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武士に恋は難しい

この日、久邇は司法省を訪れていた。

司法卿の部屋の前でフランス語で呼び止められる。


「やぁ、ヒサチカじゃないか」


政府のお雇い外国人ジョルジュ・ブスケだった。

フランス人弁護士で、江藤のもと民法の作成に関わっている。


「珍しいね、こっちで君を見るのは」

「江藤先生に呼ばれてな」


久邇は愛想なしの素に近い自分のままでフランス語を話す。

一時期、久邇はジョルジュ専属の翻訳官だった。同年代ということもあり、気が知れた仲同士になっている。


「いつもの翻訳官が休みだから江藤サンは君を呼んだんだね。でもその肝心の江藤サンはまだ内閣府から戻ってきてないよ」

「ということは、また廟議が長引いてるのか」

「らしいね。最近多いみたいだ。ま、ここで座って待っていればいいよ」

「そうさせてもらおう」


そばにある適当なソファに腰かけた久邇。

ジョルジュも同様にとなりへ座った。


「せっかくだ。ヒサチカに私の本の協力をしてもらおう」

「本?」

「日本の文化について見たこと聞いたことをまとめて本にしているんだ。そこで君に聞きたいのは、武士(サムライ)(めかけ)についてだ」


あまり好ましい話題ではなく、久邇はうまく話をかわそうとした。


「民法で妾を認めるか認めないかについての議論なら江藤先生とやってくれ」

「もうしたさ。江藤サンやほかの高官たちとも話したところ、全員が妾を認めるべきだといっていた」


当然だ、と久邇はおもった。

あまり声を大きくしていえないが、政府高官たちには何人も妾がいて、あの江藤にも一人いるのだ。ばかばかしいことだが妾を否定すればせっかくの新政府がひっくり返るかもしれない。

しかしこのフランス人は納得いっていないらしい。


「ヒサチカはどうだい?妾を認めるべきとおもうかい?」


眉をひそめて答えあぐねる久邇。


「…なぜそれほど妾にこだわる?」

西洋(ヨーロッパ)にはない文化だからさ」


ジョルジュは妾について持論を語り始めた。


「日本において妾というのは古くからの制度だ。伝統といってもいい。特に男子相続が絶対である武士(サムライ)の社会にとって妾は重要だろう。妻が必ず男を産むとは限らないからね。それとは別に、日本では女遊びができる場所が多いという事実がある。遊女や芸者などがいる場所だ。そういう女性を妾にしていると、社会的地位(ステータス)が高いとみられる傾向がある。つまり、サムライにとって妾はごく自然で当然の存在だ」


今だにだまり込む久邇にジョルジュは答えを迫った。


「聞き方を変えよう。君は妾を欲しいとおもうかい?」

「‥‥‥妾よりもまえに俺にはまだ正妻すらいないぞ」

「それでもサムライたちは結婚前から妾候補がいるだろう?えーと、なじみのアイカタとかいったかな?」

敵娼(あいかた)のことか?そんなのがいるのは遊郭に出入りしてるやつだけだ」

「じゃあ君は女遊びをしないということかい?」

「何人も相手するなど時間と金のムダだ。そんなものがあるなら、新しいフランス語辞書でも買って勉強してた方がよっぽど自分のためになる」

「なるほど、つまりそれが君の恋愛観ということか」

「は……?レンアイ?」


一瞬固まる久邇。

頭のなかにあるフランス語辞書から『恋愛』をひいてみるが、その定義にいまいちピンとこない。

それを見通してか、ジョルジュがもっと噛み砕いた優しい言葉を口にする。


「恋だよ、恋。君は何人にも恋するのではなく、たった一人の運命の相手を探すタイプということだ」

「わからん、なぜそうなる?」


ますます混乱する久邇。

一方でジョルジュは楽しげであった。


「一般的な武士たちの恋愛観においてヒサチカは稀なタイプだね。妾もそうだけど、たいていのサムライたちは女性と体の関係をもってから愛情へ発展するだろう?」

「それが一番手っ取り早いからだろ」

「ヨーロッパでは考えられないよ」

「そうなのか?」

「宗教的に婚前交渉が認められていないからね。まあ愛人とかは別にしてさ」


久邇の眉がぴくりとした。


「それは、アメリカでも同じか?」

「もちろん。だから欧米諸国はどこも一夫一妻制だろ?」


久邇が一人納得したように「なるほど、そういうことか」と日本語でつぶやいた。


「うん?何か言ったかい?」

「いや…たとえばだが、おまえならどうやって女を口説く?」

「君にしてはおもしろい議題の提案だ。そうだね、フランス紳士的にいけば、まずデートに誘う。食事が一番ベストかな」


それならしたな、と日本語でつぶやく久邇。


「そのほかは?」

贈り物(プレゼント)だね。花束なんかは毎回のデートに欠かせないさ。あとこれが重要だが」

「なんだ?」

「愛の言葉だ。綺麗だ、美しい、愛していると、彼女へ愛をささやくのさ」


苦虫を噛み潰したような顔をする久邇。


気障(きざ)なことをする。さすがフランス人め」

「おや、フランス紳士を(あなど)ってはいけないよ?断言してもいい。愛の言葉が嬉しくない女性はこの世にいない」

「…帰国子女でもか?」

「ははあ、なるほど」


にんまりとするジョルジュ。


「それが君の運命の(ひと)だね?私に口説き方を聞いてくるくらいだ。その人との関係に行き詰まっているのかな?」


不機嫌になってそっぽをむく久邇にジョルジュが茶化すように背中を叩く。


「図星とみえる。このさいだからどんな人か教えろよ。そうしたらもっといいアドバイスがしてやれるぞ?まず見た目はどうだ?美人か?」


しぶしぶと口を開く久邇。


「……美人という(たぐい)じゃないが」


久邇は横浜で再会したときのことを思い出す。


「きれいな女性だ」


成長したひばりは、久邇が記憶していたよりもずっと女らしく、言葉づかいやふるまいも洗練された美しい貴婦人になっていた。

女という生き物はこれほど変わるのかと、久邇は感動すらおぼえた。


「それに、可愛いほうだとおもう」


ひばりは童顔だが大人の色香をもっており、その不思議な魅力が久邇を惹きつけていた。そして彼女の笑顔は陽だまりのようであたたかく、久邇の心をなごませていた。


「彼女と話していると、ホッとするのもあるが退屈しないし、おもしろい」


ときにひばりは久邇の知らない知識を夢中で話していることがある。そういうときの彼女の声はほがらかで美しい。まさしく春の訪れを知らせる雲雀(ひばり)の鳴き声のようで、久邇はつい聞き入ってしまっていた。


「さすが君を夢中にさせる女性だ、教養レベルが高い女性とみえる。そんな女性を口説き落とすなら、これが一番だ」


ジョルジュがそばの机から小冊子をとりだした。

それを受け取り、表紙のフランス語の題目に眉間にシワを寄せる久邇。


「愛の詩集?」

「ここから君の想いを、感情をのせて彼女に伝えたまえ」

「そんな気色悪いことできるか」


心底嫌そうな顔をする久邇。


「フランス人なんかに話した俺がバカだった」


やれやれと肩をすくめるジュルジュ。


「君らサムライは恋がわかってないね。愛は戦って勝ち取るものじゃない。愛は捧げるものさ。自分の愛はさしだし、彼女の愛は(ひざまず)いて()うんだよ」

「そんな情けないことサムライがするか、ばからしい」


結局からかわれたようにおもえ、久邇はイラついたように周囲をみまわした。


「先生はまだか?」


久邇が出直そうと考えて立ち上がったときだった。

周囲の人間が一斉に騒ぎ始めた。

日本語がわからないジョルジュは困惑したように久邇をみあげた。


「何か事件でもあったのかい?みな同じ単語を繰り返しているようだが…ジショク?とはなんだ?」

「辞職。職を辞するという意味だ」


緊張した色が久邇の顔にうかぶ。


「ジョルジュ、もう家へ帰れ。先生は今日はこないぞ。いや、これから先もここへは来ないだろう」

「どういうことだい?」

「江藤先生が司法卿を辞めた」

「なんだって?」

「先生だけじゃない。副島さんもだ」

「外務卿も…!?」

「そのほか3人の参議もだ」


驚きのあまり立ち上がるジョルジュ。


「5人の参議が辞職ということは政変なのか!?」

「おそらくな。俺はこれから副島さんの家へ行く。おまえは帰るとき、町でうろついてるサムライに気をつけろ」

「サムライ?」

「政府への不満をもってるサムライが最近目立ってきた。新政府がこんな状態だ。昔のように外人をまた襲うかもしれん」


数年前に経験した革命の動乱を思い出す久邇。


(せっかく落ち着いてきたのに、またこれか)


ここで自分の身を嘆いても仕方がないと、久邇は外へ駆け出した。

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