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悪の秘密結社 ドボンデズ

 ドドドドーン

 運命はこのようにドアを叩く・・・らしい。

 神藤和也は六畳一間のアパートの万年床の中でうめき声を上げると、ノソノソと布団から這い出した。昨夜帰ってきて、そのまま布団に潜り込んだのだろう。しわくちゃのシャツを着てよれよれのズボンをはいている。針金のように硬い髪の毛は寝ぐせのために嵐に逆巻く波頭のように乱れていた。梅雨が明けた初夏のすがすがしい気候とは裏腹に、部屋の中はまだ梅雨本番のようにじっとりと湿ったままだ。

 ドドドドーン

 再びドアが叩かれた。運命はしつこいのだ。

「はあーい、いま開けますよ。まったく・・・おちおち寝ていられやしない」

 ドアの向こうには金髪をした二十歳前後のメール便の配達員が、何をちんたらやっているんだといわんばかりに和也を睨みつけていた。

「・・・さんですね、メール便です。ここに受け取りのサインを・・・」

 まだ寝ぼけている和也の耳には、配達員の早口の言葉が上手く聞き取れない。

「あうっ・・・メール便?・・・誰から・・・」

 配達員は和也の答えを聞かずに、文庫本ほどの大きさのメール便を和也に押し付けると、配達伝票とボールペンを手渡した。和也がサインすると伝票とボールペンをひったくるようにして取り上げ、風と共に去って行った。

 和也は手の中に残されたメール便をバリバリと開けながら、ひょいと宛名を見た。宛名は・・・。

「ありゃ、私宛じゃない・・・何をやっているんだか」

 メール便の宛名は九号室の近藤孝夫。和也の部屋が六号室だから廊下を進んだ三つ先の部屋である。

 和也はサンダルをつっかけて部屋の外に出ると、自分の部屋のドアを見た。表札代わりに挟んでいる紙切れの字は掠れていて『藤』の字だけがかろうじて判読できる。ドアに打ち付けてある部屋番号の『6』は、上の方の釘が抜けていてクルリと下向きにぶら下がって『9』になっていた。誤配をした配達員に対する怒りが急速にしぼんでいく。

 ペタペタとサンダルの音を鳴らしながら九号室の前まで歩いて行くと、丁度ガチャリとドアが開いて、中から誰か出てきた。

「えーっと、近藤さんですか、メール便の誤配が・・・」

 和也の言葉に畳み掛けるようにして、その人物が喋り出した。

「近藤? あたしゃこのアパートの大家の金山だよ。おや、あんたは・・・六号室の神藤さんか。近藤さんに何か用事かい?残念ながら近藤さんはいないよ。このとおりもぬけの殻さ・・・家賃を二年分も滞納したまま逃げやがった。ちくしょう・・・人の温情をあだで返しやがって。まったく最近の若いやつらときたら・・・。そういや、神藤さん、あんたも先月分と今月分の家賃がまだだよね。きちんと期限までに支払う、それがオトナの責任ってもんですよ。これから部屋に伺ってもいいかね・・・なぜ? 家賃を頂くんですよ、決まっているじゃないか」

 アパートの大家の金山米子は八十歳を超えた老婆で、萎びたキュウリのような顔をして、いつもアパートの前の道路を掃除している。一説にはアパートの住人が夜逃げしないように監視しているのだと言われている。その米子の目を盗んで夜逃げした近藤はよほど周到に準備をしたのだろう。いざというときに、米子の目を盗んで逃げられるか、和也には自信がない。

「あ痛たたた・・・腹が、急に腹が・・・。大家さん失礼します・・・ああ、漏れそうだ」

 和也は大げさに腹を抱えると、腹痛で苦しんでいる人らしからぬスピードで廊下を走り、部屋に飛び込むと鍵をかけた。

 ミシリミシリと廊下を歩く足音が近づいた。

 足音は和也の部屋のドアの前でピタリと止まった。ドアに耳を付けて外の様子を覗っている和也の額から汗が一筋流れた。とにかくこの場を切り抜けなければならない。

「ウウーン、痛い・・・ダメだ・・・死ぬ・・・かもしれない・・・たぶん」

 部屋の中から漏れてくるわざとらしい和也の声を聞くと、米子はダメだとばかりに首を振り、和也の部屋の前から離れて行った。


 神藤和也は今年で三十二歳になる独身男である。身長は百七十三センチで体重は六十キロ、ほっそりとした体型だがなぜか下腹だけがポッコリと出ている。早く言えば締まりがないのだ。ぽっちゃりとした丸顔に付いた垂れ目のせいでいつも笑っているように見える。雀の巣のようなくせ毛の頭髪は父親譲りである。能天気で明るい性格は母親譲りだ。その両親も五年前に相次いで他界した。

 都内の三流大学を三流の成績で卒業し、株式会社三流みながれ商事に入社したが、会社は昨年末に二回目の不渡りを出して倒産した。その後、不動産会社に就職するも、その会社も入社半年で倒産し、それ以降は定職に就けていない。三流大学出の三十過ぎの独身男にとって、渡る世間は鬼だらけである。求人広告に片っ端から応募したがことごとく不採用となり、貯金もそろそろ底をつきかけていた。

 昨日も四社の採用面接を受けたが、どこからも色よい返事はもらえそうにない。最後に受けた会社などは面接を終えて部屋から出ようとしたその背中に不採用の声が浴びせかけられたのだ。失意のまま部屋に帰り、着替えもせずに万年床に潜り込んだのもしかたあるまい。


 和也は米子の足音が遠ざかって行くのを聞いて、フウと息を吐いた。家賃どころか電気ガス水道料金も未納のままで、いつ電気やガスが止められるかびくびくしているのが現状なのだ。

 和也は握ったままのメール便をしげしげと見た。差出人の住所氏名は汚れのため判読できなかった。途中まで開けたメール便の中にはIDカードと社員証のようなバッジが入っていて、同封されていた封筒には日時と場所が記載された紙と地図が入っていた。旅費なのだろう、地図の後ろに千円札が一枚付いていた。

「明日の午後三時、江東区・・・新木場のあたりか。仕方がない、届けてやるか」

 和也は『どうせ暇だし』という言葉を呑み込むと、寒々とした流し台の前に立ちやかんを火にかけた。ボッという音がして火が点いたところを見ると、まだ水道とガスが止められてないようだ。安堵した和也はウヒヒと笑ってインスタントコーヒーに手を伸ばした。こういう状況でもお気楽なのだ。


 翌日、からりと晴れた初夏の明るい日差しの中を和也は浮かない顔でトボトボと歩いていた。

 昼過ぎまで寝てようやく起きたら、スイッチを押しても部屋の照明が点かなかった。ハッと思って流し台の前に立って、やかんを火にかけようとしたがコンロはうんともすんとも言わない。とうとう、電気とガスが料金未払のために止められたのだ。仕方なくやかんに溜めた水をコップでゴクリと飲むと、和也はすきっ腹を抱えて部屋を出た。

 アパートの前で掃除をしている大家の米子の前を、さりげない風を装って軽く会釈をして通り過ぎたが、「お出かけですか」と声を掛けてきた米子の絡み付くような視線がいつまでも和也の背中にまとわりついていた。和也の足取りが重いのもしかたあるまい。

 JR京葉線の新木場駅を出て、材木埠頭に向かって延びる道は左側が若洲ゴルフリンクスになっていて、右側は工場が立ち並んでいた。その道の先は東京ゲートブリッジに繋がっていて、コンテナを積んだ大型トラックが真っ黒な排気ガスをまき散らしながらひっきりなしに行き交っている。埋立地の上に延びる平坦な道には日陰になるような街路樹も少なく、初夏とはいえ直射日光を浴びる和也は全身汗みずくになって歩いていた。空腹で目が回る。思い出したように吹き抜ける風は潮の香りがした。

 重たい足を引きずるようにして歩く和也の横には、コンクリートの高い塀が延々と続いていた。行けども行けども途切れないコンクリートの塀に和也の心が折れかけたとき、頑丈な鋼鉄製の門が現れた。門はピタリと閉ざされているが、門の横に付けられた通用口の小さなドアが開いていた。金属製のドアの上には『D.D.』と彫り込まれた金属板が貼り付けられていた。表札なのだろうが和也には意味が分からない。

 メール便に入っていた地図上では一帯は広大な空き地になっているが、この門に相当する場所に確かに赤い丸が表示されている。和也は時計を見た。午後二時五十八分。何とか指定の時間にギリギリ間に合った。和也は恐る恐る通用口のドアから中を覗き込んだ。

 ドアの向こうには、全身がグレー色をした男が立っていた。グレー色のベレー帽を被り、身体にピッチリと貼り付いたグレー色の上着を着てグレー色のタイツをはいた男が腕を組んで、ドアから顔を出した和也を睨みつけていた。グレー男は身長百八十五センチを優に超える大男で、大胸筋がこれでもかと盛り上がっていて、両腕は丸太のように太い。その姿は直立二足歩行するゴリラのようで、よく見れば顔も人間というよりはゴリラに近いようだ。

「あのう・・・」

「遅い! 遅い、遅い、遅すぎる!・・・もう一回、遅い! 集合は五分前が鉄則だ!」

 グレーのゴリラが人間の言葉で『遅い』を猛烈な早口で連呼した。活舌は良さそうだ。和也はヒッと首をすくめると、おずおずと言った。

「私は、メール便の誤配で受け取った品をお届けに・・・」

 和也がポケットからメール便とともにIDカードとバッジを取り出すと、グレーのゴリラは眼を剝いた。

「とにかく中へ入れ! こんなところでそれを出すんじゃない、バカモンが!」

 猛烈な力で腕を掴まれた和也は、抵抗することもできず通用口の中に引っ張り込まれた。和也の後ろで通用口のドアがバタンと閉まった。


 三十分後、和也はIDカードを首から下げて、会議室に一列に並べられたパイプ椅子に腰掛けていた。和也の横には年齢も風体もバラバラの四人の男が並んで座っている。

 和也はグレーのゴリラに引っ張られて、鋼鉄製の門の奥の敷地内に建てられた工場のような建物の中に入り、身長・体重・血圧の測定と視力・聴力の検査を受け、たった今採血を終えたばかりだった。和也は左腕の採血跡を指で押さえている。

 ガチャリと音がして会議室のドアが開き、グレーのゴリラが直立二足歩行で部屋の中に入ってきた。

「全員起立!」

 ゴリラの掛け声で四人の男は一斉に立ち上がり直立不動の姿勢をとった。ボンヤリしていた和也は一瞬遅れて立ち上がった。ゴリラは和也をギロリと睨みつけてから、手に持った資料に目を落とした。

「最終試験である身体検査の結果を伝える・・・全員合格。おめでとう、これで君たちは我々ドボンデズの一員だ。私は戦闘部隊第一班の班長の山本巌。非常勤だからといって容赦はしないぞ、ビシビシ鍛えてやる。各自、心して訓練に励め。そして世界征服の野望を一緒に実現しようではないか。それではひとまず解散。総務課で採用に関する必要書類を記載した後、物品係でユニフォームと備品を受け取れ。入寮する者には部屋の鍵が渡されるはずだ。明日は午前九時にこの会議室に集合。時間厳守、五分前精神を肝に銘じておけ。以上」

 山本は早口でそう言うと、五人に背中を向けた。会議室から出て行こうとしている山本に和也は走り寄った。

「ゴリ・・・いや、山本さん。私は誤配されたメール便を届けにきただけなんですけど・・・。合格? 何のことやらサッパリ分からないのですが」

「あーん? お前は・・・近藤か。お前こそ何を言っている。非常勤職員として採用されたんだ、だから合格。アンダースタン?」

「アンダー・・・じゃなくて、私は神藤和也、近藤ではないんです。近藤さん宛のメール便が私のところに誤配されて・・・」

 山本は和也の言葉を途中で遮ると、和也が首から下げているIDカードをひったくるように掴んだ。そしてマジックのキャップを開けると、近藤の名前を二本線でキュッと消した。

「しんどうかずや?どんな字を書くんだ・・うん、うん・・・ほらできた。細かいことは気にするな」

 山本はIDカードにマジックで和也の名前を書くと、IDカードを和也に押し付けた。山本は和也の目を見てニコリと笑い、それから急に怖い顔をして声を潜めた。ジャングルの中で目の前に突然現れた野生のゴリラに威嚇されたようだ。

「それともここで働くのが嫌なのか? ここの秘密を知った以上、生きてはここを出られんぞ」

 和也はブルブルと首を振り、棒を飲んだように背筋を伸ばした。イヤだと言えば本当に殺されそうだ。

「働きます・・・あ、働きたいなぁ・・・いや、是非働かせてください。何だかやる気が沸々と湧き上がってきました。風呂でも沸かせそうです」

「それでよろしい」

「あのう・・・もうひとつだけ」

「何だ」

 返事をする山本の声がイラついている。

「ここは何をする会社なのでしょうか。私は何をすればいいんでしょうか。そこんところの基本情報が完全に欠落しているものですから、やる気に陰りが出てしまって・・・ハハハ」

 山本はスッと姿勢を正すと、会議室の正面の壁を指差した。

「ここは世界征服を企む悪の秘密結社『ドボンデズ』のアジトだ。お前は戦闘部隊所属の戦闘隊員、かっこ非常勤かっことじる、として採用されたのだ。新型コロナも治まって、これから我々も活動を再開するのだ。忙しくなるぞ」

 山本の指差す先には、ドクロをモチーフにしたおどろおどろしい紋章が掛けられていた。ドクロの眼窩はいびつに吊り上がり、カッと開けた口から炎を噴き出している。先程までその前に座っていたのに全く気付かなかったが、見るからに性格は相当悪そうだ。

「世界征服・・・悪の・・・ドボンデズ?」

「DDと呼んでくれ、カッコいいだろう」

 和也は一瞬山本の正気を疑ったが、山本は胸を張り満面の笑みを浮かべていた。山本の盛り上がった胸にはDDのバッジが光っている。あれはメール便に同封されていた社員証のバッジと同じだ。

 とにかく、電気もガスも止められたアパートに住んでこの先もあてのない就職活動を続けることに比べれば、非常勤採用でも就職口が見つかったのだ。しかも寮に入ることができるのなら、当分は生活に困らないだろう。世界征服だの悪だのは、ひとまず横においておけばいいのだ。和也はニコリと笑うと山本に向かって姿勢を正した。

「神藤和也、了解しました。本日より秘密結社ドボンデズの戦闘隊員、かっこ非常勤かっことじる、として、世界征服に邁進してまいります」

 和也の脳裏に、逃げられたと知って悔しがるアパートの大家の米子の萎びたキュウリのような顔が浮かんだ。


 総務課に行くと、先程の会議室にいた四人が長机の前に並んで座って一心不乱に書類を書いていた。カウンターの中にいた三十がらみの女性が和也の顔を見ると、書類の入った封筒を持って和也の前に立った。女性が首から下げているIDカードには佐久間敬子という名前が見える。佐久間女史も山本と同様にグレーの上着とタイツを身に着けていた。タイツの腰まわりのゴムがはち切れんばかりに延びている。

「近藤さん?」

「あいや・・・いろいろ手違いがありまして、近藤の代わりに私、神藤和也がお世話になることになりました」

 和也はそう言うとマジックで訂正されたIDカードを見せた。佐久間女史は興味がなさそうにチラリとIDカードに目をやると、持っていた封筒を和也に渡した。

「ふうん。それじゃあ、これ。必要書類が入っているから、そこの長机で記載して提出してください。ええっと・・・近藤さんは入寮希望だったけど、神藤さんはどうします?」

「是非入寮させてください。近藤さんの入る予定だった部屋でかまいません」

「分かりました。それじゃあ・・・青雲寮の205号室、カギはこれ、寮の貸与申請書とカギの受取書はこれ。先程渡した書類と一緒に提出してください」

 佐久間女史は和也にカギを渡しながらチラリと時計に目をやって「いけない、幼稚園のお迎えの時間だ」と呟くと、そそくさと部屋を出て行った。

 和也が長机の前に座り書類を書き始めると、隣の男が声を掛けてきた。和也より少し若い、二十五、六歳といったところか。綺麗な二重瞼に高い鼻梁を持った細面の優男である。サラサラの長い前髪をかき分けるようにして、脳天から突き抜けてくるような甲高い声を出した。

「近藤・・・神藤さん? 俺、五十嵐晃。晃と呼んで下さい、よろしく。先月の面接試験と実技試験のときはいなかったようだけど、追加試験があったのかな」

「あいや、話せば長く・・・ならないか。近藤さん宛のメール便が私のところに誤配されて、それを届けにきたら、いきなり合格と言われて・・・つまり、近藤さんの代わりですね。神藤和也です、こちらこそよろしく」

「ハハハ、何だかいい加減だなあ。神藤さんも青雲寮? 205号室?・・・俺は206号室。お隣さんだ、仲良くやっていきましょう」

 晃の人懐っこい笑顔を見て、和也は先程までの漠然とした不安感が少し和らいだ気がした。

「あの、五十嵐・・・」

「晃でいいです」

「それじゃあ、晃。教えて欲しいんだけど、先月の面接試験と実技試験というのは、どんな内容だったの? 私はパスしていないけど、これから先やっていけるかな」

「面接試験と言っても、名前と志望動機を聞かれて終わり。実技試験といっても百メートル走と三キロの持久走だけで、足切りタイムもなし。全員合格したはずだよ。といっても試験を受けたのはここにいる四人だけだけどね」

 晃はそう言うと、隣に座っている残りの三人に向かって顎をしゃくった。

「ねえ、晃。そもそも、ここの採用募集はどうやって知ったの? ここは悪の秘密・・・」

「悪の秘密結社ドボンデズ、世界征服を目的に日々活動している・・・本当かな。人員募集? 新聞の折り込みチラシの中に入っていたんですよ、『共に世界征服を目指そう』ってね。資格経験不要で福利厚生充実、手取りもそこそこで諸手当あり、独身寮完備。おそらく、誰も冗談だと思っているんだろう。俺だって、チラシを片手に首を捻ったもん。サラ金から借りた金で始めたラーメン屋をつぶしちまって、働き口もない。やけくそで応募してみたら、これだよ。不思議なもんだね」

「新聞の折り込みチラシ? 悪の秘密結社だよね、そんな公明正大に募集しちゃって大丈夫なのかな。その・・・警察とか公安当局とかに存在を知られたらまずいと思うんだけど」

「だから、誰もが冗談だと思っているんでしょ。悪の秘密結社がそんなことするはずがないという固定観念を逆手に取った高等戦術じゃないのかな、よく知らないけど」

 晃はその後に続く『それとも単なるバカか』という言葉を呑み込んだ。

「なるほどねぇ」

 晃の説明を聞いて納得した和也は晴れ晴れとした顔で書類を書き終えた。提出しようと顔を上げると、午後五時を回った総務課に既に人影はなく、天井の蛍光灯も消されていた。やむなく、一件書類を入れた封筒に署名をすると、佐久間女史の事務机の上に封筒を置いて無人の総務課を後にした。


 和也と晃は肩を並べて総務課の前の通路を歩き、突き当りのドアを開けた。ドアには物品係と書かれたプラスチックの札が貼られていた。室内は刑務所の面会室のように、腰までの高さのカウンターが部屋を二つに仕切り、カウンターの上には天井まで届く分厚いアクリル板が設置されていた。カウンターの上の部分のアクリル板が直径三十センチほどの半円形の形にくり抜かれているのは、そこから物品を渡すのだろう。やけにものものしい。

 室内は真っ暗で人影もなく、カウンターの前の床に登山用のリュックサックほどの大きさの雑嚢が二つ並べて置いてあった。雑嚢には荷札が括り付けてあって、ひとつは『五十嵐晃』、もうひとつには近藤の名前を二本線で消して『神藤和也』と書かれていた。

「ここにも人がいない。勤務時間が五時までなんだろう、超過勤務なし・・・いいことじゃないか。悪の秘密結社だけどブラック企業じゃないということだね。この雑嚢を勝手に持っていけということだな・・・ほら、晃」

 和也は床の雑嚢を手に取ると、ひとつを晃に投げた。晃は雑嚢の口を広げて中を覗いた。

「グレーのユニフォーム一式、帽子にマスク・・・ブーツも入っている。シャツとパンツ・・・下着までグレーで統一されている。こっちの袋は・・・」

 晃は眉をひそめた。

「伸縮式警棒、ナイフが大小二本、メリケンサック、ヌンチャク、十手? 捕り物用か・・・小型拳銃まである。本物かな?」

 晃は掌に隠れるほどの小さな拳銃を取り出すと、おどけたように和也に銃口を向けた。和也は銃口を無造作に右手で払いのけながら言った。

「晃、ここは日本だぜ。本物の拳銃がそこら中にゴロゴロある訳がないじゃないか。ましてや・・・悪の・・・秘密結社に・・・」

 和也の声が徐々に小さくなった。

「悪の秘密結社だから・・・本物?」

 和也と晃は顔を見合わせ、ゴクリと唾を呑み込んだ。晃は手の中の拳銃をまじまじと見つめてからハンカチを取り出してゴシゴシと指紋をふき取り、爆発物でも扱うかのようにそっと袋の中に戻した。


 青雲寮はドボンデズのアジトの建物の脇に建っていた。

 鉄筋コンクリート造り四階建てで、どこかの大学の学生寮のような外観をしていた。築二十年ほどだろう。和也の住んでいたボロアパートよりもよっぽど綺麗だった。正面玄関の脇には相撲部屋の入口にあるような木製の立派な看板が掛けられていて、毛筆で書かれた『青雲寮』という達筆の文字がかろうじて読めた。正面玄関を入ると、左右に下駄箱が並び、フロアの床には来客用のスリッパが乱雑に置かれている。大きな陶器の壺のような傘立てには、前衛芸術のように奇抜な形でビニール傘が五本突き立っていた。

 玄関を入ってすぐの一階フロアに管理人室があって、ガラス窓の向こうから、老婆が和也と晃をじっと見ていた。彼女が管理人なのだろう。和也は大家の米子が座っているのかと思い、思わずギョッとした。やはり逃げ切れなかったか・・・和也が悲しみを浮かべた目でよく見ると、米子は萎びたキュウリのような顔をしているが、こちらの管理人は萎びたヘチマのような顔をしていた。大差はないがどうやら別人のようだ。和也の顔に安堵の色が広がった。

 老婆は管理人室からヨタヨタと出てくると、和也と晃の前に立った。

「新規入寮者の五十嵐さんと近藤さんだね、あたしゃ管理人の町田だよ」

「あのう・・・近藤は諸般の事情により勤務できなくなりまして、私、神藤和也が代わりに採用され、ここに入寮することになりました。・・・連絡はきていませんか?」

「そんな連絡はきていないね。でも、まあよかろう、名前なんぞかりそめのもの、宇宙の真理に比べればゴミのようなもんだ。近藤だろうが遠藤だろうが・・・」

「あの、神藤です。神様の『神』に藤の花の『藤』で神藤」

「喝! 名前なんぞどうでも良いのじゃ、何度言えば分かる」

「まだ一度目ですが・・・」

「喝! 喝! 喝! このあたしに口答えするなんぞ百億年早いわ! とにかく、管理人室に入りなさい、寮の規則を教えるから。えーと、五十嵐さんと天藤さんだっけ?」

 わざと間違えているに違いない。

「神藤です」

「面倒なこと言うんじゃないよ」

 管理人の町田は奥歯が凍り付くような極寒のダジャレを残して、さっさと管理人室に消えた。


 和也が割り当てられた205号室は六畳一間の洋室で、壁際にベッド、窓際に小さな机と椅子が置かれていて、収納箪笥と小さなテレビとエアコンが備え付けられていた。トイレと浴場と炊事場は共同である。ベッドと反対側の壁には会議室の壁に掛かっていたものと同じ炎を噴くドクロの紋章が埋め込まれていた。やはりここは悪の秘密結社の独身寮に間違いない。

 雑嚢をベッドの上に投げ出して、中に入っているユニフォームなどを整理し始めたとき、コツコツとドアがノックされた。

「はい?」

 和也がドアから顔を出すと、廊下に和也と同年代の男が立っていた。和也より二つ三つ年上だろうか。ひょろりと背が高く手足も長い。短く刈り込んだ頭髪の下に団子鼻としゃくれた顎が付いている。酒の飲みすぎなのか鼻の頭が赤い。男の後ろには晃が立っていた。

「近藤さんですね、僕は207号室の村木孝明です。よろしく」

「あのう、近藤さんは諸般の事情で・・・えーっと、私は神藤和也といいます。ぶっちゃけた話、近藤さんの代わりです」

「代わり? まあいいや。それで神藤さん、これから少しお時間あります? 夕食はまだでしょう、顔合わせを兼ねて一杯いかがです。五十嵐さんと一緒に。近くに行きつけの居酒屋があるんです」

 和也の顔がパアッと明るくなり、金が無いことに気付くと、直ぐに暗くなった。

「行きたいのはやまやまなんですが、お金が・・・二千円ちょっとしか持ってないんです」

「アハハ、大丈夫ですよ。その居酒屋は行きつけで、つけが利きますから。それに、今日は僕が奢りますよ」

 奢りという言葉を聞いて、再び和也の顔がパアッと明るくなった。現金を持っていないのに現金なやつである。

「ぜひお供させてください! そうですよね、顔合わせは必要・・・いや必要不可欠です。コミュニケーションは職場の基礎ですから。いいなあ、奢り・・・いや、何でもありません。さあ、行きましょう、居酒屋なんて久しぶりだ・・・ウヒヒ、今日は飲むぞ・・・」

 あっけにとられたような顔をしている村木の背中を押すようにして、和也は廊下をいそいそと歩いた。その後ろを、晃が笑いながらついてきた。おそらく晃も金は持っていないだろう。


 昼間に和也が入ってきた鋼鉄製の正門とは敷地を挟んだちょうど反対側に小さな裏門があった。裏門の脇にある四角いボックスにIDカードをかざすと、カチャリと音がして施錠が解除された。裏門の先は車がようやくすれ違えるほどの細い路地になっていて、路地の反対側には小さな町工場が立ち並んでいた。夕方の六時を過ぎて、ようやく初夏の太陽は傾いて、西の空は茜色に染まっている。町工場も操業を終えているのだろう。人影はなく、あたりにはシンとした静けさが満ちていた。あるかないか分からないほどの微風には焼けた機械油の臭いが混じっている。

 裏門の丁度前に二階建ての住宅が建っていて、その一階部分が居酒屋になっていた。縄のれんの脇に赤ちょうちんがぶら下がっている。赤ちょうちんに書かれた居酒屋の名前は『チャッピー』。赤ちょうちんには既に灯が入っていて、おいでおいでをするかのようにブラブラと揺れていた。

 アルミサッシの引き戸をガラガラと開けると、中から居酒屋特有の酒と肴の匂いの入り混じったムッとした空気が流れ出てきた。

「ヘイ、いらっしゃーい」

 居酒屋のおやじのだみ声が響く。村木が指を三本立てて、三人連れだと身振りで示すと、おやじはカウンターの中に立ったままテーブル席に向けて無言で顎をしゃくった。

 おやじは六十代半ばで痩せて背は低く、ツルツルの禿げ頭の下にすっぽりと落ち込んだ金壺眼が光っている。左目には黒い眼帯を着けていた。頬がげっそりとこけていて、がっしりとした顎と大きな出っ歯がドクロのように見える。

 店内は六人掛けのカウンター席と、四人掛けのテーブル席がふたつ。店の奥には上がり框があって、その先に六畳の座敷があった。煤けて黒くなった壁には煮〆たように茶色く変色したお品書きが所狭しと貼り付けられていた。

 村木は店の中に入ると、カウンター席に座っている三人連れの先客に「どうも」と一声かけてから、テーブル席に座った。和也と晃が後に続く。

「おやじさん、生中三つ、日替わりのおすすめはイカ? じゃあそれをふたつ、冷奴を三つに枝豆。神藤さんと五十嵐さんも好きなものを注文していいよ」

 和也と晃は壁一面に並んでいるお品書きの数に圧倒されていた。

「晃、すごいね、和洋中なんでもござれだ。ビーフストロガノフってのは旨いのかな。シェフの気まぐれサラダってのもある。あのおやじさんがシェフなんだろうか?」

「さあね、とにかく頼んでみよう。おやじさん、ビ、ビ、ビーフストロガーノフひとつとシェフの気まぐれサラダひとつ。それと・・・石窯で焼いたピザ・マルガリータをひとつ」

 おやじは何事もないかのように「はいよ」と答えた。その声と入れ違いに、カウンターの奥から割烹着を着た大女が、お盆の上にビールと枝豆と冷奴を載せてノソリと出てきた。身長は百九十センチ近くあるだろう、年齢は五十代後半に見えるから、おやじの連れ合いなのだろう。分厚い化粧も馬面は隠せないようだ。巨大な身体に白塗りをした馬面は、白覆面をした伝説の競走馬、怪物ハイセイコーにそっくりだ。ひょっとすると生まれ変わりかも知れない。

「あら、村木ちゃん、いらっしゃい。こちらは新入りの方? 珍し・・・いやいや、これからどうぞごひいきに」

 馬面の女将はそう言いながらビールのジョッキと料理をテーブルの上に並べ、和也と晃に向かってニッコリと微笑んでから、カウンターの中に戻って行った。和也は一瞬パカパカと蹄の音を聴いたような気がしたが、おそらく幻聴だろう。

「それじゃあ、これからよろしくということで、乾杯!」

 村木の音頭で乾杯した後、和也は冷奴をつつきながら村木に尋ねた。

「村木さんは今の職場は長いんですか」

「職場? ああ、ドボンデズに入ってからってこと? そうだねぇ、もう五年になるかな」

「シイッ、その名前を出しちゃって大丈夫なんですか?」

 和也は思わず唇の前に人差し指を立てて、周りをキョロキョロと窺った。

「名前? ドボンデズの? ああ、気にしなくて大丈夫ですよ。この店はドボンデズの構成員しかこないから。あのドクロみたいな顔をしたおやじさんは元戦闘部隊所属の戦闘隊員でしてね。四年前にドボンデズを定年退職して、ここで居酒屋を始めたんですよ。馬面の女将さんも元総務課の経理担当で、二人は職場結婚したんですよ。僕も入って一年目に、おやじさんにこっぴどくしごかれたもんです、いやあ、懐かしいな・・・おやじさん、生中お代わり」

 村木はあっという間に飲み干して空になったジョッキを高々と掲げた。和也は引き続き冷奴をつつきながら尋ねた。お箸で散々つつき回された冷奴は既に原形を留めていない。

「村木さん、そのぅ・・・ここからが本題なんですが、ドボンデズで働くとなると、具体的に何をするんでしょう。悪の秘密結社と言われても、なかなかピンとこないんです」

 村木はお代わりのビールジョッキを口に運びグビグビと飲んでから、鼻の下に泡をつけたまま言った。

「そんなことも知らないで、ドボンデズに入ってきたの? 募集要項にちゃんと書いてあったでしょうが」

「いや、その・・・私の場合は自ら応募したというより、近藤さんの代わりとして成り行き上、ドボンデズの一員になったものですから、皆さんのような高い目的意識はないんです。募集要項も見ていませんし・・・」

 村木はムウウと唸ってから、更にビールを一口飲み、晃に厳しい眼を向けた。

「五十嵐さんはどうなの」

 カウンターの上に天井からぶら下がっているテレビで放映されている読売ジャイアンツ対阪神タイガースの伝統の一戦を熱心に見ていた晃は、急に名前を呼ばれて目を白黒させている。もっとも、村木の話をちゃんと聞いていたとしても、晃が答えられたかどうかは怪しい。

 村木はジョッキのビールを飲み干すと、空のジョッキを高々と掲げて「お代わり」と叫んでから、和也と晃の顔をジロリと見た。村木の顔は青白くなっていて目が据わっている。どうも絡み酒のようだ。

「だいたい、君たちのような高い志を持たない輩が、安直にドボンデズに入ってくること自体が問題だ。上層部は何をしているんだ!」

 和也と晃は村木の前で首を垂れて、とりあえず神妙な振りをした。これ以上金主を怒らせてはいけない。晃は野球の試合が気になるのか、チラチラと上目使いでテレビを見ている。

 おやじがお代わりのビールジョッキと自分用のコップ酒を持ってテーブルまでやってくると、村木の前にジョッキを置いてから、村木の横の椅子に座った。

「村木ちゃん、そんなに新入隊員を苛めちゃダメだよ。村木ちゃんだって、入ってきたときは同じようなもんだったじゃないか」

「そんな・・・おやじさん」

 村木は唇を尖らせると、三杯目のビールジョッキに口をつけ、瞬く間に飲み干した。そして、カウンターの中にいる女将に向かって「ハイボールをジョッキで」と言った。村木の酒は底なしのようだ。

 おやじはコップ酒をグビリと一口飲んでから、ゲフッと酒臭い息を吐いた。

「ドボンデズのことを聞きたいんでしょう、儂が教えてあげるよ。儂の名前は若竹銀次郎。こう見えてもドボンデズ勤続四十三年、高校卒業と同時にドボンデズに入ってから戦闘部隊一筋だ。この左目は名誉の負傷と言ったところだな」

 おやじは左目の黒い眼帯を指差した。村木がハイボールを啜りながら横から茶々を入れる。

「ドボンデズの戦闘隊員で生きて定年退職を迎えることができたのは、このおやじさんただひとり。おやじさんは戦闘隊員のレジェンドなんだぞ。お前らごときが気安くお話しできる方ではないのだ! それを・・・」

 おやじは分かったとばかりに村木の背中をさすりながら、和也と晃に向かって右目でウインクした。悪魔にウインクをされたように和也と晃の背中に悪寒が走った。

 馬面の女将がお盆の上に料理を載せてテーブルの前に立った。

「マッタク、村木ちゃん、飲みすぎですよ。それと、若い子に絡んじゃだめ、いつも言ってるでしょ。はいお料理、ビーフストロガノフとシェフの気まぐれサラダと石窯で焼いたマルガリータピザね」

 女将はテーブルの上に、牛モツの煮込みとボウルに入ったキャベツの千切りと電子レンジで解凍したようなピザを置いた。和也が思わず声を上げた。

「あのう・・・ビーフストロガノフというのは」

「ビーフでしょ、はいっこれビーフ入り」

 女将は牛モツの煮込みを指差して、どうしたんだとばかりに首を傾げている。

「ビーフの部分はそれとして、残りのストロガノフという部分はどのあたりが・・・」

「ストロ何とかって、日本語でモツ煮込みと言うんじゃないの、よく知らないけど」

「気まぐれサラダは・・・」

「何をサラダにしようがあたしの勝手でしょ。だから気まぐれよ」

「まあ、そうおっしゃられれば、返す言葉もございません」

 晃が横からおずおずと口を挟んだ。

「『石窯で焼いた』っていう部分はどうなっているんでしょう。先程カウンターの奥からチンという音が聞こえたもんですから、てっきり電子レンジかと」

「なにで焼こうが味は変わらないのよ、男は細かいことゴチャゴチャ言わないの。気持ちよ気持ち」

 女将はそう言うと晃の肩をポンポンと叩いて、パカパカと、いや、そそくさとカウンターの奥に消えた。

 おやじは断りもせずに勝手に牛モツの煮込みを箸で摘まんで口に放り込むと、「ウン美味い、天才だ」と自画自賛してから、和也と晃に「食べながら話を聞け」と言った。

 おやじはコップ酒で口を湿らすと、訥々と話し出した。

「ドボンデズが何をしているか、ドボンデズで自分は何をやらされるのか、それが聞きたいんだろう。ドボンデズは世界征服を企む悪の秘密結社、そう言えば分かるじゃろう。分からん? 想像力の欠如した若者だな。キーワードは『世界征服』と『悪』。簡単に言えば悪いことをして世界を征服しましょうと、こういうことだね」

「あのう、悪いこととは具体的にどのようなことでしょうか」

 和也がオズオズと尋ねた。村木は既にハイボール二杯目に突入していて、下を向いてひとりでブツブツと何かを呟いている。おやじはグビリとコップ酒を飲んだ。

「悪いことなら何でもOK、簡単でしょ。悪いことをして世界を恐怖のズンドコ、失礼、恐怖のどん底に突き落としてやればいいのじゃよ。ただし、社会全体に対して悪いことをするのであって、特定の個人を狙い撃ちするような卑劣な犯罪はしない。ましてや、年寄りを騙して金を巻き上げるなんざトンデモナイ。悪人の風上にも置けん悪魔の所業じゃ」 

「そうしますと、私・・・あ、申し遅れました、私は神藤和也と申します。それで、こっちが五十嵐晃。ふたりとも本日付でドボンデズの戦闘隊員、かっこ非常勤かっことじる、を拝命しました」

「これは、ご丁寧に・・・」

 おやじがペコリと頭を下げ、つられて村木も頭を下げた。村木の額がテーブルの角にぶつかってゴンと音がした。和也が続けた。

「そうしますと、私たち戦闘隊員がどこかに三々五々出張って行って、思いつくままにひたすら悪いことをすると、そう言うことでしょうか」

「戦闘隊員はあくまで戦闘補助じゃから、まあ早くいえば兵隊、昔の二等兵じゃな。世界征服のための悪の作戦は、幹部である『魔人』が中心となって行う。戦闘隊員は魔人の指示を受けて、魔人の手足となって作戦遂行のために働くのじゃよ」

「魔人?」

 和也と晃が顔を見合わせた。

「そうか、ドボンデズのことは何も知らないんだったな。まあ、明日からの新規採用者基礎研修でみっちりと教えられるじゃろうが、基礎知識を持っていた方が理解も早いじゃろう。簡単に教えてやるか」


 秘密結社ドボンデズがいつ結成されたのかは分からん。第二次世界大戦後と言う者もいれば、明治時代、あるいはそれよりも前から基礎となる組織が存在したと言う者もいる。世界征服という野望は最近のものかも知れんが、世の中をひっくり返して自分たちの理想の世界を造るという考えを持った組織は昔からあったじゃろうからな。

 世界征服を企む悪の秘密結社は世界中にいくつも存在していて、ドボンデズもそのひとつじゃ。互いに連携し、また、互いに反目しあって世界中のあらゆる組織の中に根を下ろして極秘裏に活動している。資金源は誰にも分からん。世界有数の大富豪が資金提供しているという噂もあるがね。

 秘密結社ドボンデズの首領の名はドロン。

 正体不明でだれも顔を見たことがない。・・・とされているが、実は周知の事実で、本名は土門建造、八十二歳。株式会社土門土木建設の会長で、門前仲町白滝商店会の会長じゃ。気のいい男で、病気で引退する先代の首領から頼まれて断り切れずに首領を引き受けたらしい。

 ドボンデズのナンバーツーは狂気の天才科学者デス博士。

 自ら開発した万能細胞Xを駆使して魔人を造り続けている。世界征服用の作戦兵器製造の責任者でもある。ドボンデズの頭脳じゃな。IQはたしか驚異の千三百と言っておった、自己申告だがね。・・・聞いた話じゃが、デス博士の本名は尾畑隆一郎。元東都大学医学部教授で人工細胞と遺伝子操作分野の世界的権威だったらしい。万能細胞Xに関する論文を発表したが学界で相手にされず白眼視されて、その結果人体実験を強行して失敗し、学界を追放されたらしい。その後、ドボンデズに拾われて万能細胞Xの研究を続けているのじゃ。

 ドボンデズのナンバースリーは大幹部キル大佐。

 軍事顧問として世界征服に向けた作戦計画立案を担当している。極悪非道な男で、血も凍るような恐怖の作戦を平気で立案するんじゃ。・・・キル大佐の本名は、トーマス・キャンベル。元アメリカ特殊空挺部隊大佐で傭兵の経験もあるらしい。自分の立案した作戦内容を説明するんじゃが、日本語が下手で、ときどき何を言っているのか分からん、こまったもんだ。

 ドボンデズの幹部はデス博士によって造られた魔人たち。

 万能細胞Xと動物の遺伝子を掛け合わせて造られた人工細胞を埋め込まれて、特殊能力を発現した魔人じゃ。身の毛もよだつおどろおどろしい姿をしている。キル大佐の立案した作戦を遂行する責任者で、戦闘隊員の直接の上司となる。・・・誰が魔人にされるのかは、儂も知らん。デス博士がどこからか連れてくるらしい。

 戦闘部隊は魔人の指揮の下で作戦を遂行する実動部隊じゃな。戦闘部隊は一班から五班に分かれていて、それぞれに班長が一人、隊員は約二十名じゃ。この村木も神藤君も五十嵐君もここに所属する。幹部連中は隊員を消耗品としか思っておらん。自分の命は自分で守るしかないのが隊員じゃ、そのことを肝に銘じておけ。そうでなければ定年まで勤めることはできんぞ。

 そうだ、これも話しておいた方がいいじゃろう。自分を、世界平和を守るヒーローじゃと思い込んでドボンデズの作戦を邪魔するやつがおるんじゃ。ドボンデズの長い歴史を振り返って見ると、いつの時代にも必ずこういう輩が存在している。まあ、お約束というやつだろうな。

 今の相手の名前は『月影』。カッコいい? バカなことを言うな。普通の人間ならどうということもないが、こいつはちょっと厄介でね。防衛省の特殊兵器開発研究所で開発された新型対人戦争兵器、かっこ試作品かっことじる、なんじゃよ。筋力増強剤で強化された肉体に特殊装甲を装着していて、魔人と対等に戦える能力を持っているのじゃ。これまでに、何人もの魔人が月影に倒されて、作戦が失敗している。月影の正体は片岡隆盛。元陸上自衛隊隊員で、演習中に重傷を負って人間兵器にされたらしい。こいつは基本的にバカで手加減を知らんから、戦闘部隊員にもケガ人が多数出ている。まあ、こいつが現れたら相手は魔人に任せて、戦闘隊員は怪我をせんように後ろに控えていた方が無難じゃな。


 おやじの長い話が終わった。村木は酔いつぶれて、テーブルに突っ伏していびきをかいている。和也と晃は毒気を抜かれたような顔でおやじを見ていた。和也が口を開いた。

「おやじさんは先程、キーワードは『世界征服』と『悪』とおっしゃいましたが、その・・・世界を征服した後、ドボンデズは何をしようとしているんでしょう。世界を征服して人々を従えて、その先は・・・お金? ではないですよね。単純に権力が欲しいと言うことでしょうか」

 おやじはガイコツ出っ歯に険しい表情を浮かべて首を横に振った。

「そんな低俗軽薄な目的ではないよ。世界征服とは世界をひとつにすること。言い換えれば世界をひとつの権力機構の元に統合すること、世界の人々をひとつの民族として統合することじゃ。そこで目指すもの、それは世界平和だよ。複数の権力機構すなわち国家なるものがいがみ合って戦争を繰り返す世界をひとつに統合する。それぞれの民族が自分たちのアイデンティティを守るために他の民族を攻撃する世界をひとつの民族に統合する。そこには国家間の戦争もなければいがみ合う民族対立もない、これまで人類が実現したことのない世界平和が訪れるのじゃ。

 世界征服後の世界を統治するひとつの権力機構、その中心にいるのはひとり又は数人の賢人で、賢人による絶対君主制の下で統治が行われる。ポピュリズムに侵されて機能不全を起こした民主主義では実現しえない理想郷だ。人権という名のエゴイズムに縛られていびつに歪んだ自由主義では到達しえない理想郷だ。経済活動はその中で自由に行われるのだ。但し、一定の良識あるルールに則ってだがね。統治機能と経済活動は明確に分離されるのだ。

 ドボンデズは真の世界平和を目指して世界征服を企む秘密結社なのだ。その実現のためには悪の手法が必要だ。この世界の構造と秩序を、根底から速やかに変えるためには悪の手法しか手立てがない。革命には血が必要だ、その血は悪に置き換えが可能だ。究極の平和を実現するための手段としての必要悪、その実施者がドボンデズなのだ」

「そんな・・・世界平和を実現するための世界征服なんて・・・」

 和也の声が震えている。そうはいっても、おやじの話を半分も理解できていないのだが。おやじはコップ酒をグビリと飲んで続けた。

「ちょっと難しかったかな。まあ、一介の戦闘隊員、かっこ非常勤かっことじる、ならそこまで難しく考えんでもいいじゃろう。肩の力を抜いて、自然体でやればいいんじゃ」

「自然体で世界征服を・・・」

 すでに和也の目は焦点を失っている。頭のヒューズが飛んでしまったのかも知れない。

「何じゃい、その顔は。よし、飲み直そう。明日から研修で大変じゃぞ、景気付けにパアッとやろう。おーい、かあさん、熱燗五本、大きい徳利で。つまみは・・・めざしと漬物。神藤君と五十嵐君も好きなものを注文しなさいよ。勘定? 村木につけておくから心配するな」

「それじゃあ、舌平目のムニエルを」

 舌平目と聞いて一瞬おやじの目が宙を泳いだ。

「舌平目?・・・ああ、あれね。おーい、かあさん、あれひとつ」

「大丈夫かな」

 その夜はしたたか飲んで、へべれけになった和也と晃は這うようにして青雲寮に戻った。村木がどうなったのかは覚えていない。


 翌朝、午前八時五十九分。和也と晃は二日酔いで割れんばかりの頭を抱えて、何とか集合時間ギリギリに会議室のドアを開けた。部屋の中では、戦闘部隊第一班班長の山本がゴリラのような顔に憤怒の表情を浮かべて立っていた。腕組みをした丸太のような腕の筋肉が今にも弾けそうにミシミシと音を立てている。

「遅い! 遅い、遅い、遅すぎる!・・・もう二回、遅い、遅い! 集合は五分前が鉄則だ! 何度言えば分かるんだ、お前たちは・・・ウプッ酒臭い・・・」

 山本は機関銃のような早口を途中で止めて鼻をつまんだ。和也と晃の身体中の毛穴という毛穴から、チャッピーのおやじに勧められて浴びるほど飲んだ日本酒が染み出して、湯気のように立ち昇っていた。和也も晃も真っ赤な目をして、山本の前で気を付けの姿勢を取ろうとしているが、言うことを聞かない身体は左右にユラユラと揺れている。吐き気を堪えながらフウフウと吐く息は熟柿のように甘ったるい臭いがしている。一言でも口をきけば、言葉とは別のものが飛び出しそうで、二人とも額に脂汗を浮かべながら口を真一文字に結んだ。

 二人のあまりの体たらくに、山本は言葉を失った。

「マッタク、研修初日から・・・。とにかく席につけ。本日の日程を伝える。この後、九時十五分から十二時十五分まではこの会議室でドボンデズの組織の概要と就業規則・服務規則の説明、講師は総務課の高野係長。十二時十五分から十三時まで昼食休憩。食堂は廊下の突き当りを右、入口の券売機で食券を購入すること。今日の日替わり定食は、サバの味噌煮定食だ。十三時から十四時までは地下一階音響室でドボンデズ社歌の練習、講師は外部からきていただく青空音楽教室の美空雀先生。十四時から十六時三十分までは運動場で基礎体力作り、講師は私だ。ビシビシやるぞ。十六時三十分から十七時まで後片付けと清掃。十七時解散。なお、各研修時間中に講師の判断で適宜トイレ休憩を挟む。以上だ、何か質問は?」

 山本はジロリと五人の研修生を見渡して、誰からも質問がないことを確認すると、部屋を出て行こうとした。ドアノブに手をかけた山本はウン? という顔をすると、和也の前に戻ってきた。

「神藤、ちょっと立ってみろ」

 山本の言葉に、和也は気を付けの姿勢をとった。グレーのユニフォームの上着の袖丈が足りずに肘から先が半分ほど出ていて、胴の部分もまくれ上がってへそが見えていた。タイツの裾も丈が足りずに脛が半分ほど出ている。和也に支給されたユニフォームは小さすぎたのだ。

 山本が呆れたような声を出した。

「何だお前、ユニフォームのサイズが合ってないじゃないか。みっともない。世界征服を企む悪の秘密結社の一員としての品位に欠けるぞ」

「はあ、頂いた物品袋の中にはこれしか入っていなかったものですから。シャツとパンツもピッチピチなんです。締め付けられて苦しくって・・・」

「何で昨日支給を受けたときにサイズを確認しないんだよ。とにかく物品係のところに行って交換してもらえ。・・・ああ、研修が始まるな。仕方ない、今日はそれで我慢しろ」

 山本は情けないという顔をして部屋を出て行った。


 一日目の研修を終えて、和也と晃は青雲寮に戻った。二日酔いのため、午前中の講義の内容は全く頭に入っていない。昼食のサバの味噌煮定食を食べて何とか人心地がついたふたりは、午後のカリキュラムの社歌の練習と基礎体力作りを何とか乗り切った。大声を出して社歌を歌い、山本に怒鳴られながらひたすら運動場を走ったおかげで、酒の気はすっかり抜けていた。

 寮の一階にある共同浴場でふたり並んで鼻歌交じりに頭を洗っていると、和也の隣に村木が座った。

「ああお疲れさん。神藤も五十嵐も昨日はいつの間に帰っちゃったんだよ。僕はチャッピーの床に転がされていて、気がついたら朝だったんだぞ。もうちょっとで遅刻するところだったよ」

 村木はそう言うとお湯をザブリと頭に掛けた。

「いやあ、村木さんがあんまり気持ち良さそうに寝ていたんで、起こすのもどうかと・・・ねえ、晃」

「そうですよ、村木さんのことを全く忘れていた訳じゃありませんよ。チャッピーのおやじさんが後は任せろと・・・。ねえ、和也さん」

 へべれけに酔って村木のむの字も思い出さなかったふたりは、そそくさと洗い場を立って湯舟に浸かった。村木は目をつぶり、シャンプーで頭をゴシゴシと洗いながら言った。

「まあいいや・・・それより、チャッピーのおやじさんからメールの伝言だ。『本日、舌平目入荷しました』だと。何のことだい?」

 和也と晃は顔を見合わせた。やはり昨夜食べた舌平目のムニエルは偽物だったのだ。どう見てもアジの開きにしか見えなかったが、女将に舌平目だと断言されて反論ができなかったのだ。村木はザブリとお湯を被って頭の泡を流すと、湯舟に入ってきた。

「それじゃあ、五時五十分に玄関前集合。チャッピーに殴り込みだ。今日は五の付く日だから、サービスデーなんだ。六時までに店に入れば生中が一杯百円、こりゃ行くしかないでしょう」

 村木は昨夜のことを全く懲りていないようだ。それは和也も晃も同じ。

「村木さん、どこまでもお供します。とにかく、舌平目の正体を突きとめるまでは死んでも死に切れませんから。なあ、晃」

「はいな、和也さん。俺も石窯の秘密を突きとめてやる」

 バカ三人組はオーと雄叫びを上げてから、勇ましく湯船を飛び出した。


 翌朝、午前八時五十五分。戦闘部隊第一班班長の山本は会議室のドアを開けた。部屋の中には一列に並んだパイプ椅子に研修生の五人が座っている。山本はゴリラのような顔に笑みを浮かべて「ヨシッ」と言うと、五人の前に立った。

「今日は全員五分前集合を厳守したようだ・・・うん? 神藤、五十嵐、その顔・・・」

 和也と晃は昨夜もチャッピーで返り討ちに遭い、今朝も完全な二日酔いで椅子に座っていた。二人の顔は真っ青で、足元にはブリキのバケツが置いてある。既に何回か使用されているのだろう、日本酒の臭いと舌平目のなれの果ての甘酸っぱい臭いが入り混じった強烈な臭気が部屋中に漂っていた。

 二人のあまりの体たらくに、山本は再び言葉を失った。

「マッタク、研修二日目も・・・。とにかく何か出そうになったら速やかにバケツを使え、外にこぼすなよ。それでは本日の日程を伝える。この後、九時十五分から十二時十五分まではこの会議室でドボンデズの歴史と過去の作戦行動の概要の説明、講師は戦闘部隊第二班長の勝田。十二時十五分から十三時まで昼食休憩。今日の日替わり定食は、ハンバーグ定食だ。デミグラスソースか和風ポン酢のどちらかを選択すること。十三時から十四時までは地下一階音響室でドボンデズ社歌の練習、暗唱できるようになるまでやるぞ。講師は昨日と同じ青空音楽教室の美空雀先生。十四時から十五時までは運動場で基礎体力作り、講師は私だ。十五時から十六時三十分までは地下二階の武道道場で格闘技訓練、講師は外部からきていただく少林寺功夫新木場道場の李中竜師範。燃えたドラゴンと呼ばれるほど厳しいお方だから覚悟しておけ。十六時三十分から十七時まで後片付けと清掃。十七時解散。なお、各研修時間中に講師の判断で適宜トイレ休憩を挟む。以上だ、何か質問は?」

 山本はジロリと五人の研修生を見渡して、誰からも質問がないことを確認すると、部屋を出て行こうとした。ドアノブに手をかけた山本はウン? という顔をすると、和也の前に戻ってきた。

「神藤、ちょっと立ってみろ」

 山本の言葉に、和也は気を付けの姿勢をとった。グレーのユニフォームの上着の袖丈がダブついて、袖の先からやっと指先が覗いていた。胴の部分も腰の下まで垂れている。タイツの裾も長すぎて足首に幾重もしわが寄っていた。和也に支給されたユニフォームは、今度は大きすぎたのだ。

 山本が再び呆れたような声を出した。

「何だお前、ユニフォームのサイズが合ってないじゃないか。みっともない。世界征服を企む悪の秘密結社の一員としての品位に欠けるぞ・・・たしか昨日も言ったな?」

「はあ、交換して頂いたユニフォームがこれだったものですから。シャツとパンツもブカブカなんです。パンツがずり落ちそうで・・・」

「何で昨日交換してもらったときにサイズを確認しないんだよ。とにかく物品係のところに行って交換してもらえ。・・・ああ、研修が始まるな。仕方ない、今日はそれで我慢しろ」

 山本は再び情けないという顔をして部屋を出て行った。


 一か月が矢のように過ぎた。

 新規採用者基礎研修を終えた和也と晃は、戦闘部隊第一班に配属された。班長は山本巌。出来損ないのふたりが第一班に配属されたのは、研修教官である山本が責任を取らされたのだろう。山本はふてくされたような顔をして和也と晃を先導すると、地下四階の戦闘部隊室に連れて行った。

 一班と書かれたドアを開けると、中は二十畳ほどの広さのロッカールーム兼休憩室になっていた。壁際にズラリとロッカーが並び、部屋の中央には応接セットが四つ置かれていた。ロッカールームの右手は六畳の和室になっていて、その横に簡易キッチンが付いている。ロッカールームの奥は作戦会議室で、大きな黒板が壁に貼り付けてあってその前に演台が置かれ、部屋の中には筆記用机の付いたパイプ椅子が教室のように並んでいた。

 作戦会議室には隊員が集結していて、ザワザワという声が漏れてくる。山本が作戦会議室に入ると、部屋の中はシンと静まった。

「起立・・・礼・・・着席」当番隊員が声を掛けた。

 山本がゴリラのような顔で演台に立ち、ゴホンと咳払いをしてから続けた。

「第一班の諸君、新規採用者研修を終えて本日付で第一班に配属された非常勤職員の二名を紹介する。神藤和也、五十嵐晃。みんな、よろしく面倒を見てやってくれ」

 和也と晃は神妙にペコリと頭を下げた。

 顔を上げると、目の前に村木が座っていてニヤリと笑うと小さく右手を上げた。

「神藤、五十嵐、空いている席に座れ。これから、来月実施する世界征服作戦の概要を説明する。今週の当番隊員は・・・佐々木か。よし、佐々木、レジメを配ってくれ」

 佐々木と呼ばれた当番隊員は、A4二十枚ほどのクリップ止めした資料を筆記用机の上に置いていく。

「行き渡ったな。よし、レジメの表紙を見てくれ。これが今回の作戦名だ。『恐怖の東京湾封鎖作戦』、いい名前だろう。聞いただけで背筋が凍るような気がする。真夏にぴったりの作戦だな。レジメの一ページを開いてくれ。この作戦の人員配置だ。担当幹部は魔人タコデズ様だ。海上作戦だから蛸にぴったりだ、遺憾なく能力を発揮していただけるだろう。次に戦闘部隊の割り振りだ。戦闘担当は我が一班、輸送担当は五班、後方支援は三班、二班と四班は本部待機となる。レジメの二ページに移る、集合場所は横浜港の本牧埠頭D突堤第十八番倉庫前。そこから船で東京湾入口に向かう。船酔いする奴は酔い止めを忘れるなよ。実施日時は七月中旬で現在最終調整中、決定次第知らせる。それで・・・ああ、ちょっと待て」

 山本はそう言うと、作戦会議室の入口までバタバタと走り、ドアから顔を出した。ドアの向こうから「ヨクルトでーす」という女性の声が聞こえてきた。山本が手招きをして声を掛けた。

「おばちゃんコッチコッチ、ヨクルト二本ちょうだい」

「はあーい、山本さん、いつもありがとうございます。二本で百六十円です」

「はいよ・・・ありゃゴメン、小さいのがないや。千円で・・・」

 山本はヨクルト二本をつまみ、お釣りの小銭をチャラチャラと鳴らしながら演台に戻った。山本に続いて何人かの隊員がヨクルトレディーからヨーグルトや野菜ジュースを買っている。

 和也の隣の席では、村木がカップに入ったヨーグルトをスプーンですくって口に入れていた。和也は村木に聞いた。

「ヨクルトレディーは毎日くるんですか?」

「当り前じゃないか。一週間に一度きてどうするんだよ。まとめ買いしたら古くなっちゃうじゃないか」

「ここは悪の秘密結社のアジトの地下四階ですよね」

「それがどうした? おばちゃんたちは手分けして各階を回ってくれているぞ。感謝しなきゃ」

「セキュリティーとか情報漏洩とかの心配はないんでしょうか」

「細かいことを気にするなよ。ヨクルトレディーには業務上知り得た情報を外に漏らしてはいけないという守秘義務があるんだよ、たぶん」

「守秘義務ですか・・・」

 和也がチラリと振り返ると、保冷用の大きなバッグを抱えたヨクルトレディーがニッコリと笑って「ありがとうございました」と言いながら作戦会議室を出ていくところだった。守秘義務が課されていることも知らずに・・・。

 山本は二本目のヨクルトをチュウチュウと飲み終えると、掌で口元を拭ってから「さて」と言った。

「どこまで説明したっけ。レジメの三ページ目から?よし、今回の作戦に使用する海上封鎖用兵器の概要と簡単な操作方法に移る。この兵器は蛸型特殊機雷で、水中を浮遊しながら吸盤の付いた八本の足で・・・」

 昨夜のチャッピーでの深酒が祟ったのだろう、和也はそこまで聞いて意識を失った。和也の横の椅子で、筆記用机に突っ伏した晃もグウグウと鼾をかいていた。

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