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とある日の外務省にて

その日、久邇は終業時間がだいぶ過ぎても外務省から出なかった。

仕事をするわけでもなく、ただ席でじっとしている彼に同僚が声をかけた。


「日下、まだ帰らないのか?」

「ああ。副島さんを待っている」

「てことは、まだ廟義(びょうぎ)は終わってないのか?」


廟義とは政府首脳陣のみによっておこなわれる話し合いだ。


「いつもなら午前中で終わるだろ」

「今日は長引いているらしい」

「そうか…なぁ、やっぱあの件で揉めてると思うか?」


最近の外務省内で『あの件』といえばひとつしかないことを久邇は知っている。


「…韓国出兵の話か」


あまり穏やかでない話題であるため同僚が自然と声を落とす。


「外交問題でもあるが政治問題にもなってるんだろ?」

「政府中枢が賛成派と反対派で割れているらしいからな」

「ここだけの話…」


周囲に人がいないことを確認する同僚。


「戦なら数年前にやったばかりだってのに、よくまたやる気になるよな。国内はまだ落ちついてないぜ?」


この同僚の男は旧政府の人間だった。

同じ経歴である久邇もつい皮肉めいた口ぶりになる。


「新政府さまは血気盛んな武士が多いんだろ、俺たち元幕臣とちがって」

「ちがいない。けど問題はその血の気が多い武士どもが、新政府の悩みの種になってきてるとこだな」


この場には元幕臣の自分たちだけであるため、いつになく同僚が本音をこぼす。


「俺たちみたいな能力があって実務のできる元武士はいいさ。敗者側でも新政府内で優遇されて意外といい目をみてる。でも、刀をふるしか能のない武士は逆だ。勝った革命側でも新政府内で仕事をもらえず、食いっぱぐれてみじめな目にあってる。武士の身分で守られてた生活もなくなった。最近、そういう不満をもった武士たちがあちこちで怪しい動きをしているという話だ」

「討幕の次は反政府活動か」


鼻で笑う久邇。


「革命の志士を気取る武士(サムライ)というのはご苦労なことだな」


革命の志士たちは久邇からすれば戦争で負けた相手だ。その彼らが結局はうまい汁を吸えずに駄々をこねているという。この事実に久邇は小気味良さを感じている。

同僚も同じだろうが久邇ほど表に出さなかった。


「オイ、それ副島さんの前ではいうなよ?あの人も一応革命の志士だからな。お、ウワサをすれば…」


外務卿の部屋がある方向でバタバタと人が駆け込む音がした。


「本物の革命の志士さまが戻ってきたみたいだぞ?」


同僚に別れをつげ、久邇はすぐさま外務卿の部屋へ向かった。

すると部屋の中から言い争うような声が聞こえた。


(副島さん、誰と一緒に戻ってきたんだ?)


しばらくして声が静まり、久邇はドアを叩いた。


「失礼します、よろしいですか?日下です」

「……日下君?」


副島の反応を聞き、久邇はドアを開けて中へ入った。


「戻って早々に申し訳ありません。本日中に決裁をしていただきたい事案がありましてー」


久邇は副島ともうひとりを目にしてややおどろく。


「江藤先生がご一緒でしたか」


先ほど副島と口論していた相手はこの江藤ということになる。しかし、江藤はいつもどおり静かで穏やかそのものだ。さっきのは幻聴だったのかと久邇が疑ったほどだ。

だが、副島の方はいつもとちがって余裕がなさそうに落ち着かない様子だ。


「自分は邪魔をしてしまったでしょうか?」

「いや」


江藤は首を横にふったが、副島は不服そうな顔で何かいいたげであった。


「副島、日下君が小鳥を飼い始めたのを知っているか?」


久邇はびっくりして固まった。急に外務卿室(ここで)そんな雑談を江藤が持ち出すとは妙な違和感しかなかなく、何よりも江藤らしくない。

副島も「ああ、そうか…」と鈍い反応をみせている。

にもかかわらず、江藤は無理矢理に話題を続けた。


「日本生まれだが海の向こうまで行った渡り鳥らしい。そうだったね?」


久邇はあまり乗り気がしなかったが、ここは江藤の話に付き合うしかないとあきらめた。


「まぁ、日本産の渡り鳥ですね」

「珍しいものだ。それで、その後どうだね?うまく飼い慣らせたか?」

「……いいえ、難しいですね。餌が気に入らないのかイマイチなつきません」

「触らせてももらえないか?」

「はい。警戒心が高くて隙もみせないです」


小鳥は久邇を避けているとまではいかなくとも、近づかないようにしているようだった。家事が終わればさっさと自室へ引きこもり、『Do not disturb (邪魔しないでください)』という英文の貼り紙を表に出している。


「籠の中でさらに閉じこもってしまい手が出せない状態です」

「それなら手を入れるなりして、無理矢理にでもつかんで抱き込んでしまえばいいんじゃないか?」

「嫌われることはしたくありません。できれば好かれたいですから」

「紳士的だな、君は」


副島がようやくここで話に乗ってきた。


「まるで女の話でもしているようで、君たち二人らしくない話題だな」


いつものように人のいい笑みをうかべる副島。

しかしなぜか彼はあくまで久邇に話しかけ、江藤とは目も合わせない。


「日下君の付き合いが最近悪いのは、その小鳥に執心しているせいだな?だがようやく家を買ったとゆうのに同居人が小鳥だけとはさびしいじゃないか。身の回りの世話をする女などいないのか?探してやるぞ?」

「ご心配ありません。身の回りのことは初生がやってくれます

「書生?そんなもの置いたのか?」

「はい。気の利く人間で色々としてくれます。このあいだは、シャツのボタンがとれかけていたら直してくれました」

「裁縫もするのか、書生が」

「料理もしてくれます。西洋風の料理とか食べ慣れないものも作りますが…まぁまぁ食えます。この間出されたアメリカ南部の家庭料理とかいう、豆と肉が入った汁物(スープ)はうまかったです」

「肉の料理までこなすとは、ずいぶん便利な書生を手に入れたな」

「はい。おかげで落ち着いた生活をさせてもらっています」


この10年ほどは流れるように居場所を転々としてきた久邇。

戦争に出て一度は死ぬことを覚悟したが運よく生き残ってしまった。あとは余生だ。残ったこの命を新時代で使い切ろうと、自分をおろそかにして生きてきたところが久邇にはあった。

だがあの家に暮らし始め、久邇の心はやっと平穏を取り戻しつつあった。

それを副島も感じとっている。


「あの家がようやく君にとって安心できる、居心地のいい場所になっているようで良かったよ。そうとなれば、早く返してやらんとな。どれ、今日中に判断せねばならない案件とはなんだ?」

「こちらです」


久邇は副島に説明をしながら、この場にただよう空気感が気になっていた。

副島も江藤もどこかようすがおかしい。

さきほど聞こえた口論といい、話題のそらし方といい、このふたりらしくない。

さらに久邇が違和感を感じたのは、帰り際に江藤からかけられた言葉だ。


「日下君、小鳥を手なづけたいなら急げ。日本は気候が変わりやすい。天気が合わないとなれば、小鳥はまた海の向こうへ飛んでいくぞ」


それは政治的な何かが近いうちにあるのかと読みとった久邇。

出兵のウワサ、新政府に不満をもつ武士の存在、そして異様に長引いた廟議。

久邇は胸の奥で感じた不安を無視し、家路を急いだ。

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