達也視点:風が戻るまで
夏が来るたびに、あの人のことを思い出すようになったのは、いつからだろうか。
いや、きっと一年前からだ。──由香と別れてから。
自分で選んだ道だった。
個人で事業を始め、夏祭りの屋台でうちわを売るなんて、周囲から見たら夢見がちだと笑われるかもしれない。
でも、自分はこれで食っていくと決めたし、誰にも迷惑をかけていないつもりだった。
けれど、安定した生活を大事にしてきた由香にとっては、不安の種だったんだろう。
別れ際、彼女は何も言わなかった。
それがかえって苦しくて、悔しくて。
自分の甘さばかりが浮き彫りになった。
それでも、最後に言ったあの言葉だけは、嘘じゃなかった。
「来年も、同じ場所で、うちわ屋やるよ」
ただの強がりだったかもしれない。
でも、本当は──もしかしたら彼女が来てくれるんじゃないかって、どこかで願っていた。
祭りの日。
準備が押して、到着が少し遅れてしまった。
慌てて屋台に駆けつけると、手伝いの後輩が言った。
「藍色のうちわ、買っていった女性がいて。なんだか、嬉しそうにしてましたよ」
胸がざわついた。
藍色の花火は、由香がデザインを褒めてくれた絵柄だった。
気がつけば、自分の足は川辺へと向かっていた。
──いた。
浴衣姿で、風にうちわを揺らしながら、遠くを見つめる彼女。
見間違えるはずがない。
いつかの夏の続きを、ひとりで見ていたんだ。
「まさか、来てくれるとは」
声をかけると、彼女が振り向いた。
少し驚いたような、でも安心したような、そんな表情だった。
あのときは言えなかった言葉。
今なら少しだけ、素直になれそうな気がする。
「来年、またやるからって言っただろ」
彼女はうなずいた。
それだけで、胸がいっぱいになった。
──風は戻ってきた。
きっと、あの夏に置いてきたものを、今ふたりで取りに来たんだ。