1 リーナの脱走と協力者
教会に併設された孤児院の前に立派な馬車が止まる。
降りてきた身なりのいい若い男は、孤児院の中へと入っていった。
しばらくすると、その男とともに少女が出てくる。
十代半ばに見える少女は、やせ細ったその体に似つかわしくない華麗なドレスを身にまとっていた。
しおらしくうつむいて、男の後についていっているが、その大きな瞳だけは、機会をうかがってらんらんと輝いていた。
「あーっ!!」
男が馬車のドアを開けようとしたとき、少女は道の先を指さして叫んだ。
男が驚いてそちらの方を見た瞬間、少女は男の片足を払って地面に転がすと同時に、胸元から取り出したトウガラシの粉を男の顔面にぶっかけた。そして、脱兎のごとく走り出す。
後に残された男は、盛大にむせながら涙を流し、御者があわてて男の元に駆け寄った。
(やってやったわ!目論見通り!!)
勝ち誇った気分の少女、リーナは全力疾走で街の中心部へと向かう。
(でも油断してはダメ!早く人ごみに紛れ込まなきゃ)
街中を爆走する令嬢という奇怪なものを見た人々は、一様に言葉を失くしてあっけにとられている。でも、そんなのは構わない。
(誰が十五の身の上で、変態じじいの妾になんかなるもんですか!)
やっとのことで、市場が立つ広場まで辿り着いたリーナは速度をゆるめ、近くの細い路地に身を隠して荒い呼吸を整える。
休日の真っ昼間なだけあって、市場も、その周りの店々も買い物を楽しむ人々でごった返していた。これなら見つかりにくいだろう。
あとは、目立たない服を素早く買って着がえれば完璧。そう思って笑みをうかべた矢先、耳障りなだみ声が聞こえてきた。
「あれー?お嬢ちゃん、こんな所で何してんだー?」
リーナがとっさに身をひるがえして市場の方に逃げようとすると、目の前を別のでかい男がふさいだ。
「ああん?どこ行こうってんだ?」
ニヤニヤと下卑た笑いをうかべて、その男はリーナを捕まえようとする。しかし、リーナはひるむことなく、その男の股間をめがけて飛び蹴りをした。
あまりにも見事な跳び蹴りは、男の急所に直撃し、男の腰が砕け落ちる。リーナは着地とともに、その隙をついて男の脇を走り抜けようとした。
(ざまあみろ!)
勝利を確信したリーナは、市場まであとわずかだと安堵する。
しかし、突然後ろ襟をつかまれて後ろに引き倒された。石畳に叩きつけられて激しい衝撃が全身を襲う。息がつまった。
それでもあわてて根性で体を起こすと、目の前でだみ声の男が怒りもあらわに見下ろしていた。
リーナの背筋を寒気がはいあがる。
「よくもまあ、やってくれたもんだなあ」
だみ声の男はリーナを勢いよく蹴り飛ばし、間髪入れずうつぶせにして体重を乗せた。
さらに、リーナの両腕を後ろ手に締め上げる。リーナは、なんとか逃れようとあがくが、びくともしない。
「兄者、大丈夫ですかい?」
だみ声の男の声に、リーナが顔を上げると、目の前にはさっき股間を蹴り飛ばされた男が、忌々し気にこちらを見下ろして立っていた。
「ああ。よくもやってくれやがったな。このクソが!」
男の足が一度引かれた後、勢いをつけてこちらに迫ってくるのがやけにゆっくりと見える。
(顔面を蹴り飛ばされる!)
その恐怖に、リーナはとっさに目をきつくつぶった。
しかし、どれだけたっても衝撃が来ない。そのかわり、何か重いものが壁にぶつかって落ちるような音。その直後に、自分の真上あたりで、何かがぶつかったような鈍い音が聞こえて、急に背中が軽くなった。
リーナは思わず目を開けて身を起こす。
まず目に入ったのは、吹っ飛んだらしく離れた所で地面に転がっている男たちだった。二人ともぴくりとも動かない。
次いで目に入ったのは、かたわらに立つ黒い髪の青年。リーナより少し年上くらいのその青年は、無表情のまま手を差し出す。
わけもわからず、リーナはその手を取り、立ち上がろうとした。
「痛っ!」
リーナの足に痛みが走り、力が抜けてくずおれそうになる。そう思った瞬間、力強い腕が背後からリーナを支えた。
「大丈夫?」
金髪の青年が、リーナを支えたまま、心配そうにリーナの顔をのぞきこむ。リーナをそっと下ろすと、かたわらにしゃがみこんで、優しい笑顔を向けた。
「女の子が一人でこんな路地に入っていくなんて危ないよ。けがは無い?」
「は……はい」
リーナは、へたりこんだまま、二人の青年の顔を交互に見た。気がゆるんで涙があふれる。あわてて目をきゅっと閉じて涙をこらえた。
「怖かったね。もう大丈夫だよ」
金髪の青年が、リーナの頭を優しくなでる。
リーナは一層泣きそうになった。けれども、大きく深呼吸をして、力づくで涙を止める。顔を上げて青年たちをまっすぐに見て、深々と頭を下げた。
「助けていただいてありがとうございました。このご恩は一生忘れません」
「どういたしまして」
顔を上げると、金髪の青年の朗らかな笑顔が目の前にあった。つられてリーナの口元にも笑みが浮かぶ。
「では、私は行かないといけないので」
壁に手をそえながら、リーナは立ち上がった。大丈夫。まだ少し痛むけど、我慢すれば歩けないほどじゃない。
「わ、わ、ちょっと待って」
ぎこちなく歩いていくリーナの手をつかんで、金髪の青年が引き留める。
「やっぱり、けがをしてるんじゃないか。僕たちが家まで送っていくよ。遠慮しないで」
リーナは、その手を振りほどくこともできずにうつむいた。
「家なんかないわ……」
青年たちがふしぎそうに首をかしげる。
「私は、孤児院から逃げてきたもの。帰る家なんか元から無い!」
言い放って、リーナはしまったと思った。孤児院に連れ戻されてしまう。
青年たちは、顔を見合わせてうなずき合った。
「何か事情があるみたいだね。良かったら話してみない?力になれるかも」
金髪の青年は、リーナの手を両手でやさしく握ってそう言った。戸惑っているリーナに言葉を続ける。
「僕はアルシェ。アルって呼んで。こっちは従僕のギル。あなたのお名前は?」
「え!?シュエルダ孤児院からここまで全力疾走してきたの?三カロメはあるよ!」
話を聞き終えて、アルはあっけにとられた。
「で、これからどこに行くの?」
リーナは言おうかどうか迷った。今は親切にしてくれている二人も、これを聞いたら妄想だと笑うかもしれない。それは辛すぎる。でも、もしかしたら……。そうよ。笑われたって仕方ない。その時は一人で行けばいいだけのことよ。
「アトセルティルス文明って知ってる?」
アルが不可解そうに眉を跳ね上げた。
「ああ。俺たちの文明の前に栄えて、今は滅びたと言われている伝説の超古代文明だろ。それが何か関係があるのか?」
「私はきっと、そのアトセルティルス文明の末裔なのよ」
リーナは、言ってやっぱり後悔した。二人とも目が点になっている。
「な……なぜそう思うんだい?」
気を取り直したアルがひきつった笑みを浮かべる。リーナは、あとは野となれ山となれよ!と半ばやけっぱちで話を続けた。
「私は、五歳で孤児院に入ったの。そこからの事はしっかり覚えているわ。でも、それより前の記憶が断片的であやふやなの。おかしいとは思っていたけど、十歳の時『アトセルティルス文明へのぼうけん』っていう本の読み聞かせを聞いて、『それだ!』と思ったわ。」
自分の声と心臓の音がやけに響いてうるさいことに気づいたけど、話し出した言葉はもう止まらない。
「記憶の中では、本の内容と同じように、春には国中に花が咲き乱れて、青い空の元でみんな楽しく遊んでるの。お父様やお母様と一緒に、馬のいない馬車にも乗っていたわ」
アルがぽかんと口を開けて聞いている。ギルもいぶかしげな表情を浮かべている。リーナは、理解されない悲しさを吹き飛ばすように叫ぶ。
「私はアトセルティルスに帰りたいの!私に記憶があるってことは、きっとまだどこかに存在しているのよ!!」
アルとギルは、驚いて顔を見合わせた。アルが一つうなずく。
「わかった。一緒にアトセルティルス文明を探そう」
「えっ?」
思いがけない言葉に、今度はリーナが目を点にする番だった。
「信じるの?」
「うーん。リーナが嘘を言っていないことはわかるけど、アトセルティルス文明がまだあるかどうかはわかんないな。だから一緒にさがしてみよう?」
優しくほほ笑みかけられて、リーナはかえって警戒心が増した。
「ど……どうして、こんなわけのわからないことを手伝おうとするのよ!」
アルはきょとんとして答えた。
「どうしてって、面白そうだからだよ。思いがけない大冒険ができて僕は楽しいし、リーナは助かって一石二鳥じゃない?もちろん、アトセルティルス文明を本当に見つけても秘密は守るよ」
「本当?」
リーナは、アルの目をじっと見る。アルも射るように見つめ返す。
「もちろん」
アルの自信満々の答えに、リーナは息を吐き、ひとまず信じることにした。正直、わずかな所持金とこの身一つしか無いリーナにとって、協力者はありがたかった。そう、これはむしろとても運がいいのではないだろうか。
「わかったわ。よろしくお願いします!」




