、赤いマントを翻して倉庫から出て行った。山本は仕方ないとばかりに首を横に振ると、床の上に倒れている和也たちに声を掛けた。
「聞いたな? 片山はウチに入る前は築地市場で働いていたからターレーは運転できるな? よし、片山と岩井は荷下ろし場に行ってターレーを借りてこい。残りの隊員はここの台車を使って運搬しろ。爆発? お前たちが早く運ばないからこうなったんだろうが! 文句を言うな!」
山本の剣幕に押されて、和也たちはノロノロと腰を上げた。片山と岩井が荷下ろし場に向かって走って行った。山本は上半身裸の和也に気が付いた。
「おい、神藤、ユニフォームの上はどうした。みっともない・・・世界征服を企む悪の秘密結社の一員としての品位に欠けるぞ」
「でも、山本班長、暑くて着てられないんですよ。下のタイツも脱ぎたいくらいだ。運搬のときだけでもこのままじゃダメですか」
「バカモン! 世界征服を企む悪の秘密結社の一員は暑さなど感じないのだ。それに、そのユニフォームは特殊繊維で編まれていて、耐熱・耐寒はもとより、敵からの攻撃による衝撃を九十九・九九パーセント吸収する特殊構造なのだ。当然に爆発による衝撃にも耐えられる。戦闘隊員を守る盾という訳だ、ゴチャゴチャ言わずに着ろ!」
「これにそんな凄い機能があるとは知らなかった。分かりました。うん? タグにはポリエステル六十五パーセント、綿三十五パーセント、メイドイン台湾となってますけど・・・」
山本は一瞬しまったという顔をしてから、開き直ったように言った。
「細かいことは気にするな、気持ちの問題だ。特殊構造だと思えば暑さも和らぐだろう、『心頭滅却すれば火もまた涼し』、いい言葉じゃないか。とにかく急げ!」
山本はそう言い残すと、そそくさと倉庫を後にした。まるで爆発に巻き込まれることを恐れるかのように。いや、それはたぶん気のせいだろう。
幸いにも爆発事故を起こすこともなく、蛸型特殊機雷の輸送船への積込み作業が終わった。奇跡としか言いようがない。当初予定より二十分遅れで昼食休憩に入った。
十八番倉庫から二百メートルほど離れたところにある船員食堂は、昼食を求めて来店した港湾労働者でごった返していた。両開きの自動ドアを抜けると、寒いくらいに冷房の効いた食堂内には煮魚とカレーライスとラーメンの匂いの入り混じった、何とも食欲をそそられる匂いが充満していた。
和也と晃は流れ出た汗が冷気に当たって見る見るうちに引いていくのを感じながら、フロアを歩いた。一階フロアの脇にある階段の前には立て看板が置いてあって、看板には『本日、二階貸し切り 歓迎ドボンデズ様御一行』と書かれた紙が貼り付けてあった。
二階には四人掛けのテーブル席が十席あって、すでに戦闘部隊第一班と第三班のメンバーでいっぱいになっていた。テーブル席の奥には畳が敷かれた小上がりがあって、四人が座れるちゃぶ台がふたつ並んでいる。片方のちゃぶ台には誰も座っていない。少し遅れて二階に上がってきた和也と晃はテーブル席を見渡したが空きがない。ふたり並んでキョロキョロと周囲を見ていると、小上がりの方から山本の声が掛かった。
「神藤、五十嵐、席がないなら、ここが開いているぞ。時間がもったいないから、早く座って注文しろ」
和也と晃が小上がりに向かうと、片方のちゃぶ台にはタコデズ、第一班山本班長、第三班犬飼班長が座っていた。いわゆる幹部席だ。タコデズは外したマントをクルクルと巻いて横に置き、器用に胡坐を組んで座っていた。既に瓶ビールが二本空いている。酒に弱いのかタコデズの顔は茹蛸のように真っ赤になっていた。
和也と晃は仕方なくタコデズたちの隣のちゃぶ台に座った。注文はおススメの海鮮丼。テーブル席では、そこここでビールを飲んでいた。一番端のテーブルでは村木が早くも酔っ払って隣の席の男に絡んでいる。
「晃、私たちもちょっとだけ飲もうか。暑気払いだ」
「そうですよ和也さん、飲まなきゃやってられませんよ。へたをすりゃ死んでいたんですから。お姉さーん、こっちもビール二本!」
和也の席のビールに合わせて、タコデズの席の料理が届いた。豪華なお造り定食天ぷら付き二千五百円だ。さすが幹部となると日替わりのおススメなど注文しないのだ。タコデズの前のちゃぶ台に所狭しと料理が並べられた。料理を運んできた二十代と思われる若いお姉さんは、おどろおどろしいタコデズの姿を見ても何の反応も示さない。最近の若い子はハロウィンの仮装に慣れているからだろう。
猿のような顔をした第三班犬飼班長がお姉さんに向かって声を荒げた。
「ちょっと、注文したときに言ったでしょう、蛸抜きでお願いしますって。刺身に蛸が入っているじゃないか、ああ、蛸ブツに酢蛸まで・・・。気を利かせなさいよマッタク、タコデズ様が気を悪くするでしょうが!」
「蛸抜きで? あら、そうでしたっけ。こちら蛸アレルギーの方? 自分が蛸みたいな顔して・・・。いやいや、すみません、急いで取り替えます。イカはOK? それじゃあイカで」
お姉さんは吃驚したような顔をして、タコデズの顔と酢蛸の小鉢を見比べている。タコデズの低いバリトンの声が優しく響いた。
「猿飼、いや、犬飼、大人気ないことを言うな。お姉さん、大丈夫ですよ、こう見えて私は蛸が大好物ですから。何たって、蛸は食べるものがなくなると自分の足を食べちゃうんですよ。『蛸は身を喰う』という諺を知っていますか、あるいは『タコ足配当』とか、知らない? 一度蛸の味を覚えると、忘れられないんだよ、本能だね。しかも自分の足じゃないから痛くも痒くもないしね。ほら、山本も犬飼も遠慮せずに食えよ、コリコリして美味そうだ」
タコデズはそう言うと、吸盤のついた手でクルクルとお箸を巻き取るように掴み、小鉢の中の酢蛸を掴むと口の中に放り込んだ。山本と犬飼が唖然とした顔でタコデズを見ていた。
和也と晃は隣の席でそんなやり取りがあったことなど全く気付かず、既に四本目のビールに手を伸ばしていた。ふたりの頭の中には昼からの作戦のことなど、小指の先ほども残っていないのだろう。
館山沖に出発する出船時間五分前に、戦闘部隊第一班の戦闘隊員はD突堤に係留されている輸送船の前に整列した。時刻は十二時五十五分。真夏の太陽は殺人的な熱線を天空から容赦なく隊員たちに浴びせていた。昼食休憩中に呑んだビールは瞬く間に汗となって体外に放出された。
隊員たちの前に立っている山本班長は、五秒おきに腕時計を睨んでいた。
「遅い! 遅い、遅い、遅すぎる!・・・もう二回、遅い、遅い! 集合は五分前が鉄則だ!・・・マッタク、タコデズ様は何をやっているんだ。トイレに行くと言ったきり、戻ってこないじゃないか」
山本は集合時間になっても現れない魔人タコデズに対する不満を再びぶちまけている。
整列している戦闘隊員のひとりがフラリと身体を揺らしたかと思うと、バタリと地面に倒れた。昼食休憩中にビールを飲みすぎた村木だ。和也が村木の身体を抱きかかえながら声を上げた。
「山本班長! 村木隊員の具合が酷く悪そうなんですが・・・ウップ、酒臭い。飲みすぎではないかと思われますが、どうしましょう」
「あーん? 飲みすぎだと?・・・村木か、昼間から何をやっているんだ、ここはチャッピーじゃないぞ。とにかく、日陰に連れて行って水を飲ませろ。作戦が始まる前からこれじゃあ先が思いやられるぜ。ああ、きたきた、タコデズ様だ。二十分も遅れてやがる。村木の救護以外の者は全員整列!」
荷台にタコデズを乗せたターレーが戦闘隊員の前に到着した。タコデズは腹を擦りながら山本の隣に立った。
「スマンスマン。急に腹の具合が・・・蛸に当たったのかも知れん」
タコデズの顔が心もち青ざめているように見える。
「ゴホッ。ドボンデズ戦闘部隊第一班の諸君、それでは乗船開始。日本中を恐怖のどん底に叩き込む作戦の幕開けだ!」
タコデズは腹に手を当てたまま、低いバリトンの声で高らかに宣言した。
「ギリギリ!」
戦闘隊員たちが雄叫びを上げた。
そのとき、遥か彼方からエンジン音が響いてきた。エンジン音は輸送船に向かって近づいている。山本がエンジン音に気付いて振り返った。
「うん、何だ?・・・あ、あれは!」
山本がわざとらしい驚愕の声を上げた。タコデズがゆっくりと振り返った。
D突堤の上をホンダスーパーカブ50が爆音をあげて走っている。その姿は見る見るうちに大きくなっていく。空冷四ストロークOHC単気筒、総排気量四十九CC、燃費は何と、一リッター当たり百五キロメートルというモンスターマシンである。リアキャリアには大型のラゲージボックスが装着されていた。
そしてスーパーカブには白のタンクトップの上に革ジャンを羽織り、ジーンズをはいた男が乗っていた。黒いヘルメットを被っている。
スーパーカブはタコデズの二十メートル手前で止まった。男はスーパーカブから降りると、ハンドルに引っ掛けていた盗難防止用チェーンロックを手に取って前輪に装着した。そしてタコデズの方を向くとゆっくりとヘルメットを脱いだ。
濃い顔立ちでひげの剃り跡が青々としている。耳が隠れるほどの長髪、太い眉と大きな鼻、その下にダンプカーのバンパーのように頑丈な顎が付いている。顎の先はこれ見よがしにふたつに割れている。筋肉質のガッチリとした体型で身長は百七十五センチほど。防衛省大臣官房企画課平和維持対策室の嘱託職員、片岡隆盛である。年齢は今年で四十三歳になる。
「待てーい!」
少し鼻にかかったダミ声が響いた。片岡はそう言いながらヘルメットをラゲージボックスに仕舞った。意外と几帳面なのだ。
「世界征服を企む悪の秘密結社ドボンデズ、お前たちの好きなようにはさせない!」
片岡は少し腰を落として両手を前に突き出し、戦闘態勢をとった。その姿を見てタコデズの顔が怒りで朱に染まる。
「おのれ片岡、いつも我々の邪魔をして・・・今日こそは始末してやる! 戦闘隊員、かかれ!」
「ギリギリ!」
三人の戦闘隊員が素手で殴りかかったが、片岡の正拳突きと回し蹴りをまともに受けてあっという間に地面に転がった。
「フン、こんなザコどもでは相手にならん。タコデズ、お前を倒す! 世界平和を守る正義の使者『月影』に体形変化!」
片岡は両腕を胸の前でX字に組んで叫んだ。
説明しよう。片岡隆盛は元陸上自衛隊員である。片岡は演習中の事故で瀕死の重傷を負い、防衛省特殊兵器開発研究所に運び込まれて新型対人戦争兵器として生まれ変わったのだ。筋肉増強剤の投与により人間離れした筋力を得た片岡は、研究所で開発された特殊強化装甲装置を装着することで、正義の使者『月影』に体形変化するのだ!
片岡は革ジャンを脱いで丁寧に畳むとラゲージボックスに仕舞い、代わりに特殊強化装甲装置を取り出した。頭部、腕、脚、胸、胴体、腰の部分に分かれているパーツを、一つ一つ該当部位に当ててパチンパチンと留め具を止めていく。
十人の戦闘隊員が片岡を遠巻きに取り囲んでいて、その後ろでタコデズが片岡の体形変化をイライラとしながら見ていた。山本は五秒おきに腕時計を睨んでいる。
和也と晃が飲みすぎの村木を倉庫の陰に運び込んで、ペットボトルの水を飲ませてから、鼻歌を歌いながら引き返してきた。
「和也さん、みんなで輪になって何かやってますよ。フォークダンスかな?」
「真ん中にいる人は、さっき、スーパーカブに乗って通り過ぎた人じゃないか? みんなで取り囲んでどうしたんだろう・・・三人倒れている・・・片山さんは酷い鼻血だ。晃、行くぞ!」
しょっちゅうヨクルトを奢ってくれる正規雇用隊員の片山が、鼻血を出して地面に倒れている姿を見て、柄にもなく和也の胸に怒りの炎が燃え上がった、いやそれほどでもないか、怒りの灯が小さくともった。
和也は戦闘隊員の脇を走り抜けると、特殊強化装甲装置の胸部ユニットを装着している片岡に跳び蹴りを食らわせた。片岡がドサリと地面に倒れ、手に持っていた胸部ユニットが片岡の横にゴロンと転がった。
「イテテ、何するんだ!」
片岡はそう言いながら上体を起こした。その片岡に向かって今度は晃が背後から殴りかかった。
「イテテ・・・ちょっと待て!・・・ちょっと待てったら!」
片岡は頭を抱えながら立ち上がると、目の前でフウフウと肩で息をしている和也と晃を睨みつけた。
「何だ、お前たち!」
片岡の声を聞いた和也と晃は、再び片岡に向かって行った。
「だから、待てって言ってるだろう! コッチはまだ体形変化中だぞ、終わるまで待てよ! おい、タコデズ、それと今日の班長は山本か・・・どうなってるんだ」
山本が飛び出してきて、和也と晃の手を引いた。
「片岡、すまん。こいつらふたりは新人でよく分かっていないんだ。しかも非常勤だし」
「新人? 非常勤? ちゃんと教育しろよ。正義の使者の戦闘体勢が整うまで待つ、こういうことは、お約束だろうが。マッタク・・・ああ、留め具がひとつ曲がっちゃったじゃないか。これを壊して怒られるのは俺なんだからな。しっかりしてくれよ」
片岡はブツブツと言いながら、何とか特殊強化装甲装置の装着を終えた。
「ふう、装着完了っと。それじゃあやるか・・・正義の使者月影降臨!」
片岡・・・いや、正義の使者月影は胸の前で腕をX字に組んだ。強化チタン合金と特殊カーボンで造られた特殊強化装甲装置が陽光を受けてキラリと輝いた。
タコデズは両腕を振り上げておどろおどろしいポーズをとると、グフグフと笑った。
「やっと現れたか月影、今日こそお前を倒してやる・・・山本、装着完了まで何分かかった?」
お約束のセリフが終わると途中から小声になって、タコデズは後ろを振り返って山本に聞いた。
「タコデズ様、十三分二十秒です」
「十三分二十秒も!・・・片岡、いや月影、ちんたら体形変化やってんじゃないよ。お約束とはいえ、この炎天下で待たされている者の身にもなれよ! 見ろ、日焼けしちゃったじゃないか。練習しろ、練習を!」
タコデズの顔は怒りと日焼けで真っ赤になっている。
「うるせえよ! お前んところの若い衆が邪魔したんだろうが。それがなきゃ十分は楽にきってたぜ」
片岡は頭部ユニットの下でこめかみに血管を浮かして怒鳴り返した。
「何だとコノヤロウ」
「やるか! きやがれタコ!」
「呼び捨てにしやがったな・・・」
タコデズが月影に飛び掛かった。吸盤の付いた太い腕を鞭のように振り回した。ビシリビシリと音がして月影の頭や胸にタコデズの腕が当たると、特殊強化装甲装置からバチバチと火花があがる。タコデズの太い腕が月影の首に巻き付いた。恐ろしい力で首が絞められる。
「グウウ」月影の口から声が漏れた。
月影は両手でタコデズの腕を掴むと、タコデズの腹に強烈な前蹴りを飛ばした。軟体動物であるタコデズのフニャフニャの身体は前蹴りの衝撃を吸収した。
「グフフ、このタコデズ様の身体にはキックもパンチも効かないのだ。死ね! 月影」
「クソッ」
月影はタコデズの腕をつかんだまま空中に跳び上がった。二十メートルほど跳び上がった月影は、空中で錐もみのように身体を捻る。強烈な遠心力でタコデズの腕が解かれた。ひらりと地面に降り立った月影とは対照的に、タコデズはドシャリと地面に叩きつけられた。タコデズはゴホリと口から墨を吐くと、ノロノロと立ち上がった。月影とタコデズが再び向かい合う。
月影とタコデズを取り囲むようにして、戦闘隊員が輪になってふたりの戦いを見ていた。和也はそっと山本に尋ねた。
「山本班長、私たちは戦いに加わらなくていいんですか?」
「あーん? 戦いに? 行きたきゃお前行けよ」
「私は非常勤ですから、最後の方で・・・正規雇用の方からどうぞ」
「バカ、こういうのはいくらでも替えの利く非常勤から先に行くんだろうが」
「そんなひどい」
「とにかく、黙って見てろ。戦争兵器と魔人の戦いに、一般人である俺たちが参加しても怪我をするのがおちだ。いいんだよ、魔人はそのために高い給料をもらっているんだから」
「はあ・・・」
和也と山本が話している間に、月影はもう一度タコデズを掴んで跳び上がり、空中から叩き落した。タコデズはフラフラと立ち上がった。
「よし、決めるか。必殺技『月影チョップ』!」
月影は数歩下がってから、タコデズに向かって猛然と走り出した。そしてタコデズの三メートル手前で踏み切ると身体を水平にして宙を飛び、クロスさせた両手をタコデズの首に叩きつけた。往年の人気覆面プロレスラー『千の顔を持つ男』ミル・マスカラスの『フライングクロスチョップ』がさく裂したのだ。
タコデズは五十メートルも吹っ飛ばされた。
「おのれ・・・月影・・・ドボンデズは・・・我がドボンデズは永久に不滅です!」
どこかで聞いたような断末魔の悲鳴と同時に、タコデズは大爆発を起こした。万能細胞Xは強烈な衝撃を受けると自ら収縮して可燃性物質を放出し、大爆発を起こすのだ。
立ち昇る爆炎を背にして、正義の使者月影は胸の前で腕をX字に組んで決めのポーズをとった。強化チタン合金と特殊カーボンで造られた特殊強化装甲装置が爆炎を受けてキラリと輝いた。
「やられちゃいましたね」
和也の声に山本が頷いた。
「ああ、タコデズ様の最後だ・・・。よし、撤収。各自、片づけと清掃に取り掛かれ」
「山本班長、恐怖の東京湾封鎖作戦はどうします?」
「あーん? 責任者のタコデズ様が死んじゃったんだから中止。何か問題でも?」
「輸送船に運び込んだ蛸型特殊機雷はどうします。持って帰りますか?」
「重たいからなぁ・・・そうだ、輸送船を沈めちゃえよ。そうすりゃ後腐れもなくていいや。おい、輸送船を・・・あれ、輸送船はどうした?」
山本の声を聞いた戦闘隊員たちが輸送船の係留場所に目をやったが、係留していたはずの輸送船の姿がない。タコデズの爆発の衝撃で係留索が外れ、輸送船はユラユラと港内に漂い出たのだ。
和也が大声を上げて海上を指差した。
「山本班長、あんなところに輸送船が!・・・ああ、ぶつかる!」
ユラユラと漂う輸送船の船腹に港内を進んできた大型タンカーがぶつかった。輸送船は中央から真っ二つに折れると轟音をあげて爆発し、大きな炎が吹き上がった。大量に積んであった蛸型特殊機雷が一斉に爆発したのだ。真っ赤な炎が辺りを紅に染めて、真っ黒な煙が空を覆っている。大型タンカーは船首に大きな亀裂が入り、船体を斜めに傾けながらB突堤に衝突して止まった。大型タンカーからも黒煙が上がっている。
山本の顔から血の気が引いた。
「やっちまった・・・。いかん、とにかく撤収だ、急げ。見つかる前に逃げるぞ、痕跡を残すな、忘れ物に気を付けろ。あ、片岡の野郎、もう逃げてやがる」
振り返ると、正義の使者月影こと片岡隆盛の姿はどこにもなかった。逃げ足は超一流なのだ。
戦闘部隊第一班は現場の清掃もそこそこに、D突堤から撤収した。
こうして恐怖の東京湾封鎖作戦は失敗したのだ。
その日の午後六時。チャッピーの奥の小上がりの座敷で戦闘部隊第一班の山本班長と、第三班犬飼班長、第五班猿谷班長が反省会と称して酒を飲んでいた。猿のような顔をした犬飼と犬のような顔をした猿谷が何やら言い争いをしている。ややこしいことこの上ない。それをゴリラの山本がなだめているようだ。
テーブル席には和也と晃と村木がいつものように陣取って酒を飲んでいた。もうひとつのテーブル席も満席で、カウンター席にも四、五人の隊員が座っていた。大繁盛である。今日の日替わりのおススメは蛸の爆弾揚げ。タコデズが爆死したというのに飛ぶように売れている。
和也は蛸の爆弾揚げを口に放り込んで、ムグムグと咀嚼しながら村木に聞いた。
「ねえ村木さん、今日現れた月影ってやつは、作戦の度に毎回現れるんですか」
「月影? ああ、片岡のバカね。そりゃそうさ、正義の使者だもん。悪の秘密結社の魔人現れるところ、正義の使者あり。これはお約束でしょ」
「お約束ねぇ。でも、ドボンデズの極秘作戦計画がいつどこで行われるなんてことが、なぜ分かったんだろう。まさか、ヨクルトレディーが・・・」
「バカ、ヨクルトレディーはそんなことしないよ。守秘義務があるって言っただろう。神藤は何も知らないね、情報源はチャッピーのおやじさんの娘だよ」
和也は目を丸くした。
「娘? おやじさんに娘がいるんですか」
「女将さんがいるんだから、娘さんがいてもおかしくないだろう。名前は千春で、たしか歳は三十八だったか・・・。この店の裏手が表通りに面していて、そこで喫茶店をやっているのさ。店の名前は『優駿』。片岡はその喫茶店の常連でね・・・ひょっとしてふたりはくっついているのかも知れないな。割れ鍋に綴じ蓋、けっこう良い夫婦になるんじゃないか。ああ、噂をすれば影が差す、千春さんだ。こっちが忙しいから手伝いにきたんだろう」
村木の目線を追って和也が振り返った。カウンターの中に二頭の馬が並んで立って、仲良く飼葉を食べている・・・違う! 女将さんと娘だ。千春は女将さんとそっくりの馬面で、しかもおやじさんとそっくりの出っ歯だった。
「メンデルだ・・・メンデルの遺伝の法則が目の前に・・・自然の力は偉大だ・・・」
和也は訳の分からないことを口走りながら、呆然とした顔で千春を見ていた。
奥の座敷から山本の声が聞こえてきた。
「オーイ、お銚子五本追加、冷やでいいや。それに酢蛸と蛸ブツ・・・たこ焼きもできる? じゃあそれも。今日はタコデズ様をしのんでパアッとやろう。あれ、千春ちゃんいたの・・・こっちへきてお酌してよ」
千春は追加のお銚子と酢蛸の小鉢をお盆に載せて、奥の座敷に上がると、山本の横に座ってお酌を始めた。
晃が奥の座敷を見ながら言った。
「和也さん、見てあれ。奥の座敷は野生の王国だ」
「バカ、晃、そんなこと言うもんじゃ・・・本当だ。ゴリラ、犬、猿、馬・・・人類がいない」
「神藤も晃も、そんなこと言ったら殺されるぞ。少なくとも直立二足歩行している以上、彼らも人類なんだよ。よーし、人類の未来に乾杯だ!」
テーブル席のバカ三人組は、ビールジョッキを掲げて高らかに「乾杯」と唱和した。
カウンター席の上に天井から吊り下げられているテレビでは、アナウンサーが横浜港本牧埠頭で起きた事故について話している。
『本日午後二時頃、横浜港の本牧埠頭で小型輸送船と大型タンカーの衝突事故がありました。衝突の衝撃で爆発が起こり、輸送船は沈没、大型タンカーは船首に亀裂が生じて操船不能となりB突堤に衝突しました。大型タンカーからも火が出た模様です。原因は不明。この事故による死者やけが人はなし。なお、事故との関連は不明ですが、現場から少し離れたD突堤の上で、何かが爆発したような痕跡が残っていたとのことです。
・・・只今続報が入ってきました。B突堤に衝突した大型タンカーの積荷から大量の覚せい剤、密輸金製品、ワシントン条約で取引が禁止されている希少動物が押収されたとのことです。国際的な密輸組織の幹部数名も逮捕されました。捜査関係者は大規模な国際的密輸組織の壊滅に繋がることが期待されるとの声明を発表しています。それでは次のニュースです。・・・』
誰もニュースを聞いていない。チャッピーの夜はしんしんと更けていく。明日は全員二日酔いだろう。いつものことだが。
千葉県船橋市の陸上自衛隊習志野駐屯地内にある防衛省特殊兵器開発研究所の駐車場にホンダスーパーカブが止まっていた。片岡隆盛は研究所の中にある防衛省大臣官房企画課平和維持対策室と書かれたドアを開けた。六畳ほどの広さの部屋は、元は物置か何かだったのだろう、窓はなくコンクリートがむき出しの床は、夏場でも寒々としている。部屋の中には事務机がひとつ置いてあり、その前にパイプ椅子がふたつ並んでいた。
事務机には定年間近と思われる白髪混じりの坊主頭をした痩せた男が座っていた。陸軍の制服ではなくくたびれた紺色の背広を着ている。平和維持対策室長の結城光利だ。結城は片岡の顔を見ると無言で頷き、顎をしゃくって事務机の前のパイプ椅子に座れと指示した。片岡は右手で特殊強化装甲装置の胸部ユニットを持ったままパイプ椅子に座った。結城のしゃがれた声が室内に響いた。
「片岡、今日は何の用だ」
「ハッ、平和維持活動の近況のご報告と、合わせまして装備の修繕費の支出依頼書のご決裁を頂きにあがりました」
「平和維持活動はいちいち私への報告は不要だ。日報を書いて月に一回企画課総務係に提出すればいい。装備の修繕費? 何か壊れたのか」
「はあ・・・特殊強化装甲装置の胸部ユニットの留め具が曲がってしまいまして。研究所の新型兵器開発班に話をしたら、修繕費の支出依頼書を出せと・・・お役所仕事ですよ。まあ、防衛省もお役所であることに間違いありませんが」
結城は椅子の背もたれに身体を預けてから、おもむろに事務机の引出しを開け、新聞紙を掴み出すと事務机の上にバサリと投げ出した。
新聞の一面には横浜港で発生した船の衝突・爆発事故がでかでかと扱われていて、炎を上げる大型タンカーの写真が掲載されていた。その記事の下には、密輸組織の摘発の記事も載っている。新聞紙にチラリと目をやった片岡の肩がビクリと震えた。
「片岡、まさかお前、この事故に関係しているんじゃないだろうな」
片岡を見つめる結城の目が白く光っている。
「と、と、とんでもない。そんな事故など知りません。そうですよ、責任はすべてドボンデ・・・いや、何でもありません。そんな大きな事故があっただなんて・・・知らなかったなあ」
しどろもどろで弁明する片岡の額には大粒の汗が光っていた。
結城はフンと鼻で笑うと、片岡が差し出した修繕費の支出依頼書に判子を押した。ペコリと頭を下げて、そそくさと部屋を出て行こうとする片岡の背中に、結城が声を掛けた。
「片岡、ドボンデズを相手に平和維持活動をいくらやっても構わんが、防衛省に迷惑がかかるようなことはするなよ。それが守れないなら・・・」
片岡が振り返ると、結城は右手を喉に当てて横に引いた。クビだと言っているのか、それともまさか抹殺・・・。片岡はゴクリと生唾を呑み込んだ。結城は無表情で、出て行けと手を振った。
魔人タコデズが爆死してから三日後。ドボンデズのアジト地下五階『首領の間』の会議室のテーブルにドボンデズの主要幹部が顔をそろえていた。
中央に座っているのは、目の部分だけ穴の開いた三角頭巾に長い袖とくるぶしが隠れるほど長い丈のローブをまとった首領のドロン。首領の左にはオールバックの白髪をぴっちりとポマードで固め、白衣を着た狂気の天才科学者デス博士が座り、首領の右には頭がほとんど禿げて、でっぷりと太った身体にはち切れそうな軍服を着たキル大佐が座っていた。テーブルの反対側には戦闘部隊第一班班長山本から第五班班長猿谷までの各班長と、総務課長、人事課長、会計課長、兵器開発室長が座り、末席にはなぜか青雲寮の町田管理人の顔も見える。首領の背後の壁ではドボンデズの紋章である火を噴くドクロが幹部たちを冷ややかに見下ろしていた。
首領のドロンが口を開いた。ボイスチェンジャーを使っているのだろう、ヘリウムガスを吸ってしゃべっているように、声音が異常に甲高い。
「ドボンデズ幹部の諸君。世界征服に向けた諸君らの日頃の活動に敬意を表する。さて、本日集まってもらったのは他でもない。先般の恐怖の東京湾封鎖作戦の失敗を受けて、さっそく次の作戦に取り組むべく活動を開始することとした。皆も気持ちを引き締めて次の作戦に臨んでもらいたい。それでは、新しい作戦を指揮する魔人をデス博士から紹介して、次いで、作戦の概要をキル大佐から説明する。両君、よろしく」
ミイラのように痩せたデス博士が白衣を着た幽鬼のようにユラリと立ち上がった。秀でた額と驚くほど大きな鷲鼻が猛禽類を想像させる。デス博士は背後の壁に設けられた扉の前に立ち、扉をゆっくりと開けた。扉の向こうからムッとするような獣の臭いが流れてきた。足元を覆うように流れ出てくる白い煙は演出効果をねらったドライアイスだ。
「諸君、紹介しよう。新しい魔人モグデズだ」
大きな魔人が会議室の中にノソリと入ってきた。上半身を覆う細くて茶色い毛、顔半分を覆う巨大なゴーグル、岬のように長く突き出した鼻とその下に付いた牙の生えた口、そして丸太のように太い腕とその先に付いた鋭いカギ爪。デス博士が説明を続けた。
「地底作戦で最大の能力を発揮するモグデズは、万能細胞Xとモグラの遺伝子を掛け合わせたモグラ魔人だ。この鋭いカギ爪で地中を自由自在に掘り進むことができるのだ。その速度は毎秒十メートル、コンクリートの壁や岩盤も何のその。地中でモグデズに敵う者はいない。モグデズ! 自己紹介しろ」
モグデズは一歩前に出ると、大きなカギ爪をこれ見よがしに振り上げてポーズを決めた。
「ただいまご紹介を賜りましたモグデズと申します。ご覧のとおりのモグラ魔人でございます。生まれは北海道の苫小牧でございまして、地元の工業高校を卒業後、上京いたしまして自動車整備工場に・・・あ、要らない? 承知いたしました。ゴホッ・・・デス博士から頂いたこの特殊能力をいかんなく発揮して、世界征服の実現に向けて微力ではございますが、お役に立てれば幸いでございます。若輩者ではございますが、皆様からのご指導ご鞭撻を頂戴しながら、職務に精励してまいります。どうぞよろしくお願いいたします」
モグデズはそう言うと、カギ爪を下ろしてゴーグルを外し、正面を向くと深々と一礼した。身体に似合わぬつぶらな瞳が濡れたようにキラキラと光っている。会議の出席者からパチパチと拍手が上がり、どこからか「頑張れよ!」という掛け声も飛び出した。
「よし、モグデズ、座れ」
デス博士の声に小さく頷くと、モグデズは少し照れたような顔をしてデス博士の隣の席に座った。
続いて、キル大佐がでっぷりと太った身体を揺すりながら立ち上がった。背後の壁を覆うように天井からスクリーンが下りてくると同時に会議室内の照明が落とされた。
スクリーンには『震撼の東京大地震作戦』という文字がでかでかと映し出されていた。キル大佐はレーザーポインターを操作しながら、たどたどしい日本語で説明を始めた。
「オマエタチノミナサン、ヨクキキヤガレ。next operation シツレイ、ツギノサクセンハ『シン・・・ノ、トウキョウダイジシンサクセン』ダス。トウキョウノチカデearthquakeヲデッカクヤッチャウノヨ・・・」
長くなるので解説しよう。簡単に言うと、東京の地下の巨大活断層の中で『地震発生装置』を作動させて、首都東京を巨大地震で壊滅させようという作戦である。
「・・・イジョウダ、ワカリヤガッタカ」
キル大佐は説明を終えると、会議室の中にいる面々をギロリと睨んでから席に座った。スクリーンが上がり、会議室内が明るくなった。
ドロン首領は居眠りをしていたのだろう、隣に座るデス博士が脇腹をつつくと、ビクッと起き上がりキョロキョロと周囲を見回した。
「終わった?・・・ゴホッ、それで、デス博士、地震発生装置の完成はいつ頃の予定だ」
「はい、あと二週間もあれば・・・ん? お盆休みに入るか。兵器開発室長、作業員の夏季休暇の予定はどうなっている・・・やはりダメ? 二週間じゃムリ?・・・完成には八月いっぱいはかかるかと思われます」
「お盆休みなら仕方ないな。それでは震撼の東京大地震作戦の実施は九月中旬ということで、具体的な日時は事務方で詰めてくれ。暑い時期だから体調管理に十分配意して、幹部が率先して夏季休暇を取得するように。それでは、以上でドボンデズ幹部会を終了する」
ドロン首領が立ち上がると、残りのメンバーが弾かれたように立ち上がって右拳を胸の前に当ててドボンデズ式敬礼をして「ギリギリ!」と叫んだ。
ドロン首領、デス博士、キル大佐が連れ立って会議室を出て行く。ドロン首領が腕時計を見た。
「ああ、もうこんな時間か。デスやんとキルやんはお昼どうする? 蕎麦でも手繰る? 美味い店があるのよ、よし決まり。オーイ誰か、うちの会社の車を正面に回してくれ」
ドロン首領はそう言いながら早くもローブを脱いでいた。正体がバレることなど全く気にしていないようだ。というか、すっかりバレている。チャッピーのおやじでさえ知っているのだから。
長い夏休みに入った。晃も村木も実家に帰省してしまい、どこにも行くあてのない和也だけが青雲寮に残っていた。寮内は閑散としていて人影もまばらで、利用者が少ないためだろう、食堂まで休業してしまった。
チャッピーの入口には夏季休業の張り紙があって電気が消えていた。
今日も和也は朝からボンヤリとテレビを見た後、昼食を兼ねてブラブラと表通りまで繰り出してきたのだ。チャッピーの裏手が面しているという表通りは片側二車線の広い道で、お盆だというのに車の通行量は多い。通りの両側には飲食店や店舗が立ち並び、大きなパチンコ店が二店舗もあった。
和也がパチンコ店に向かってフラフラと歩いていると、喫茶店の小さな看板が目に留まった。店の名前は優駿。
昔、映画で見た駿馬が馬場を駆け抜ける優美な姿が脳裏に浮かび、その後を追うようにチャッピーで見た千春の面影が浮かんだ。
和也は吸い寄せられるように喫茶店優駿のドアを開けた。カランと音がした。
「いらっしゃーい」
鈴を鳴らすような若い女性の声がした。
和也が恐る恐る顔を上げると、目の前に百合の花のように清楚な女性が立っていた。年の頃は二十歳を少し出たところか。うりざね顔に大きな瞳とスッキリと通った鼻筋、少し受け口の蕾のような唇、皮膚の下の静脈が透けて見えるほどの白い肌、栗色の髪の毛はうなじの後ろでキッチリとまとめたポニーテールだ。
和也は声を失って、呆然と立っていた。
「お好きな席へどうぞ・・・ウフフ、ガラガラなの」
女性はそう言うと、ペロリと舌を出して笑った。とろけるような笑顔だ。和也は夢遊病者のようにフラフラと歩いて、大通りに面したテーブル席に座ると、コーヒーを注文した。和也の頭の中を駿馬がスローモーションで駆け抜けた。
「はい、お待ちどうさま」
和也の前にコーヒーカップが置かれた。甘いコーヒーの香りが鼻腔をくすぐる。
「やあ、美味しそうだ」
和也はそう言って顔を上げた。目の前に千春が立っていた。衝撃で心臓が急激に収縮した。和也は危うく心臓発作を起こすところだった。駿馬は遥か彼方へ走り去った。
「なんだ、神藤さんじゃないの、どうしたのこんなところに。夏休みでしょ、あ、行くところがないんだ、可哀そうに。チャッピーも休みだしね、お父さんとお母さんは北海道旅行。あたしはお邪魔虫だから残ったのよ、この店もあるしね」
千春はそう言うと、断りもせずに和也の前の席に座った。
「千夏ちゃーん、コーヒー一杯! コッチに持ってきてよ」
千春はカウンターに向かっていなないた、いや、声を張り上げた。
「千夏?」
「そうよ、あたしの年の離れた妹なの」
「妹? 義理の?」
「実の妹です!」
和也の頭の中でチャッピーのおやじのガイコツ出っ歯と女将さんの馬面がグルグルと回った。和也は千春の顔を見た。馬面で出っ歯・・・あるべき姿だ。メンデルは正しい。
「やだ、お姉ちゃん、知り合いなの」
千夏が千春の前にコーヒーカップを置き、もうひとつ自分のコーヒーカップを手に持って千春の横に座った。和也は千夏の顔を見た。清楚な白百合・・・ありえない姿だ。メンデルの遺伝の法則には欠陥があるのか・・・いや、突然変異だ。生物はそのようにして進化してきたのだ。ダーウィンは正しい。
「自然の力は偉大だ」
和也は訳の分からないことを口走りながら、呆然とした顔で千春と千夏を見比べていた。
カランと音がした。
「いらっしゃーい」
千夏が鈴を鳴らすような声を上げて席を立った。
「あら、片岡さん、お久しぶりです」
「何だ千夏ちゃんか、珍しいね。どうしたの、大学は。ズル休み?」
「夏休みですよ、だから臨時のアルバイト。お姉ちゃーん、片岡さん」
白のタンクトップに革ジャンを着てジーンズをはいた片岡が入ってきた。相変わらず暑苦しい顔だ。片岡はカウンター席の一番端に座ると、いかにも常連客だという顔をして「いつもの」と言った。
千春がいそいそとカウンターの中に戻り、片岡に向かって馬面の笑み、いや、満面の笑みをこぼした。こうして見ると、村木の言ったとおりお似合いのカップルかも知れない。
片岡は出されたコーヒーをズルズルと音を立てて飲み、「ウン美味い」と言った。千春が嬉しそうにウフフと答えた。
「ねえ、片岡さん、あちらの席の方ご存じ? 神藤さんって名前で、チャッピーの常連さんなの」
「チャッピーの常連? ということはドボンデズの・・・」
片岡は振り返って和也を見た。こんなところで殴られでもしたらたまらない、ましてや仕事でもない夏季休暇中に。和也は伝票を手に取ると、慌てて立ち上がった。
「ごちそうさまでした、お勘定を・・・あ、できれば千夏さんに」
カウンターの横のレジの前に立って、片岡と目を合わさないようにわざとらしく横を向いている和也に、片岡が声を掛けた。
「お兄さんドボンデズの構成員なの? 見たことないな、新入りか。部署はどこなの」
「ド、ド、ドボンデズ? 何のことやら・・・私は通りすがりの一市民ですよ」
「神藤さんは山本班長の部下よ、あのゴリラみたいな人」
千春が横から余計なことを言った。
「ゴリラの山本? 戦闘部隊第一班か。それじゃあ、この前の横浜の本牧埠頭で一緒だったじゃないか。新入り・・・まさか」
「知りません、知りません、片岡さんに飛び蹴りしただなんて・・・アウッ」
「やっぱりあのときのやつか。おかげで特殊強化装甲装置の留め具が曲がっちゃって、修理するのが大変だったんだぞ。方々で文句を言われて・・・。まあいいや、とにかく座れよ。昼飯まだだろう、奢ってやるよ。千春ちゃん、今日のランチは? すき焼き風五目チャーハン? いつもながらよく分からないけど旨そうだ、それ大盛ふたつ。伝票は俺につけてくれ」
和也は仕方なく片岡の隣に座った。
大きなどんぶりに山盛りの五目チャーハン、その上にすき焼きの具がこぼれんばかりに載せられて、甘辛い汁がなみなみと掛けられていた。すき焼き風五目チャーハンは絶品だった。和也と片岡はどんぶりに顔をうずめるようにして、すき焼き風五目チャーハンを一心不乱に掻き込んでいる。悪の秘密結社の構成員と正義の使者がカウンターに並んで仲良く飯を食べている光景は、ある意味平和なのだろう。
和也はどんぶりを抱えたまま、片岡の横顔を見た。ほっぺたにご飯粒が付いている。和也はふと頭に浮かんだ疑問を口にした。
「片岡さんはいつから正義の使者をやっておられるんですか」
「俺? そうだな、もう二十年近くになるか。月日の経つのは速いもんだ」
「そのう・・・それは趣味の一環というか、あるいは崇高な使命感に駆られてというか・・・」
「何言ってんだ、仕事だよ。お前だって仕事だろう、ドボンデズから給料もらっているんだろう」
「薄給ではありますが・・・それに私は非常勤ですし」
「非常勤だろうが常勤だろうが関係ないの。立派な仕事じゃないか」
「片岡さんは元陸上自衛隊員で、演習で重傷を負って人間兵器になったとか」
「何でそんなこと知ってんだ・・・ははあん、チャッピーのおやじか。言っておくが、好きで『なった』んじゃなくて、勝手に『された』の。演習で爆発に巻き込まれて、気が付いたらベッドの上で、『おめでとう、君は今日から新型対人戦争兵器だ』なんていきなり言われて・・・何がめでたいもんか。演習で隊員が死んだとなっちゃあ自衛隊がマスコミから叩かれる。だから何としてでも生かせという指令が出て、開発中だった筋力増強剤を何も考えずに投与したんだろう。新型対人戦争兵器と言ったって、倫理的に人間兵器が世間に認められない現状では、対外的に存在を明らかにすることができない。困った防衛省は平和維持対策室なるものを立ち上げて、俺をそこの嘱託職員にして、世界平和を守る正義の使者の仕事を与えたのさ。飼い殺しにするつもりなんだろう」
片岡はどんぶりを持ったまま、少し悲しそうな表情を浮かべた。
「だが、俺は仕事でやる以上全力を尽くす。正義の使者の仕事に誇りを持っているのさ。本音を言うと、ドボンデズがいてくれて助かったよ。正義の使者だけじゃあ恰好が付かないからな。正義の使者と世界征服を企む悪の秘密結社はセットものなんだ。正と悪、光と影、陽と陰、天使と悪魔、男と女、御飯と味噌汁、ビールに枝豆、おせんにキャラメル、お宮と貫一・・・何の話だったっけ?」やはり基本はバカだ。
千春が片岡の前にマイクを置いた。よく見るとカウンターの後ろに大きなカラオケ装置が鈍い光を放って聳えていた。
「何よ、ふたりとも柄にもなくしんみりしちゃって。あなた、歌でも歌いなさいよ。そういうときはカラオケで発散するのが一番。まだお昼すぎだけど、ビールでも飲む? 千夏ちゃん、チャッピーの冷蔵庫からビール持ってきて。肴は炙ったイカゲソでいいわ。神藤さんも暇でしょ、付き合ってあげてよ」
和也は昼間からしこたまビールを飲み、片岡と肩を組んで喉が枯れるまで歌った。千春と千夏が並んで踊りながらデュエットしている姿を見て、和也はやはりふたりは姉妹なのだと確信した。マイクを握るときに立てた小指の爪の先の形がそっくりなのだ。やはりメンデルは正しい・・・。
(第二話おわり)




