表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
BLUE BIRD  作者: ネモ


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

2/4

第2話 平穏

朝がくる。

ロズベルグの朝はいつも、パンの香りと鐘の音で始まる。


石畳の通りを陽光が照らし、屋台の人々がパン籠を並べ、果実を磨く。

露店の布が風に揺れる音と、馬車の軋む音。


その街の外れ、小さな工房の窓からも、パンの香りが入り込んでくる。


「……んー、やっぱセンスねぇな、俺」


木の扉を半分開けたまま、リーガルが煙を吐いた。

年齢を重ね、目の下には疲れが滲む。

無精髭は伸びっぱなしで、髪もくしゃくしゃ。


彼は今、朝食のパンを炙っていた。

炙りすぎた。


「……今日も焦がしたのかよ」


背後から聞こえた声。

振り返ると、アキが寝癖を直しながら、木のテーブルに腰かけた。

十五歳の青年。白い髪に鮮やかなオレンジの瞳。

どこかリーガルに似ていると言われることもあるが、本人たちは否定している。


「今日の朝食もクリスピーでパンチ効いてるぜ」

「はいはい。正当化するのやめて小麦農家に謝ってー」

「食えば問題ねぇだろ!」

「……せっかくだから美味しく食べたいだろー?」


アキが呆れ顔でパンを取り上げる。

焦げた部分を指先でつまみ、くるりと剥がしてテーブルに置く。


「な?りんごやミカンみてぇにギミック付きよ」

「ミカンはともかくりんごは皮ごと食べるよ…」

「へっ!」


リーガルは口をへの字に曲げた。

文句があるなら食うなと言いたそうな顔をしているが、せっかく作ったし食べないわけにもいかない。


「……うん。カッチカチですわ」

「口の中の水分無くなるな!ハハッ!」


リーガルが得意げに笑う。

いつも通りの朝。リーガルが朝食の当番の時は大体こんな感じだ。


 


この街に来てから、十二年が経った。

アキは幼かった。言葉も満足に知らなかった。

名前をつけたのはリーガルだった。

「目の色が秋の空っぽいから」と言って。


そして今。

その少年は、街で一番の「道具修理屋の助手」として知られている。

魔法を扱えない代わりに、手先の器用さは誰にも負けない。


 


「今日の仕事は?」

「北の区画。ステラ婆ちゃんの杖の修理」

「ああ、あの腰の曲がった婆さんか。まだ生きてるのか」

「縁起でもないこと言わないの」

「いや、褒めてんだよ。あの年で自分で飯作って、杖振り回してんだ。化けもんだろ」

「だから言い方!」


アキが笑いながら道具袋を肩にかける。

その姿を見送りながら、リーガルは窓の外の空を見た。


「……もう十二年か」

小さく呟く。

戦場を離れ、武器も魔法も捨て、ようやく掴んだ平穏。

それでも――心の奥には、いつかの血と光と、砕けた宝石の残像が焼きついている。


 


街の中心部。

朝市が開かれ、人々の声が重なる。


「おはよう、アキくん!」

「おはようございます、ルシアさん!」

「今日もステラ婆さんのところ? あんたもマメだねぇ」

「また杖壊したみたいで、もう常連さんだよ」


ルシアは果物屋の中年女性。

彼女も戦争で夫を亡くし宝石をイヤリングにして毎日身につけている。

だがその笑顔は、もう“過去を生きている人”のものではない。明るく元気なマダムだ。


「ねぇアキくん」

「うん?」

「リーガルさん、最近どう? ちゃんと食べてる?」

「……最近はあんまり…」

「ほらやっぱり! あの人は放っておくとすぐ痩せちゃうんだから!」

「いや、食べてはいるんですけど……壊滅的に料理が下手で、今日も脱水してますわ」

「どうりで焦げた匂いがすると思った…」

「ほぼ毎日だよ」

「毎日!?」


ルシアは腰に手を当てて大げさにため息をつく。

通りがかる人たちがクスクス笑う。


「困った人だねぇ、あのリーガルさんは。戦争の頃は“英雄に最も近い男”なんて呼ばれてたっていうのに」

「マイヤさん、そういう話はあんまり……」

「わかってるわ。ごめんごめん。でもね、あの人が今ここにいるってだけで、街の人たち、結構救われてるのよ」


アキは少し首を傾げた。

リーガルは人付き合いが苦手だし、街の催しにも顔を出さない。

それでも、皆が彼を慕っている。

それが少し、不思議だった。


 


北の区画に向かう途中、アキは広場の方を通りかかった。

広場では今日も、小さな光が舞っている。

子どもたちが宝石をかざし、空に小さな炎や花の形を描いているのだ。


――これが魔法。


アキは足を止めて見つめる。

光はとても綺麗だった。

けれど、それ以上にどこか“寂しい”と思ってしまった。


その光の裏には、きっと誰かの“失われた人”がいる。

この世界では、死者は宝石になる。

その宝石と想いを共鳴させて魔法を使う。


笑顔で花を咲かせているあの子も、

きっとその人を二度と抱くこともできない。


アキはゆっくりと視線を外し、歩き出した。


――魔法は、きっと俺には無縁の関係ないものだ。


そう思うようになったのは、いつの間からだっただろう。

リーガルは魔法の話をほとんどしない。

街の人々も、アキが「魔法を使えない子」だと知って、あえて話題を避けてくれている節がある。


代わりにアキが学んだのは、修理の技だった。

木も鉄も直せる。折れた杖も、欠けた指輪も、磨けばまた使える。

それで誰かが笑ってくれるなら、それで十分だと思っていた。


 


ステラ婆ちゃんの家は、街の北の坂道を登った先にある。

家の周囲には、手入れされた小さな花壇があり、薄紫の花が風に揺れている。

アキが扉をノックすると、中からかすれた声がした。


「……入りなさい、アキ坊や」


「こんにちは、ステラ婆ちゃん」


「おやまぁ、約束どおりだよ」


皺だらけの手を差し出して、婆ちゃんはアキの頬を軽く叩く。

その目は優しく、しかしどこか鋭い。

年老いてなお、その瞳には“魔法を知る者”の光が残っていた。


「杖の方はどうだったい?」


「ひびが入ってただけでした。芯はまだ生きてたから、ほら」


アキは布を広げ、修理を終えた杖を見せた。

古い木の肌に新しい金具が打たれ、先端の宝石が淡く光を宿している。


ステラはその杖を撫で、微笑む。

「……“また綺麗になった”ねぇ」


「…?これで、また歩けますね」


「歩くだけなら、もう十分さ。でもね、これで“彼”に会いに行ける気がするんだよ」


アキは少し眉をひそめた。

ステラの夫は、もう二十年以上前に宝石となっている。

この杖の先端の宝石はきっとその人だ。


「婆ちゃん、あの……その宝石、まだ“使って”ないんだね」


「使わなくても、傍にいるんだよ」


ステラは笑う。

皺が深く刻まれたその笑顔には、涙の痕があった。


「魔法ってね、便利なもんじゃないのさ。戦争に使う道具でもない。あれは“残された者への祝福”だったんだよ。昔はね」


「祝福……」


「そうさ。誰かを想って、手を伸ばす。

でもね、伸ばしたその手が何を掴むかで、人は変わっちまう。

あんたの父さん――リーガルも、昔はそういう手をしてたよ」


アキは少し驚いた。

「婆ちゃん、リーガルを知ってるの?」


「知ってるとも。あの人がここに来た頃、あたしの足を直してくれたのさ」

「えっ、あのときの義足って……!」

「そう。あの人が作ってくれた。魔法を使わずにね」


ステラは杖をぎゅっと握る。


「魔法がなくても、人を救える。あの人は、それを教えてくれた。

あたしはね、あの人の生き方、好きだよ」


アキは静かに頷いた。

胸の奥が少し熱くなる。


リーガルは昔、戦場にいた。

そのことを街の人たちは知っている。

けれど、誰も彼を責めない。

むしろ――救われたと言う。


「婆ちゃん、ありがとう」

「なんの礼だい」

「なんか、ちょっとわかった気がする」

「ふふん、若いくせに悟った顔して」

「いや、そういうわけじゃ」

「まあいい。代金はテーブルに置いてある。あと、ついでに茶菓子でも持って帰んな」


「えっ、いいの?」

「いいのいいの。どうせ一人じゃ食べきれないんだから」


ステラが棚から包みを取り出してアキに渡す。

中には焼き菓子が数枚。

ほんのりと香る蜂蜜の匂いが心地よい。


「リーガルにもよろしくね。あの人は――あんたが思うより、ずっと優しいんだよ」


アキは微笑み、軽く頭を下げた。

「うん。知ってるよ」


 


家を出ると、午後の光が街の屋根を照らしていた。

風が少し強く、雲の流れが速い。

アキは焼き菓子の包みを胸に抱えながら坂を下りる。


 


工房に戻ると、リーガルは相変わらず机に向かっていた。

古い時計を分解し、歯車を一つひとつ磨いている。

手先の動きは静かで精密。だが、どこか哀しげだった。


「ただいま」

「ああ、おかえり。どうだった?」

「完璧。ステラ婆ちゃん、泣いてた」

「泣いてた?」

「うん、喜びすぎて」


リーガルがふっと笑った。

「そうか」


アキは包みを差し出した。

「これ、婆ちゃんから。焼き菓子」

「ほう……いい匂いだ」

「焦がす前に食べてね」

「おい」


アキが笑い、リーガルが眉をひそめる。

そんな他愛のないやりとりが、彼らの日常だった。


 


日が沈む。

窓の外の空が群青に染まり、街灯が一つずつ灯る。

遠くで鐘が鳴る。

リーガルは椅子に座り、煙草を咥えたまま、ぽつりと呟く。


「アキ」

「ん?」

「お前、何になりたい?」


「何って?」

「仕事でも、夢でも」

「んー……まだ考えてないけど、誰かを笑わせるのがいいな」

「笑わせる?」

「うん。リーガル、笑うとき、なんか優しいから。ああいうの、いいなって」


リーガルは一瞬、言葉を失った。

煙がゆっくりと天井に上がっていく。


「……お前は、ほんと、いいやつだな」

「え、それ褒めてる?」

「褒めてる」

「なんか説得力ないな」


「文句言うな」

「はいはい、父さん」


アキがそう言うと、リーガルは少し驚いた顔をした。

“父さん”と呼ばれることは、今でも慣れないらしい。


「……もう勝手にしろ」

「はーい」


その声に、工房の中に笑いがこぼれた。


 


外では夜風が吹き始めていた。

屋根の上で風見鶏がくるりと回る。

月が街を照らし、パン屋の煙突からは白い煙がゆるやかに上っていく。


アキはその夜、珍しく遅くまで起きていた。

窓の外を見ながら、ステラ婆ちゃんの言葉を思い返していた。


――「魔法を使わなくても、人を救える」


きっと、それがリーガルの生き方。

そして、今の自分の在り方でもある。


そう思うと、胸の奥に少しだけ温かいものが灯った。


「……おやすみ、父さん」


小さく呟いて、アキはランプを消した。

工房の灯が静かに落ち、夜の街が静けさを取り戻す。


 


――穏やかな日々。

その穏やかさこそ、リーガルが願っていたものだった。

戦いも、魔法も、宝石も関係のない日常。

ただ、人が笑って、生きていける世界。


そしてその願いの中で、アキは確かに“生きていた”。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ