悩める小鳥
ベッドのプレゼントをされて以来、ひばりは久邇がする色々なことが気になりはじめた。
まずは休日である。
久邇はきまっていつも家にいた。
「今日も、どこも行かないんですか?」
縁側で本を読んでいた久邇がこちらへ顔をむける。
「どこか行きたいのか?」
なぜそういう答えが返ってくるのかわからないひばりは、やはり日本語能力が落ちているんだろうか。
それでも気になることは口から出てしまう。
「なんで休みの日は和服なんですか?」
休日の久邇はいつも洋服ではなく着流し姿だった。
「ダメなのか?」
「いいえ、ダメというわけでなく。なんとなく気になって…」
目を泳がせるひばり。
だがチラチラと彼の姿へ目がいってしまうのは、おそらく彼があまりにも無防備にうなじや手足をさらしているからだろう。男のくせに女の自分より色白とはどういうことだ。しかも色っぽくもある。うらやましいやら、くやしいやら、悩ましいやら。ひばりは心の置きどころがわからない。
「なんで、そこで刀の素振りをするんですか?」
庭で木刀で打ち込み練習をしている久邇。
彼は本に飽きるといつもこうで、始めると息があがって上半身を脱ぎだすほど、とことんやる。
「おまえこそ、なぜさっきからそこばかり掃除している?」
そしてひばりも庭に面した部屋にある父の仏壇を何度も掃除してしまうのがお決まりになっている。
「これはその…掃除に来てくださる方は触らないので、父上のためにと思いまして…!」
ひばりは心の中で父へ言い訳を続ける。
これも彼が妙な息遣いで刀をふっているから悪いのだ。だからつい彼が倒れたりしなか気になって見にきてしまうのだ。けして彼の鍛えられた肉体が気になるとか、やましい心からでない。
ひばりは彼のすることなすことがいちいち気になってきてしまっている。
今まで気にならなかった勉強部屋の机の位置すらもその対象になった。
「あのー、どうして机を向かい合わせに置いたんでしょうか?」
「おまえがデカい机がいいといったからだろ。部屋に合わせたら、こうゆうふうにしか置けなかったんだ。何か勉強するのに不都合があるか?」
「いいえ、ありません」
むしろこの部屋は勉強するにはこのうえなく便利である。中央に机があるおかげで、周囲におかれた本棚が使いやすい。図書館にいるような感じだ。
「じゃあ何が問題だ?」
「いえ、問題というほどではないのですが…ちょっと景色がよくないかなぁ、なんて」
机が向かい合わせのため、ひばりの視界にはいつも久邇の姿があり、おかげでついつい彼の容姿を鑑賞してしまっていた。
久邇の顔はすべてのパーツがバランスよく配置された左右対称で完璧と言ってもいい。切れ長の大きな瞳がふせるとみえる長いまつ毛なんかも綺麗だ。それでも昔とちがってずっと男っぽさを感じるのは太くなった骨格のせいだろう。肩幅もしっかりして厚みがある。10代の彼にあった可憐さがなくなったのは惜しいが、かわりに20代後半の男性的な渋みが加わりいい味を出しているといえよう。
ひばりの総評ではプラスA評価を与えるしかない。
「景色が悪い?」
首をひねる久邇。
自然の摂理にしたがって彼の艶やかな黒髪がサラサラとゆれた。くせっ毛で茶色っぽい黒髪のひばりからすれば、彼の髪質がうらやましくてたまらない。
「視界が暗いということか?」
「そうですね、いっそもっと暗ければ見えなくなるのでちょうどいいかもしれません」
そうなればひばりは久邇という美術品に目を奪われなくてすむ。彼のせいで勉強も仕事もなかなか捗らない。
「何をいっている?暗くなれば字が見えなくなるだろう」
「そうですね、勉強は明るい昼間にやっほうがいいですもんね。なのに、なんで私たちはこのような遅い時間にいっしょにここで勉強しているんでしょうか?」
「一日中働いてるんだ。夕飯のあとしか、お互いに時間がないからだろ?」
「…おっしゃるとおりです」
「おまえはやはり日本語の理解力がおかしくなったな」
久邇がひらりと一枚の紙をこちらによこした。
ひばりの翻訳文書で大学の教材に使うものだ。
「ヘタくそめ。外務省だったらこんなものは使えん。俺ならば持ってこられたところで即破り捨てる」
グサリと彼の容赦ない言葉がひばりの胸に刺さる。
こうゆう冷めた物言いは相変わらずだと感じる彼の一面だ。
「自分でも自信がなかったから見ていただいたのですが、そんなに悪かったでしょうか?」
「全体的に直訳しすぎだ。もっと意訳しろ。これじゃあ伝わるもんも伝わらん」
「意訳しているつもりだったのですが、これでも足りないですか?」
「足りん、おまえは細かく翻訳しすぎだ。たとえば、こことこの単語はつまるところ同じ意味だ。こうゆうふうに、一文でまとめられる。ここも、こっちも同じだ」
久邇が次々に添削していき、文章はひばりが翻訳したものよりずっとすっきりとした。
「なるほど、たしかにこれなら原文の主旨と合いますね」
「学生たちにとって重要な単語、たとえば分野においての専門用語など以外は省いていいとおもえ。余計なだけでわかりづらくなるだけだ」
「さすが私とは年季がちがいますね」
久邇の翻訳技術にひばりは感心していた。
「大学で仕事をしているともどかしいことが多いです。私自身では理解していても、それをうまく日本語で伝えられず、あらためて言葉を訳すことの難しさを実感しています」
「あたり前だ。言語はその国と文化そのものだ。完全に訳すことは不可能で、大事なのは正しい理解ができるかどうかだ」
彼の厳しい言葉の中に言語とその国の人々に対する敬意をひばりは感じ、おもわず頬をゆるませた。
「ええ、本当におっしゃるとおりです。頼ってくださるワグネル先生と学生さんたちのためにも、私はもっと勉強しなくてはいけませんね」
久邇が思いついたようにぼそりとつぶやく。
「…大学の仕事は順調か?」
「はい、おかげさまで。ワグネル先生はお優しいですし、学生さんたちも熱心で真面目ですから、やりがいがありますよ」
「そうか……でも、男ばかりだろ?」
「え?ええ、女は私以外だと食堂のおばさんくらいかしら?」
「それは、大丈夫か?」
「何がです?」
「つまり、周りは男だらけなのだろ?」
「まあそうですけど、特に問題はありませんよ?」
急に久邇の様子が変になった。
視線を迷わせ、口を開いては閉じ、ようやく言葉を発したとおもったら、どこかしどろもどろだった。
「アレだ、その…言い寄られたり、とか…しないか…?」
一瞬キョトンとするひばり。
やっと彼の言っている意味を理解したとき、おもわず笑い声がでた。
「やっだぁ、私もうほぼ三十路に近いんですよ?10代の学生たちからすれば行き遅れの年増ですよ!ありえないですよぉ」
彼も心底おかしい冗談を言えるようになったとひばりは感心しかけたが、彼の真剣そうな顔をみて戸惑った。
「べつに年増になんかみえんが」
「え?」
「教授たちからみれば十分若いだろ」
「それは、そうかもしれませんけど…でも私は、ほら、このようにさほど器量がいい方ではありませんから」
容姿に関して自分を卑下しているわけではないが、自信をもって胸をはれるほどじゃない。
「元夫のあなたさまならよくご存知でしょう?私は特別美人なわけでなく、頭でっかちで生意気なだけの女だって。男の方が口説きたくなるほど魅力的な女じゃないですよ」
こうして話せば、久邇も笑って話を流してくれるとひばりはおもっていた。
だが、彼は痛みを感じているように眉間に皺を寄せていた。
「昔、おまえがそういって俺が否定しなかったことを気にしてるのか?それなら誤解だ」
「…え?」
「俺はおまえに器量がないとおもったことはない」
つまり、それは?
ひばりは彼の次の言葉に集中する。
「おまえは」
ふいに顔をそむける久邇。
「かわいい、とおもわなくなくもない」
「……はい?」
小首をかしげるひばり。
「すいません、結局かわいいのか、そうじゃないのか、どっちなのかわからないんですが…?もう一回お願いできますか?」
久邇が顔をこちらへ鋭くむけた。
あきらかにすごく不機嫌そうだ。
「日本人だろ、これぐらい一度で聞き取れ!おまえはいい加減、自分の日本語を早くどうにかしろ!」
そのまま久邇は怒って部屋から出ていってしまった。
「なんで私は怒られたのかしら……?」
ひばりはいろんな言語を理解できても、久邇の言葉だけは理解できないらしい。




