有田焼
ひばりは大学内にあるワグネルの教授室の片付けを手伝っていた。
「ほんとうに先生はたくさん日本の芸術品をお持ちですよね」
ワグネルの部屋には水墨画や浮世絵、陶芸品などが飾られていた。
「すべて先生が集められたのですか?」
うなずきながらワグネルは自分の収集品をながめた。まるで恍惚とした眼差しで、彼がどれだけ夢中になっているかわかる。
「日本の芸術品はすばらしい。色づかい、形、どれをとっても西洋にはない美しさがある。とくに私は器などの陶磁器のたぐいが好きだ」
いつになく饒舌になるワグネル。
この頃になるとワグネルはひばりに慣れてきたのか、積極的に自分の話をしてくれることが多かった。
「そうすると、これも日本の陶磁器ですか?」
ひばりは目にとまった青い一輪挿しを指さした。
「こんな綺麗な青色をしたもの、日本のものでは珍しいですよね」
一輪挿しに彩色されている青は、日本古来の色というよりも西洋にある発色の強い鮮やかなコバルトブルーにみえた。
「それはアリタヤキという」
「ありた、焼き?」
「佐賀で昔から作られている磁器だ」
「まぁ!では、日本の伝統工芸品というわけですね」
「私が作った」
「え!?」
おどろくひばりの前で、ワグネルはさらに別のものを取り出してきた。
彼が出したのは白っぽい四角い固形物で、英語で文字が彫られている。
「Soap?」
「これも私が作った」
「え、これも先生が!?」
「私は最初日本へは、この石けんを売るためにきた」
ひばりの知らないワグネルの経歴を彼自身が静かに語り出した。
「ドイツではずっと理系の教師をしていたが、弟にさそわれてフランスのパリへ移って化学工場を始めた。けど、うまくいかずに失敗した。次に知り合いからアメリカの石けん会社で働かないかと誘われた。長崎で工場を作って、日本で石けんを売り込みたいと。それが私が日本に来るきっかけだった。でも、石けんはうまく売れず、会社はすぐに倒産してしまった」
石けん会社が失敗に終わった理由がなんとなくひばりはわかった。
「日本では石けんを使う習慣がないから、うまくいかなかったのでしょうね…」
こくんとうなずくワグネル。
「それでも私にとって長崎へ行ってよかったのは佐賀の人間と知り会えたことだ」
「佐賀の人ですか?」
「彼らは、有田焼の製造の発展に西洋の知識を必要と感じていた。私は彼らにいった」
ワグネルは石けんを一輪挿しの横に置いた。
「最新の化学知識を応用すれば、この石けんと同じように有田焼の生産性と品質を高めることができるはずだと」
「日本の磁器に西洋の化学知識を利用する…?」
「これまでの有田焼の職人たちは、呉須という高価な鉱物で色づけをしていた。その呉須のなかに含まれたコバルトという鉱物が色の原料となっているのだが、彼らはそれを知らなかった」
「コバルト……たしか以前、先生はドイツでは鉱物から抽出して生成したコバルト顔料があると、授業でおっしゃられていましたね?」
にっこりと穏やかに微笑んだワグネル。
学生たちが正解をすると見せる顔だ。
「コバルト顔料は呉須よりもずっと安い。それを教えると、すぐに職人たちはコバルトへと色の原料を変え、原材料費をおさえて利益を前よりも増やすことに成功した。そして次は発色の度合いを探究し始めた」
「発色というと色づけですか?」
「そうだ。どれくらいの量のコバルトを使えば、どれくらいの発色になるか。色の度合いを職人たちが思い通りにするため、私もいっしょに実験を重ねていった。おかげで彼らはたくさんの高品質のものを作れるようになり、海外への販売もできるようになった」
コバルトブルーの一輪挿しは、ワグネルと日本の職人たちが生み出した新たなる有田焼だった。
ひばりはふと亡き父親を思い出す。
「西洋の最新知識と技術を学び、日本を発展させて守る。私の父が口にしていた言葉ですが、ワグネル先生と佐賀の人たちはまさにそれをされたのですね。先生のおかげできっと、有田焼はこの先ずっと未来にも残る日本の誇れる芸術品になりますね」
「そうだと嬉しい」
内気で恥ずかしがり屋なワグネルはひかえめに謙遜した。
「ですが、先生はどうしてこの大学へ?そのまま佐賀で有田焼の製造に関わらなかったのですか?」
「それは…佐賀藩がなくなって、雇い主が消えてしまった」
「あ…廃藩置県ですね…」
こくんと頷くワグネル。
学歴が立派なわりにけして順風満帆とはいえないワグネルの職歴。
おもわずひばりは同情した。
「苦労なされたんですね、先生」
「自分ではそうおもっていない。むしろ私は運がいいとおもってる。こうしてすぐに大学の仕事に就けた。それに今でも有田焼を作る佐賀の人たちと連絡をとっている。日本人はみな熱心で勤勉だ」
「それは先生の教え方がいいからですよ。私も先生の授業は楽しくいつも拝見しています」
ワグネルが照れたようなはにかんだ笑みをみせた。
「ヒバリは関心の視野が広く知識も豊かだ。きっとこれからもいろんな面でこの国の役に立つだろうね」
「そうでしょうか?」
ひばりは今の仕事に必死で、他のことになど目を向けていなかった。
だがワグネル教授はいう。
「ここの学生たちはいつかきっとこの国を支える人間になる。その彼らを助けて支えているのが、ここの教授たちであり、また君でもある」
「ということは…私も巡りめぐってこの国の役に立てているということですか?」
こくりとうなずくワグネル。
「これは、君にあげよう。私からの教訓として」
一輪挿しの有田焼をひばりへ渡すワグネル。
「どんな知識や経験が人生で役に立つか人はわからない。だからきっとヒバリは、これからも必ずどこでもなんでもできる」
その教授の言葉にひばりはとても励まされた。
「ありがとうございます、先生」
この大学の仕事はひばりが本来望んだ仕事ではなかった。
それでも、今は良かったと心から思える。
「学生といっしょに先生から学ぶことが多いこのお仕事は、自分に合っているような気がします。最近は学生たちから留学の相談なども受けてますし、私が役に立てる機会が増えているようで、嬉しいです。先生、これからもどうぞご指導のほどよろしくお願いします」
ひばりはようやく日本で自分の居場所を見つけられた気がしていた。
帰り道、一輪挿しを大切に抱えながらひばりは江藤をおもいだした。
(そういえば、江藤さまも副島さまも佐賀の出身だったわね)
有田焼をワグネルからこうしてもらい、なんとなく縁を感じる。
あらためて江藤に仕事を紹介してもらったお礼を言いにいかねばならないなと強くおもった。
久邇に相談しようかなとおもっていたら、家の玄関で彼と鉢合わせした。
「お帰りなさい。今日は早いお戻りですね?」
「いや、これからまた出るところだ」
久邇はどこか慌ただしそうに書類などを整理しながら身支度をしている。
「しばらくは遅くなる。もしかしたら帰れんかもしれん」
「何かあったのですか?」
「副島さん、江藤先生を含めた5人の参議が辞職した」
「え!?」
「政変だ。おかげで外国行使から問い合わせがすごい。その対応で外務省は忙しい」
急いで出て行こうとした久邇が足を止めてふりかえった。
「しばらくはあまり遅く出歩くな。それから浪人に気をつけろ」
「どういうことですか?」
「武士の身分を取りあげられた元武士が反乱分子となっている。この政変で調子に乗っているようだ。用心しろ、戸締りはしっかりしとけ」
そのまま久邇は飛び出すようにでていってしまった。
ひばりは彼を見送り、一輪挿しの有田焼を抱きしめ空をみあげた。
雲行きがあやしかった。




