15
朝。
窓の外は、まだ柔らかい青。
カーテンの隙間から入り込んだ光が、レンとエンの寝ているベッドに静かに差し込んでいた。
エンは、ぱちりと目を開けた。
「……」
天井。
白。
夜とは違う、空気の匂い。
昨日の出来事が夢ではないと、五感がじわじわと教えてくる。
「……まあまあ、寝れたか」
眠ったことが“初めて”だったエンにしては、それは奇跡的な順応だった。
胸の奥に、重たく湿っていた不安が、少しだけ軽くなっていた。
隣を見る。
レンはまだ眠っている。
呼吸は静かで、表情もやわらかい。
エンの存在が隣にあることを、どう思っているのかは、今はわからない。
「……もう、起きてもいい時間かな」
エンは、静かにベッドを出た。
立ち上がって、部屋を見回す。
思い出す。昨晩、部屋の中で見聞きしたもの、レンがやっていたこと。
手探りで、記憶を再生するように――
レンの“モーニングルーティン”をなぞっていく。
洗面所で顔を洗い、髪を整え、冷蔵庫を確認し、トースターに手を伸ばす。
「これが“パン”……焼く、だけ。簡単だ」
ボタンを押す手が、やたら慎重なのがエンらしい。
カップに水を入れ、インスタントのスープも作る。
「多分、これで合ってるはず……たぶん」
最後にテーブルを拭いて、座る。
あと30分。
レンが起きる時間まで。
エンは、少しだけ窓を開けた。
「……風が、冷たい。けど……」
その冷たさすら、ちゃんと“現実”の手触りがして、
嫌いじゃない、と思った。
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そして30分後。
ベッドに戻ったエンは、レンの顔をのぞき込む。
「レン。時間だぞ、起きろ」
声をかけても、うんともすんとも言わない。
次に布団をぐい、と引っ張る。
「おい、起きろ。現実だぞ」
「……ん、……あれ……?エン……?」
ぼやけた声が返ってきた。
目を細めて、レンがエンを見上げている。
「なんでお前がここに……?」
「……お前、まだ夢だと思ってるのか?」
エンは呆れたように息をつき、布団をバサッと引きはがす。
冷気に晒されて、ようやくレンが身体を起こした。
「うわ、さむ……ああ、そうだ。エン……お前……本当に……」
「生きてる。いてもいいって、お前が言った」
「……ああ、そうだったな。ごめん、寝ぼけてた」
レンはぼんやりした顔のまま、エンを見る。
「なあ、エン」
「なんだ?」
「……おはよう」
言ってから、レンはちょっと照れたように眉をしかめた。
「……なんか、変な感じがするな。お前に“おはよう”って言うの」
「……俺も、お前に“おはよう”って言うのは、初めてだ」
エンは、ほんのわずかに微笑んだ。
「……おはよう、レン」
「おう。……あー、なんか……変だな、やっぱり」
「な。……でも、悪くない」
「……そうだな。悪くない」
朝の光が、二人の影をそっと重ねていた。
どちらがどちらか見分けのつかないほど、よく似ていて、でも違う。
レンとエン。
鏡写しのようなふたりが、今、やっと同じ朝を迎えた。
この日は、ふたりにとって“初めての一日”だった。