13
廊下を歩く、レンとエン。
靴音だけが静かに響く中、ふとレンが肩越しに問いかける。
「そういや、エン。お前……戦ったことあるか?」
「……ないな」
返ってきたのは、あまりにもあっさりとした否定。
レンが少し眉をひそめる。
「だろうな。見た目と筋力的には問題なさそうだが……それでも、いきなり訓練させるのは、ちょっとなあ」
苦笑しながらつぶやいた瞬間――
「あー、レン」
「ん、なんだ?」
エンが立ち止まり、真っ直ぐにレンを見る。
「とりあえず、“動いてるとこ”見せてくれ」
「……は?」
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レンたち専用の訓練室。
実戦形式の模擬戦が行われていた。
「本当に“見るだけ”でいいのかよ?」とハルカが確認するも、エンは頷くだけだった。
「構わない。見るだけで充分だ」
壁際、腕を組んで立ったまま、黙って模擬戦を見守るエン。
レンが動けば、彼の目も僅かに動く。
ハルカが回り込めば、まばたき一つせずに視線を追う。
その瞳は、まるで戦場そのものを「記憶」しているかのようだった。
10分後――模擬戦が終了。
「……ふぅ。これでいいか?」
額の汗を拭いながら、レンが訓練場の中央でエンに向き直る。
エンはゆっくりと前に出て言った。
「ああ、充分だ。さて……次は、私の番だな」
「は? お前、本当にやる気か?」
「……見ただろ? 俺の戦い。お前、動き覚えられるって自分で言ってるけど――それって“イメージ”だけの話だろ?」
リョウが眉をひそめ、疑念を隠さず言う。
「大丈夫だ。イメージトレーニングはした」
「イメトレで戦えると思ってんのかよ! 舐めてんのか?」
ハルカがやや苛立ち気味に言い捨てるが、エンの表情は変わらない。
「舐めてない。俺は本気だ」
そして、彼はナイフを手に取り、レンと向き合った。
「……じゃあ、いくぞ。全力で」
レンの表情が真剣になる。
開始の合図と共に――その場の空気が変わった。
次の瞬間、エンが動く。
驚くほど正確に。
レンの動きと、完全に一致した動きで。
手の角度、足の踏み込み、反射のタイミング、すべてが「レンの模倣」だった。
「うっわ……嘘でしょ、こいつ……」
リョウが息を呑む。
だがその一瞬、ナイフがすっぽ抜けて宙を舞う。
「……っと」
エンが片手で空中のナイフを受け止め、苦笑した。
「む、失敗したな」
「……な、なんで抜けた? あんなに完璧に動いてたのに……」
「握る力加減が分からなかった。まだ、“感覚”には慣れていないからな」
そう言って、エンはナイフをゆっくりと構え直す。
「……いやいやいや、待て待て。お前、今の一連の動き――どうやって覚えた?」
レンが息を整えながら問いかけると、エンは静かに目を細めた。
「……“見た”と言っただろう? でも、あれは比喩じゃない。模擬戦の10分間、俺は“見て”、“記憶して”、“練習した”んだ」
「……無理だろ、10分で」
「……“現実の時間”ではな」
エンが少し口元を緩める。
「だが俺は、“精神世界”で生まれた。だから、精神世界では自由に動ける。あの時間、俺にとっては――」
**「数年分の訓練時間」**だった。
一瞬、空気が止まる。
「思考を加速できる。時間の密度を、自分で調整できる。“学ぶ”という行為そのものに、俺は制限を受けないんだ」
「だから、見ただけで真似できるのか……」
「動きの再現は可能だ。だが“現実の体”は別だ。握る力も、重力の微妙な癖も、肌に伝わる空気も。……そのすべてが、俺にとってはまだ新しい」
ゆっくりとナイフを収めながら、エンは言った。
「でも、慣れるのにそう時間はかからない。なにせ、俺には――“無限の時間”があるからな」
呆然としたように、ハルカが口を開く。
「化け物かよ……こいつ……」
レンは、しばらく無言でエンを見ていたが、やがて口元をわずかに上げた。
「……なるほど。そういうことか。
“俺たちの一員になる”ってのは、ただの感情論じゃなかったってわけだな」
「……ああ。だから言っただろ、“大丈夫だ”って」
静かに立ち尽くすエン。
その背には、まだ不慣れな現実の空気が、そっと流れていた。